不動明王のルーツと日本に渡った密教
平成25年10月16日
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お不動さんは日本人にとって馴染み深い神様だ。御不動さんは、
私たちのドロドロした下界のエネルギーを高次元の霊的パワーへと
火で焼き尽くしながら昇華させる、タントラ密教にゆかりのある
神様であるというお話しが今日のテーマ・・・
幅広く信仰されている。
不動明王の起源はアチャラ・ナータ [acala naatha]だと、
辞書には出ている(*1)。
多くの日本に伝わってきている仏教関係の神様は起源をインド
のバラモン教に置いている場合が多い。
たとえば、弁財天がインドの、財の神ラクシミ女神と学問の神
サラスワティ女神(だから弁財天は琵琶を持っている、インドの
サラスワティ女神はビーナ~琵琶の由来となる楽器~を手にしている)
の混合型であるのは広く知られている。
ならば、不動明王はどこにルーツを置いているのか、かねてから
私の疑問だった。
話しは飛ぶが、伏線となるような体験があった。
筆者がインドに住んでいたとき、”第三の眼が開いている”といわれる
高僧に会ったことがある。
第三の眼 が開いている証拠に、過去・現在・未来がパノラマのように
目をつぶった脳裏にビジョンとして映るという。
筆者が20代の一時期、人前に出れないほどのアトピー性皮膚炎で
顔と首に包帯を巻いていた頃の姿も 高僧の心の深窓に映ったと
みえ、こう呟いた。
”おお、汚い肌をしておる” でも、”パールヴァティ女神
[シヴァ神の妻]の祝福で肌は綺麗になった。
おお、あなたの父君が娘の健康を祈っておる・・”
亡き父のヴィジョンが出てきたようだ。
父は晩年、20年間あまり、お不動さんの信仰に厚かった。
父は生来、まったくの無神論者であったが、40年間 生業
(なりわい)を続けた東京・新宿を去り、現在の相模原の地に
居住を移した際、購買地にまつわる因縁を気に留めた。
その際 土地のお祓いする神主さんのほかに、お不動さんを
信仰する祈祷師も呼ばれ、この方と懇意になり、地鎮祭が
きっかけで人生最後の20年間、お不動さんの 敬虔な信者
になったのだ.
印度の高僧は、情報を何も与えていない筆者に、
突然こう切り出した。
“父上はネパール人かな? シバ神をこよなく、
深く信仰されている~その恩寵が娘である、汝に
シバ神の伴侶、パールヴァティー女神より与えられた・・・”
この父の祈りが届いて、私の健康と、肌の汚さが癒えたのだ
と高僧は語った。
そして、ほかにも、第三の眼で見えるヴィジョンを次々を
語り始めた。父がネパール人だと思われたのは、顔の骨格が
少々日本人離れしていたせいだろう。
その日の一番の収穫は、その高僧の質問から、父の毎朝、
祈りをあげている不動様が シバ神と同一かもしれないと
いう思いを強くできたことだった。
実際インドにきて、15年来インドの地で暮らし、シバ神は
私にとってとても身近な神であった。
私が師と仰ぐサイババ師は、ご自身で”シバ神のアバター
~生まれ変わり”と称してもいた。
ところで、シヴァ神は、以前、ブログで ”黒魔術の体験”
でお話ししたように、タントラ密教と 密接な関係を持つ”流派”
に深い関わり合いのある神様だ。
最近、その確信が文献を見ているうちに、そうした観点からも、
シバの神と、お不動さんが同一の神である可能性の裏付けが可能
かもしれないと次のような根拠をもとに、考えた。
根拠1)
”倶利伽羅(くりから)竜王” という神がいる。
クリカラ竜王は、魔王の剣に巻きつき、智慧の剣と変えるという。
その倶利伽羅(くりから)竜王が 不動明王であるという説がある。
倶利伽羅 の クリカラ は、語源がサンスクリット語の
カーリー(黒) に当たる。
”カーリー” は ”黒い” という意味であるから、”光が無い”、
つまり、”不明”であり、不動明の不と明 の文字が
不動明王の由来になっている説だ。
根拠2)
もう一つの説がある。
カーリー神こそ、タントラ密教の女神でもある。
タントラ密教とチベット密教との結びつきを考えて、
カーリーは、陰、一方、”陽の本体” は、夫である、
シヴァ神の資質であるから、不動明王の起源がシヴァ神
であるという説である。
根拠 3)
怒り狂ったカーリー女神が 多くの生首を自分の体に
身に着けて、殺人を繰り返している最中・・
それを阻止するために、夫である、シヴァ神自らカーリーの
怒りの前に姿を現した。
女神は、夫と気がつかず、夫シヴァ神を大地に叩きのめし、
足で踏んづけようとする寸前、顔をよく見れば なんと、自分の
夫ではないか!
そこで ハット、我に還ることができて、それ以上の、殺略
が止められたという。
奥さんのカーリー女神に踏みつけられているシヴァ神
その踏まれているシバの神こそ、アチャラ・ナータ
[acala naatha]と呼ばれている。
この名前は、密教 において、冒頭にご紹介した不動明王
の印度での名前そのものである。
根拠4)
倶利伽羅竜王をシヴァ神 とするのも一理ある。
竜王は、4足で体を支える。
それぞれの足に名前がつけられているが、その一つが
クンダリー二 ~(煩悩を神聖なエネルギーとする蛇形
の上昇道)という、人格神の名で呼ばれる。
つまり、ここにエネルギーが上昇して煩悩を焼きつくし
覚醒のエネルギーへと姿を変え、人を悟りへと導くのだ。
不動明王が 火に包まれて赤い炎とともに描かれているのは
まさに、この焼き尽くされ 燃え上がる炎、昇華するエネルギー
とともにあるからと考えられるとすれば、倶利伽羅神の役目も
ここにあるわけで同神 とする説も成り立つ。
真言密教では、タントラ派の教え ”煩悩即菩提” の言葉
通りに、煩悩の肯定をもって、“煩悩 断じて、智慧の火焔と
化す”と理解される。
ヨガを勉強している人には、馴染みの深い 話しだと思う。
つまり、エネルギー(プラナ)は第一チャクラから
第七チャクラまで 言い換えれば脊柱の最下部から 三周り半
巻いた蛇のような形で最上層のチャクラ、頭部天へと向かう。
ヨガや呼吸法、瞑想の目的は、この クンダリーニを開き、
潜在エネルギーを上昇させていくことでもある。
それを目指して、意識の霊的な覚醒化をはかる。
(根拠4)で述べたように、日本に 密教が伝わって、
このクンダリ―ニが人格神化する。
文字通り、クンダリーニ神という。
漢字では、軍茶利明王 という。
この明王は象徴的に蛇を身につけている。
日本へ入る前、密教はチベットで盛んになるが、その後、
弘法大師が真言密教として、日本に伝えたとき、明王と
身にまとわりつく蛇の御姿はそのまま、伝えられたようだ。
その様子は、まるで、神聖なるコブラを身につけ宇宙ダンス
をするシヴァ神そのものでもある。
日本本島には コブラは気候的に棲息はしていないが、
それに代わるものとして、蛇が、一般的な神聖な生き物~
とみなされたようだ。
弘法大師は”蛇の見解” として、 深い意味付けをしている。
著書”5大明王義” には、次のように書かれている。
“この明王は 小自我意識 を転じて、偏見なく、平等に
見ることができる智慧を得るための断惑の姿であり…略・・
生きた4種の蛇を身に12蛇まとい、その意味するところは
以下である。
唯識論の第九には、凡夫の位には、小我意識は 4種の煩悩
と常にともに在り と言われる。
それは、我痴、我愛、我執、我見 である。
故に、この蛇を生きながら身にまとうのは、大乗の真意は
’煩悩と菩提の体は無二平等’と観ずるからである“
つまり、煩悩 即 菩提 である真言密教の教えの象徴として
蛇(煩悩)を持って、菩提に導く、としているからだという。
この弘法大師の言葉をもって、密教が インドのタントラ哲学と相
通じる教えを共有していることが良く理解される。
蛇、つまり、クンダリーニ の エネルギーの道を覚醒
せしめるのは、煩悩であるというのだ。
煩悩(心中・恋愛沙汰・闘い・不条理)を演じた日本の歌舞伎
を初め、煩悩のしがらみで酒を飲まずにはいられない人たちの
心を、ひとまとめに、御不動様は受け取り、そのまま、浄化
せしめて高いクンダリーニ神のエネルギーとして昇華させる。
そんなところからも、御不動様の信仰を多く
の人たちから集めている 魂レベルの理由があるような
気がする。