ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

世界トップクラスのアジアのハブ空港

2024-05-31 20:10:44 | シンガポール

2024年4月26日(金)・5月11日(土)

チャンギ国際空港は、シンガポールにあるアジア有数のハブ空港であり、ターミナルが4つある。世界のベスト空港ランキングでも毎年トップクラス。

 

ターミナル間を往復する電車。無人運転の電車であり無料で乗れるのでヒマ潰しに乗車した。今回、シンガポール航空を利用してヨーロッパに行ったので、往復ともシンガポールでトランジット。

南国らしい植物が植えてある。

ターミナル内もランなど南国らしい雰囲気。シンガポールに入国はせずに、狭い機内で過ごしたので、空港内を探訪することで運動して次の搭乗に備える。

天井にプロジェクションマッピングで魚や舟の底が投影され、海底から見上げたイメージを作っているコーナーがあった。

新加坡美食街。香港、ベトナム、海南島などの屋台が並ぶフードコート。

新加坡美食街とは別のところにあるレストラン。博多ラーメンの一風堂がある。日本の価格の倍程度だった。この横にある香港料理の店でお粥を食べた。美味しかったので行きも帰りも食べた。

Bacha Coffee。日本にはないらしいが、モロッコのマラケシュで設立されたアラビカ豆を扱うコーヒー専門店。

高級ブランドの店舗。見るくらいはタダだが敷居が高く、外観をみただけ。

空港内探訪の後、目覚ましをセットしてリクライニングソファで休憩した。

 

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名探偵の街と名探偵の空港

2024-05-29 18:22:24 | 鳥取県

2024年4月20日(土)~4月21日(日)

北栄町由良は“名探偵コナン”の作者“青山剛昌“の故郷、鳥取空港の愛称は「鳥取砂丘コナン空港」であり、コナンに関するオブジェやグッズショップがある。

 

JR山陰線由良駅(鳥取県北栄町)前のコナンのオブジェ。2012年にも訪れたが、今回、息子夫婦のリクエストに応え、再訪したら、新たにたくさん設置されていた。

JR由良駅前のコナン通り。漫画やテレビを見てないのでコナンにそんなに興味はないが、息子夫婦は子供の頃、見ていたらしく有料の「青山剛昌ふるさと館」にも入館していた。

北栄町役場大栄庁舎前のオブジェ。北栄町大栄(旧鳥取県大栄町)はすいかの産地であり、鳥取県では“大栄すいか“はブランドすいか。この写真を外国に行った時に、宿泊先のオーナーの娘が日本のアニメが好きということで、見せたらメッチャ興奮していた。

北栄町役場大栄庁舎前にあるコナンに登場するキャラクター。ジンとウォッカ。

鳥取砂丘コナン空港。コナンの作者“青山剛昌”出身地は米子と鳥取の中間地に位置する北栄町であるが、米子空港が鬼太郎なので、鳥取空港がコナンをもらったのかな。息子夫婦をこの空港まで車で送迎した際、鳥取空港がコナンの愛称がついてどのように変わっているか興味があったので、空港内を探訪した。コナンに関するものが多く、コナンファンには必見の空港だと思った。

空港内のオブジェ。

鳥取空港内にあるトリックアート。階段で降りた所が砂丘のように見えるが、この絵全体が平面の床に描かれている。

鳥取空港内にあるコナンに登場する「喫茶ポアロ」。この名前の喫茶店が由良にもあり、コナンのファンはそこでお茶してようだ。空港内の喫茶ポアロは再現のみでお茶は飲めない。

鳥取空港内のコナングッズショップ。

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妖怪に会える日本有数の漁港を持つ街を歩く

2024-05-21 00:55:49 | 鳥取県

2024年4月18日(木)

境港は、鳥取県西部に位置し、砂州でできた弓ヶ浜半島の先端にある街。三方を海に囲まれて日本有数の漁港を持つ。水木しげるの出身地であり、妖怪で町おこしを図り街が活性化した。

 

境水道大橋。島根半島と弓ヶ浜半島を結ぶ橋。対岸は島根県松江市美保関(旧島根県美保関町)。橋を通行するのに、昔は有料だったが、今は無料。山の上に自衛隊美保関基地のレーダーが見える。

境水道に面してたくさん漁船が停泊している。境港は松葉ガニ(ズワイガニ)より鮮度が落ちやすく、生で流通させるのが難しく、価格も安いベニズワイガニの水揚げ高は日本一。以前、この岸壁で、大羽イワシをサビキで大量に釣ったことが懐かしい。

境水道から100m程度入ると駅や街の中心部がある。灯台のモニュメントはJR境線の境港駅の駅舎。境線(米子~境港)には鬼太郎、目玉の親父、ネズミ男、ネコ娘、すなかけばばあ、こなきじじい列車が走る。また境線の全ての駅に、境港駅は鬼太郎駅、米子駅はねずみ男駅など妖怪名がついている。また、バスも妖怪をデザインしたバスが走る。

