ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

カープゆかりの地

2016-09-28 23:47:47 | 日本各地

今年のセリーグは25年ぶりに広島カープが優勝した。今はなき広島市民球場によく家族で応援に行ったが、カープの優勝は見ることができなかった。ということでカープがCSを突破し、日本シリーズを制覇することを願い、カープゆかりの地を過去写真からUPします。

【2007年1月 広島県広島市】 

中国地方一番の飲み屋街"流川"。カープ優勝した時は、飲み屋街で祝い酒が振舞われただろう。二次会、三次会でよくここに来たもんだ。

 

【2007年2月 大分県由布市】 

湯布院の街並み。大野、北別府がいた頃(もっと前からかも)からここの温泉でリハビリ、自主トレなどをしていて恒例となっている。

 

【2007年9月 広島県廿日市市】 

厳島神社。♪♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには 今日もカープは勝~ち勝~ち勝っち勝ち♪とカープの応援団に歌われている。

 

【2007年12月 沖縄県沖縄市】 

カープの一軍春季二次キャンプ地がある沖縄市の街並み。山本浩二、衣笠の頃の黄金時代は、日南キャンプのみだった。

 

【2009年9月 宮崎県日南市】

カープ春季一次キャンプ地がある日南市油津の街並み。カープ初優勝より前から日南キャンプを実施。日南キャンプの天福球場は、南海から移籍してきた江夏が"豊"という同じ名で、家庭環境も似てる大野を指導し、一流投手の礎を作った場所。

 

【2009年9月 宮崎県日南市】

鵜戸神宮。日南キャンプ時、カープが優勝祈願にここに来ていて、監督や選手が祈願した絵馬がかけられていた。

 

【2010年9月 広島県広島市】 

広島中心部にある本通り商店街。今回の優勝時、ニュースを見ていたら、深夜だったが、この商店街にたくさん人がいた。広島で暮らした時、あんなに混雑した本通り商店街みたことない。

 

【2012年4月 広島県広島市】

JR広島駅からマツダスタジアムまでの道。歴代のカープ選手が紹介されている。 

 

【2014年1月 広島県広島市】

広島市民球場があった原爆ドーム前電停から紙屋町電停付近。広島で暮らしていた頃の選手が引退や移籍でカープを去り、市民球場も壊されるし、他の球団に興味もなくプロ野球自体を見なくなってしまったが、家族は広島を離れてからもカープの大ファン。

 

【2014年12月 広島県広島市】

本通電停前のカープ路面電車。ナイターが終り路面電車で帰る時、赤いカープ帽を被った幼い息子達が、乗り合わせたサラリーマンに「カープは今日勝ったか?」など聞かれることが多く、得意気に試合内容を説明していたのを思い出す。

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東方を支配する街を再び歩く

2016-09-22 23:59:41 | ロシア

2016年8月17日(水)~8月18日(木)

 ウラジオストクは、ロシア語で「東方を支配する」という意味の極東ロシアの中心都市。旅の始まりも終わりもこの町なので、帰国便に搭乗のためこの町に戻り、再びこの町を歩いた。

中心部。日本からわずか2時間30分、東京からはソウル、台北より近いのにアジアの雰囲気は感じられない。

 

 海水浴がある海まで続く噴水がたくさんある通り。

ウラジオストク中心部は両側が海に面している。軍港として有名だが、反対側には海水浴場があり、夕陽が美しい。

 郊外にある大きな市場。食料品、衣料品、靴、電化製品などいろいろあり、安い。

 ハチミツ屋。ロシアは甘いもの好きで需要が多いせいか、ハチミツの種類が豊富で安い。

 市場周辺のトラム。街の中心部は廃止されたようでトラムがない。

 トラムはかなり年季が入っていてオンボロ。

 ウラジオストク駅から空港に向かうアエロエクスプレスの車窓から見た湾にかかる橋。市内中心部の金角湾にかかる橋よりはるかに長い。 

 ウラジオストク空港駅に到着したアエロエクスプレス。所要時間55分。

 

 

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童話の構想が練られた浜を歩く

2016-09-16 18:19:08 | ロシア

2016年8月15日(月)

 スタロドゥプスコエ(旧日本名:栄浜)は、オホーツク海に面した小さな村。宮沢賢治が妹を亡くした直後、鉄道で行ける最北の地に訪れ、「銀河鉄道の夜」の構想を練った場所と言われている。

スタロドゥプスコエの海岸。宮沢賢治のファンではないが、ガイドブックに特集がされていたので、せっかくだからと思って訪れた。波打ち際に昆布が打ち上げられていて、北にいることを実感できる。

