自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ホーキング博士と神

2012年10月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

ホーキング博士とアートマエネルギー(2)2012年 10月30日(火)

   

 

10月28日(日曜日)、金魚鉢の金魚の眼にうつる、

私たちの世界と、リアリティーの話を、ホーキング博士の意見

お借りして、お話しした。

実は、ホーキング博士の考えは、キリスト教の教義に反するとして、

論議を醸し出している部分があるのだ。

例えば、博士は、著書 "The Grand Design”(2010年) で、

量子力学に重力の理論を結び合わせた研究成基づく結論として

 偶然の一致に見える現象を、神 なしでも、十分説明できる

宇宙の誕生においては、神の存在は不要である

 という大胆な説を提示したからだ。  


さらに、翌年には、

 人間の脳は 部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なす。

壊れた コンピューターにとって 天国も死後の世界もない。 

それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ

 と明言したために、宗教界に物議を呼んだ。


宇宙の誕生において神は必要ではないという博士の意見に関して、

皆様はどのように思われるだろうか? 


まず、神 の定義とは何なのだろう? 

”偶像崇拝” をイスラム教では禁止している。 

子供向けのイラスト入りのお話しの中でも、開祖モハメッドの挿絵は

常に、顔が無い。 

つまり、顔を描くことで、偶像崇拝の一歩にならないようにという 

配慮からである。

 

イスラム教に アッラーの神の像は存在しない。 

礼拝は、メッカの方向に向いて、頭を地にこすり付けて神への全幅の信頼と

帰依心を顕わす。 

祭儀には、牧師や僧侶は存在せず、イマームという、リーダーを置く。

神の前にはみな同等であり、かつ、人は、神のみを崇拝するべきであるからだ。 

よって、人間の造った木製や鉄製の銅像に額づくことは愚の骨頂だと 

イスラム教徒は言う。

 

一方、キリスト教やヒンズー教、仏教でも、イメージ(像)は寺院に置かれ、

人々の信仰の対象となっている。

それらの像に額づいているように見えているとき、誰も、その木でできた、

仏様や十字架のキリスト様が、命を持った存在と信じているわけでは

ないだろう。 

その像を通じて、普遍に存在しておられる、仏様やキリストさまの愛と

救いと慈悲の心に繋がり、私たちの心の奥にある、畏敬と愛を、呼び

覚ましているのである。

 

無形より有形の仏像を拝むことで、あがめるべき、無形の宇宙に満つる

永遠の存在に、焦点を合わせることが容易となる。

 

しかし、その像に命があると思っている人も、中にはおられるかもしれない。

そういう方達は、イスラム教が戒める偶像崇拝に陥る危険性があると

いえば、私は否定できない

 

話をもとに戻す。 

ホーキング博士が、このような偶像崇拝に見られる、狭義の神様という

意味でとらえているとしたら、確かに、宇宙の形成に神は必要ないかも

しれない。 


旧約聖書で見られるエホバの神、創世記の神がイギリス人の博士にとって、

神のイメージなのであろうか? 

だが、神 とは一種の法則として顕れている場合がある。


物理学者はその法則を見つけようと努力している。 

しかし、すべての事象に共通する究極の絶対的な法則は未だに発見されて

いない。 

 

ここで、私が、ホーキング博士自身、ぜひ、証明していただきたいことを

考えた。

宇宙も人も、キリスト教では神が造ったとされている。 

人体は小宇宙という言葉もある。

博士は宇宙に神は存在しないと明言されるのなら、人間も宇宙の一部である

以上、偶然の副産物となるはずだ。

 

1) もし、宇宙が偶然性の創造であるとするならば、博士ご自身の体と心が、

偶然の一致で成り立っていることが証明できるだろうか?

2) もし、そうだとしたら、他者の人間の心身も、博士と同様、偶然の

一致であるということが証明できるだろうか?

3) 最後に、その双方の、偶然の一致には、”共通点” がないという

ことも、証明できるだろうか。

もし、共通点があるのならば、、偶然の一致ではなくなる可能性がある

のではないだろうか?

”人間誕生、組織の結合、それらの維持”、すべてが偶然の一致の積み重ね

であるのかどうか?