水木しげるロードは、境港の中心部の通りであり、妖怪の像が多数設置されている。1993年に設置された当初23体と像も少なく、破壊・破損などの被害もあった。像は徐々に増やして2018年には177体になった。写真はつるべ落とし像。

水木しげるの好意により著作権は発生しないようにしていたので、水木しげるロードのたいていの店が、鬼太郎の仲間たちの妖怪を販売したり、看板や建物に描いたり、取り付けたりしている。また、商店街の人が、かぶり物を着て街を歩いたりしているのもよく見かけた。

あずき洗い像。

観光客もチラホラ。中国人は結構いた。「ゲゲゲの女房」がNHK朝ドラで放映されていたころの観光客数はすごかったらしい。

牛鬼像。

このあたりがかつての境港の中心部。境港は実家から近いが魚釣りか市場に魚を買いに行く程度で街中を訪れることはなかったが、妖怪がたくさんいるし、妖怪神社、河童の池などあり、お歩きさんには楽しい街である。

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銀の積出港として栄えた温泉街を歩く

2024-05-19 22:54:20 | 島根県

2024年4月17日(水)

温泉津(島根県大田市)は、石見銀山の銀の積出港として栄えた。石州互の赤い屋根の温泉街は、当時の面影を感じられ世界遺産に登録され、重要伝統的建造物群保存地区になっている。

 

JR山陰線の温泉津駅前。歓迎のアーチと石州瓦の建物が連なる街並みにお歩きさんの期待感が高まる。

JR温泉津駅前をまっすぐ港に出る前の風景。昔、石州瓦の家は田舎臭いと思っていたが、今は風情があっていいなぁと思うようになった。

温泉津港の前にある観光案内所。ここからまっすぐ山の方へ向かうと風情がある温泉街ある。

温泉街の路地のナマコ壁。

レトロな共同浴場「薬師湯」。石見銀山の銀の積出港の労働者など癒したんだろうな。100%源泉かけ流しの温泉で2005年日本温泉協会の審査で全項目最高のオール5の評価を受けたとのこと。それよりも昔のことになるが、山口県に暮らしていた頃、実家に帰省途中にこの温泉に入ったが、そこまで評価が高いとは思わなかったので、今回、入浴準備してこなかった。

薬師湯の斜め向かいある共同浴場もレトロ感たっぷり。

路地から撮影した薬師湯の隣にある薬師湯旧館。現在はカフェになっている。たまたま、TVでこのカフェが紹介され、帰省したら妻とランチしに行こうということで訪れた。今回、実家の母も一緒に3人でランチ。店内もレトロな内装でアンティークな調度品があり、落ち着いた優雅な雰囲気でランチした。

薬師湯旧館横の広場にあるこの地出身の浅原才市という人の像。浄土真宗の信心を詠んだ詩をたくさんつくり世界に紹介された人。心の中に鬼がいるといって角を描いてもらった肖像画を元に作成された。

温泉街のぼんぼりには浅原才市の詩が描かれているが、この写真のぼんぼりは、写真には写ってない面に描かれている。

 

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古都の南にある酒の街を歩く

2024-05-19 00:03:02 | 京都府

2024年4月16日(火)

伏見は、京都市南部にあり、伏見城の城下町、淀川の水運、宿場町として栄え、米が集まり、良質な水に恵まれ、人の往来も盛んとなり酒造が発展した。

 

伏見大手筋商店街。まっすぐ商店街のアーケードが途切れたところに京阪伏見桃山駅があり、そのまま100m程度のところに近鉄伏見御陵駅がある。友人が伏見にいて学生時代この商店街は何回か訪れ、ここでマックを食べた記憶がある。その時以来だが、同じ場所にあったし、商店街の雰囲気などあまり変わらないような気がして懐かしかった。

さすが京都、筍の店が出店されている。

伏見は、酒蔵が立ち並び、日本的な風情がある。学生の頃、伏見に何度も訪れたが、こういう風情があるところはその頃は全く訪れていない。

月桂冠酒造の通り。この他、伏見には黄桜、松竹梅など、日本人なら誰でも知るような銘柄の酒が造られている。

カッパッパ~ルンパッパ~の黄桜。黄桜酒造が運営している居酒屋、レストランなどあるが休みであった。

十石舟。伏見の酒や各地からの米などを運んだ舟。大型の三十石舟もある。伏見港は豊臣秀吉が伏見城を築造する際につくられた。

竜馬通り商店街。1866年に、この商店街のすぐ近くにある寺田屋で竜馬は襲撃された。

寺田屋。幕末に2度大きな事件の舞台となる。1度目は、1862年島津久光が薩摩藩の尊王攘夷派の志士9人を殺害した事件。2度目は1866 年には滞在中の龍馬が、幕府役人に襲撃された事件。

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