ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

日本最大級のボタ山が残る炭鉱の街を歩く

2025-03-13 00:30:54 | 福岡県

2024年12月5日(木)

飯塚は、江戸時代には長崎街道の宿場として、明治時代になってからは石炭産業により栄え、日本最大級のボタ山が現存する。

 

JR飯塚駅からみた旧住友忠隈炭鉱のボタ山。ボタ山とは、質の悪い石炭や混じった石を積み上げたできたもの。自然発火や大雨による崩壊等の危険性があり、多くのボタ山は取崩して埋立や造成に使われた。このボタ山は現存するものでは日本最大級であり121mの高さがある。

JR飯塚駅(正面)前の風景。

JR飯塚駅からNTTのパラボナアンテナがある方に行けば中心部だろうと予想をつけ歩いていく。本社が広島にあり、島根、山口にも多いスーパー「ゆめタウン 」があったので久しぶりに立寄った。

街の中心部エリアにある嘉穂劇場。炭鉱労働者の娯楽の場としてだけでなく、多くの芸能人からも愛された1931年開場した木造の芝居小屋。コロナの影響で経営難に陥り現在休館中。

長崎街道の宿場でもあったアーケード商店街。やはり閑散としていた。

遠賀川にかかる橋も重厚で情緒がある。

遠賀川にかかる橋から見たボタ山。

飯塚の炭鉱王だった麻生が鉄道、銀行、病院、学校などを作ったので、麻生グループに関する企業が多い。元総理の麻生太郎も飯塚出身でありグループ会社の元社長だった。

JR飯塚駅の次の新飯塚駅(正面の建物)。街の中心部はちょうどふたつの駅の真ん中あたりだった。

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名大関が迎える石炭集散地として栄えた街を歩く

2025-03-11 19:28:53 | 福岡県

2024年12月5日(木)

直方は、筑豊の中心に位置し、石炭集散地として栄えた街。直方駅前には、この地出身力士である魁皇の像が建立されている。

 

JR筑豊本線と平成筑豊鉄道が乗入れる直方駅前にある魁皇像。魁皇は、大関在位・幕内在位の歴代最長記録を持ち、幕内通算勝利数は歴代2位である。直方では、魁皇が勝利したら花火を打ち上げ祝福していた。

直方駅(写真右)前の風景。

直方駅前にあるもち吉の店舗。写真が発祥の店ではないが、もち吉は直方発祥。いまや全国展開しているが、そんなに店舗数が多くなかった頃、この写真の店舗ではないが、アウトレットを直方に買い来たことを思い出した。

人口5万人程度の衰退した石炭産業の街、しかも平日であるのに、商店街に人が多いのにびっくりしたが、毎月5日は市が開催され、ちょうどその日だった。

赤レンガ造りのかつて銀行だった建物。現在はガラス細工などのアートを展示してありレストランとなっている。ちょうどランチタイムだったのでここでランチ。オシャレな感じだった。

アーケード街を抜けると病院、商店などレトロな建物が集まっている。

直方市内を流れる遠賀川。

石炭記念館。入館料100円だが、その何倍も価値ある説明員の詳しい説明でためになった。ここに全国で唯一の模擬坑道があり、落盤、爆発の事故を想定して炭坑救護隊員が訓練を行なった。模擬坑道は、写真左の旧石炭鉱業組合直方会議所とともに国の指定史跡となっている。

JR筑豊本線の電車。かつては石炭を輸送する列車が走っていた。

筑豊電鉄の起点の筑豊直方駅。黒崎駅(北九州市八幡西区)まで16kmの鉄道。JRや平成筑豊鉄道が乗入れる直方駅からは徒歩10分程度。

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五つの市が合併してできた政令指定都市の中心部の紅葉

2025-03-10 01:04:23 | 福岡県

2024年12月4日(水)

1963年五市の合併で誕生した北九州市の市役所周辺には、観光・文化施設が多くあり紅葉スポットなっている。

 

小倉城。北九州市中心部にある勝山公園内にある。細川忠興が築城したが、焼失して1959年再建された。

小倉城にある宮本武蔵と佐々木小次郎の像。二人の決闘の場は巌流島(下関市)であるが、武蔵が人生の中で最も長く過ごした地が小倉。像の背後の建物は、同じ勝山公園内にある北九州市役所であり、その展望室から勝山公園全体の紅葉が見わたせる。

