自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

日暮し蝉 と オーシンツクツク

2012年09月13日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

カナカナカナのお話し

9月13日(木曜日)~夏も去りかけて~

 

”オーシンツクツク オーシンツクツク オーシンヨー 

オレシイヨウレシイヨ:ツ~~”

”ミ^ンミ^ンジ~~~ジ~ンミ~ン 

meen meen meen mi~~~”今は朝8時半。 

9月に入って中盤を迎えようと

しているのに、元気な蝉たちの声である。

 

”啼く”、”鳴く”~二つの漢字は、彼らの声にそぐわない。 

彼らは、何年も地下で過ごし、地上に出てきて

一週間ほどでその一生が終わる。 

種族を残すために残されたわずかなひと時を

尋常でないエネルギーを使って

”なき”つくす。 

 

その鳴き声が私には、高揚した臨場感とはかなさの

協奏曲のように聞こえる。 

だから、”泣” いているように聞こえてしかたがない。

 

彼らの最期は、余計に壮絶だ。 

苦しいのか断末魔の末なのか、狂ったように、

バタバタ~じーじー~と、

羽音と腹底から声を出して、そこかしこに”泣き”

ながら 低空飛行で体当たりしている。

束の間に、静かになったと思えば、階段の踊り場や

ベランダの片隅に 泣きがらとなって横たわっている。

 

ほんの時折、夕方 ”カナカナカナ・・・”と 

歌うような声が聞こえる。 

風情を誘う音色だ。秋風も誘われる。 

そして、小一時間程度で、chirichiri ji^ji^,スイッチョン 

スイッチョン と 秋虫が草陰から一斉に、鳴き始める。

 

”カナカナ”は ”日暮し” といわれる蝉カナ? 

西行法師の ”もののあはれ” の風情を想いだす。

…秋は来にけり・・・日暮らしという名前にも趣を

感じる。終日沈黙して日が沈む前のひととき、声をだす。 

その日を 生きていた証のために。”泣く” のではなく、 

これこそ、 ”啼い” ているのだ。

 

自分に残されたわずかな時間を 静かに受け止めて、

黄昏の中で、味わい尽くすように:かなかなかなかな・・・・・・

 

おもわず、人の命と重ね合わせる。日暮し蝉の歌は、 

切なくも、美しい。私たちは最期の最後まで、かれらのように

歌い続けられるのだろうか?鳴くき尽くせるのだろうか?

 

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