ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

東方を支配する街を再び歩く

2016-09-22 23:59:41 | ロシア

2016年8月17日(水)~8月18日(木)

 ウラジオストクは、ロシア語で「東方を支配する」という意味の極東ロシアの中心都市。旅の始まりも終わりもこの町なので、帰国便に搭乗のためこの町に戻り、再びこの町を歩いた。

中心部。日本からわずか2時間30分、東京からはソウル、台北より近いのにアジアの雰囲気は感じられない。

 

 海水浴がある海まで続く噴水がたくさんある通り。

ウラジオストク中心部は両側が海に面している。軍港として有名だが、反対側には海水浴場があり、夕陽が美しい。

 郊外にある大きな市場。食料品、衣料品、靴、電化製品などいろいろあり、安い。

 ハチミツ屋。ロシアは甘いもの好きで需要が多いせいか、ハチミツの種類が豊富で安い。

 市場周辺のトラム。街の中心部は廃止されたようでトラムがない。

 トラムはかなり年季が入っていてオンボロ。

 ウラジオストク駅から空港に向かうアエロエクスプレスの車窓から見た湾にかかる橋。市内中心部の金角湾にかかる橋よりはるかに長い。 

 ウラジオストク空港駅に到着したアエロエクスプレス。所要時間55分。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

童話の構想が練られた浜を歩く

2016-09-16 18:19:08 | ロシア

2016年8月15日(月)

 スタロドゥプスコエ(旧日本名:栄浜)は、オホーツク海に面した小さな村。宮沢賢治が妹を亡くした直後、鉄道で行ける最北の地に訪れ、「銀河鉄道の夜」の構想を練った場所と言われている。

スタロドゥプスコエの海岸。宮沢賢治のファンではないが、ガイドブックに特集がされていたので、せっかくだからと思って訪れた。波打ち際に昆布が打ち上げられていて、北にいることを実感できる。

 錆ついた廃船があるし、どんよりとした空、飛ぶカモメ、もの悲しくなるような演歌の世界。

 沖にゴロゴロとした岩があるかと思ったら動いた。アザラシだった。

 一目でソ連製の車だとわかる。能登半島の羽咋にある海岸のように砂浜を車で走ることができる。

 

 鮭漁を見物していたら、鮭を1匹くれようとしたが、気持ちだけ受け取った。いろいろと親切にしてもらい、雨が激しくなってきたら彼の車の中で漁を見物させてくれたり、車の中で昼食もご馳走になった。

 収穫はこのバケツに5杯~6杯。漁は地引網ではなく、網にひっかかった鮭を外し、袋に入れ、袋がいっぱいになったら陸に上がりその繰り返し。浅いところにこんな大きな鮭がいるのには驚かされた。

 スタロドゥプスコエの集落。北海道の海沿いの寒村という感じ。宮沢賢治の時代は栄浜駅は日本最北端の駅だったが、今は廃線となっている。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本が統治した島の玄関口の街を歩く

2016-09-15 00:10:18 | ロシア

2016年8月14日(日)

 コルサコフ(旧日本名:大泊)は、サハリン南部に位置するサハリン第3の都市。今は稚内とフェリーの定期便があるが、ソ連時代は軍港都市として外国人の立入が禁止されていた。

旧拓殖銀行大泊支店。

 旧拓殖銀行大泊支店付近に咲いていたユリ。

 無人駅。コルサコフ駅は街の中心部から外れていて、中心部にはこの無人駅が近い。

 稚内と姉妹都市であり、定期航路もあるから敬意を表したのか、この公園の名は稚内公園。

 街の中心は港ではなく、坂をかなり上ったところにある。

 

 レーニン広場。港からはかなり坂を登ったところにある。この周辺が中心部。

 煙突の建物は旧王子製紙工場。

コルサコフ港。軍港として街自体が外国人立入禁止だった。今も岸壁に行くとき、岸壁手前に検問があり警備員がいる。立入る時、咎められると思ったが何も言われなかった。

 この桟橋に稚内からのフェリーが到着するようだ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本が統治したことがある島の鉄道最北終着駅の街での交流

