自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

心の仕訳~アハンカーラ(エゴ)

2013年10月28日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

誰でもかかえる矛盾した弱さ  平成25年10月28日

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ある人が聖者に尋ねます。

“わたし達は感覚器官のおかげで見たり聞いたり話したり

しています。

死人にもそれらの器官が具わっているのにどうして、見たり

聞いたり話したりできないのですか?“

すると、聖人は答えます。

“それは感覚器官を活気づける力がそこにないからです。”

 

身体は懐中電灯のようだといいます。

目は電球で、理性はスイッチ、電池は私たちの血液のように

エネルギーを運ぶもの。

しかし、血球があっても、それに生命がなければ、

感覚器官は動くことができないし、

身体の分解を繋ぎとめる こともできないでしょう

すると さらに、この人は質問をしました。

 

“そうです!大生命こそ、神です。

しかし、私たちはこの世界を実質が幻影であるにも

かかわらず、実在するかのように、知覚して、多くの

物質を享受して、執着しています。


それらは迷妄であると聖者たちは説きますが、

どのようにしてその迷妄を知り、断ち切ることが

できるでしょうか?“


すると、聖者は

“現象世界が’実在か 非実在’か、という問題は

世間に任せておくがよい。

まずあなた自身が実在か非実在か実相か非実相

かどうか それを探りなさい。“

と答えました。


つまり、他者や現象世界を知る前に ”自分を知ること”

そして、そのために、必要なのは、自分自身の本性が

何か知ること、そう聖者は 答えました。 

そのうえで、自分自身を変えること、が次の目標、になる

わけです。

 

それがなかなか、できないのは、私たちの心の弱さであり、

どうして、”そうなるの?”が今日のテーマです。

 

私たちの心は弱い道具であるという言い方を

サンスクリット語では カラナ・アバータヴァム”言います。

そのサンプルケースを聖者は次のようにあげます・・・。

 

デリー郊外の村に富んだ農夫が住んでいました。

村長として村人を指導していました。


ある日、この村長と小作農の村人の牛たちが草原で

草を食べていました。すると、この牛たちの間で

喧嘩が始まり、一頭が死んでしまいます。

れは 村長の牛でした。


小作農は驚き、その事実を村長に 慌てて、報告に

行きました。

そして、慌てていたあまり、言葉の主語と目的語を

取り違えてしまったのです。

“たいへんです、村長。あなたの雄牛と私の雄牛が喧嘩して、

あなたの牛が私の牛を殺しました。  

                     

すると、富んだ村長は、冷静に この知らせを受け止め

次のように言いました:

“知能のある人間同志が殺し合う世の中、

自分の雄牛が あなたの雄牛を殺したのは不思議ではない。

すべての動物は 知性を持っていないのだから

何かの事故だと考えて欲しい“


その間、この農夫は自分の言い間違いに気がついて

再び、慌てて 言い直しました。


“村長、申し訳ないです。私は 言い間違えました。

実は、あなたの雄牛を殺したのは 私の雄牛でした。“

 

(これを聞いて、冷静だった、村長がどのような

反応をしたが想像できるでしょうか?)


村長はそれを聞いているうちに形相が変わり

怒りで我を忘れました。

彼は それまでと打って変った、強い調子で 農夫を

責めたて、その上に多額の弁償金まで要求したのでした。

 

この話が カラナ・アパータヴァム(弱い心のからくり

の 一例です。

村長の弱い心は 私たち誰にでも潜んでいます。


その弱さが、

自分の感情を、状況によって一転させ、主張がひっくり返り

首尾一貫しないという結果をつくるのです。


この心の弱いからくりを最大限に保守するために

私たちの心には  ブッディ が与えられています

 

ブッディは、”内部の声” ともいわれ、啓示を与えてくれる

心に備わった”智慧の声”でもあります。


良心 とも言い換えられるでしょう。心の仕訳をして

みたいと思います。

心(こころ) と私たちは何気なく 使っている言葉ですが、

何層にも分かれています。

 

ブッディ と区別するために、感情に揺れる心マナス 

サンスクリット語でいいます。

 

マナスの波動より ブッディ は 精妙な波動を

持っています。

だから、人は本音と建て前を使い分け社会生活

送れるのです。

感情をおもむろに出さず、ブッディ(知恵・理性)で

抑えることを知っています。

  

知性=ブッディ より、精妙な心の層は、ブッディ

覆い隠します。

その心の層は、私たちの 小我エゴ意識、アハムカーラ

です。

とても精妙な波動ですから、良心をも覆い尽くすことが

できます

 いつのまにか、エゴ意識は、私たちの あらゆる行為や

想念に滲透します

それが、”私”、”私の” という意識の正体でもあります。

 

アートマ という私たちの実相や大生命力を なかなか、

認識して、悟ることができないのは、この 小我意識

つまり、アハンカーラ が私たちの心を覆っているから

言われます。

 

アートマに もっとも近いアハムカーラの波動は精妙です                      

次に、心の中のブッディを分解してみましょう。

ブッディ は、鳥 に喩えられます。

ブッディ~智慧 を上手に使うと 自分の本体=アートマ 

を知り、そこへ飛翔することができます。


心を、高次元に、飛翔させてくれるから、 鳥 に

喩えられています。

その 智慧のトリのにあたるものが、信仰と信念

右翼にあたるものが、想念と言葉と行為の調和と統一

左翼にあたるものが、自分の言葉を行動に移し、その行動を

ありのままに、言葉で言い表す能力です。

 

胴体は 真理を支える原理を理解する心、具体的にいえば、

”我は神なり” という真理を体験させるための 智慧 

となります。

 

この智慧は、現象界の知恵とは大いに異なり、世間的な

才能や知性、賢さとは全く次元を異にするものとして

位置づけられます。

そして、 は、両翼のバランスを取るための

心と感覚の統御役をします。

 

信仰と信念というのは 頭に喩えられています。

信念がなければ意思が生まれないから 頭に位置して

全体をコントロールしているわけです。

英語の、Spirit は 精神ですが 

R を L に変えて、Split と綴ると、 裂く と

言う意味に変化します。

同様に、この鳥の頭、 信念と信仰 を維持すると

高い統一された、精神 になり、

それを 裂こうとすると 精神の分裂 になります。

精神の分裂は、物質文明によってもたらされる

唯物的考え方に発展していきます

 

頭に象徴される信仰・信念が、大切な理由は、意思が

堅固になって不動心になり、不動心で飛翔していけば、

鳥の身体に象徴されるそれぞれの智慧の徳をもってして、

アートマ(生命の実相、真の我)へと 心(人生)全体を 

向かわせ、昇華させてくれるからです。

 

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