自覚すべき霊力とは? 平成25年7月15日
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連休二日目、東京郊外は
このところ、少し曇り空ですが、夕立なども
ところどころ来たりして、少し涼しい風が 心地
良い、今日この頃です。
皆様の住んでいらっしゃる処の陽気はいかがですか?
今日は、少し、重たい話ですが、よろしければ、
お付き合いください。
数日前に
霊的・精神的なものを捨てていくように
と示された方向性について、
追記ブログの形で書かせていただいた。
そのことについて、関連して、ここに、キリスト教でも、
一元論の立場を保持する、クリスチャンサイアンス
創始者、エディー夫人の言葉がある。
これを改めて、掲載させていただき、霊力の意味を
再考してみたい。
1)The divine Mind maintains all identities,
from a blade of grass to a star,
as distinct and eternal.
2)The questions are:
What are God's identities?
What is Soul?
Does life or soul exist in the thing formed?"
3)Nothing is real and eternal, -nothing is Spirit,
-but God and His idea.
Evil has no reality. It is neither person, place,
nor thing, but is simply a belief, an illusion
of material sense.
4)The identity, or idea, of all reality continues forever;
but Spirit, or the divine Principle of all, is not in Spirit's
formations.
Soul is synonymous with Spirit, God, the creative,
governing, infinite Principle outside of finite form,
which forms only reflect.
(70~71)
(自然治癒セラピー協会・日本語訳)
1)神性(アートマ)は、一枚の草葉から星に至る
まで、すべてのものの、個性と永遠性を保って維持している。
2)ここでの質問は、何が神の アイデンティティ―で
あるのか?魂とは何か?生命や魂が 形づくられたもの
の中い存在するのか?
3)神および、神の理念以外には 真の霊性(大文字から
始まるSpirit)はなく、実在しているといえないし、
永遠性もない。
悪 は実在していない。
悪(がいる場所は)は人間でもなく、場所でもなく、
物でもなく、単なる信念、即ち (人の)物質的感覚の
幻想にすぎない。
4)実在するものすべての本体と根底にある理念は
永遠に存続する;
しかし、真霊 すなわち 私たちすべてのものの
本質的神性原理は 形成物の中に存在するのでない
(注:本質的神性原理が形成物を造りだしているの意味)
魂 (注:大文字で始まるSoul)は、霊・神・創造性、
無限の原理、の同意語であり、
幻影なる形態の中に、それらの資質を反映させて、
真の永続性を(形あるものに)与えている。
ここでは、エディー夫人は、魂、神性なる霊、
神、の言葉を、同じ意味合いとして、使っている。
そして、(4)で言うように、形あるものだから
こそ、エディ夫人は(4)で、私たちの肉体や、
生きとし生けるものの形態や物質にいたる形成物
までも、神性原理が存在して 永遠の資質を本性
に宿しているという。
そういう意味での霊(spirit)は大文字で始まる
Spiritとして示されていて、形あるものが先にあって、
その中に Spiritが入ったのでなく、
Spiritによって、形あるものが造りだされたと
(3)で述べている。
霊の形成物、すなわち、それは 私たちの
エゴ意識を主体とした肉体と精神が創り上げた
物を指す。
私たちの本質は永遠なる資質である。それは、
私たちの霊に、永続性を与えるために、
神性原理が根底に流れているからに
ほかならない。
私たちの本質はその反映として現れていると
エディ夫人は、ここで、いう。
ややこしい言い方ではあるが、単純にいうならば、
(1)と(3)に 書かれている(緑色の枠内)の、
夫人の言葉が、一元論的立場を明確に語っている。
つまり、悪はない。
自然治癒力セラピーでは、次のようにも言い換える。
悪はないから、不幸もない。
不幸はないから、不完全はない。
我々の病気や悲しみという、不完全な状況は
私たちの造りだした念の幻影にすぎないという。
したがって、悪(evil)、細かく言えば悪人や悪意、
善と悪という二元論で表される悪は存在しない。
存在しているように見えるが、それが実際
現実に、事件や不幸な事柄として我々の身の回り
に見られるが、本質的に、それらは、私たちの
幻想(人間の本質を悟らない想念の結果)として
反映(reflect)されているのだとも言い切る。
エミール大師の一向が私たちに、”霊を捨てよ”
と言った霊とは、エディ夫人の述べる、大霊
(Spirit)のことではなく、むしろ、この幻想
のジャンルに含まれる、小文字で始まるところ
のspirit, いわゆる超能力や霊的五感、霊視や
念写、テレパシーなどのそうした、霊力を
さしているのだろう。
そして、それらは、悟りとは直接関係がなく、
それにとらわれることなかれと ヒマラヤの
大師は説いているのだろう。
自己の中にある大霊を自己が認識したとき、
本質の完全さが、具現化している事象は
現実にも見られる。
たとえば自然治癒のプロセスがその一つの例だ。
自分を知ったとき、自分が自分で規制していた
ある限界の枠組みがはずれて、本来持っている
完全なる治癒力が、発揮できる。
自然治癒力のプロセスはそれ以外のなにものでも
ないと私は信じている。
参考:
" Science and Health with Key to the Scriputures"
The first Church of Christ, Scienctist, in Boston,
Massachusetts, U.S.A
by Mary Baker Eddy 、1982
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