神秘体験再考 平成25年10月24日
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内なる自分と繋がったときにそれとわかる 指標は
あるのだろうか?
ジェームズ氏によると、
・”与え合うことの重要性”を知っているかどうか~
・”直観”に信頼がおけるか
・”偶然の一致”が意識して起こり始めているか?
・共時性のプロセスへの理解
などを挙げている。
最初の*与えあうことの重要性については、ジェームズ氏は、
”与えることと受け取ることの間には 宇宙的法則がある。
蒔いた種は刈らねばならないという聖書の言葉や
カルマの法則に見られるように、自分の行いや想いは,善いこと
も悪いことも必ず、自分に返ってくる。
・・略・・
すべては偶然でないことの気づき、生長しようとする
人々がお互いに与え合う。
そうすることで、新しい世界が生まれる。”
と記している。
*直観 に関しては,
”直観とは、将来起こる出来事のイメージであり、科学的にも、
人間の能力であると証明された超能力である。
自分に関することもあれば、他人に関することである場合もある。
ほとんど常に、このイメージは肯定的で、生長のためになる
性質のものだ。
反対に、否定的であるものである場合は、事故が起きそうとか、
行ってはいけないような場所など、と感じるものだが、それは、
コントロールドラマ(自分の思い込み)から発した恐怖心に
すぎないか、本当に直観的な警告なのか、見極めなければ
ならない。”としている。
*”偶然の一致”と”共時性”については重なり合っているので
厳密な境界線は難しい。
たとえば、関心ある、講演会に出かけたとする。
そして、講師 にとても興味を覚えたとする。
もっと話を聞きたい。すると、夕食を食べに行ったレストランの
隣のテーブルで 講師が一人で食事をしている。
これは、偶然の一致でもあるし、共時性ともいえる。
”その人物と もっと、話したい”という願いが 叶ったの
かもしれない。
共時性を高めるためには直観も必要である。
その講演会に行く方が良いだろうというのは ほとんど直観、
もしくはふとした思いつきで決められたのだから。
仕事で行く以外は別として、自由行動では、自分の意思と感情が
それを決めるが、最終的には 直観だ。
”~したほうがいいだろう”
”~は今しないと、後では遅すぎるだろう”
とか感情想念でいろいろ思っても、いざ、足を前に出してみよう
としても、運ばないときがある。
”やっぱり、やめよう”
あるいは、計画がなくても、フト感じて”行こう”になるかもしれない。
この ”フト” が肝心で、直観が作用する。
”自分の想いに良く注意していると、何をなすべきか
どこに行けばよいか、直観を受け取るようになる。
それは最初は曖昧でわかりにくいかもしれない。
しかし、将来、起こりうる出来事に関する予感でもある。”
とジェームズ氏は語る。
講演会の場合、直観で、すでに、行くということは決定
されていた。
そして、講演会に行って、偶然的な出会いをし、
共時性体験を可能にする。
必然の偶然であることがわかれば、講演者と個人的な話を
したい願望が 夕食で立ち寄ったレストランで可能になるかも
しれないわけだ。
さらにジェームズ・レッドフィールド氏は内なる自分と
繋がった指標の一つとして、”輝きを増す”ことを挙げている。
*”輝きを増す”というのは、特定の場所や物が、
”特に 目だったり注意を引いたりする現象” のごとく、
輝いて見える のだ。
ジェームズ氏は、この体験を重ねると、旅の途中で
どちらの方角に行くか迷ったとき、方角を決めることに
応用できると言っている。
そのルートが魅力的に見える、それだけでその感覚を
信じていくと、強力なエネルギーで自分をひきつけて
いることも感じられるという。
それは、大自然の中で 自分のニーズにかなった行動に
適応できる方法だと付け加えている。
そこに行くことで人はパワーを感じ、瞑想したり
神秘体験(自分の内なるパワーとつながる)をすることが
できると自らの体験をもって、ジェームズ氏は述べる。
このようにして真の自己を知り、結びついて、変容が
もたらされる。
最後に、こうして結びつくとどんな自分の意識変化があるのか
氏の著書から抜粋してみる。
”大いなる自己の意識レベルには否定的な出来事はない。
もし 否定的に見える物事があっても、それは 挑戦を
意味している。
善悪の状況の中には、必ず、生長のチャンス があるのだ。
私たちが成長する上での危機や行き詰まりは
それまでとは、別の方向に行きなさいというメッセージに
過ぎないと考えられるようになる。
大いなる自己は その試練の中に新しい計画が
芽生えているのを知っているのだ。”
こうして内なる自分とつながったときに神秘体験を
人は経験するかもしれない。
アートマセラピーのことで恐縮だが、
セラピーが終わると、ほとんどの方が”ああ、体が軽い”
といわれる。
”なんだか体の重さがあまり、感じられない。
このまま、どこまでも走っていけそう”
とか、
”終わった後は、重力があまり感じられない。
階段を下りていてもフワフワした感じだった”
とか言いながら、帰って行かれる。
神秘体験の一つの表現が”軽くなる感覚”といえそうだ。
内側からあふれるエネルギーを感じ、
筋肉の緊張やストレスがほぐれていく体感でもある。
手足を動かすと、そのエネルギーが
体の中心から伝わるために
動作所作が軽くなったようにも思えるだろう。
先日の超常体験の中でもふれたように、
神秘体験は 運動、たとえば、ゴルフや武術の動きからも
感じることができるかもしれない。
それは、人間が自らの”内なる存在の源とつながった”
という 何らかの自覚を感じられた時でもある。
神秘体験を待つまでもなく 日常の生活の中で
自分自身の源と離れないよう、生活する術を
レッドフィールド氏は紹介している。
”朝、ベッドから起きたときに 指標を想いだす。
私たちはそうすることで神秘体験に近づくことができるだろう。”
標や指標 というのは、自分の本質が
愛と供給と喜びの存在であるということを、魂から心に語りかけ、
思い出させる
ことである。
”今日一日、私は、誰にも 不快な思いを与えない。
私の本質である、愛 を与え、相手に安らぎを
与えることが私の本来の喜びだからだ。”
というような 積極的な言葉がけを行う。
或いは、
ソーハム呼吸(ブログ10月2日 ハヌマン神と孫悟空:
ソーハム呼吸の極意 参考)
をする方法もあるだろう。
自分の本質に繋がる、ぶれないでいるためには
潜在意識に 畳み込んで真実を植え付けることを
短いひと時でも、毎日、練習していく方法が一番だ。
寝る前のほうが、心理学的に効果的だという説もある。
ならば、寝る前と起き掛けに行えば一層効果は倍増
するだろう。
愛がある限り、私たちは 内なるエネルギーと繋がれる。
誰がどうだ、こうだ という前に、自分自身が自分の本質
と繋がっているかどうかを内省する機会になるかもしれない。
究極の”平和の心持”とは そこに行きつくことだろう。
一人ひとりが 各自そのような指標を毎日の日課として
行えば、仮面劇や弱肉強食の定理が必要でなくなり、
個人の意識変革のみならず、自分の周囲にその輪が広がり、
家庭から社会への変容が試みられるのでは
ないだろうか・・・
参考:
ジェームズ・レッドフィールド
”聖なる予言” 角川文庫ソフィア、1996
”第十の予言” 角川文庫ソフィア、1997
”聖なる予言 実践ガイド” 角川書店、 1995