勝山公園内にある八坂神社。小倉城の堀の中州のようにある神社。

八坂神社からみた北九市役所。

八坂神社の前にある小倉城庭園(写真右)は大名の書院と庭園が復元されている。入場してないが紅葉があったので周囲を歩いただけ。

勝山公園内にある松本清張記念館。彼は小倉出身。松本清張作品は、文庫本、映画、ドラマもみて好きなので管内に入ったが撮影禁止。彼が私も暮らしたことのある下関で幼少期に過ごしたことを初めて知った。管内には彼の書斎が再現され、小説を書くための資料として莫大な蔵書があった。

松本清張記念館前の通りの名は「清張通り」。街路樹の紅葉がきれいだった。

JR小倉駅新幹線側の公園の紅葉。昔、小倉に買物に来る時、そごうの駐車場が、ぼんやりとした記憶ではこのあたりだったと思われる。駐車して駅の中を通り抜け、街中に行ったので、どうなってるのかと訪れてみたら紅葉がきれいな公園になっていた。

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五つの市が合併してできた政令指定都市の中心部を歩く

2025-02-20 00:34:03 | 福岡県

2024年12月3日(火)~12月4日(水)

JR小倉駅(北九州市小倉北区)周辺は、1963年五つの都市が合併してできた北九州市の政治・経済・交通の中心地。

 

JR小倉駅。小倉駅から企救丘駅まで全長8.8kmのモノレールが走る。九州地方で唯一のモノレールであり、子供が小さい時、妻が買物中によく乗せてことを思い出す。

JR小倉駅前の祇園太鼓の像。京都の祇園祭、福岡の祇園山笠とともに日本三大祇園祭と言われる。北九州市には戸畑祇園大山笠がある。

JR小倉駅の西側にある飲食店街。

JR小倉駅の東側にある飲み屋街。この飲み屋街には森鴎外の旧居がある。前日、一緒にこの飲んだ北九州在住の友人から聞き行ったが、飲み屋街の中に場違いな建物がある。

旦過市場。2022年に2度もこの市場で大きな火事があった。写真左側にあった店はほとんどが焼失。昭和と九州を感じることができ好きだったので、何度も訪れて買物した。テレビのニュースで見た時はビックリしたし、寂しかった。

旦過市場(写真右)の裏は川が流れる。

北九州市役所の展望室からのJR小倉駅(写真右の横に長いビル)、小倉港方面の風景。

北九州市役所(写真左)と半楕円形のビルはNHKビル。

シュガーロードと言われる長崎街道の起点に架かる橋。立入禁止で渡ることができなかった。

港からみた風景。

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海峡に面して歴史的建造物が集中する港周辺を歩く

2025-02-15 01:49:42 | 福岡県

2024年12月3日(火)

門司港(北九州市門司区)は、関門海峡に面した港。取り壊し寸前の歴史的建造物を生かして「門司港レトロ」として観光地となった。

 

JR門司港駅。鹿児島本線の起点駅。1914年に創建された現役の駅舎であり、鉄道駅としては初の重要文化財。下関からの連絡船の中継駅として九州の玄関口として賑わった。関門トンネル開通後は2つ下った門司駅に下関からの電車が接続するため衰退していった。

レトロな駅舎内。ホームに行けば屋根や柱、駅名板もレトロであり旅情を感じる。

門司港。明治~昭和初期には外国との貿易港として栄え、周辺には当時創建された赤レンガの建物など洋風建造物が集中している。昔、住んでたところから近かったのでよく訪れたが門司港は整備され観光化が進んでいるといつも思っていた。

門司港近くのアーケードの商店街。

以前はもっと人がいたような気がしたが、門司港からすぐ近いのに寂しい感じがする。

門司港駅付近と関門橋の間までトロッコ列車を運行する平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線沿いの遊歩道の紅葉。この付近は昔何度も通ったことがあるが知らないうちに観光鉄道が開業(2009年)し、歩道も整備され観光化されている。

和布刈神社からの関門海峡と関門橋。旧暦の正月元旦に三人の神職が厳寒の海に入りわかめを刈る和布刈神社の神事がある。この神事を題材にした「時間の習俗」という松本清張の作品がある。「点と線」で活躍した刑事が再び登場する。

関門トンネル人道。全長780mで上は車道となっている。中間地点に福岡山口県境がある。県境で写真を撮るのが観光客の定番。息子の自転車の練習したことが懐かしい。

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