自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

スヌーピーの溜息(SIGH!・・・)・共感

2013年10月18日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

真の苦行か偶像崇拝か?    平成25年10月18日

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私の心の師は、修行や、苦行は意味がないと断言した。

断食や瞑想、滝に打たれたり、などの 所謂 修行” は 

現代ではあまり、役に立たないのだと言う・・・

それよりも、活き活きと 目の前に置かれた義務と責任を 

果たして人のために少しでも お役にたつ仕事を(神様に)

奉仕する心をもって、行うことが ”一番の修行” 

だとも言われた

 

スヌーピー 画像 に対する画像結果

 

その時、大切なことは、仕事の相手 や 奉仕させて

いただく方を 単なる 顧客や クライアント と思わず、

その方に 内在する、”神” に対して、 ’させていただく’ 

という、謙虚さと誠実さを持つことが大切だ” 

と 常に教えておられた。

 

そして、それこそが、現代に適した、神に近づく修行” 

につながるということだった。


言霊 の重要性を説かれ、マントラ(真言) の波動を理解して、

それを 日常生活の中に活用すること。

 

一日のうち、決まった時間に、ジャバ(真言や祝詞、御経

などを唱える事)経文や聖文を読み、心を常に浄化

させること。


そうすることで、”自分と神の資質とは 本来、同一である”

という真理を 魂に 染み満たす努力を日々続ける大事さ

を強調しておられた。

なぜ、苦行 といわれる修行が無意味なのかと問えば、

次のような理由からだった。

 

①“本来、大我[アートマ]を求めるために行われるべき修行は、

修行者がその目的を忘れ、ただの、自己満足になって

いる場合が多い。”


人は、アジュナーナ(無知、無明)の状態にいるとき 

行いがちなのが苦行修行 といわれるものである。”


③”ジュナーニ(神実現を 遂げた人)がそのようなサーダナ(修行) 

を行っている話は聞いたこともなく、見たこともない。”


④”心の満足のために行うのならば、それは mortal mind、

(いずれは 死とともに、消えゆく、人間の小我)の、

自己満足とプライドを高めるために役立つだけだろう。”


 ⑤私、私の私物 という感じがある限り、 アハムカーラは 

あなたから離れない。アハムカーラ が あなたから

去らなければ、無知無明 も 離れないだろう。“               

 スヌーピー 画像 に対する画像結果

 

筆者は 実は、この師の話を 南インドで、聞きながら

忘れられない心の体験をしている。

計らずとも、自分のアハムカーラ(この場合、執着

の強さを知った。

 

それは 講義途中から あることが気になりはじめた。

2~3分もしないうち、集中して講義を聞いていられなく

なってきた。

そのmortal mind[死とともに消える小我の心)は、

サンダル” の上にあった。

 

靴箱にしまってきたかどうか気になり始めた。

もし、集会場の入り口に脱ぎ捨ててきたとしたら、

誰かが間違えて、履いて行く確率は高い。

”この講話時間が終わって外に出たら、きっと、

サンダルは消えている。・・”

 

師の悟りと小我のお話しが耳の横を通り過ぎている間、

私はふっと、気が重くなった。  

炎天下の熱いアスファルトを 裸足で歩く自分を

想像したからだ。


インド人にとっては 日本製の品物は小さい大きいに

かかわらず”憧れ”だ。

当時はボールペン一本でも、喜ばれた。たかが、サンダル

とは言え、日本製は見栄えも良いし、持ちも良い

 

盗もうと思わなくても、出来心で・・・印度では、

そういう体験は 当たり前の日常茶飯事で起こっていた。

自分のサンダルは、誰かに、履いていかれてしまっただろうと 

覚悟した

 

スヌーピー 画像 に対する画像結果              

はるばる長旅をして ようやく会えた師のもとで、無執着の

を聞きながら、サンダルへの執着で、心が上の空なっている

という事をもう一方の私の心”が見つめていた。

 

真理を求める心と、肉体が炎天下を歩く裸足の負担を

案じている二つの心。

両者の あまりの隔たりに、失望すら感じた。

15年近く前のお話しである。私の弱い心、執着心の

主体になる、小我意識の 強さと状況は 今も当時と比べ 

あまり、変わっているとは思えない。

 

私の”、”私が” という考えが 自分の限界線を作る。 

さまざまな事への執着を生む。様々な人との誤解を生む。

 

物質的なことだけではない。自尊心やプライド、名誉

などに傷がつく~というのもこの 小さな自我 の 

 に属している。

 

遅々として修行は進み刻々として 時 は 進む。

スヌーピーの大きなぬいぐるみは車の中に置いてある

友たちだ。

彼の溜息は大きい。

このエピソードを思い出すたびに私も、スヌーピーとともに、

溜息(sigh)・・・をつく

 スヌーピー 画像 に対する画像結果         

  溜息!!

 

最後に、ヒマラヤの大師も アメリカの調査団に以下

のように語っている:(*1)

仏教にしろ、キリスト教にしろ、隠遁、禁欲、遁世

(とんせい)の僧院生活は 悟りに必要でもなければ、

霊的発達を成就する真の方法でもなく、

また、イエスやブッダの説く、智慧と力との完全なる

生活上の実現でもありません。”

スヌーピー 画像 に対する画像結果

 

師はここで問う。

僧院生活や そこで行われる修行、苦行を含めた行事 は 

数千年も存続しているにもかかわらず、イエスの30年ほど

の人生、その間、たった2年の布教で 世界の歴史を

変えるほどの精神的影響力を与えた僧院出身の苦行層が

いただろうか?

 

6年間 瞑想をもって、自己内在の仏性を顕現したブッダ

二人とも 実在の歴史上の人物であり、後世 図らずとも

神格化されて 偶像崇拝の対象にまでなっていってしまう。

 

イエスもブッダも、この世に存在して教えを説いた目的、それは、 

世界中に教会を無数に建てるため、あるいは、仏教寺院

の中で、あがめられ現世御利益を祈願する人たちの前に、

鎮座する銅像になるためのそれではなかったはずだ。

 

ましてや ”苦行して悟るべし”とは、両者は説いておられない。

"小さな自分への執着をとり、大我へいたる道を歩きなさい”

いうことを伝えるだけだったのだ。

自ら、そのお手本となり、誰でも続くことができる道を、

私たちに示してくれたのだ。

 

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*1) ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 第二巻

 S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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