ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

浦島太郎伝説が残る北限の亀の街を歩く

2018-09-30 23:49:58 | 福島県

2018年9月15日(土)

 いわき市四倉地区は、太平洋に面し、漁業で栄えた街であるが東日本大震災では海岸沿いの民家が津波被害を被った。ウミガメの北限の産卵場所であり、浦島太郎伝説も残る亀の街でもある。

 JR四ツ倉駅。“四倉“であるが駅名はなぜか“四ツ倉” 。

JR四ツ倉駅の横にウエルカム石碑に“亀の町“と刻まれ、ウミガメ像がある。が亀のことをPRしているのを見かけたのはここだけだった。

 JR四ツ倉駅前の通り。

 JR四ツ倉駅からまっすぐ行き、左折したところにある商店街の入口にある大きな木。

商店街。街の中心になる。津波被害のためか古い商家や蔵などは見かけなった。

 自由の女神と思いきやシャモジと炊飯器を持っている。何のためにこの像があるのか不明。 

 高台から四倉の街を展望。津波被害のためか新しい家が多い。

 海の傍にある道の駅。津波で被災しリニューアルされたもの。津波で被災した様子が展示されていた。

 道の駅の裏の四倉の海岸。防波堤はかなり高く。4~5mはある・・・もっとあるかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の歌姫ゆかりの岬&風俗のある漁港を歩く

2018-09-27 00:38:03 | 福島県

2018年9月14日(金)

塩屋岬(福島県いわき市)には、日本の灯台50選の灯台があり美空ひばりの歌の舞台となった。同じいわき市内の小名浜地区はもともとは漁港の小さな街なのに東北最大級の風俗街がある。

塩屋岬。太平洋の荒波が打ち寄せ、いい波はあるがサーフィンをしている人をみかけなかった。

 灯台がある付近から北側の風景。

 美空ひばりの碑。碑の傍に行くと、自動的にこの地を歌にした"みだれ髪"という歌が流れる。

 小名浜駅跡周辺には、今年6月にオープンしたばかりのイオンがある。相当でかい。イオンの中の写真展で見たが、このあたりは東日本大震災で津波被害を被った。

イオンの目の前は小名浜港。小名浜は漁港でもあり、工業地域でもある。

小名浜のメインストリート。

 市街地の風景。正面の建物は教会。

 イオンの裏の商店街。かつては最も賑やかだったと思われる通り。

 商店街と隣接し、イオンの裏に当たるところにソープ街がある。街の規模からしてはたくさんのソープ店がある。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最も新しい23区の中心街から住所と一致しない街まで歩く

2018-09-19 00:34:44 | 東京都

2018年9月8日(土)

東京23区の中で一番最後に区となった“練馬区”の中心街である西武練馬駅付近から、中野区江古田の地名がついた練馬区にある西武江古田駅まで歩いた。

区役所やビルが立ち並び練馬区の中心部となる西武練馬駅前。家族で食事した後、カロリー消費のため一人で2駅先までの駅を歩いて往復した。

西武練馬駅からメインストリートを少し歩くと桜並木の街路樹が続く。結構、長い距離の桜並木だったので、桜が咲いない時に歩いたことを、もったいないことをしたと思った。

桜並木のメインストリートから路地を入ったところにある西武桜台駅(正面)。練馬から一つ目の駅。

桜台駅付近に残る昭和情緒を感じる一角。

西武江古田駅。駅の所在地は練馬区旭丘。江古田という地名は、少し離れていて中野区になる。

江古田駅付近を走る西武電車。

江古田駅の近くにある江古田浅間神社。ここも練馬区。

駅前の商店街“江古田銀座“。ここも住所は練馬区で江古田ではない。1960年まで現在の西武江古田駅周辺は江古田という地名だったとのことである。

江古田駅周辺にある文化通り商店街。江古田を名乗っている店があるが住所は江古田ではない。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狸が化けた茶釜伝説の寺がある街を歩く

2018-09-09 19:09:06 | 群馬県

2018年9月1日(土)

 館林市は、群馬県南東部に位置し、夏は40度を超えを何度か記録したことがある猛暑の街。市内にはタヌキが茶釜に化けた分福茶釜伝説が残る茂林寺がある。

東武鉄道館林駅前で乗降客を迎えるタヌキ像。

 タヌキ像の横には、プロ野球創成期である1936年に東京巨人軍がキャンプを分福球場で行ったことから“不屈のG魂誕生の地”として碑が建っている。

 東武鉄道館林駅前の街並み。

 明治時代からこの場所にある花山うどん。東武鉄道の駅ができる前からあったそうな。ここに訪れる直前に学生時代の友人とラーメンで昼食を済ませていたので食べなかった。昔、妻と訪れた時食べたが、味の印象は忘れた。

 ひと昔前は、賑やかだったと思える通り。

レトロ感たっぷりのショッピングセンター。

 

 昔、賑やかだったと思える通りから、路地を入るとクラブやバー、スナックなど飲食店街がある。何の建物かわからないが3階建ての木造家屋が目立っていた。

 分福茶釜伝説が残る茂林寺の参道の商店街。ここもタヌキが迎えてくれる。

 

 

 

 茂林寺の山門前。一番手前に分福茶釜のタヌキがいて、山門までタヌキが整列している。写真では山門に向かって左側しか写っていないが右側にもタヌキが整列している。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“巨人の星“誕生の地を歩く

2018-09-01 00:24:48 | 東京都

2018年8月26日(日)

 東京都荒川区町屋は、東京メトロ、京成、都電が走る東京の下町。小学校の時から愛読した“巨人の星“の星一家が暮らしていた街。現代版“巨人の星“カープの鈴木誠也選手もこの街で親子で野球に取り組んだ

京成町屋駅。ひょんな話から、大のカープファンの息子たちと話しをしていて、鈴木誠也選手が町屋出身であり一徹と飛雄馬みたいな親子だったことと星一家も町屋ということを知った。

 京成町屋駅の近くに都電荒川線町屋駅(写真)、東京メトロ千代田線町屋駅がある。

 町屋駅前のメインストリートである尾竹橋通り。星一家が暮らしていたような街のイメージは全く感じない。

 尾竹橋通りを歩いてると昭和感が残る店がチラホラあった。

 

 尾竹通りをずっと歩いて行くと隅田川にかかる尾竹橋がある。橋の向こうは足立区。

 尾竹橋から振り返ると荒川区側。

 尾竹橋通りから路地に入ったら“どぜう(どじょう)屋“を発見。浅草のどぜう屋以来初めてどぜう屋を見た。

 町屋は実際には一丁目から八丁目までしかなく、星一家の住所は架空の九丁目なので、近くに来た気になるため八丁目に来たかった。

 一徹が卓袱台をひっくり返したり、壁の穴に飛雄馬がボールを通したりした星一家が暮らす長屋の雰囲気を味わいたく路地をいろいろ歩いた。平屋の長屋は見かけなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする