自我が極小に感じられた瞬間 平成25年6月7日
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(4)宇宙ではしかし、たった、5分の間に、人生最高の忘れがたい
体験を味わった
シュワイカートは アポロ9号に乗船していたが、司令船と月着陸船
を結ぶ通路が使用不能になった場合、月着陸船から外に出て、
船腹にあるハンドレイルを伝わり、司令船に移動できるかどうかの
実験をすることになっていた。
その際、カメラが故障して、彼は、ミッション再開するまでの
わずか5分間,何もなすことなく 宇宙空間の 真っただ中でただ一人、
自分だけの時間を持つことになったのだ。
その時、彼は何を感じたか?
宇宙船の中にいるときは 地球上の訓練室で、シミュレーションで
ほぼ、同一条件で 宇宙での、その状態を、体験することはできる。
しかし、宇宙空間 となると、まったく別物だった。
完全な静寂、無音の世界、眼下には地球が見え、宇宙丸ごと見える
無限の空間で 彼は、たった一人で、漂っているのだ。
その時の感想を彼はこう語る。
“ 私は その5分間が滅多なことでは得られない時間であることは、知っていた。
スケジュールが詰め込まれている宇宙飛行では、無為 が許される時間は
ほとんどないからだ。
そして、宇宙船の外に出て、ほんとの宇宙空間を体験できるのはその実験を
置いてなかったからだ。
・・略・・
宇宙をあちこち見まわしながら、意識的にいろいろなことを考えた。
お前はなぜ、ここにいるのか?
何のためにここにいるのか?
お前が見ているものは何なのか?
お前と世界はどう関係しているのか?
この体験の意味するところは何だ?
人生とは何だ?
人間とは何だ?“
そして、彼は一つの感覚、感情をはっきり意識する。
それは・・・
“ 私の人生にとって、最高に、ハイの瞬間だった。
それは、エゴが高揚する ハイ の瞬間ではなく、エゴが消滅する、ハイ
の瞬間だった。
…略…
自分個人の卑小さを強く感じた。“
自分の自我意識が 興奮した状態を 普通われわれは、
ハイ になっているというが、シュワイカートの場合は
全く、逆だった。
自分 という 個人意識が、消えてしまうほど、
自分を小さく感じ、その感覚が 最高点に達した瞬間だったという。
シュワイカートに、直接、インタヴューした立花氏が、彼を”無宗教者”
という 小題をとつけて、紹介しているが、ほんとうにそうだろうか?
一般に、エゴを滅した感覚になる という証言は、普通の状況でも
難しいのに、世界中からハイライトを浴びているこの瞬間に
自分の自我を限りなく小さく焼却して、自分の小ささを自覚すること
は、より、困難だと思うからだ。
宇宙飛行士は ある意味でヒーローだ。
人類の代表として、宇宙に行き、国際人やクローバルという観念
を遥かに超えた、壮大な 宇宙コミュニティー というコンセプトを
地球人に、与える役目を持っているからだ。
その ミッションを遂行しようとして、自分の栄光より、自我の消滅と
自己の存在の小ささを感じるという、謙虚さは、、ある意味
宗教的なシュワイカートの本質と重なり合った。
美しく輝く地球を見つめるシュワイカート。
当時、地球上では第三次中東戦争が行われていた。
人間同士がこの星の上では殺し合い、闘いあっていた。
彼の言葉・・・
“人間という種と 他の種との関係、人間という種と地球との関係を、
もっと考えなければいけないと思った。“
“ 人間は地球(ガイア)の中で生きている生物であることを自覚して
生きていかなければならない。ガイアにとって、人間は何物でもないかも
しれないが、人間はガイアなしでは生きてはいけないのだから。“
(5)人間は宇宙空間にこれからどんどん進出していくだろう
これはシュワイカートの 願い かもしれない。
地球人は核戦争や環境破壊、絶滅の危機にさらされる確率が今後も高まって
くるだろうと予測する。
その時に、こうして、宇宙への関心が高まり、科学技術の進歩で、一般人の
宇宙旅行参加も夢でなくなってきている。
このことが彼にとっては偶然の成り行きと思えないという。
宇宙に進出して、人間という種の子孫を絶やさないように、発展を遂げることも
可能だろう。
同時に、シュワイカートは以下のように警告もする。
“ 人間が今のように、バカげた生活を続けていれば、つまり、エネルギーを
浪費し、資源を浪費し、環境を害し、お互い殺し合うという愚行を続けていれば、
人類の持つ最大の可能性である、宇宙への進出を不可能にしてしまうことも
起こりうると思う。“
参考: ”宇宙からの帰還”
立花 隆 著 中央公論社 1994年版
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