Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:世のはかなさ

2013年06月08日 | カトリックとは
聖母月中の祈祷


我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

三      日
世のはかなさ

(一) 世の富(とみ)、名誉あらゆる快楽に、溺(おぼ)れている人々は幸福ではなく、かへって非常に不幸である。かような人は先(ま)ず世の宝や快楽(かいらく)を求める為に、どれほど心を悩(なや)ますか解(わか)らない。
 しかもそのようにして求めた宝にさへ、長く満足している事は出来ない、もし仮(かり)に全世界の宝を有(ゆう)しているとしても、叉すべての楽しみを、ほしいまゝにし得(う)るとしても、決してそれにいつまでも満足していることは出来ない。
 昔サロモン王は望(のぞ)みうるまゝにすべてのものを持って居た。しかしそれにも拘(かか)わらず彼曰(いわ)く「あゝ!皆、空虚(くうきょ)にして、風を捕(とら)うるが如し」と。
 金銀、名誉、快楽の総(すべ)ては、唯(ただ)しばらくの楽しみに過ぎぬ事が十分にわかるならば皆,嫌(いや)になる。
 世の楽しみ世の宝はやがて影のように消えてしまうものである。死後、我等の魂はどうなるであろうか?そう考えるならばどうして、我等はこの、はかない世間に仕(つか)える事が出来よう?世間の賤(いや)しい報(むく)いを得(え)るために、天主も,天国も終わりなき幸福も皆、捨て去るような愚(おろ)かなことは到底(とうてい)出来なくなるに相違(そうい)あるまい。

(二)しかし我等は欺(あざむ)かれやすいものである。世の名誉も快楽も財宝も、最も美しい姿を見せて我等に臨(のぞ)む。
 しかし死というものが来てその仮面(かめん)をとり去ってしまうと、始めてその真実(しんじつ)の姿が現れるのである。
 此の時、世のすべてのはかない事がハッキリ悟(さと)られ、金銭は塵埃(ちりほこり)の如く、名誉は煙の如しという事がわかる。
 それであるから世の快楽に溺(おぼ)れて居た人の心は、臨終(りんじゅう)の時に如何(いかん)に苦しく感じるであろうか?スペイン国の王フリイッポ三世は臨終(りんじゅう)の時に「あゝもし自分が今までどこかの修道院で、天主に仕(つか)えていたとしたならば、今いかなる喜びの心を以て、天主の御前(みまえ)に出る事が出来ようか」と申された。
 実に世間の人は生きている時も死ぬ時も幸福ではなく、かへって非常に不幸なのである。
聖マリアを考えて見よ!天主の謙遜(けんそん)なる婢(つかひめ)は、世の名誉と其の快楽を避(さ)け、一(いっ)生涯(しょうがい)、天主に仕えられた故(ゆえ)、此の世を去られるに当たっては大いなる喜びに満(み)たされ給うた。
 我等も其の御手本に習(なら)い、いつかは、世を去るべき事を熟考(じゅっこう)しよう!
此の世では天主に仕(つか)え奉る事の外(ほか)、総(すべ)て果敢(はか)なくつまらないものであることを、心に深く味わってみよう。
 そうして其の黙想(もくそう)の結果としてこれから自分は如何(いか)にすべきか、しっかりした決心をたてなければならない。

○ 世の果敢(はか)ない事を避(さ)ける恵(めぐみ)を受けんが為め「めでたし」三度唱(とな)えん。

祈 願 せ ん

あゝ主イエズス・キリスト、我は世にありても、世の者に非(あら)ずして、主のものなることをよく弁(わきま)えつゝも、屡々(しばしば)世の欲(よく)に心をひかれ主に背(そむ)きたれば、請(こ)い願わくば我をして益々世のはかなさを覚(さと)らしめ、世を離れて専(もっぱ)ら主をのみ愛し、主にのみ仕(つか)え、主を得(え)ん為に総(すべ)てを捧げる御恵(おんめぐ)みを与え給え。アメン。



聖母の汚れなき御心への奉献と御聖体の祝日の報告

2013年06月08日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今朝、マニラにある、勝利の聖母の教会(Our Lady of Victories Church) では、徹夜の聖体礼拝の後、歌ミサを捧げ、フィリピンの全ての司教、司祭、カトリック信徒と一致して、フィリピンを聖母の汚れなき御心に奉献しました。天主様に感謝!
 皆は跪き、司祭が代表で奉献の祈りを唱え、それが終えると聖母への聖歌を歌いました。教会の鐘が鳴り響き、中にはうれしくて泣きむせぶ方々もいました。大変幸せな時を過ごしました。
 日本でも、日本中の司教、司祭、信徒らが一致して、日本の聖母の汚れなき御心に対する奉献を更新する日が早く来ますように! 

 ところで、6月2日は私たちもフィリピンで御聖体の荘厳祭を祝いました。写真を紹介します。


聖体行列

聖体降福式


 御聖体の祝日には、聖務日課の朝課で次の賛歌を歌います。日本語訳を作ってみました。

SACRIS solemniis
iuncta sint gaudia,
et ex praecordiis
sonent praeconia;
recedant vetera,
nova sint omnia,
corda, voces, et opera.

聖なる祭に
喜び合わせよ。
心の底から
喜びの歌を。
旧約は去りし
全ては新に
心も声も行いも。


Noctis recolitur
cena novissima,
qua Christus creditur
agnum et azyma
dedisse fratribus,
iuxta legitima
priscis indulta patribus.

あの夜になせり
最後の晩餐、
わが主は弟子らに
先祖らの受けた
法(のり)に従いて
与え給うたり
子羊と種なしパンを。

Post agnum typicum,
expletis epulis,
Corpus Dominicum
datum discipulis,
sic totum omnibus,
quod totum singulis,
eius fatemur manibus.

前兆(しるし)の子羊
食されたりしが
成就せり旧約。
主はおん体を
み弟子らに与え
全てが皆へと
一人一人へに手渡さる。


Dedit fragilibus
corporis ferculum,
dedit et tristibus
sanguinis poculum,
dicens: Accipite
quod trado vasculum;
omnes ex eo bibite.

か弱い者らに
御体を糧と、
悲しむ者らに
御血の飲み物を
与え給えしぞ。
杯を受けよ、
皆、これ飲め、と命じつつ。

Sic sacrificium
istud instituit,
cuius officium
committi voluit
solis presbyteris,
quibus sic congruit,
ut sumant, et dent ceteris.

かく定めたりし
このいけにえをば
司祭らのみにぞ
主は委ねたりし。
彼らは食して、
他の者たちにも
与えるのを望み給うた。

Panis angelicus
fit panis hominum;
dat panis caelicus
figuris terminum;
O res mirabilis:
manducat Dominum
pauper, servus et humilis.

天使らのパンは
人のパンとなり、
天上のパンは、
前表を終えた。
感嘆すべきよ、
貧しき卑しい
しもべが主を食するとは!


Te, trina Deitas
unaque, poscimus:
sic nos tu visita,
sicut te colimus;
per tuas semitas
duc nos quo tendimus,
ad lucem quam inhabitas.

三位なる天主、
唯一の天主、
御身を崇める
われらに来たりて
御身の小道を
導き給えよ、
御身の光の御国へ。



天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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