 錆ついた廃船があるし、どんよりとした空、飛ぶカモメ、もの悲しくなるような演歌の世界。

 沖にゴロゴロとした岩があるかと思ったら動いた。アザラシだった。

 一目でソ連製の車だとわかる。能登半島の羽咋にある海岸のように砂浜を車で走ることができる。

 

 鮭漁を見物していたら、鮭を1匹くれようとしたが、気持ちだけ受け取った。いろいろと親切にしてもらい、雨が激しくなってきたら彼の車の中で漁を見物させてくれたり、車の中で昼食もご馳走になった。

 収穫はこのバケツに5杯~6杯。漁は地引網ではなく、網にひっかかった鮭を外し、袋に入れ、袋がいっぱいになったら陸に上がりその繰り返し。浅いところにこんな大きな鮭がいるのには驚かされた。

 スタロドゥプスコエの集落。北海道の海沿いの寒村という感じ。宮沢賢治の時代は栄浜駅は日本最北端の駅だったが、今は廃線となっている。

 

 

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日本が統治した島の玄関口の街を歩く

2016-09-15 00:10:18 | ロシア

2016年8月14日(日)

 コルサコフ(旧日本名:大泊)は、サハリン南部に位置するサハリン第3の都市。今は稚内とフェリーの定期便があるが、ソ連時代は軍港都市として外国人の立入が禁止されていた。

旧拓殖銀行大泊支店。

 旧拓殖銀行大泊支店付近に咲いていたユリ。

 無人駅。コルサコフ駅は街の中心部から外れていて、中心部にはこの無人駅が近い。

 稚内と姉妹都市であり、定期航路もあるから敬意を表したのか、この公園の名は稚内公園。

 街の中心は港ではなく、坂をかなり上ったところにある。

 

 レーニン広場。港からはかなり坂を登ったところにある。この周辺が中心部。

 煙突の建物は旧王子製紙工場。

コルサコフ港。軍港として街自体が外国人立入禁止だった。今も岸壁に行くとき、岸壁手前に検問があり警備員がいる。立入る時、咎められると思ったが何も言われなかった。

 この桟橋に稚内からのフェリーが到着するようだ。

 

 

 

 

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日本が統治したことがある島の鉄道最北終着駅の街での交流

2016-09-12 01:20:13 | ロシア

2016年8月13日(土)

夜行寝台列車(ユジノサハリンスク発)に乗りノグリキに朝到着し、その日の夜にまた同じ路線で戻る。ノグリキは最果ての田舎街、ランチで訪れたレストランで思いがけない交流があった。

レストランの隣のテーブルで4人組から、こっちのテーブルに来て一緒に飲まないかと誘われ、夜の列車まで時間が十分にあるので、彼らのテーブルに行き一緒に飲んだ。写真の二人はロシア人っぽくないがロシア人。

 

レストランで飲んだ 4人のうち2人は帰ったが、2人からまだ飲もうということで、タクシーに乗り3人で写真の人の家に行った。結局、奥さんが不在で、中に入れず。

 近所の友人アレキサンダー宅へ3人で押しかけ二次会。黒パン、サーモンの酢漬、そして私が日本から持参したえびセンベイ、さきイカをつまみにウォッカで乾杯!!

 一緒に宴会をした3人。中央がこの家の主人アレキサンダー。左右はレストランから飲んだ二人。

 アレキサンダーの家の中。150cmくらいのサーモンを近くの川で釣ったものや家族や友達のいろいろな写真を見せて説明してくれ楽しかった。アレキサンダーは英語が少しだけできた。置物やスモモのようなものを大きなビンに入れてくれ土産だと言ってくれた。

アレキサンダー宅から、日本人の血が混じる彼の友人のところに行く前にタクシーで郊外をドライブ。バイクに乗っている二人は、その時に出会った彼らの知りあい。田舎なので出会う人は知りあいが多い。

アレキサンダーの家から、日本人を父親に持つ彼らの友人カガヤ宅へ行くことになった。カガヤはロシア人の母と日本人の父とのハーフだが、既に両親はなくなり現在一人暮らし。

 

カガヤ宅にまた新たに二人の友人が加わり、ウォッカを飲みなおし。ロシア式飲み方はオチョコ程度の小さいグラスにウォッカをイッキ飲み。

カガヤの家の中。カガヤから大きなサーモンの燻製半身を土産にもらう。

 

カガヤ宅前に迎えに来てくれたソ連製と思われるジープ。アレキサンダーがお父さんに連絡をとり、ノグリキ駅まで送ってくれた。今回、レストランで出会って以降、ご馳走や案内もしてもらったうえに土産までもらい本当に楽しく思い出に残る旅となった。最果ての小さな街で、午前中いっぱいあれば街歩き完了するだろうし、文庫本でも読んで時間潰ししようと思っていたが、彼らのおかげで時間が早く過ぎた。 

 

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