Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝の御聖体行列の様子

2013年06月09日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年の6月2日は御聖体の荘厳祭を祝いましたが、今から50年ほど前、フランスのヴァンデ地方での聖体行列の様子のビデオをご紹介します。





 次は2013年フランスのヴァンデ地方にあるアンジュの聖ピオ十世会の聖堂での聖体行列の写真です。


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 至聖なる聖体の秘蹟のうちに真にましまし給うイエズス・キリストは賛美せられさせ給え!

 次はフランスのバスク地方のドムザンでの聖体行列です。

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 私たちの先祖のキリシタンが口癖のように言っていた Lovado seia o Santissimo Sacramento! を私たちも口ずさみたいと思います。
 「至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!」


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:大罪の恐ろしさ

2013年06月09日 | カトリックとは
聖母月中の祈祷


我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

四     日
大罪の恐ろしさ

(一)唯(ただ)、天主のみ完全に大罪の恐ろしさを覚(さと)ることが出来るのである。なぜならば、唯(ただ)、天主のみ完全に御自分の性質を覚(さと)っていられるからである。
 人はつまらない虫のような物でありながら、傲慢(ごうまん)にも全能なる天主にさからい、彼に向かって、我は汝に従(したが)はぬと言う。
一方において、天主の広大(こうだい)無辺(むへん)なる事を考え、他方(たほう)において、人間のごくつまらない事を思えば、天主の主権(しゅけん)を軽蔑(けいべつ)して、彼に加える無礼が、如何ばかり非道(ひどう)なものであるか察するに難(かた)くない。
 尚(なお)、罪の恐ろしさを更に深く覚(さと)る為に、十字架にかゝられたイエズス・キリストを考えてみよう。天主の御独子(おんひとりご)、罪なき羔(こひつじ)なる主(しゅ)、イエズス・キリストを、最も惨酷(ざんこく)な死を遂(と)げられたイエズス・キリストを、磔柱(はりつけばしら)に付けたのは誰であるか?云うまでもなく其れは惨酷なるユデア人であった。けれども彼等は唯(ただ)、
道具であるに過ぎない。真実(ほんとう)の下手人(げしゅにん)は、我等と我等の罪である。
 聖(おん)父(ちち)、天主は如何(いか)に罪をお嫌(きら)いなさるか?罪のないイエズス・キリストが、他人の罪のために忍(しの)んだ苦しみを考えて見よ!他人の罪のためにさえ、かほどまで苦しまなければならないものであるならば、われらが自分自身の罪のための罰(ばつ)としてうけなければならぬ苦しみは如何に峻険(しゅんけん)な物であろうか?

(二)主イエズス・キリストは一般の人を地獄(じごく)より救わんがために、御血(おんち)を流し磔(はりつけ)られ給うた。
これによりて、主が如何に感ずべき愛をしめされたかを考えて見よ?天地の主は我等、僕(しもべ)のため、善よき牧者(ぼくしゃ)は迷える羊のため、愛深き聖(おん)父(ちち)は我等不幸なる子供のために命を捧げられたのである我等は再び罪を以て、イエズス・キリストに同じ苦しみをかくべきであろうか?
 聖マリアを見よ、罪も汚(よご)れもなき聖寵(せいちょう)充満(みちみ)てるマリアは、十字架の下に立って罪人なる我等のために、御子キリストを聖(おん)父(ちち)天主に犠牲(ぎせい)として捧げられた。世間の如何なる母も持ち得ないほど、熱い愛を以て愛された聖子キリストを無惨(むざん)にも失われた時に、聖母が如何ばかりの悲歎(ひたん)と苦痛とを味はわれたかわ、到底(とうてい)想像もつかない。御手(おんて)、御足(おんあし)の釘(くぎ)を打った跡(あと)は耐(た)えがたき苦痛(くつう)を以て母の心を貫(つらぬ)いた。イエズス・キリストの歎息(たんそく)はことごとく、母の心にいうべからざる悲しみを以てひびいたのである。
あゝ!聖母マリアよ、如何に多くの苦しみを我等の罪のため御身は耐え忍び給うたか!

○ 大罪の恐ろしい事をよく悟(さと)り得(え)るため「めでたし」三度唱(とな)えん。

祈 願 せ ん

あゝ天主、我(われ)主(しゅ)の限りなく嫌(きら)い給う罪を以て、限りなく愛すべき聖(おん)父(ちち)に背(そむ)きしを深く悔(く)やみ奉る。
 聖子(おんこ)イエズス・キリストの流し給える御血の功徳(くどく)によりて我が罪を赦(ゆる)し給え。
聖寵(せいちょう)の助力(じょりょく)を以て今より心を改(あらた)め、ふたゝび罪を犯(おか)して聖心(みこころ)に背(そむ)くことあるまじと決心し奉(たてまつ)る。アメン。



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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