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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:謙遜の徳

2013年06月18日 | カトリックとは
聖母月中の祈祷


我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

十  三  日
謙遜の徳

(一) 聖母マリアは幼い時から、あらゆる徳に秀(ひい)でてをられたが、中でも最も
優(すぐ)れ給うた徳は謙遜(けんそん)である。聖マリアはキリストの御母(おんはは)たる高き位(ぐらい)にあげられても、唯(ただ),主の婢(つかひめ)と申された。
 謙遜(けんそん)は聖ベルナルドも云われた如く総(すべ)ての徳の土台である。なぜならば謙遜(けんそん)がなければ他の徳をつむ事が出来ないばかりでなく、謙遜(けんそん)を失えば、他の徳もすぐに崩(くず)れてしまうからである。
 叉、天主は謙遜(けんそん)の人にのみ其の御恵(おんめぐみ)をお与えになる。聖アウグスチノの言葉に「イエズス・キリストは我等に新しい世界を造(つく)る事や、叉、奇跡(きせき)を行う事、即ち死んだ人を生かしたり、病人を直したりする事は命ぜられなかった。
唯(ただ)「我に謙遜(けんそん)を学(まな)べ」と仰せられた。いろいろな徳を積(つ)む積(つ)もりであるならば、先ず謙遜(けんそん)から始めなければならない」とある。
イエズスとマリアとの通(とお)られた天国の道を選ぶならば、キリストの「我に学べ,我は柔和(にゅうわ)にして謙遜(けんそん)なる者なり」という御奨(おすす)めにしたがい、殊(こと)に謙遜(けんそん)に身を処(しょ)すべきである。
傲慢(ごうまん)はすべての罪の泉(いずみ)である如く、謙遜(けんそん)は実にすべての徳の基(もとい)、多くの聖寵(せいちょう)の源(みなもと)である。

(二)マリアの謙遜(けんそん)の御徳(おんとく)がいかに麗(うるわ)しいものであったかを考えてみよ。
大天使ガブリエルが現れて「めでたし聖寵(せいちょう)充満(みちみ)てる者」と讃(たた)えし時、マリアは「我は主の婢(はしため)なり」と答えられた。
叉、エリザベトがマリアに向かって「我、何より我が主の御母の来臨(らいりん)をかたじけなうしたるぞ?」と云った時、マリアは「我が魂(たましい)、主を崇(あが)め奉(たてまつ)る。
そは其の召使いの卑(いや)しきを、顧(かえり)み給いたればなり」と仰せられた。
マリアはイエズス・キリストが威儀(いぎ)堂々とエルザレムに入られた時には、おいでにならなかった。
けれども、御子(おんこ)がカルワリヨ山に上られ、十字架にかゝられ給うた時には十字架の下(もと)に立って、謙遜(けんそん)の模範(もはん)を示された。
汚(けが)れなき童貞(どうてい)聖母マリアでさえ、かほどまで謙遜(けんそん)にましますを見たならば罪に充満(みちみ)てる我等はどうして傲(おご)り高ぶる事ができようか。

○ 聖マリアによりて真実(しんじつ)の謙遜(けんそん)を求めんが為「めでたし」三度唱(とな)えん。

祈 願 せ ん

天地万物(ばんぶつ)を司(つかさど)り給う主よ、主は我等人間を一切(いっさい)の罪より救わんが為に、御自(おんみずか)ら、謙遜(へりくだ)り、最も貧(まず)しき人と交(まじ)わる事をもこばみ給わずして我等に謙遜(けんそん)の模範(もはん)を示し給えり。
願わくば聖母の御伝達(おんとりつぎ)によりて我等の心より、傲慢(ごうまん)を除(のぞ)きさり、主の為め喜びて人に従(したが)う者となるの勇気を与え給え。アメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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