ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

コシヒカリのルーツ発祥地を歩く

2024-11-30 22:01:05 | 山形県

2024年10月10日(木)

山形県庄内町余目地区は、庄内平野の二都市“酒田“と“鶴岡“の間にあり、コシヒカリのルーツの発祥地。余目町と立川町との平成の合併により庄内町となった。

 

JR余目駅。羽越本線と陸羽西線の接続駅で特急停車駅。陸羽西線は営業休止のため現在はバス代行している。

JR余目駅前の風景。歓迎塔の『月山山頂の町』は庄内町誕生前の旧立川町。『コシヒカリの祖先「亀ノ尾」発祥の町』とは旧余目町出身の人が亀ノ尾を育成したことによる。亀ノ尾は、日本酒を造る時によく使われる米。

JR余目駅前の通り。こちらのイチョウはまだ青い。

駅付近の国道のイチョウは色づいていた。

城かと思ったら、JAの建物だった。

国道から逸れた通りの街路樹のプラタナスは青葉。

庄内平野のシンボル的な鳥海山が見えるが、山頂は雲で覆われていた。

商店街。人は歩いてないが、かつては賑やかだったことが窺える。

商店街にあったラーメン屋につぎつぎと人が入っていき、とうとう行列ができた。昨日、喜多方で食べたのでラーメンは食べる気がなかったが、小さな街の平日に行列ができるとは美味しいに違いないと思い並んだ。あっさりと美味しいラーメンだった。食べて店を出る時は、もっと行列ができていた。

新撰組結成の流れとなった浪士組を結成した庄内町の旧立川町出身の清河八郎(写真左)をNHK大河ドラマにしようということで町をあげてPR活動している。

 

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蔵から波及してラーメンも有名となった街を歩く 2024

2024-11-28 23:55:32 | 福島県

2024年10月9日(水)

喜多方は、物資の集散地として栄え、蔵が多数ある。蔵見物から波及してラーメンも有名となった。2018年に同じタイトルでUPしたが、街を歩いたのでリメーク版をUP。

 

喜多方は数回訪れたことあるが、やはりこの街を通るとラーメンが食べたくなった。写真の川の西(左)側が中心市街地となりラーメン屋が多くある。

川の袂にあるNTT前のラーメン屋に入店。調子こいて、チャーハンとセット注文した。食べすぎなので、喜多方の街をお歩きさんすることにした。

ラーメン屋を出て、蔵やラーメン屋等が多いメインストリートである標識のT字路の通りに向かって歩いた。

メインストリートにある甲斐家蔵屋敷(写真右)。1917年から7年かけ完成した蔵であり国登録有形文化財。

メインストリートにはラーメン屋、蔵が多い。

蔵造りのラーメン屋も結構ある。

メインストリートと交差する路地にもラーメン屋を多く見かけた。

JR喜多方駅前に続く通り。ここでも何軒かラーメン屋を見かけた。喜多方は小さな街であるが本当にラーメン屋の密度が高い。

JR喜多方駅前の通り。

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日本一の彼岸花群生地がある渡来人ゆかりの街を歩く

2024-11-26 18:41:07 | 埼玉県

2024年10月1日(火)

日高市の巾着田曼珠沙華公園は、日本一の彼岸花群生地。その付近の街は、朝鮮半島からの渡来人と関係があることが地名やモニュメント等によりわかる。

 

西武池袋線高麗(こま)駅。巾着田曼珠沙華公園への最寄駅。駅名からもトーテムポールからも朝鮮半島と何か関係があることがわかる。

高麗駅前の街並みは、洋風な建物があり朝鮮半島という雰囲気はないが、このあたりは唐や新羅との戦いに敗れて国が滅んだ高句麗からの渡来人が多くいたとのこと。

駅から巾着田曼珠沙華公園までは、幟が立てられていたり、見物客相手に露天で販売する人がいたりして迷わず行くことができる。

朝鮮半島をイメージできる道標。ハングルと日本語表記。

高麗川にかかる県道の橋から撮った巾着田曼珠沙華公園。

県道沿いの高台にある国登録有形文化財。このあたりの名主の古民家が無料だったので入った。江戸時代末から明治時代頃の建てられた名主の古民家。朝鮮半島とは特に関係がない。

古民家にも彼岸花が咲いている。

古民家前の県道は彼岸花の見物客のせいか渋滞している。

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日本一の彼岸花の群生地を歩く

2024-11-24 01:33:04 | 埼玉県

2024年10月1日(火)

日高市にある巾着田曼珠沙華公園は、高麗川が蛇行することにより作られた巾着のような地形で約500万本の彼岸花(曼珠沙華)が咲き誇る日本一の群生地。

 

巾着田曼珠沙華公園。園内に入る前から鮮やかな赤が目に入り、入園したらよりすごいと感じる。昔、家族で訪れた時は無料だったが、有料になっていた。満開であり、相当混雑するので朝一番7時に入場した。

森の中に真っ赤な絨毯が敷かれている感じ。巾着の形した地形の直径は約500mあり、川に沿った周囲だけでも2km弱なのでかなり広い。

他の入口付近に一部だけ、白い彼岸花があった。

桜並木があり春には桜の花見もできる。

木洩れ日が入るとまた違った感じになる。

巾着田曼珠沙華公園は高麗川の蛇行によって作られたので、周りが高麗川に囲まれている。カワセミが生息しているので運が良ければ見れる。

園内にかかるあいあい橋。

あいあい橋から撮影。

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桜並木の養蚕農家群がある城下を歩く

2024-11-23 01:25:29 | 群馬県

2024年9月30日(月)

群馬県甘楽町小幡地区は、織田家ゆかりの小幡藩の城下町。町人が暮らしていた地区には明治に入って盛んになった養蚕農家群が雄川堰に沿って残り、桜並木がある。

 

小幡地区を流れる雄川堰。織田信長の次男「信雄(のぶかつ)」が初代藩主となり、その後8代152年間織田家が統治した。 雄川堰は、織田家統治時代に一級河川雄川より取水して造られた用水路。

雄川堰沿いをまっすぐに行くと桜並木があり、養蚕農家が連なる。桜の季節でないので残念だが、桜の木の根元に彼岸花が咲いていた。

雄川堰は名水百選にも選ばれている。

屋根の上に小さな屋根(越屋根)があるのが養蚕農家の特徴。蚕のために換気機能がある。

レンガ造りの建物は、蚕の繭倉庫(現在は歴史民俗資料館)であり、それより先に行くと武士が暮らしていた武家屋敷エリア。桜並木もここまで。雄川堰もここから東(写真左方面)へ曲がる。

武家屋敷群に行くため、東へ曲がる雄川堰に行かずまっすぐ行く。

武家屋敷群。白壁の塀や石垣が結構長く続く。

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