我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
三 日
世のはかなさ
(一) 世の富(とみ)、名誉あらゆる快楽に、溺(おぼ)れている人々は幸福ではなく、かへって非常に不幸である。かような人は先(ま)ず世の宝や快楽(かいらく)を求める為に、どれほど心を悩(なや)ますか解(わか)らない。
しかもそのようにして求めた宝にさへ、長く満足している事は出来ない、もし仮(かり)に全世界の宝を有(ゆう)しているとしても、叉すべての楽しみを、ほしいまゝにし得(う)るとしても、決してそれにいつまでも満足していることは出来ない。
昔サロモン王は望(のぞ)みうるまゝにすべてのものを持って居た。しかしそれにも拘(かか)わらず彼曰(いわ)く「あゝ!皆、空虚(くうきょ)にして、風を捕(とら)うるが如し」と。
金銀、名誉、快楽の総(すべ)ては、唯(ただ)しばらくの楽しみに過ぎぬ事が十分にわかるならば皆,嫌(いや)になる。
世の楽しみ世の宝はやがて影のように消えてしまうものである。死後、我等の魂はどうなるであろうか?そう考えるならばどうして、我等はこの、はかない世間に仕(つか)える事が出来よう?世間の賤(いや)しい報(むく)いを得(え)るために、天主も,天国も終わりなき幸福も皆、捨て去るような愚(おろ)かなことは到底(とうてい)出来なくなるに相違(そうい)あるまい。
(二)しかし我等は欺(あざむ)かれやすいものである。世の名誉も快楽も財宝も、最も美しい姿を見せて我等に臨(のぞ)む。
しかし死というものが来てその仮面(かめん)をとり去ってしまうと、始めてその真実(しんじつ)の姿が現れるのである。
此の時、世のすべてのはかない事がハッキリ悟(さと)られ、金銭は塵埃(ちりほこり)の如く、名誉は煙の如しという事がわかる。
それであるから世の快楽に溺(おぼ)れて居た人の心は、臨終(りんじゅう)の時に如何(いかん)に苦しく感じるであろうか?スペイン国の王フリイッポ三世は臨終(りんじゅう)の時に「あゝもし自分が今までどこかの修道院で、天主に仕(つか)えていたとしたならば、今いかなる喜びの心を以て、天主の御前(みまえ)に出る事が出来ようか」と申された。
実に世間の人は生きている時も死ぬ時も幸福ではなく、かへって非常に不幸なのである。
聖マリアを考えて見よ!天主の謙遜(けんそん)なる婢(つかひめ)は、世の名誉と其の快楽を避(さ)け、一(いっ)生涯(しょうがい)、天主に仕えられた故(ゆえ)、此の世を去られるに当たっては大いなる喜びに満(み)たされ給うた。
我等も其の御手本に習(なら)い、いつかは、世を去るべき事を熟考(じゅっこう)しよう!
此の世では天主に仕(つか)え奉る事の外(ほか)、総(すべ)て果敢(はか)なくつまらないものであることを、心に深く味わってみよう。
そうして其の黙想(もくそう)の結果としてこれから自分は如何(いか)にすべきか、しっかりした決心をたてなければならない。
○ 世の果敢(はか)ない事を避(さ)ける恵(めぐみ)を受けんが為め「めでたし」三度唱(とな)えん。
祈 願 せ ん
あゝ主イエズス・キリスト、我は世にありても、世の者に非(あら)ずして、主のものなることをよく弁(わきま)えつゝも、屡々(しばしば)世の欲(よく)に心をひかれ主に背(そむ)きたれば、請(こ)い願わくば我をして益々世のはかなさを覚(さと)らしめ、世を離れて専(もっぱ)ら主をのみ愛し、主にのみ仕(つか)え、主を得(え)ん為に総(すべ)てを捧げる御恵(おんめぐ)みを与え給え。アメン。