先生を主役の1人としての、イギリス映画ロードショー 2014・4・17
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前書き)この記事と次の記事に出てきます永瀬隆先生は、直接、
自然治癒力セラピー協会とは関係はありません。
しかし、私どもに多大な影響を与えてくださった方として、、
今回、永瀬先生を主人公とする映画が完成したようですので、
そのお知らせをさせていただきます。
国際読売平和賞もおとりになったほど、戦後処理をただ一人で
できる範囲でもくもくと私財をなげうって奥様とともども、続けて
こられました。
人間の未熟さ、素晴らしさ、平和、戦争、罪と赦し、などなど、
多くの課題を先生自らの生き様から、私たちに教示してくださいました。
2014年3月14日の夕刊に 次のような記事が出ていた:
”安倍晋三首相は14日午前の参院予算委員会で慰安婦問題をめぐる
1993年の河野洋平官房長官談話について’安倍内閣で見直すことは
考えていない’と述べたという。
つまり、慰安婦の問題は象徴的で、日本軍の行った他国の一般市民
を苦しめた諸々の”非人間的行動”は、すでに謝罪を表明しているから
それ以上、それ以下でもなく、現状維持のままということらしい。
戦争の傷跡は今もまだ、生々しく世界のどこかで、誰かに、
忘れられず、癒されず、残っていることに思いを馳せる記事だった。
私たちの多くは戦争を知らない世代である。戦争が何故この地球上
に絶えないのか?
内戦・紛争を含めて、今も地球のどこかで誰かが傷ついている。
戦争が何故起きるか?あるスピリチュアリストは
"蒸発した水蒸気が雲をつくり飽和点で雨になるように、人類の
憎しみの想念の塊(かたまり)が或るとき、飽和点に達して、
地球上のどこかでそのエネルギーが噴煙をあげる形を
とるから戦争になる" と言っていた.
つまり、戦争の種は私たち一人ひとりの心のねたみ、怨み、
悲しみなどの想念が関与しているという。
これも一理ある。
戦争は、平和な日本に住んでいると、遠い話題のような気もするが、
今日ご紹介する映画をご覧になると、何かを考えるきっかけに
なるかと思う。
ヒューマニズムについて?戦争の不条理について?そして、人の心
の不可思議さについて?
今月19日から全国でロードショーされる映画がある。
今日と次回にわたって、このお話しをさせていただきたい。
題名は レイルウェイ~運命の旅路~。
アカデミー賞受賞俳優、コリン・ファーズ と ニコール・
キッドマンが主演を務め 日本からは 真田広之が出演している。
実話をもとにしている。
第二次世界大戦、戦場にかける橋(*1) という映画でも有名
になったタイ国カンチャナブリで インドインパール作戦の
日本軍の軍事物資輸送用に着手された、ビルマまでの鉄道
(タイメン鉄道)に、従事した連合軍捕虜の話だ。
その時に日本軍の通訳をしてかかわっていた永瀬隆氏と主人公
ロマクス氏との関係がこの映画の鍵を握る。
日本人兵士たちの非人道的な捕虜への暴行・暴言・仕打ちに対して、
元捕虜だった主人公は、憎しみ・悲しみ、屈辱を忘れられず、
苦悩し、精神的疾患で苦しむ前半。
後半は永瀬氏との邂逅の下りにおよび、目をそむけたくなる捕虜
時代の赤裸々な拷問を深く凝視して、抉り(えぐり)取って観客
に見せる。
それはまるで、他の細胞すべてを飲み込んでいく癌細胞のような、
醜悪な憎しみによって、壊疽された肉片をつきつける側、
つきつけられる観客側の双方の溜息の中で、映画は進行していくか
のようだ。
筆者は、この映画の試写会に2回お誘いを受けた。一度目に拝見
したときは、後半脚色されている部分、つまり、私が知っている
永瀬氏の体験とは異なるところに、かなり抵抗を感じた。
永瀬先生をよく知っている人たちは、’この映画を先生にお見せする
前に先生があの世に旅立たれてしまい、それは、ある意味、
良かったかもしれない’と語り、もし、先生がご覧になったら、
’わしは、あんな風にふるまっておらんぞ’とおっしゃるに
違いないと思った。
しかし、二度目に見た試写会は それも、テーマを追求する
あまりの演出と心得て冷静にしかも、映画に吸い込まれていく
自分を発見した。
悲惨な戦争体験が、人に与えた苦悩苦悶の大きさと、それが最後
の最期で、これほど美しい花を咲かせる結末に、涙した。
永瀬先生の、決して私たちに見せなかった心奥の慟哭が伝わった。
日本軍の一人として、同じ人間同士の心を持つ捕虜に対する
拷問を見続け、捕虜とともに苦しんでいたという事実に
涙があふれた。
永瀬先生とその役になる真田氏
筆者がタイにかかわって、すでに数十年たつ。永瀬先生とタイで
お会いした当時は、バンコックの大学で日本語を教えていた。
そもそも、タイとのかかわり合いの発端は、永瀬先生とのご縁だった。
先生と初めてお会いしたときは岡山だった。その時、数十回の
タイへの慰問訪問をしていた先生に誘われて、タイへの慰問旅行や
元捕虜との和解の再会の場などに参加した。
その頃、元捕虜のレオ・ローリング氏に、永瀬先生を通して
お会いした。
この映画にも、主人公が回想するシーンで出てくる残虐な
連合軍に対する拷問の絵はレオ・ローリング氏の手によるものだ。
レオさんとは岡山でお会いして、彼の拷問の絵を主体と
した本を拝見したことがある。
その本は、戦争当時、捕虜となって、タイメン鉄道建設に
従事していたレオさんが、赤痢に悩まされながら、皮と骨に
なった体に鞭打って、昼間は日本軍の命ずる肉体労働に従事、
空いた時間、草や根っこの汁などを利用して 密かに当時の
状況を克明に描き記録とし、それを永瀬先生が日本で
自費翻訳出版したものだった(注2)。
3年前、永瀬先生の亡くなるひと月前、岡山のご実家にお見舞い
に行った際、絞り出すような声で”もう一度、この部分
(上記本のタイメン鉄道建設のシーン)を監修して、ローリング
氏の絵をつけて、世に問うて欲しいのじゃ”
とおっしゃった言葉が最後の先生のこの世でお言葉となった.
