自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ポカンとすること~臍下丹田~腹式呼吸

2014年04月27日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

ポカンとする意義  2014・4・26

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少々古い話で恐縮だが、昨年暮れから今年の正月にかけて

要介護3の母のデーケア―が年末正月休みに入った。

実家に戻った私は、実母と、2週間共に生活した。

 

暮れから元旦にかけて 海外にいてバラバラに,年を迎えた

我が家の家族は、1月7日から10日間バンコクで集合して

家族が顔をそろえて、実母ともども過ごすことにした。

去年の暮あたりから、ニュースでは、タイでの政情不安が

報じられ、民衆を巻き込んで デモなどが繰り広げられ

いるニュースが日本にも伝わっていた。

 

これまでの経験から、日本での報道は現地の実際の状況と

異なる場合が往々にして多かった。

やはり、バンコクに着いてみると、確かに、目の前の道路で

デモ行進に遭遇したりしたが、それほどの緊張感は感じられ

なかった。

むしろ、母の健康状態のほうが心配といえば心配だった。

 

担当医師からは いつ脳梗塞や、くも膜下出血がおきても

おかしくないと、数年前に太鼓判を押されて以来の母

渡航となったからだ。 

実際、出発前、高血圧で210を記録していた。気にしていたら

とても海外旅行は無理なのだが、車いすを利用したり現地

ではタクシーで移動するなど、こころがけて、どうにかこう

にか無事に旅を終えることができて、ホットした。

 

そして、帰国した翌日。

町田市主催のNPO祭り”街カフェ”の準備日を中一日おいて、

1月19日の本番を迎え、皆様のご協力を得て、楽しいひと時を

過ごすことができたと思う。そうこうして、2月になり、

昨年12月後半からの張りつめた忙しい日々の中、”ポカン

する時間”が必要だと感じた。

 

ところで、”ポカンとする”というのは面白い表現だ。

何かリラックスしようとか、意識の抑圧を取り去るとか、無心

になろうとか、’~状態にしよう’ という目的意思があるわけ

ではく、ただただ、心を放ちさるのみの状態をこういう

らしい。

 

考えているようで、考えず、見ているようで見ておらず、

聞いているようで聞いていない。五感の働きを一時ストップ

させて、雑念にさえ煩わされず滞りのない状態に心と体を置く~

といったことらしい。

 

人は誰しも一人になりたいと思う時がある。

いろいろな理由があるけれど、ポカンとしたいからというのも

十分な理由のような気がする。別の言い回しに ”気が抜ける” 

という言葉がある。緊張と弛緩の、後者の時の心持だ。

気を抜いてもいいタイミングがわからなければ気を張るタイミ

ングもわからないだろう。

 

ポカンとするのが大切なのは、緊張をほどくと同時に心身が

み、休息を与えることができるからだろう。ポカンとするのは

だから、一人でいるときに限る。

 

心身統一にかかせない、集中力を養うために臍下丹田(せいか

たんでん)に力を入れることがよく言われる。

臍下丹田とは 臍の下約、指一本、2~3cmほどの下部に

あたる。腹式呼吸も このポイントに意識を合わせて行う。

体が全部 緩めば、背骨が崩れ、腹に力も入らない。

かといって、腹を力めばよいのかというと、むやみに力を

入れても、苦しくなるものだ。

 

臍下丹田に力を集中している武道の達人のみぞおちを触って

みると ここは緩んでいる。

臍下丹田に力をいれることは、力むことではなくここに、

心を置いて、精神集中統一をはかるようにするという意味

らしい。実際 テレビの実験で見た記憶があるが、臍下丹田

に意識を集中している武道家は、持ち上げようとしても

持ち上がらない。安定して地に足がついているような状況

になっている。

 

気学的にいっても、それは理想的状態で自然治癒力が一番

高まる、健康的な状態であるといえるだろう。気がこの臍下

丹田の集中から離れれば離れるほど不安定感がでてきて、

軽くなり、持ち上げられてしまうことになる。

 

実際の体重は変わっていないのだが、気の重心が下にある

ほど、重み感は増す。背中に負ぶっていた赤子の息子が

泣き止んで 眠ってしまうとその重みが肩にぐっと、くい

込む様に感じられたりする体験は子育ての時に、味わった。

それも赤ん坊の重心が下に下がって、体重計の重さとは

異なる、生命力の重さのような ”体感” でしかわから

ない質料感がますからだろう。

 

頭の方に気があがっていくと、興奮しやすくなったり、

考えすぎたり、ノイローゼになったり、字のとおり

頭にきた状態になる。そんなときは ポカンとする

ことはまず無理だ。だから、ポカンとしたいとき、

それは、気をどこに置いておくか?という答えがここ

にある。

 

ゆっくり呼吸をし深く呼吸をして気を臍下丹田に集中

するように置く。そして、ただ休む。

自発的に何かをしようという ”気” が起こるまで

静かに休む。その”気”が起こらないのに、無理して何か

をしようとするから余計ストレスがたまり、糸がこんがら

がって絡んでしまい、解きようがなくなるまで、無理に

無理を重ねることに鈍感になり、ますます、疲れる悪

循環に陥ってしまう。 

 

ポカンとするというのは結局 体の気の流れを自然の健康

な通常な状態に戻すためには不可欠ということ、そして、

その時こそ、腹式呼吸をして臍下丹田に意識を集中しなが

ら、余計なことは考えずにゆっくり休むことに限るという

ことが大切だということだろうか・・・

もう一つは自発性を大事にすること。自発的に、その気に

なることが一番健康的な動き方。

 

様々な健康法も、他者から押し付けられてしなければ

ならないとか体が疲れているのに、しなければいけないと

いう強迫観念で行っているのなら、その効果はどうなの

だろう。

 

本当にそれをして楽しい、それを食べて体が喜んでいる、

心が嬉しい、と感じればこそ、自然治癒力も高まり新陳

代謝がすすむものだ。

自発的に行う ということは、気もちが 乗って行える

かどうか ということだろう。

気もちが乗るとは、気 が動くこと。 気が動くとは、

順気が滞っていない人にとって、その人の体と心が欲する

ことだから、無理なく楽しく行えるのだろう。 

 

そして、順気を滞らせないために、ポカンとする時間は

必要なのだと思う。 こうして、疲れた心と体の順気が

流れれば、自然と気持ちが乗ることが見つかるだろうし、

その時に行動に移すことで、充実した結果が伴うのだろう.

 

 

 

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