プロブレム、それは思考そのものに有り 2014・4・11
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今まで 長きにわたり ヒューレン博士の
メソッドを取り上げて来たのには理由がある。
自然治癒力を理屈で語るのは簡単だし、臨床例を引き出して
語ることも一つの方法。
でも”そのための力をどのようにして得るのか?”
と聞かれた場合、自分の中で”本当の自分への自信を見つけて、
’ストン’と腑に落ちるしかない”という抽象的な答えしか
できない。
体験して、納得する。
頭ではなくて ハートでわかる。
理屈や理論ではなくて、共鳴できる感覚は、実は実践以外に
達成できるものではないだろう。
どのような実践なのだろう?
セラピーを受ける。
本を読む。
そのほかにどういう体験をしたらよいのか?
ヒューレン博士のメソッドを筆者は知り、自分で確かめ
数か月たって、皆様にご紹介することにした。
もう一つの理由は、そのシンプルな考え方だ。
ヒューレン博士のいう、我々の起点となる、
ゼロ地点とは、エゴや理屈の届かない’空’だと述べている。
それは、言い換えれば、アートマ地点であり、
博士の言う”神格”とは”人間の本性”でもあるという
ところは、拙協会の提唱するところと一致する。
病とは?どう捉えてられているのだろう?
疾病も環境も、”すべて自分の心の影である”~と博士は言う。
今 自分自身の周りに現れている現象の
”100%の責任は自己にあり”とする博士は、病でさえ
(自らのみならず、家族や触れ合い、知りあった友人の)
自己責任であると徹底した観方を貫いている。
ヒューレン博士の方法、即ち、記憶を清める、
ゼロ地点に持っていくというその方法は功を奏し、
多くの人達の関心を引いた。
それでも、すべてが、博士の意見を賛美したわけではない。
ヒューレン博士がそういう声にこたえて、自らまとめた
文章がある。
引用したい。
”真実を語ろう。
1・ 私は数年間、ハワイ州立保健課が運営する
精神科施設、ハワイ州立病院の俸給制職員心理学者として
働いた。
2・ 私は1984年から1987年までの三年間、職員心理学者として
週20時間、殺人、レイプ、薬物使用、および対人暴行傷害
対物棄損の罪に問われた男性患者を収容する
高度セキュリティーユニットで働いた。
3・ 1984年に私が同ユニットに入ったころ、隔離病室の
すべてが凶暴な患者たちに占有されていた。
4・ 同ユニットないでは、他の患者への暴力を防ぐ目的で
常に数名の患者の足首と手首に金属製拘束具がかけられていた。
5・ 同ユニットないでは、患者による患者や職員への暴力は
日常茶飯事だった。
6・ 患者たちは治療や更生訓練に友好的に従うことはなかった。
7・同ユニットないでの更生訓練活動はなかった。
8・ 同ユニット内での、活動、娯楽、労働はなかった。
9・ 同ユニットに患者の家族が面会訪問することはきわめて
稀だった。
10・精神科医の文書による許可なく、患者が同ユニット外に出る
ことは許されることなく、また、足首、手足の拘束具着用
を義務づけられた。
11・ 同ユニット滞在は、平均的患者で数年間におよび、
年間費用は私の知る限りで三万ドル前後だった
12・ 病棟職員の病気休養率が異常に高かった
13・ 同ユニットの物理的環境が灰褐色で荒んでいた。
14・ 同ユニット職員は基本的に有能で献身的な人々で
更生されていた。
15・ 以上は、おそらく我が国のどこにでもある精神科
ユニットと同様だと思われる。
私は1987年に同ユニットおよび、施設を退職したとき、
1・隔離病室はもはや使用されていない状態だった。
2・手首・足首の拘束具は使用されていなかった。
3・新規入院の際にありがちだった暴力行為はきわめて稀になった。
4・患者たちは、居住設備整理整頓、労働、ユニット、
および施設退院前の法的義務を含む
自己管理について、責任能力を有していた。
5・ジョギングやテニスなどのオフユニット娯楽活動が
精神科医の許可や拘束具着用を必要をせず、
行われるようになった。
6・車の洗車などのオフユニット労働活動が、精神科医
の許可や拘束具着用を必要とせず、
行われるようになった。
7・オフユニット労働に、クッキーを焼くことや、
靴磨きが追加された。
8・家族の面会訪問が頻繁に行われるようになった。
9・職員の病気休暇はもはや慢性的問題ではなくなった。
10・ユニットの物理的環境は、塗装やメンテナンスと
人々の気遣いによって、著しく改善された。
11・ユニット職員はより積極的に患者の責任能力を
00%に近づける手助けをするようになった。
12・入院から退院までの所要時間が、数年から
数か月へと著しく短縮された。
13・患者と職員双方の生活の質が互いへの気遣いに
よって、管理関係から家族的なものへと劇的に変化した
ユニットの職員心理学者としての領分で私がやったことは、
ユニットを訪れる以前、訪れている間、辞した後に、問題
として私が意識的、かつ無意識的に体験する物事について、
その時の私の中で何が起きていようと、ホ・オポノポノ
経由のセルフアイデンティティーによる悔悛、赦し、
変質のプロセスを実践することだった。
ユニットの患者にセラピーやカウンセリングを
行ったことは一度もない。
患者に関する職員会議に出席したこともない。
私は全幅の責任を負って、職員心理学者としての問題
を私の内にもたらしたものを清めることに専念した。
私 ’I AM’ の創造物であり、万人万物とともにある、
不完全なるものは嘘[須田注・迷妄]であり、審判悔悛、激怒、
激昂として再生され、反応する記憶であり、そして、
神は魂に潜む残りの嘘をご存知である。”
と記している、
ヒューレン博士がその病棟で職員として勤務していた
頃を知る人はこう書き添えている。
”精神病院で働いていた彼は、患者のカルテを見た。
患者たちの行動に何等かの反発を感じても彼は
個々に当たろうとはしなかった。
彼自身が体験したフィーリングと取組み、
自分の中にあるものを清めたところ、
患者たちも浄められて癒されたというわけだ。”
ここまで読んでもよく理解できない方達も多いだろう。
実際、口に、言葉に出して、ありがとう、ごめんなさい、
赦してね、愛しているよ~と 口ずさんでいただきたい。
何も考えずに・・無意識でもいいから、一度だけでも・・・
心の奥に何かが響いていくのがわかるかもしれなしゅうい。