2016-09-12 01:20:13 | ロシア

2016年8月13日(土)

夜行寝台列車(ユジノサハリンスク発)に乗りノグリキに朝到着し、その日の夜にまた同じ路線で戻る。ノグリキは最果ての田舎街、ランチで訪れたレストランで思いがけない交流があった。

レストランの隣のテーブルで4人組から、こっちのテーブルに来て一緒に飲まないかと誘われ、夜の列車まで時間が十分にあるので、彼らのテーブルに行き一緒に飲んだ。写真の二人はロシア人っぽくないがロシア人。

 

レストランで飲んだ 4人のうち2人は帰ったが、2人からまだ飲もうということで、タクシーに乗り3人で写真の人の家に行った。結局、奥さんが不在で、中に入れず。

 近所の友人アレキサンダー宅へ3人で押しかけ二次会。黒パン、サーモンの酢漬、そして私が日本から持参したえびセンベイ、さきイカをつまみにウォッカで乾杯!!

 一緒に宴会をした3人。中央がこの家の主人アレキサンダー。左右はレストランから飲んだ二人。

 アレキサンダーの家の中。150cmくらいのサーモンを近くの川で釣ったものや家族や友達のいろいろな写真を見せて説明してくれ楽しかった。アレキサンダーは英語が少しだけできた。置物やスモモのようなものを大きなビンに入れてくれ土産だと言ってくれた。

アレキサンダー宅から、日本人の血が混じる彼の友人のところに行く前にタクシーで郊外をドライブ。バイクに乗っている二人は、その時に出会った彼らの知りあい。田舎なので出会う人は知りあいが多い。

アレキサンダーの家から、日本人を父親に持つ彼らの友人カガヤ宅へ行くことになった。カガヤはロシア人の母と日本人の父とのハーフだが、既に両親はなくなり現在一人暮らし。

 

カガヤ宅にまた新たに二人の友人が加わり、ウォッカを飲みなおし。ロシア式飲み方はオチョコ程度の小さいグラスにウォッカをイッキ飲み。

カガヤの家の中。カガヤから大きなサーモンの燻製半身を土産にもらう。

 

カガヤ宅前に迎えに来てくれたソ連製と思われるジープ。アレキサンダーがお父さんに連絡をとり、ノグリキ駅まで送ってくれた。今回、レストランで出会って以降、ご馳走や案内もしてもらったうえに土産までもらい本当に楽しく思い出に残る旅となった。最果ての小さな街で、午前中いっぱいあれば街歩き完了するだろうし、文庫本でも読んで時間潰ししようと思っていたが、彼らのおかげで時間が早く過ぎた。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本が統治したことのある島の鉄道最北終着駅の街を歩く

2016-09-11 02:11:36 | ロシア

2016年8月13日(土)

 ノグリキは、北緯51°にあるサハリン鉄道の終着駅。人口約12,000人であるが石油・天然ガスの開発の拠点の街となっている。が、石油・天然ガスに関する施設を全く見かけなかった。

 ノグリキ駅。この駅で降りたほとんどの人が、迎えの自家用車か、旅行社がチャーターしたバス等に乗ってどこかに行ってしまった。

 サハリン島の最北に近いオハまで貨物のみの線路が伸びていたが現在は廃線。線路を歩いて街の中心に向かったが、途中、フェンスで行き止まりとなっていた。

 線路から横道に逸れた集落。未舗装の道に雨が降り、靴が泥でグチャグチャになった。凶暴な大型犬を飼っている家が多く、大声で吠えまくられ鎖をちぎって塀を乗り越えてきて襲われるかとメチャ不安になった。

 街の中心部のメインストリート。集落内で迷って、おばあさんに尋ねたら、通りかかった車をヒッチハイクしてくれ、私を街の中心部まで乗せるよう依頼し、ここまで来ることができた。

ロシア正教の教会。

街路樹や公園には白樺が多い。

 

サーカス。社会主義国家はサーカスが盛んというイメージがある。

 メインストリートと交差する大きな道でも未舗装のところもある。

 メインストリートから少し入ったところの家屋。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする