様々な無意識にかぶる仮面・・平成25年10月06日
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心身ともにリラックスする場所。
家庭はそういう所だというイメージがある。
たぶん 多くの場合はそうであるだろうし
反対に、家庭の中で、ストレスを昂じている
人たちもいるかもしれない。
それは、傍からは 気が付かないし、見えない
”仮面劇”が繰り広げられているからだ。
そして、家庭仮面劇に幼いころから
巻き込まれて育ってきた子供たちは、
その影響を引きずることになる。
学校で、職場で、人間関係に ストレスを感じ、
登校拒否や心身症、社会に出てからは、
躁うつ病など、社会不適応障害が
見られることもある。
(以下からは、10月4日の前編内容の続きとなります)
(4)と(5)尋問者と脅迫者
(1)で述べた征服者を演じるのに、
(4)と(5)の尋問者や脅迫者という
具体的な仮面をかぶる場合が多い。
尋問者の特徴は、文字通り、相手を、
それとなく、尋問しながら会話をすすめる。
会話が攻撃的になりやすい。
他の人のエネルギーを取るために、
批判的になっていくからだ。
J・レッドフィールド氏は次のように 述べる。
“尋問者の コントロールドラマは現代社会に
蔓延しているドラマでもある。
尋問者がいると、私たちは 常に自分が見張られて
いるように感じられる。
同時に 自分ができそこないで、自分の人生さえ、
やっていけない人物の役を押し付けられたかのように
感じることもある。“
尋問者は相手をそうした感じに引き込んでいくが、
それは、例えばこんな会話がきっかけだったりする。
“その服装はあなたの仕事に相応しくないですね”
とか
“あなたは家の中をキチンと片づけておけないでしょう”
これらの会話は引き金にすぎない。
誰でも、人生に かつて、”失敗している”
という思いはあり、
“それを正さなければならない世界“
があることも承知している。
だから、他人から こうした尋問をされることで、
相手のペースに、自然誘導されていってしまいがちだ。
尋問者の無意識の戦術は、私たちがこうした糸口から、
尋問者の世界観を受け入れさせていくことにある。
いつの間にか、聞いている方は、相手の尋問者の言葉
を受け止めていく。
すると、自分の落ち度を認めざる得ない心境になるにつれ、
尋問者にエネルギーを与えていることに、
気が付かないまま、会話が進んでいく。
(5)脅迫者
レッドフィールド氏はこう定義する:
“最も、攻撃的なコントロールドラマは、
脅迫者の戦略である。
こうした人のエネルギーの場に入ると、すぐにわかる。
なぜなら、エネルギーを奪われて居心地が悪く
感じるばかりでなく、危険を感じさえする。
周りの世界が急に脅迫的で手に余るものに感じる。
脅迫は、自分はいつ、激怒して暴力を振るうか
わからないぞ、とほのめかしたり、行動で示したりする。
人を傷つけた話をし、家具を壊したり、
物を部屋の向こうに投げつけたりして、自分の怒り
がどれほどかを見せつけたりする。“
彼らの狙いは、脅迫することで、
相手が、彼に完全に気を奪われてしまう状態を
作り出すことだ。
それによって、私たちのエネルギーは吸い取られていく。
人は、誰かが自制心を失って危険なことを
やり始めそうなとき、、相手の観方に譲歩して、
自分の身を守ろうとするようになるのを
脅迫者のは知っている。
脅迫者にならざる得ない背景には、
幼児期、これまで述べてきたいかなる仮面も、
親の愛情を勝ち取るために通用しなかった~という
親の無関心さ や 愛情不足があるのだろう。
愛情や注目という、親の意識を振り向けて
もらったことのない彼は、周囲から完全に孤立して
きたという意識がしみついているだろう。
幼児期の彼の目には 暴力と敵意が満ちた世界に
誰も彼を助けようとする人もいなかったという、
過酷な現実が映っていたのかもしれない。
拒絶され続け、信用されず、周囲の誰もが
自分への加害者だと映る世界観が造られたとき、
ヒトは脅迫者の仮面をかぶる。
だが、どの仮面をかぶっても、コントロール劇を
演じる事は可能だ。
それは、シナリオがない、演出家のいないドラマ。
母と子という 一番 基本的な、”家庭劇”
から始まり、一生かけた”壮大なドラマ”
に発展していくかもしれない。
幼児時代に かぶった(かぶらされた)仮面は
生長するにつれて、ほかの仮面と交換しながら、
外そう と思わない限り かぶり続けることだろう。
そうして、コントロールドラマは、永遠に続く。
自分自身を守るため
あるいはエネルギーを充足させるために
その人にとっては 生きていくうえで
大事な仮面 であることは間違いない。
コントロール劇の無意味さを知るまで
本人は、
仮面をつけているいことにすら、気が付いていない
かもしれない。
仮面劇の仮面を取るとき、
何がきっかけになるのだろう?
エネルギーが不十分なとき、不安なとき、頼りないとき
充たされないとき、特に、他者からのそれを
得る必要がないと 気が付きときかもしれない。
私たちは誰でも、男性的、女性的 両方の側面を
兼ね備えている。
そのことに気が付いて、それを応用することも
仮面劇に終止符を打つ、大切な要素だと
いわれる。
その続きは 次回のお楽しみ・・・・
参考:
ジェームズ・レッドフィールド ”聖なる予言”
角川文庫ソフィア、1996
”第十の予言” 角川文庫ソフィア、1997
”聖なる予言 実践ガイド” 角川書店、 1995