相手への幻想を抱く理由 平成25年10月8日
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心理学者 ジェームズ・ヒルマンはその著 ”魂のコード”(*1)
で次のように書いている。
”私たちは生まれるとき、
性格と使命の両方を携えてくる。
しかし、誕生時の霧がこの知識を曇らせ、
子供時代の苦労を しばしば、辛く恐ろしいものに
してしまう。
子どもの時に、私たちは神聖なる愛と
エネルギーの確かな繋がりを失ってしまうのだ。
そして、急に、食物 と 安全な生活 に
もっぱら 頼るようになっていく。”
”子どもの時に、私たちは神聖なる愛と
エネルギーの確かな繋がりを失ってしまうのだ。”
という言葉の背景には、その繋がりを失わせる原因や
きっかけが あるはずだ。
その一つの要因が、真摯に自分自身と向き合う
子供心の純粋性を犠牲にして、家族、特に両親との、
人間のエゴのぶつかり合いに、巻き込まれていく
過程をさしているのだろう。
たとえば、成人しても、傍観者の仮面を手に取る人。
子ども時代、自由に意思疎通や話し合いが 親と
行えなかったと レッドフィールド氏は言う。
傍観者タイプの人は決して相手を、容易に信用しない。
”世間は信用できない人ばかりだと固く信じている。
そして、個人的な情報を教えれば、あとで自分の
不利になるように思われるか、批判される原因
になるに違いないと思っている。 ”
とレッドフィールド氏は言い、
“こうした思い込みが、傍観者から 常に放射され、
その波動に会う人(非傍観者)が引き寄せられ
その思い込み通りの状況が無意識に成就してしまう。“
としている。
成人して、尋問者の仮面をかぶる人の背景を、
氏はこう指摘する。
“普通、尋問者は 両親が不在か、彼の要求に
無関心な家庭で育っている。
こうした不安に満ちた、十分なエネルギーを
与えられない状況で自分にできる唯一の方法、
つまり、誤りを指摘し、家族の行動を批判する
尋問者の仮面をかぶることで注目とエネルギーを得てきた“
と分析する。
コントロールドラマは 幼児期や成人後の人間関係に
見られるが、 恋愛に見られる仮面劇のパターンがある。
著書(*2)から、引用する:
”新しい人間関係は男女の恋愛関係の追及以上に
緊急を要するものはない。
新しい霊的気づきの中で、再び、はるか昔からの問題を
問い直すのである。
なぜ、二人の愛が終わりをつげ、複雑な権力闘争へと
発展することが多いのだろうか?”
と前書きをしたうえで
”二人には共通の価値観やライフスタイル” があり、
”素晴らしい感覚”
”何年もの間で初めての充実感”を お互いに、感じ、
”自分の見失っていた一部を発見した”
ような気持ちになる。
そして、魂の高揚感とともに、ロマンスが始まる。
”愛が湧きあたる”のだ。
ところが、時間がたつにつれて、
”何かが起こる”。
”振り返ってみると、何か状況がおかしいのに気がつく”
次第に権力闘争が始まるプロセスへ移行していく。
”二人の関係が始まったときに感じた
愛情を相手がもうくれなくなったのだ。
さらに、自分が本当に必要としている愛情を相手が
一度もくれなかったことに、やっと気が付き始めたりする。
それと同時に 相手もまた、自分の人間性や行動の欠点
を見つけては、様々な不満をじぶんに対して抱いて
いることがわかる。”
という状態が、
”典型的な権力闘争がいよいよ開始された”
ということになるという。
どうして、権力闘争に突入したのか?
どうして、仮面をつけ、相手からエネルギーを奪い合おう
とするようになったのか?
答えは簡単だ。
二人とも
”内なる神とのつながりからではなく、相手からエネルギー
をもらおうとし始めた”からである。
レッドフィールド氏はこう述べる:
”最初に愛し合って一緒になるとき、私たちはお互い
のエネルギーを統合させ、完全に満たされた感覚を味わう。
相手は慈しんでくれた、親の思い出だけでなはく、親との
間で一緒に感じた満足感を与えてくれる。
ふつうの人間でしかない相手に、子供の時に父親や
母親に対して感じた献身的で、魅惑的な幻想を押し
付けてしまうのだ。
そして、相手が本当はどんな人間かしっかり見ようとも
しない。
ただ自分の幻想を相手に見る。
・・・略・・・
男は金銭的なことでつまずいたり、失業したり、野球を
見に行ったり、付き合いで、遅くなったりする。
女は男がめげているのに、なぐさめようともしない。
完全だと見えたものが、壊れ始める。”
犠牲者的仮面をつけたり、尋問型の仮面をはずしたり、
時には、傍観者になり、なられ、”エネルギーの
キャッチボールドラマ”が 恋愛当事者の間で、始まる。
これが、コントロールドラマの始まりだ。
最悪の場合、脅迫者になって、どちらかが傷つくことさえ
あるのだ。
しかし、、ロマンス時代、の仮面劇を通して、人は、
自己の中にある、男性性と女性性を統合させることを
学び、他者からエネルギーを奪う必要を感じない
独立した一個人として目覚めることで、恋愛を成就させる
ことができると示唆している。
お互い、思いやりと愛を根底に、相手を尊重し合える関係
を築きたければ、まず、自己統一をはかり、内部の自分と
繋がりあうことが先決問題だと レッドフィールド氏は述べる。
こうした、コントロールドラマを演じないように
どのように 普段 心がけたらよいのだろうか?
同氏は、こうヒントを出している。
”(互いのコントロールドラマの原因)を見つめたら、
恨んだり憎んだりすることは避けなければならない。
意識がたかまるにつれて、いつか、私たちは
異なる次元から自分の人生に起こったことを観るよう
になり、生まれてきた環境も自分で選んだもので
あることがわかるようになる。”
まず、恨んでいる人、 ”特に家族”がいれば、許すこと。
生まれた環境を自分で選んだのなら
その意味を考えてみる事。
だから、次の言葉が出てくる:
”幼いころの両親や兄弟を責めずにいられない
自分がいるのなら、それは責めること自体が、
コントロールドラマになる。
虐待された体験談をして、同情やエネルギーを
勝ち取ろうとするか、自分の傍観者や尋問者のドラマを
合理化しようとしているだけだ。
自分自身を過去から解放するまで神の内なる
エネルギーとの繋がりを十分に追及できないのは、
このためでもある。
人を非難すれば、必ず、昔のドラマへと振り戻される。
それ以上のエネルギーの拡大はそこでストップ
してしまう。
何ができるのか?
それは許すことだ。
許すことだけが、何回も繰り返されるコントロールドラマの
終止符を打つことができる。”
続く・・・・・・・
(*1) ジェイムズ・ヒルマン ”魂のコード”
河出書房新社、1998
(*2) ジェームズ・レッドフィールド
”聖なるヴィジョン” 角川書店、1998
参考図書)
ジェームズ・レッドフィールド ”聖なる予言”
角川文庫ソフィア、1996
”第十の予言” 角川文庫ソフィア、1997
”聖なる予言 実践ガイド” 角川書店、