自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

般若心経のマントラ

2012年10月19日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

10月19日(金曜日)               

 ガーテーガーテー・バラガテー・バラサムガテー・ボディスヴァハ

      

故 得阿耨多羅 三藐三菩提 故 知般若波羅蜜多 是大神呪 

是大明呪 是無上呪 是無等等呪 

能除一切苦 真実 不虚 故 説 般若波羅蜜多 呪 即説呪曰

掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞 般若心経

 

今日は、般若心経の最後の部分です。

コトクアノクタラ サンミャクサンボダイ コチハンニャハラミッタ

ゼダイジンシュゼダイミョウシュゼムジョウシュゼムトウドウシュ 

ノウジョイッサイクシンジツブココセツハンニャハラミッタシュソク

セッシュウワ


ギャテイギャテイハラギャテハラソウギャテイボジソワカ 

ハンニャシンギョウ

 

”故”は”ゆえに”と言う意味、”阿耨多羅三藐三菩提 を得たというのは、

サンスクリット語の発音を漢字の音読みで当て字をしている部分です。

つまり、”あのくたらさんみゃくさんぼだい”は原語では、

アヌタッラー・サンヤックサンボディ”となります。

意味は、”最高にすばらしい究極の悟り”ということになります。

 

般若波羅蜜多(浄土にいたるための人智を超えた智慧)によって、

最高にすばらしい、究極の悟りの極致に、((三世諸仏=過去・現在・

未来のほとけ)) となって、到達できることを言っています。

 

そのための教えが、般若波羅蜜多 であり、その教えは”是大神呪 

是大明呪 是無上呪 是無等等呪”であると表現しています。 

どういうことかというと、是大神呪=この上なく大きい、神の真言、

明呪=明らかな真言、是無上呪これ以上の真言は無く是無等等呪

と等しい真言は無い、という風にいっています。


呪 とは 真言 の意味です。

原語では 呪 を、マントラと発音しています。 

、真言とは、言霊(ことだま)でも、霊力が強く、波動の高い言葉

を意味しています。

 

能除一切苦 真実 不虚 故 説 般若波羅蜜多”、

つまり、一切の苦しみを除き、(そのマントラは)真実を表し、

偽り(虚)がない。

ゆえに、ここに、その大いなる智慧を表すマントラについて、説法した”

となって、

即説呪曰=その真言こそ、

掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞”という最終的な、

真言の登場となります。

 

この御経の神髄である、バンニャー(大いなる智慧)、バラミーター

(浄土~悟りの場所に行きつく)、二つの言葉合わせて、

般若波羅蜜多(ハンニャハラミータ)(注:ミッタでもミータでも、

御経の読み方の速度によって、そう聞こえるときがあるという

ことで二つ表記しています。) 

と呼ばれる、マントラが 

”ギャーテーギャーテーバラギャーテー・・・ ”

という、最後の部分となります。

 

般若心経は今まで見てきたように、漢語(中国から持ってきたので)

を日本語読みになおしさらに、原語(梵語)をそのまま取り入れた箇所は、

漢音で 漢字の当て字をしています

そのため、もともとの梵語の御経から、発音は、かなり、はずれていても、

御経の意味として、とても、わかりやすいように書かれていることがわかります。 


最後の真言(掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆詞)だけは、

とても大切な言霊(霊音として)なので、梵語をそのまま、音写しています。

真言(マントラ)は、その音をそのまま、発することで意味があり、

波動自体が救いの波動となるからです。


ただし、厳密に発音すれば、梵語のオリジナルの発音は、

ガーテーガーテー・バラガテー・バラサムガテー・ボディスヴァハ” です。

 

バンコクの中華街で、原語で読まれている般若心経を探して買ってきました。

聞いてみると、日本で唱えられている、般若心経とは、まったく別の御経の

ようです。

ですので、この御経の意味を知ってあげることがとても大事だと思う 

由縁であります。

御経の意味をハートで理解して読むならば、功徳は大きいと信じます。

般若心経の文言を、そらで覚えて、すらすら意味を考えないで、言うより、

漢字と見比べながら、ゆっくりと、読み上げることが大事だといわれるのも、

このためでありましょう。 

 

読者の方から、御経の細部の、読み方が違うというご指摘を受けました。

たとえば、”耳鼻舌身意”のふりがなを、”ジビセッシンイ”と私はふっています。

本来“ニビゼッシンニ”だといわれるのです。 

そのような細部の発音は、それぞれ言い分があるので、ここで論議は避けたい

と思います。

ただ、私は、今読まれている読み方が一番心にしっくりいけば、それで

お読みになったほうがいいと思います。

 

私がそのように送り仮名を振った理由は二つあります。

① は zesshinn i (舌身意)を普通のスピードで読むと 最後の 

ぜっしん の ’n’ と び の ’i’が重なるので、聞いている方には’に’、

’ni’ と発音しているように聞こえます。

ですから”にびせっしんに”と最初から読まれてもいいわけです。


② もう一つの理由は、般若心経は、純粋の言霊は最後の真言の部分です。 

最初から、もともとの御経の発音とは異なって日本で読まれています。 

ですから、意味 を理解して、心 で読むことがとても大切だと考えます。 

そのためには、はじめから、”に” と読んでしまうと、もともとの意味が、

ピンとこないのではないかと配慮しました。 

つまり、”二” と発音したとき、”意” という漢字が心に浮かぶか

どうかということです。

意識、意見、意味、の 意 です。 にしき、にけん、にみ、などと、

呼ばれていれば別ですが・・・

 

この御経の一番大事な部分は、色即是空 の真意と、空中無色無受想行識 

の深い意味をつかむことだと考えます。 

そのことを、私たちが理解できるように、長々と御経の中に詳細な説明が

なされています。 

まず、この御経の行間の深い意味を理解していただきたいと考えます。

 

もし、”に” か ”び” か、 ”みった” か ”みーたー” かというように、

細部の読み方に言及するならば、サンスクリット語の原文の研究、当時の

中国語の漢音との比較まで話を進めて研究していく必要があると思います。 


現代の私たちは、”耳鼻科”を”じびか”と発音します。 

般若心経を中国からもってきた当時は、もしかしたら 耳と鼻で、”にび”と

読んでいたのかもしれません。

当時の中国から伝わった漢字を、当時の日本人がどう発音していたかという話

にも発展しそうです。

 

今お唱えになられているようにお唱えになればいいと思う理由は、以上の

2点です。

いろいろご意見を頂戴して感謝しています。

 

とりあえず、今日で般若心経は終わりましたが、次回は、機会をみつけて、

全体訳を載せさせていただきたいと思います。

 

 

                                                     

 

 

 

  

 

 

 

 

 

Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

                    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする