自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

老名人(弓術)の述懐:名人とは何たるや?

2012年10月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

無智であり、無得を悟った老人  10月22日(月曜日)

 

先週まで般若心経のお話しをさせていただき、一つ思い出したお話しがあります。 

それは、戦前の小説家、中島敦の”名人伝”に書かれているお話しです。

主人公は紀昌(きしょう)という弓矢の名手を志(こころざし)た男です。 

師匠の名前は飛衛(ひえい)。当代随一の名人でした。 師匠は弟子の紀昌に

命じます。

 ”瞬き(まばたき)しないように” と。

まばたきをしないということは、火の粉が飛んできても、寝ているときも、

とにかく眼を開けていなければなりません。

2年間修行して常に”カーっと、”どんなときでも開いたままの眼を

維持できるようになりました。

 

次に師匠は、”観る事が大切だ。小さいものが大きく見えるようになるまで

修練せよ” と、

弟子の紀昌に命じました。

そこで、紀昌はシラミをつかまえて、自分の髪の毛でくくり、窓につるして、

3年間シラミを見続ける修行をします。

ついに、シラミが馬の大きさにみえるようになり、紀昌は家の外に出て

行きます

 

3年ぶりに見た外の世界の様子は、小人がガリバーを見ているように、

すべてが大きく見えます。

”馬は山のごとく、豚は丘のごとく”にです。 家に帰り、窓につるして

あったシラミを矢で射ると、シラミにつないでいた髪の毛を切らずに、

見事シラミの中枢に命中しました。 

そこで、師匠のもとにいき、やっと、弓術の奥義を伝授されました

そして、紀昌の弓術の腕前はますます上がっていき、とどまるところを

知らないかのようでした。

 

百本の矢をつづけさまに放てば、的の真ん中を射抜いた第一の矢の 

ヤハズ(後方部分)にあたる。

第二、第三・・・

100番目の矢までも 次々、前の矢のヤハズに突き刺さって、100本の

矢は 束になっていても、まるで、一本の矢のようにしか見えないほどでした。

 

しばらくすると、師匠の命さえ狙うそぶりをみせはじめ、師匠は弟子の紀昌

に命じます。

”これ以上教えることは無い。 甘蝿(かんよう)という老師 が深山に

おられる。

そこで修行をするとい” と。

 

こうして、紀昌は、100歳を超えているという老師に、深山で会います。

老師の前で、紀昌は自分の腕を見せました。 

一本の矢を放つと、5羽の鳥が落ちてきました。それを見ていた老師は

微笑んでつぶやきます。

 

”お前はまだ、’不射の射’ を知らんと見える” というやいなや、弓矢の

道具をもっていない老師は、やおら、弓を射る構えしました。 

そして、空高く輪を描いて飛んでいる、鳶(とび)を見つけると、

老師は、それにむかって形なき弓を飛ばす格好をしました。

すると、”見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引き絞って、

ひょうと放てば、鳶(とび)は 羽ばたきもせず、中空から石のごとくに、

落ちてきた” のでした。 

 

これを見て、驚いた紀昌は、この老師を師と仰ぎ、9年の間、一心不乱に

深山で、修行を続けました。 

 

さて、こうして、老師のもとで修行を積んで、奥義を学ぶと、紀昌は、

都へ戻り、最初の師であった、飛衛を尋ねました。

飛衛は、紀昌の風貌の変わりようを見て、驚愕します。 

依然の精悍な負けず嫌いの面魂(つらだましい)は影をひそめ、何の表情

もない、木偶の坊(でくのぼう)の容貌に変わってしまったからでした。 

 

そして、飛衛は、感嘆して言いました。

”これでこそ、初めて、天下の名人と言える風貌になった。

我らのごときは足元にも及ばない”と。

深山から都に戻ってきた、弓名人:紀昌のことは津々浦々に轟き、

神業のような弓の妙技を見せてほしいという人々の要望は、強くなるばかりです。 

ところが、一向に 紀昌は弓を手にとろうとしないのです。 

”一体、どうしたのだ?”

という、質問に、紀昌は、ひとこと、こう、返答しました。

 ”至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射る事無し” 

最高の行動は、行為ではなく、深い言葉は言わずもがな、射るということは

弓を使うこと無い

 

少し意訳になってしまいましたが、こういうことを意味しているのだ

と思います。 

その後しばらくして、紀昌は、招かれた家で弓の道具を見ます。 

その家の主人に紀昌は、聞きます。

この道具の名前は?どのようにして使うのか?” 

主人は、冗談だと思い笑って取りあいません。

すると、同じ質問を、紀昌は 3度 問いました。

そのとき、主人は初めて、紀昌が真剣に聞いていることを知り、叫びました。

 

”古今無双の弓使いのあなたが! 弓の名前も忘れ、その使い方すら

覚えていないとは!!”

この話が都中に伝わり、人々は感銘を受けました。 


しばらくの間、著名な画家は絵筆を隠し、奏者は楽器の弦を切り、

職人はその道具を持つことすら控えたということです。 

 できる”と思っていた人は、紀昌の言動で自分の想い上がりや自負心を

恥じたのでした

晩年を迎えた紀昌は述懐します。”すでに、我と彼の別、是と非の分を知らぬ。

眼は耳のごとし、耳は鼻のごとし、鼻は口のごとく思われる。”と。

 この話は、無智亦無得 と意味にも、相通じます。

つまり、”知恵” がある人、それが、何の分野であるとしても、知識がある”と、

自負する気持ちがあれば、まだ、本物ではないということです。 

無得 というのは、その智慧で何かを得ると思っても、結局、何も得る事はない

し、得るという観念すらないというのが、本物の達人の心得であるということ

です。 

 

ほんとうに、達人になったとき、中島敦氏が描いたように、”木偶の棒”のように、

自分も他人も区別がつかない。

是非の分別も無い、なんというのか、”自分が自分が” という”我の意識”すら

超越していものなのかもしれません。

 

眼が耳、鼻が口になったようだ~という表現も、肉体の五感を超越したという

意味でしょう。

眼だけで見るのではなく耳で聞こえるのではなく、口で味わうものではない。 

ヨギの達人は、五感の感覚器官を使わず、見たり聞いたり触れたり、臭い味わう

ことができるといわれています。

 

これと、共通した話です。心の中枢(アートマ=心の空の点)の働きのみの 

達人にいたっては、

”至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射る事無し” の 

心境以外にないのでしょう。

 

何かを自分が、為しているという自覚もなく、することがすべて、

適格・適切・的を得ている。

言葉を出すことなく、その人の存在感そのもので、人を説得できる。

そして、弓を射ることも、弓という道具なくして、鳥を落とすことさえできる。

 

それらが、名人の領域であり、名人とは、ある意味、人間の本来のあるべき

姿を顕わしているのかもしれません。

 

 

  

私は雷神なり・・・田田(でんでん)太鼓を背中にしょって

・・・・”でんでん”という音は 

漢字”田”(でん)の由来なり・・

 

 

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