ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

本州最西端の街の中心部を歩く

2025-02-18 22:56:07 | 山口県

2024年12月3日(火)

下関は本州最西端の街。山口県最大の都市であり、橋、トンネルにより北九州市と結ばれる。韓国釜山へのフェリーが毎日就航する。

 

下関市役所前。市役所も新しくなり街路樹もモミジが植えられ暮らしていた頃と雰囲気が変わり垢ぬけた感じがする。

下関市役所前から見た風景。紅葉した街路樹が鮮やか。正面の山は「火の山」といい、山頂から関門海峡が一望できる。

市役所から国道9号線に出ると現役最古の郵便局である南部郵便局(手前)、その隣に総合商社だった旧秋田商会ビル、交差点の向こうに旧英国領事館があり、歴史的な建物がある。

国道9号線沿いをJR下関駅に向かって歩いたが、たしか昔はこんなに街路樹がなかったなぁと記憶を思い起こしながら歩いた。山口銀行本店ビル(写真左)を左に行くと関釜フェリーの国際ターミナルがある。実家にJRで帰るより釜山に行く方が安く、寝ていけるので楽だった。

国道9号線から1本入ったところにある下関の飲み屋街。

飲み屋街から国道9号線を横断して海側に行けば海峡夢タワーがある。このタワーも建設前だったのでまだ登ったことがない。

JR下関駅前にはグリーンモールというコリアタウンがある。昔はなかった釜山門というゲートができてコリアタウンらしい演出されているが・・・

シャッターが多くなり寂しくなった。以前は関釜フェリーで来たポッタリアジュマ(韓国の行商のオバサン)が韓国の唐辛子やコチュジャンなど食材や衣類等を卸売し、下関から炊飯器やポットなど電化製品を購入していたが今回全く見かけなかった。

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平家滅亡の地の周辺を歩く

2025-02-17 17:53:07 | 山口県

2024年12月3日(火)

壇ノ浦(山口県下関市)は関門海峡に架かる関門橋の下付近にある。1185年に源氏と平家の合戦があり平家滅亡に至った古戦場。

 

関門トンネル人道入口。ここからエレベーターで55m降りたら対岸の門司に繋がるトンネルがある。国道9号線沿いにある。

みもすそ川公園。長州藩が関門海峡を通過する外国船へ砲撃した砲台のレプリカ。その後、外国連合艦隊の報復により壊滅的となった。以後長州藩は攘夷から倒幕へ転換する。幕末だけでなく、園内には源義経と平知盛が闘っている像や碑など源平ゆかりのものもある。

みもすそ川公園から関門橋の下をくぐり国道9号線沿いを下関市街地方面に歩く。

国道9号線から少しだけ入った壇ノ浦にある小さな漁港。夜、ここで電気ウキつけてメバルをよく釣ったが、魚釣り禁止となっていた。

壇ノ浦から少し市街に向かうと、合戦に敗れ、8歳という幼い年で関門海峡に人水された平清盛の孫、安徳天皇を祀る赤間神宮がある。

赤間神宮にある芳一堂。すぐ横には平家の墓がある。耳なし芳一は阿弥陀寺(赤間神宮)に伝わる小泉八雲も紹介した平家怨霊にまつわる怪談。

赤間神宮の隣には春帆楼という料亭があり、1895年日清講和条約が締結された。写真は料亭内にある日清講和記念館。なお、この条約の数年前に伊藤博文がこの料亭でフグを食べ、食用禁止だったのが解禁となった。春帆楼は現在も営業してフグ料理が有名。1回は食べてみたい。

日清講和記念館内。日本側伊藤博文、陸奥宗光、清国側李鴻章が国の代表として会議に臨んだ時のテーブルや椅子がある。

春帆楼から国道9号線を横断して関門海峡に再び出た。下関に暮らしていた頃、この辺は工事をしていたがすっかり整備され、海峡沿いに水族館、遊覧船、市場、タワーどが新設されたりリニューアルされ観光客もかなり増えたようだ。

亀山八幡宮。ふく(下関ではふくと呼ぶ)の御朱印や絵馬、世界一と言っているのふくの像がある。また長州藩士久坂玄瑞らにより外国船を攻撃した亀山砲台跡がある。

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「西の京」の白狐伝説がある温泉街を歩く

2024-04-05 23:32:39 | 山口県

2024年2月29日(木)

湯田温泉は、山口市の市街地にある温泉で歓楽街となっている。白狐が傷ついた足を癒すため来ていたことから発見された伝説がある。

 

