ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

世界に認められた祭りがあるブランド土の街を歩く

2017-10-30 01:16:49 | 栃木県

2017年10月8日(日)

 鹿沼市は、日光例幣使街道の宿場町として栄えた栃木県中部の街。農業や園芸用として有名な鹿沼土の産地。"鹿沼秋祭り"は多数の彫刻屋台が特徴の"鹿沼秋祭り"はユネスコの無形文化財に登録された。

鹿沼市中心部。鹿沼秋祭りまつりが、前日(10月7日)から開催され、道路はたくさんの山車が通ったため傷だらけ。中心部付近には宿場町らしい古い民家や商家が散見される。

 

中心部にある日本庭園前の芭蕉像。奥の細道の旅の際、鹿沼に一泊したようで日本庭園の前に像があった。

 栃木県は柔らかく加工しやすい大谷石の産地のため、石蔵や石の塀を多く見かける。

 こちらの路地にも由緒ありそうな民家だが、基礎の部分は大谷石かな。

 こんにゃくの産地らしく"こんにゃく"の専門店を何軒か見た。鹿沼土は有名であるが、その専門店は見かけなかった。ホームセンタのどこかで売られているだろうな。

重厚な橋があったので歴史があるかなと勝手に思い撮ってみた。説明書きも、何もないのでただの橋かも?

別のこんにゃく店の看板の後方に大仏の頭が見える。

大仏の頭は、清林寺という寺。 現在の住職がスリランカと交流して、スリランカ政府からこの像の型取りを勧められ、造立に至ったと説明板があった。

地元の百貨店がある"はなみずき通り"。早くも色づいてる街路樹がはなみずきか?

 

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ヒ-ロ-達の記憶が蘇る博物館

2017-10-28 15:34:47 | 東京都

2017年9月23日(土)

野球殿堂博物館は、東京ドーム内にあり、殿堂入りした選手のユニフォーム、バット、グラブ等が展示してある。大の野球ファンだったので、TVや球場で観戦していた頃に活躍した選手の展示品を見るとその試合等が蘇る。

野球殿堂博物館の出入口。ドームホテルへ宿泊した際にもらったチケットがあり、学生時代の友人と飲みに行く前に、待ち合わせして二人で入場。

 黒田のスパイク。大リーガー、オリンピック、WBC関連の資料も展示されている。カープファンだったが、広島から引越した後、野球の興味も薄れた。黒田が広島に戻り、また、野球(カープ)を見るようになった。

時代が違っていたら、山本浩二も中西太も村田兆治も大リーグに行ったのかな。友人もWBCや大リーガーには興味なく昔の選手の展示品に時間をかけてじっくり見ていた。

王のユニフォーム。巨人V9の頃、最も野球が面白く好きだった。阪神ファンだった私にとって江夏との対戦は、いつも画面の前で緊張していた。

衣笠の2131試合連続出場の世界記録達成の時は広島で暮らしていたので、広島では特番があったりして盛り上がっていた。写真左は長島のユニフォーム。V9時代は、阪神ファンだったが、長島は絵になりカッコ良かった。

 国民栄誉賞受賞の際、長島監督と松井が着たユニフォーム。松井については、広島市民球場で観戦した時、場外ホームランを見たが、カープファンの家族も、あんなホームランを生で見れたことは幸せと言っていた。

 巨人VS日本ハムの日本シリーズのポスター。どちらも後楽園を本拠地とする球団の対決だった。この時の日本ハムは大沢親分のもと江夏がいた時かな。

 殿堂入りした人達のレリーフ。村山(写真右)は後輩江夏にプロ意識を教えた。長島が監督時代にもう1度監督して、監督同士での対戦を見たかった。

 今年殿堂入りした平松、星野、伊東勤のコーナーがあり、写真は大洋ホエールズ平松のユニフォーム。シュートの切れ味が抜群でカミソリシュートと言われた。

 リリーフカー。後楽園はリリーフカーだったが、甲子園はバイクだった。

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独眼竜の発祥の街を歩く

2017-10-26 00:35:26 | 福島県

2017年9月18日(月)

伊達市は、2006年に福島県伊達郡内の伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して誕生した市。仙台藩主伊達政宗の先祖である伊達氏が平安時代にこの地を治めていたことが市名のルーツ。

JR伊達駅。旧伊達郡伊達町にある東北本線の駅。和風でダテな駅舎で街並みも期待したが、旧伊達町中心部までは遠く、駅前は期待ハズレ。伊達市の中心は、旧伊達町ではなかった。

JR伊達駅前。道も街路樹も整備されているが、ごくありふれた家があるのみ。

交差点付近が旧伊達郡伊達町の中心部付近。

旧伊達町の中心部商店街。

旧伊達町内を流れる阿武隈川。

旧保原町の中心部。伊達市の中心部ということになる。旧保原町役場が伊達市役所の本庁舎。旧保原町は養蚕が盛んで生糸の集散地として栄えた。

旧保原町の中心部にある商店街。

旧保原町には江戸川乱歩が疎開していたとのこと。

旧保原町はJRは走ってなく、福島まで阿武隈急行で行ける。保原の公園に展示されている旧型電車があったが、阿武隈急行の旧型の電車かな?

 

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献上桃の郷を歩く

2017-10-23 01:20:32 | 福島県

2017年9月18日(月)

 福島県桑折(こおり)町は、奥州街道と羽州街道の分岐する宿場町として栄えた。また高品質の桃の産地であり、今年で24年連続、皇室へ桃を献上している。

JR桑折駅前通り。写真中央がJR桑折駅。

JR桑折駅前にある献上桃の郷の碑。この街にあるJA直売所で桃を購入のため訪れたついでに、街を歩いて初めてこの街の桃が皇室へ献上されていると知った。

 駅のすぐ近くに奥州街道と羽州街道の分岐点がある。

 奥州街道。宿場町として栄え、その面影ある商家がポツリポツリと残る。

 

奥州街道沿いにある寺の境内には明治天皇も訪れた時に命名された「御蔭廼松(みかげのまつ)」がある。

 奥州街道にある旧伊達郡役所(国指定文化財)。

旧伊達郡役所の敷地内にある芭蕉像。芭蕉は奥の細道の時にこの地を訪れた。

 

 

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義経伝説が残る戦場となった県境の街を歩く

2017-10-21 23:44:42 | 福島県

2017年9月18日(月)

 福島県国見町は、宮城県との県境にあり、1189年源頼朝の軍と奥州藤原氏の軍の戦場となった街。平家滅ぼした後、異母兄である頼朝と対立した義経が立ち寄ったことがあり伝説が残る。

JR藤田駅。東北本線の駅であり、国見の中心部にある駅。ちなみに国見という駅はない。

 JR藤田駅前にある放射線量の表示。2011年の東日本大震災により福島県が受けた被害の深さを感じる。

塔があるので、何かとなと思ったら文化センターだった。

 この道の横道を入ったところに観月台公園があり、普通の公園かと思い行かなかった。後で、源義経の像があることを知ったが、あとの祭り。

国見の中心部商店街。ここで9月23日義経まつりの際、義経や弁慶に扮した武者行列が開催される。町でポスターを見て初めて、義経とこの地が関係あるということを知った。

中心部商店街に昔の洋風建築物があったので、調べたら、江戸時代後半から昭和初期にかけ呉服、金融、地主などで繁栄した豪商奥山家住宅であり、国登録有形文化財となっている。

  国道4号線沿いにある道の駅から見た国見の街。

 国道4号線沿いにある道の駅から見た国見の田園風景。

 

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