TVドラマ半沢直樹の魅力 平成25年10月10日
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ブログで今話題にさせていただいている
”コントロールドラマ”、とか、”仮面劇”という話は
特種な家庭の中で起こることと思う方もいるかも
しれない。
人間は、一人では生きられないこと。
家庭や学校で、社会に出てから、
必ず、”人との関係”の中で、
つまり、人間関係の中で生きる以上、
仮面劇は存在している。
周囲との、意思疎通を図るとき、多かれ少なかれ、
これまで見てきた、”ドラマパターン”の一つに、
二人の関係は照合しているといえるだろう。
調和を保ち、お互い尊重し、意見を十分聞いて
生かしあう関係になれば話は別である。
しかし、初めからそういう理想的な関係が構築
できないのが 人の常だ。
適当に 仮面を、つけたり、はずしたりしながら、
コントロールドラマは 私たちの日常生活で
繰り広げられていると言っても過言ではないと思う。
半沢直樹 のドラマが非常な話題を呼んだ。
視聴率が最高40%超えたという話も聞いた。
番組のヴィデオを撮っているという、
近しい友人にその人気の秘訣を聞いてみた処
”社会の縮図が、銀行組織に良く出ていて、
私たちが普通、言いたくても言えない、
振る舞いたくてもままならない、本音の部分で
主人公が 果敢に行動しているから、
惹かれるのだと思う。”
とコメントしてくれた。
まさに、その組織社会の行動規範が
コントロールのバランスにかかっているようだ。
そのバランスを取りながら、自己の正義と信念を
貫こうとする主人公の姿勢が共感を呼ぶのだろう。
普通なら、”長いものに巻かれろ”であきらめムードの
漂う大きな組織の中で働く一人が
不可能を可能にしていく挑戦が、胸をスカッとさせる
に違いない。
一言付け加えるのなら、”倍返し”は、頂けない・・・
倍返し精神は ガッツを呼び起こし反発力で相手に
挑むには必要な時もあるだろうけれど、
こうした力はリバンドして、必ず、また、自分に戻る。
それが 仏教でいうところの業の深さを作ってしまう。
ともあれ、フィクションドラマだ。
そのテレビのシーンに、主人公の幼いころの
父親との思い出が映し出され、それは、
子ども時代に、彼を現在の行動に駆り立てる
何かが 動機として心深くに根強く影響を与えて
いるということを 示唆していた。
ジェームズ・レッドフィールドは、その著書の中で
子ども時代の影響を次のように分析している。
”幼児期に 親との仮面劇における体験は
子供の潜在意識に深く残り、次のような、コ
ミュニケーションパターンに影響を与えている”
と述べる。
たとえば、
犠牲者型の親のもとで育てられた場合、
こんな言葉を、子供時代、 母親から、聞かされた
ことがあるだろう。
” 御前がいなければ、お母さんは働いていたでしょうに。”
” 働いて、生きがいのある生活を送れたはずだ・・”
” お母さんは 能力があって、とても優秀だったのよ、
家庭にはいるまでは 発揮する場所があって、
生きがいがあった・・・”
出産してから、貴方を育てるために、大事なものを捨てざる
得なかった・・・・という含みのある母親の憂いとイライラと
悲しさがまじりあったような表情。
子どもの同情を無意識に引き出す。
同情のみならず、”生まれてこなければよかった”という
責任すら 感じさせてしまうかもしれない。
母親は、育児疲れや、独身時代の気ままさや、
社会生活の張りのあった日常を懐かしんで、
こんな言葉を腹いせに言ってみたくなるのだろう。
母親は、家庭と育児に追われ、精神的・肉体的欲求不満から
エネルギーが涸渇したように感じ、その穴埋めに
こうした言葉で、子供の気(エネルギー)を自分に引き寄せる。
小児科現場のある医師から 次のような話を、聞いたことがある。
それは朝起きると、理由なしに、必ず子供の横顔を
たたく癖がある母親のことを。
原因はない。
怒る材料を自らみつけて 朝起きてまず、腹いせのよう
に子供を叱る。
ジェームズ氏の見解からみれば、双方のケースともに、
