自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

食前の祈りの効用

2012年10月24日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係


食前の祈りの意義は・  平成24年10月24日(水曜日) 

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印象的だったインドの民間の祭事の一つをご紹介したい。

それは、妻が夫の健康を祈るために、女神に祈る数日間の祭りだった。

妻は夫の健康を祈るために、水分と果物だけの補給で、断食を何日間

も行う。

デリーでの、3回目の引っ越し先の大家さんは、10年以上お世話になっ

バティア夫妻という円満なご夫婦だった。

 

ある晩、私の借りている部屋の裏口に通じる、3階の大きなベランダに、

奥様と旦那様が、満月を観ながら立っている。

神様にささげる食べ物や、お花が乗ったお盆を月に向かって恭(うやうや)

しく 両手で持ち、月に向かって、回していた。 


それから、奥様は、お菓子をひとかけらを手にとると、ご主人の口に入れた。 

これをもって、夫の健康を祈るための、奥様の数日間の断食も終わり、

ご主人への感謝と健康の祈りを成就するための、儀式が終わったと

いうことだった。 

 

食の観点から、古くからのヴェーダの教えが、知らず知らずの間に、

インド人の一般的日常生活の中に溶け込んでいる。

それらを忠実に守ることが、神への畏怖と信仰の証と考えられているようだ。

敬虔なかれらの風習は、古代から時代を超えて、受け継がれてきた。

 

さて、菜食主義者の食するものは主に、”サットワ的な食物”とよばれる。

サットワ という言葉、すでに、般若心経のお話しに何度か登場している。 

ボサツ、漢字で”菩薩”と書くが、もともと、サンスクリット語の 

ボッディ サットヴァ” が菩薩の原型となる。

求道者の意味だが、サットヴァそのものは、平穏で清浄の意味をもつ。

 

この ”サットヴァ”、が ここでいう ”サットワ的”の”サットワ

同義語である。 

意味は”安寧、平和”、ということだから そういう資質を形成する

食べ物を”サットワ的な食べ物”というのだろう。

具体的には、全粒小麦、牛乳、ヨーグルト、木の実、豆類、果物・

野菜 がその部類とされている。

 

なぜ食べ物が重要であるのだろう?

それは、人間が消化する食べ物によって、心の根源の維持や発達が

促進されると、ヴェーダでは考えられているからだ。


食物の粗雑な部分、繊維や栄養外の物質は排泄物として体外に捨てられる。

もっとも 微妙な部分(食物の生命体を構成しているエネルギー

消化され、われわれの心の形成使われる。 

清浄な水分の精妙な要素は、生命の中核に関与し、これを ヴェーダ では、

サラーナマヤ・コーサ と呼ぶ。

それらをまとめてみると以下のようになる:

①心の中核=マノマヤ・コーサ 

ブッディ(神性)の中核=ヴィジナナマヤ・コーサ 

③至福の中核=アナンダマヤ・コーサ


これらの中核は 水分と食物 によって形づくられている

 

今までにも、何度か、食べ物の純粋性についてブログで扱っているが

具体的には以下の清浄性が、食事をつくるときに求められている。

 

①パトラ・スッディ=食物を保管し、接する容器や場所の清浄さ

②パダールタ・スッディ=料理を用いられる食物の成分の純粋さ

③パーカ・スッディ=料理を作る過程における純粋さ

 

そして、バカバット・ギータ*1 では 食前の祈りの大切さを 教える。

食前の祈りは、まず、食べ物を 神にささげるという意味合いがある。 

そのことで、祈りによって、神に召し上がっていただいたわけから、

祝福され、かつ清浄な食べ物に化すというのだ。

つまり、その食べ物は ”純粋化” されたことになる。

こうして、その食べ物の波動が、ヒトの中核に入ったときに、良き波動
となって、届くわけだ。


日本でもお供物という言葉がある。 

私たちがいただく食事も、まず、神にささげる気持ちがあってこそ、

純粋性の高い食べ物となる。


昨日の前編で、回教徒の口にする、ハラールミートのことを書いた。

神への祈りとともに、殺された動物はすでに神様に捧げられたお供物である。

これを食することにより、肉食の弊害を免れる。

 

アッラーの神の前で、殺されようとしている動物の命を神様に祝福して

もらう。 

殺されようとしている動物の恨みや悲しみの情念が、神様に祝福された

ことで、感謝に変わる。 

そして、モスリム教徒の口に入ることが許される。 

 

バカバッド・ギータでは、

“食物を神にまず捧げよ。さすれば、不浄物は取り除かれ、プラサート

=神からの賜りもの と変化して、聖なる純粋な食物になる。” 

と書かれている。(第424節)

 

ヴェーダで教える、祈りの言葉の一つに、次のような意味の言葉がある。

 “アンナム・ブラフマ・ラーソ・ヴィシュヌ・ボクター・マヘーシュワラ”


この言葉を唱えることで、”個体の食物”はブラフマ神、”水と食物の本質” 

はヴィシュヌ神、食事を楽しむ”のはマへーシュワラ神であるから、

食事をとることによって、”三位一体の神” と一つにならせていただける

よう、祈るのだ。

ちなみに、ブラフマは創造神、ヴィシュヌは維持をする神、マヘーシュワラは 

シヴァ神の別名で、破壊の神である。

創造・維持・破壊 この3つが万物のこの世における、姿であり、神様の見せる、

特質ともいえる。

 

さらに、この祈りには次の願いも込められていると教える。

1. サチャム (道理)と リタム(道義)から外れることがないように、

2、 トリカラナ・スッティ (想念と言葉と行為の純粋性) を与え給え


この心持で食前に、祈るとき、食物はプラサート(神への供物)として、

聖化される。 



 


 

 *1)クリシュナとアルジュナの話し合いの形式で進む、一大叙事詩* 

この書の内容がヴェーダの説く教えと合致するため、”準ヴェーダ”とも

言われる 

 

                

 

アシュラムでのランチ。

ホウレンソウとチーズのカレー、野菜カレー、ダール(豆)カレー、。 

スープはコーンスープ。カレーはターメリックの粉が入っているので、

黄色ですが、味付けは塩味が薄く、皆微妙に異なります。 

家庭料理は店で出るカレーと違い、味がマイルド。

特に南インドは体にやさしい味付けです。

 

 

コメント
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