 

法則そのものが、神の意思 の顕れともとれる。 

意思 がなければ、何も生まれない。 

それは、私たちの生活の中でも同様だ。 

何かをこうしよう と心に決断すると、意思 になる。

 

意思 があって、いろいろ試行錯誤しながら、実現の努力をする。 

社会の発展もこのようにして遂げられてきたはずだ。

すべての存在・事象の裏には、そのいう意味で、意思 がある。

 

宇宙にも意思 があると私はその意味で思う。 

その意思 を、ある人たちは 神 と呼ぶ。 科学者は 法則 と呼ぶ。

メンテナンスの法則が無ければ、規律と調和は保てず、バラバラになり、

空中分解するだろう。


宇宙の均衡も含めて、人間の緻密な肉体の構造と自然治癒力なども同様だ。 

意思  があるから、肉体は無駄に風邪をひかない。病気にもならない。 

なぜなら、そこには、体の機能を正常に戻そうとする、私たち細胞の

持っている 意思 が 働くからだと思う。 


壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。

それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ」

 

この博士の意見には同感できるところもある。 天国も地獄もない。 

ただ、死後の世界もないというのは、どうなのだろう?

 

たぶん無いと思っている博士には、無いのだろう。 

深い眠りの状況のまま、幽体になっても、過ごしておられることだろう。

キリスト教・回教信者は、最後の審判の日まで死後眠り続けるという

教義を信じている。 

信念は実現するとの理どおり、私の霊界の友人(?)によると、そういう

方達はほんとうに肉体が無くても、あの世で、魂レベルで眠り続けている

という。

 

人間の脳はほんとうにコンピュータ以外の何物でもないのだろうか

コンピューターの方が、崩れた頭より 優れているということなのだろうか?

 

確かに、処刑される寸前の、イラクの独裁者サダム・フセインをテレビで

見たとき、そう感じた。

彼のかつての、威厳と自信に満ちた姿は、もはや、”壊される脳の前の彼”

の虚像 にしか過ぎなかった。

国際裁判という詭弁に満ちた政治の舞台裏で仕組まれた、壮絶な洗脳 

過程を想像した。

 

裁く方 も 裁かれる方(サダムフセイン)も、有罪だと洗脳されて、

まさに、彼の表情は、壊れたコンピュータのようだった。

人間はパワーと欲と名誉を欲している間は、一種のソフトを入れられた 

ロボットにも似て本来の心を脇において、ある意味、脳は精密な

コンピューターと変わりが無いのかもしれない。

 

それでも、私たちの心は、それらに毒されない、侵されない聖域を、

潜在的に守ろうとしている。

博士よ、あなたは、その 侵されない聖域 が何かおわかりだろうか?

聖域 においては、人間の本来の価値と意味が 秘められている。

その聖域の中に、生命力 がある。


博士よ、緻密なコンピューターの計算で、量子力学の最前線を駆使して、

生命力の結晶である、髪の毛一本創造することができるであろうか?

 

ips細胞という、画期的な発見を、 山中教授がされた。 

現在、その応用で、網膜の再生治療が可能になってきたという。 

これは、今の物理学の最前線だ。

しかし、ips細胞を、医療現場で一般的に使われるようになるまで、

5年も10年もかかるという。

ips細胞で造られた臓器を仮に人体に適用しても、その後、どういう 

リスク が生まれるのか? 

どのくらいの期間、正常に働き続けることができるのか? 

癌細胞に変化したり、いかなる道義的不都合が生じはしないか?

まだまだ 臨床的データは、これらの答えを出すまでにはいたらない。

さらに、長い年月をかけて、検証していく課題がたくさんある。

 

人間の体の不可思議さを解明することは時間がかかるだろう。

そうだとすれば、人間の頭脳を ”壊れたコンピューター” 

と結論づける前に、人間の体に潜む、底知れない能力を知る余地が、

もっとあるのではないだろうか?


そして、その能力は単なる、物質的な要素の偶然で生まれているのでは

ないということも含めて・・・

限りなく 物理学がその解明に近づいていくだろうという 予感もする。

 

 

 

  

 ホーキング博士へ、 アインシュタイン博士の言葉を・・・

”学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。”

                              

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