ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

からくり時計が有名なビールの街を歩く

2024-06-03 01:00:11 | ドイツ

2024年4月27日(土)~4月28日(日)

ミュンヘンは、バイエルン州の州都。ビール祭り「オクトーバーフェスト」の開催地であり、100件以上のビール醸造所がある。また、100年以上の歴史を持つ市庁舎のからくり時計が有名。

 

ミュンヘン中央駅の東に旧市街があり、重厚で歴史がある建築物がたくさんある。

カールス広場。この広場にあるカールス門を抜けたところから市庁舎があるマリエン広場まで歩行者天国となっている。

ドイツ狩猟漁猟博物館前のイノシシ像。この近くにナマズ像もある。

歩行者天国のビアガーデン。

旧市街にある教会。中に入ると、いきなり正面に天井から吊られた十字架にキリストが貼り付けられていてインパクトがあった。

マリエン広場にあるミュンヘン市庁舎。時計塔から等身大カラクリ人形32体が11時、12時、17時に出てくる。昼過ぎた頃にここを訪れ、再度17時に戻ってこようと妻と相談していたが、戻るのも面倒になり、カラクリ人形は見なかった。

チューリップが咲いてる横をトラムが走っている。1日券を購入しているので、市内のトラム、バス、地下鉄が乗り放題。適当にいろいろと乗ってみた。

マイケル・ジャクソンの写真がたくさん貼り付けられてる他の音楽家の銅像の台。すぐ近くにマイケルのお気に入りのホテルがあったらしく、追悼のためいつしかマイケルの写真が

マイケルの写真が貼り付けられがある銅像の横にある巨大な像。アルミニウム製で高さ6m、政治家の像とのこと。

トイレのために訪れた公園。ライラックが咲いている。旧市街地の地下鉄駅構内や公園のトイレがクローズだったり、探せなかったため、トラムに乗って、トイレ探し。大きな公園があったので下車し、何人かに尋ね、公園内の博物館ロビーのトイレに辿りついた。ヨーロッパはトイレが日本に比べて少ないので、CAFEやレストラン、ショッピングモール、列車などでしておくことを心がけた。

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ナチスの最初の強制収容所がある街を歩く

2024-06-01 23:49:04 | ドイツ

2024年4月27日(土)~4月28日(日)

ダッハウ(ドイツ)は、ミュンヘンの近郊にある閑静な街。この街にある強制収容所は、ナチス政権最初の収容所であり、アウシュビッツ強制収容所など多数の強制収容所のモデルとなった。

 

ダッハウ駅。ミュンヘンから電車で20分程度。ミュンヘンには宿泊せずダッハウに2泊した。

ダッハウの街並み。緑が多く大きなビルディングはほとんどない。

住宅街であるが、緑や公園が多く、リスもいた。見なかったがキツツキもいるとのこと。なので、住宅街でも軽井沢のような別荘地をお歩きさんしてるような感じ。

住宅街の近くを流れる小川。

ポプラ並木も見事だった。

ダッハウ強制収容所。正面は管理棟で博物館となって写真や資料が展示されている。この強制収容所がその後、各地に設立された強制収容所のモデルとなった。後世に二度とあやまちを繰り返さないよう伝えるためだろうか、入場は無料。

復元された囚人棟。このような建物が20棟(現在は土台が残る)あり、ユダヤ人、反ナチスなど延べ約20万人が収容され、約32,000人が、毒ガス、人体実験、チフスなどで亡くなった。

復元された囚人棟の内部。

死体を焼く焼却炉、ガス室などがある棟。

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街を分断した壁沿いを歩く

2015-05-22 01:31:32 | ドイツ

2015年4月26日(日)~4月27日(月)

 第二次世界大戦の敗戦国ドイツは東西に分断された。首都ベルリンだけは西側連合国が西ベルリン、ソ連が東ベルリンを統治した。当初は行き来が自由だったが、経済状況や政治への不満から東ドイツ人がら西ベルリンへの多く亡命者があったので東ドイツが一夜にして壁を構築した。