JR山口線の湯田駅前の巨大白狐。この像の後ろには足湯がある。

湯田温泉街には旧国道9号線(現在は県道となった)が通っていて、交通量が多く、土産物屋や温泉旅館が多い。

湯田温泉街のメインストリートである旧国道9号線沿いに、このように狐の像や足湯が結構多い。

白狐のポスト。

維新の志士たちが集った温泉旅館。高杉晋作、坂本竜馬など幕末の志士たちゆかりの宿。

湯田温泉出身の詩人中原中也。30歳で病気で亡くなった。

メインストリートから入ったところにも幕末や明治維新を感じられるところがある。写真は明治維新の時の政治家「井上馨」の生家跡につくられた井上公園。公園内には井上馨像、中原中也詩碑、種田山頭火句碑などがある。湯田温泉は何回もメインストリートを通ったし、訪れてもただ温泉に入っただけでじっくりと歩いたことなかった。路地を歩いても幕末・明治維新好きの人には楽しめる。

坂本龍馬の木像(写真右)。

幕末の志士の密議に使われたお茶屋跡にある居酒屋。

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「西の京」の中心部を歩く

2024-04-05 01:31:43 | 山口県

2024年2月29日(木)

山口市は、山口県の中央部に位置する県庁所在地。室町時代この地を治めた豪族大内氏が、この地に京の都を手本として街づくりを行ったことから「西の京」と呼ばれる。

 

山口市の中心部は京都と同じ山に囲まれた盆地の街。盆地なので霧がかかりやすいのかな。

JR山口線山口駅。山口市の代表駅であるが、全国の県庁所在地代表駅で乗降客は最少。駅舎入口には大内氏が京より迎えた奥様を慰めるため、京から人形師を呼び寄せて作らせたことからできた「大内人形」、日本三名塔のひとつで大内文化の最高傑作と言われる「瑠璃光寺五重の塔」のモニュメントがある。「西の京(山口)」と「山陰の小京都(津和野)」を結ぶSLが運行されている。

JR山口駅前通りの銀杏並木。駅からまっすぐ続き。時期にはきれいだろうなぁ。

全国的には名古屋が有名だが、山口も「ういろう」が名物。大内文化のひとつであり、大内氏、毛利家からも愛された。特に生ういろうはプルプルしておいしいので、(写真の店ではないが)今回もういろうを老舗の店に行き食べた。

一ノ坂川。京都の鴨川に見立てられた市内中心部を流れる川。ゲンジボタルが有名。県庁所在地の市街地に近いところでゲンジボタルをたくさん見れたことに昔、訪れて驚いた記憶がある。

サビエル記念聖堂。ザビエル(なぜかサビエルと山口でいう)の、山口における布教活動400年記念で1952年に建てられた。1991年火事で焼失し時、山口県で暮らしていたのでニュースでビックリした記憶がある。再建されてから初めて山口市を訪れたが、建物や塔も以前とは全く違うものとなっていた。

サビエル記念聖堂がある亀山公園から見た山口市中心部。

中心部のアーケド商店街。宇部や黒崎から撤退した井筒屋がガンバッいる。

 

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「西の京」のターミナル駅があり栄えた街を歩く

2024-04-03 23:50:43 | 山口県

2024年2月29日(木)

山口市小郡地区(旧山口県小郡町)は、JR在来線3路線と新幹線が乗入れ、西の京と言われる山口市のターミナル駅「新山口駅(旧名:小郡駅)」があり栄えた。

JR新山口駅前のホテルからの風景。新山口駅(旧名小郡駅)は、かつての小郡町にある。駅は乗り換えだけで降りたことないし、車では街の郊外の国道9号線を何度も通ったことあるだけ。どんな街か歩いてみたく朝食後、妻にホテルで待ってもらい1時間ほど一人で街を歩いた。

新山口駅南口前(旧名小郡駅)。山口県で暮らしてる頃は、まだ合併前で小郡町であり駅名も小郡駅だった。その頃から町である小郡町が県庁所在地である山口市中心部より街が発達しているのではないかという印象を持っていたが、今回、1時間ほど歩いてみてやはり山口駅前より乗降客も多いし、駅前も山口駅前よりでかい。

新山口駅南口前の通りを横断し、いろいろな路地をふらつくが、新しい建物ばかりで昔からの商店街がなく開発された新しい街という感じ。

南口前を歩いてJR新山口駅に戻った時に種田山頭火像があるのに気づいた。山頭火は生まれは同じ山口県の防府であるが、放浪の旅に出てから最も小郡に長く滞在した。

JR新山口駅の南口と北口を結ぶ南北自由通路。まだ旧名の小郡駅の頃、何度かこの駅で乗換えしたが、改装され、壁面を植物で覆い、大きなガラス窓など、きれいでセンスのいい駅になっていた。

連絡通路は大きなガラス張りでいろんな路線を走行する電車を見ることができる。写真は宇部線の電車。

南北自由通路から南口側を見ると新幹線が見える。

南北自由通路からの北口側の駅から西側の風景は新しい住宅地ばかり。

北口側の駅前もホテルが並び昔からの街並みは見えない。小郡の昔からの街並みは北口側の東側のようだが、妻との約束の時間もありここまででホテルに戻った。

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