さて、この映画は1918年生まれの 主人公、エリック・ロマクス
が捕虜となり、タイメン鉄道の建設に従事。
その際、日本軍に受けた拷問や非人道的虐待がもとで生還しても、
フラッシュバックが続き、精神的後遺症と日本軍に対する憎しみ
で悩み続ける日々が前半は描かれている。
その事情を知らず 結婚した妻のパトリシア夫人。
夫に対する深い愛と 夫の傷をいやすための夫人が戦争の傷跡
ともいえる夫の苦悩を共有していきながら、献身的に協力して
いく二人の絆が描かれる。
後半は、もし、生き残りの日本兵と生涯出会うことができたら、
”滅多打ちに殺してやりたい”、と思い続けていた主人公が
日本軍の生き残り、永瀬氏の存在を知り、その揺れ動く心
と、カンチャナブリで永瀬先生と合うまでの葛藤と苦悩が
絵が描かれ、最後に、二人の、邂逅というクライマックスシーンに続く。
この映画の試写会にあたって、北海道大学教授山口二郎氏は
”戦争における人間の罪をどのように記憶し、
その罪をいかにして許すか、
深く考えるために、今、まさに必見の映画だ”と述べている。
阿倍首相のブログ冒頭の言葉も、この映画の試写会後とても平面的
に感じられてしまった。
戦争地獄の絵図の中で、どのような傷をお互いに与え忍んできたの
か知ろうとする努力は、真の平和を造るために決して無駄な
ことではないだろう。
いまだ戦争の傷跡に苦悶している、人達の心に謙虚に理解を
もって対することはどういうことなのかと、それぞれの立場で、
私たち一人ひとりが考えなおすことが大切だというメッセージ
をこの映画から受けとったような気がする。
nagase先生
*1) 戦場にかける橋
1957年に公開された英・米合作の戦争映画。
第二次世界大戦中の1943年のタイとビルマの国境付近
にある捕虜収容所を無体に、
日本軍の捕虜となった英国軍兵士らと、強制的に
タイメン鉄道建設に従事させようとする
日本人大佐の対立と交流が描かれている。
第30回 アカデミー賞作品賞を受賞。
(*2) ”泰麺鉄道の奴隷たち”
("And The Dawn Came Up Like Thunder")
レオ・ローリングズ絵と文 永瀬隆訳
発行所:青山英語学院 昭和55年
1980年貴重な限定版の一冊を、永瀬先生(*3)からいただき、
倉敷のアイヴィー・スクエアでローリング氏と
お会いして、サインを頂戴した。
(*3) 永瀬 隆 (ながせ たかし)氏
1918~2012]1943年タイメン鉄道造作戦要員として
タイ国駐屯軍司令部に充用。
1964年からタイ巡礼を始める。以後毎年行う
1965年、タイからの留学生受け入れ開始
1976年、クワイ河鉄橋で元連合軍捕虜と初めての和解の再会を果たす
1986年、クワイ河平和寺院建立、クワイ河平和基金設立
1991年、ロマクス・パトリシア夫人から手紙を受け取る
1993年、ロマクス氏と再会
1995年、クワイ河鉄橋で第二回目の元捕虜たちとの再会
2002年、英国政府から特別感謝状授与
2005年 読売国際協力賞受賞
2006年、クワイ河鉄橋付近にタイ人有志による永瀬氏の銅像完成。
2008年、山陽新聞賞受賞
2009年、最期の巡礼に妻桂子さんと出かける。