ブランデンブルク門。この門の前に壁があり、市民はこの門をくぐることができなくなった。1989年に壁が崩壊した時に、この門の前で喜ぶ人々の映像を当時リアルタイムで見た。東ベルリン側から撮影。

 

 ベルリンの壁。総延長155kmあった壁が、今でも1.3km残されていて、アートが描かれている。ちなみこちらは東ベルリン側。

 

 日本を題材としたもの。

ソ連の最高指導者ブレジネフと東ドイツの国家評議会議長ホーネッカーのキスの絵。最も有名な絵のひとつである。

 壁の反対。こちらは西ベルリン側。

  壁が途切れる付近の土産屋。

 

 電車が走る線路の手前で残された壁が途切れる。クラシックカーに乗っているのはマネキン人形。土産屋のものか?

壁が途切れる付近には、ベルリンの壁より目立つホテルの壁の巨大アート。

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壁で分断されていた街を歩く

2015-05-21 01:26:35 | ドイツ

2015年4月26日(日)~4月27日(月)

 ベルリンは、壁によってひとつの都市が分断された街であり、壁の崩壊後は25年の歳月が経過した今、街がどのようになっているか、興味深く街を歩いた。

露出パイプ。いろいろなところで見たが、ベルリンは湿地帯のため、建築現場からの排水用パイプ。市内でパイプ総延長が60kmもある。合理的な思考のドイツ人らしく露出してるのはコスト抑制のためだろうか。

ポツダム広場。周辺には斬新なデザインの建築物が多い。

 虐殺されたユダヤ人の記念碑。

伝統がある重厚なビルが立ち並ぶ通りに、六角形の奇抜なデザインのビル。

橋の欄干の大きな彫刻。釧路の幣舞橋が思い浮かんだ。

ドイツ連邦議会議事堂。重厚なビルであるがドームだけは近代的でガラス張りのような感じ。

 ドイツ連邦議会議事堂の横を流れる川沿いに斬新なデザインのビルが立ち並ぶ。

 博物館の島にある旧ナショナルギャラリー。川の中洲の島に博物館が5つも集中することから、世界遺産に登録されている。

8つの中庭があるハッケシャー・ホ-フ。ホ-フとは複数の建物に囲まれた中庭にできたショップ、カフェ、ギャラリーなどの複合カルチャー施設。雨だったので店もやってない。

ベルリンのマスコット。市内を歩いていたら大小、クマがたくさんいる。

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文化的な歴史上人物を多数輩出した街を歩く

2015-05-20 01:57:56 | ドイツ

2015年4月25日(土)~4月26日(日)

 ライプチヒは旧東ドイツではベルリンに次ぐ都市であり、バッハ、ニーチェ、ゲーテ、森鴎外など歴史に残る人物がこの地で過ごした。

桜?が咲いていたので公園に立ち寄り。

バッハゆかりのトーマス教会の横の広場はたくさんの桜?があった。

トーマス教会とバッハ像。バッハはこの教会でオルガン奏者兼指揮者であったこともあり、彼の墓がこの教会の祭壇の前にあった。ワーグナー、シューマン、リストという名の知れた音楽家がこの街で活動した。

 バッハ博物館。クラッシックのことはあまり知らないが、音楽室に肖像画があり、見たらわすれられない髪型だったので、自分の中で名前と顔が一致する数少ない有名音楽家の一人。

 トーマス教会の前は、博物館のほかにもバッハの名やイラスト等を用いたカフェや通りなどがある。

 

旧東ドイツの街なので、政治的な威圧感がある建物が多いかなと思っていたが、塔や ドームがある建物が沢山あり、フランクフルトからライプチヒに着いた時、絵になるいい街だと思った。

 

 ゲーテが学生時代を過ごしたのがライプチヒであり、彼が通ったワイン酒場がある地下へ降りる階段の前に代表作“ファウスト”のワーンシーンを表す像がある。

 

 シャレたデザインの建物が駅の近くにあったので行って見たら、ライプチヒ大学の建物だった。ドイツで2番目に古いということなので、重厚な建物をイメージしていたが、取り壊したか、増築した建物だろう。ゲーテ、ニーチェ、森鴎外などこの学校で学んだ。

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