” 相手の関心や想念エネルギーを自分に取り込んで、
元気になる” ということになる。
いわゆる、”八つ当たりをする” の一種だろう。
まわりの人に怒りをぶつけることで、自分の持て余す
マイナスのエネルギーが抜けて行く。
相手に対して ”投げられた怒り” について
何等かの 反応を待っている。
相手が何らかの反応してくれれば、当事者は、自己に
エネルギーを取り入れることができる。
言い換えれば、尋問型仮面や脅迫型仮面をつけて、
相手に 自分の不愉快さを共有させる ことで、
ちょっぴり 元気になれるのだ。
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次に、もし親が傍観者的なドラマを子供に対して
演じる場合は、子どもと、真正面から向き合わずに、
よそよそしく、どこかとっつきがたい印象を与えるだろう。
もし、親が尋問者型の性格をもっていたら、
始終 子供は小言を言われ続けていただろう。
何かと欠点を挙げられて、叱られる。
さらに、親が脅迫者の場合、小言ですまず、手があがり、
体罰すら与えられていたかもしれない。
幼い子どもは、親の顔色を見ている。
コントロール劇では、自分の守護者であり、
唯一の ”頼みの綱” である、母親の機嫌を損ねないよう、
けなげに対応を考える。
小さな子どもは、”母親のかぶる仮面”に合わせ、
行動して、エネルギーを親に与え続けることだろう。
しかし、物心がつくころには、親の 小言や意見が
疎ましくなってくる。
反抗期と重なるのかもしれないし、その前にそうした時期が
来るかもしれない。
子供が少し成長すると、自己防衛本能に目覚め
自分のエネルギーが 母親や周囲の人たちに取られて、
涸渇しないように 逃げ場を作る。
自分の世界、自分の、”殻” に入っていく。
たとえば、
犠牲者と傍観者の親に対しては、子供は生長するにつれて、
尋問者的になっていくという。
親の性格や行動を冷静に受け止め、それを批判する
ようになる。
それが、彼にとって、唯一の 押し付けられた同情や、
無関心の寂しさから 離れられる手段に感じる。
親が尋問者型で 常に 子供を批判をしているような場合、
子どもも、同じく 尋問型になり、親に反論を試みる。
あるいは、まったく無視するという傍観者(殻に閉じこもる)
になる可能性もある。
最後の、親が不幸にも、脅迫者型の場合、
家庭内暴力に発展する可能性がある。
家庭には、恐怖が常に子供の周囲を覆い、子供は少なからず
犠牲者のドラマを演じて、自分の不安な心を昇華し、
相手に気づかさせようとするだろう。
こうして、子どもは親から同情をもらおうとするが、
それもかなわないとき 脅迫者(親)や周囲に対し、
子ども自身が、脅迫者に変貌するかもしれない。
特に、危機感が差し迫ったときは、子供自ら
加害者的な意識をもつため、そうした傾向が強くなるという。
親にそれをぶつけるまでに成熟していないときは、
周りの ”か弱い存在”、兄弟や友達を脅かす存在に
なる場合が多い。
家庭内暴力の根はこうして作られ、学校などでも、
いわゆる ”いじめ” の加害者的立場になる。
このような形で、子供たちは自分を守るうちに
成人後にも影響の影は拭い去ることができず、
増々色濃いものになっていくかもしれない。
だからこそ、 一度、本当の自分を
探そうと、レッドフィールド氏は提案する。
そのために、まず、自身の両親分析をすることを薦める。
そうすることで、
以下の気づきが与えられると
レッドフィールド氏は言う。
“両親の人生を深くみていくと、
たいていは、自分が非常に
違った二人の間に生まれたことに気がつく。
彼らは世界観も興味も価値観も、まったく別なのだ。
その二人の間に育ったということは、
何を意味しているのだろうか?”
具体的に 自分自身の親の生き様や性格を
分析して レッドフィールド氏は自ら、生まれてきた意義と
役割を悟ったという。
続く・・・・
参考:
ジェイムス・ヒルマン ”魂のコード”河出書房新社、1968
ジェームズ・レッドフィールド ”聖なるヴィジョン” 角川書店 1998