ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

たくさんの命を救った日本人がいた街を歩く。

2015-05-31 00:40:09 | リトアニア

2015年5月3日(日)

 カナウスは、1940年ナチスの迫害から逃れるため日本の通過ビザを求めてくるユダヤ人のため本国の命令に背いてビザを発給した日本人が暮らした街。世界大戦時はポーランドに占領されたヴィリニュスに代わり首都であった。旧市街は中世の面影を残す。

旧日本領事館。ナチスからの迫害を逃れるためリトアニアから日本への通過ビザを取り、アメリカに逃れようとしたユダヤ人が、この前の通りに長い行列を作った。日本とドイツは同盟国のためビザ発給の許可が降りなかったが、領事代理の杉原千畝は、彼らを救うため独断でビザを発給し、約6000人のユダヤ人の命を救った。リトアニアでも評価され旧日本領事館は杉原記念館として保存されている。杉原千畝は歴史の教科書に記載され日本人皆が知るようにならないといけない人だと思う。

聖ミカエル教会とライスヴェス通り。この教会からカウナス新市街を東西に伸びてる一本道の分離帯は並木道となっている。

ライスヴェス通りは、ソ連時代にはスターリン通りと呼ばれたらしい。

 

カウナスの旧市街の町並。

旧市街で売っていたイチゴやマツタケのドハデな色のお菓子。

 旧市庁舎。消防のイベントが開催されていて旧市庁舎に向けて消防車がハシゴを伸ばしている。吊られた自転車もイベント用。

 消防士。

吹奏楽団。

  旧市庁舎の横にある「蟻とキリギリス」のモニュメントがあるコミュケーション歴史博物館。「蟻とキリギリス」の作者はイソップであるが、アニメだったか、絵本の絵だったかを描いたのがカウナス出身の人。

 カウナス旧市街を小高い山に上がって展望。

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城門がひとつになった旧市街を歩く

2015-05-30 00:18:41 | リトアニア

2015年5月2日(土)

 リトアニアの首都ヴィリニュスは、バルト3国の首都では唯一内陸にある街。東欧最大の旧市街地を持ち、入り組んだ迷路のような街にたくさんの教会がある。旧市街を取り囲んでいた城壁はほとんどなく、城門もひとつ残るだけ。

ヴィリニュス駅前。今回のドイツ、ポーランドと旅してきてビリニュスに来て感じたことがトラムがなくなりトロリーバスが走っていることが、(勝手なイメージだが)ソ連からの独立国ということを感じる。

 夜明けの門。旧市街を取り囲む唯一の門。この門を入ったところが旧市街。旧市街は世界遺産に登録されている。

 旧市街の町並。

 路上で絵が売ってあることが似合う街である。

  

 看板かわりにアピールするためのものかな?でも店や事務所ではなかったような気がしたが・・・・

京都の鴨川沿いのような桟敷席。結構人気がある店のようだった。

 ケディミナス塔。城はロシア軍に破壊され塔だけが残っている。

 ケディミナス塔から見た旧市街。

 

 川の向こうは近代的な高層ビルが建ち並ぶ新市街。

  

 

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復元された世界遺産の街を歩く

2015-05-26 01:02:41 | ポーランド

2015年4月30日(木)~5月1日(金)

 ワルシャワは、第二次世界大戦の時、武装蜂起したことでナチスドイツから報復攻撃を受け、街は徹底的に破壊された。戦後、市民たちは忠実に街を復元し、1980年には世界遺産に登録された。また、ワルシャワは、ショパン、キュリー夫人が生まれた地としても知られる。

ワルシャワ駅前。右のビルはスターリンから贈与された文化科学宮殿であり、高層ビルが林立するワルシャワ駅前でも威圧的で、圧倒的な存在感があった。

 ワルシャワ駅前。

 大阪ではないが、新世界通り。紅白の旗が多いと思ったら、ポーランドの国旗のデザインが紅白である。ちょうどメーデーの日(国民の休日)で、労働者がシュプレヒコールをしてデモをしていた。さすが連帯が発足した国である。

広場には地動説を唱えたコペルニクス像(ポーランド出身)、道路を挟んでショパンの心臓が収められた聖十字架教会。ショパンはパリで亡くなったが、ワルシャワへの望郷の思いが強く「せめて心臓だけでも」という遺言によりこの教会に心臓が収められている。

 ソフトクリーム屋。ポーランドのソフトクリームは細長くてとんがっていた。粘性が強いのでとんがっていてもダラダラしない。

 ワルシャワ歴史地区。武装蜂起の報復攻撃によってナチスドイツに破壊されが、復元したことが認められ世界遺産に認定された。

 歴史地区にある人魚。ちなみにワルシャワ市の紋章は人魚。なぜ内陸のワルシャワが人魚なのか?コペンハーゲンの人魚は女性的だが、こちらのは勇ましい。

 歴史地区の広場には土産屋やオ-プンカフェやレストランが集中している。

 

 この場所から少し行ったところにキュリー夫人の生家と銅像もあったが、急に天候が悪化して1時間程度雨宿りした。

 

 

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東欧改革のトリガーとなった街を歩く

2015-05-24 01:16:41 | ポーランド

2015年4月29日(水)~4月30日(木)

 グダンスクは、ポーランドで最も美しい街のひとつであるが、1980年造船所の労働者が労働組合を結成した。その運動は、政府に弾圧されながらもポーランドの民主化、そして東欧改革へ繋がっていった。

運河沿いのグダンスクの街並み。バルト海に繋がる運河。

 教会と満開の桜。日本のように桜の木がたくさん集中して植樹されていない。

グダンスクは琥珀の産地であり、この通りには 琥珀を扱っている店が集中していた。

 旧市街地の中心であるドゥーギ広場へ続く通り。グダンスクも中世に栄えたので、他の都市と同じように中心が広場になっていて、そこに市庁がある。

 

 中世(1633年)からあるネプチューンの噴水。ドゥーギ広場にある。バルト海に面した海上交通の要所だったので海の神ネプチューンはグダンスクのシンボル的存在。

 ショッピングモールでジェラート休憩。1カップ90円程度。

連帯記念碑。レーニン造船所のワレサが1980年に結成した労働組合“連帯”。政府に弾圧された犠牲者の慰霊のために建立された。戒厳令が発令されたりしてTVや新聞で報道されていたのを思い出した。連帯のワレサ議長は民主化後のポーランドの大統領となった。

高台から見たグダンスク造船所(写真の上部)。もとのレーニン造船所。

 グダンスク造船所の東方向は旧市街の中心となり、たくさんの教会の尖塔や赤い屋根の美しい景色が広がる。

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最初の首都だった街を歩く

2015-05-23 01:57:23 | ポーランド

2015年4月28日(火)~4月29日(水)

 ポズナンは、ポーランドの最初の首都であり、古都として趣があるが、第二次世界大戦では、市街地の55%が破壊されたが、戦後、資料を基に復元された。

旧市場広場にある建物。ひとつひとつがデザインが違った建物でカラフル。

 

看板もお洒落。

マネキン人形。

 ジェラートは日本より安い。

 インチキマックか?隣の店はサルをイメージキャラクターにしたコンビニ。

 こちらはカエルをイメージキャラクラーにしたコンビニ。ポーランドでは他の都市でもカエルとサルのコンビニが競っていた。

ヨーロッパの伝統的な街や広場にはチューリップがよく似合う。

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