我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン
五 日
大罪の結果
(一)木の実(み)によって其の木を知る事が出来る。罪の実(み)は其の罰(ばつ)である。されば罰(ばつ)によって罪の恐ろしさを覚(さと)ることができる。天の使等は最初の罪を犯(おか)した。
彼等は傲慢(ごうまん)のため天主の主権を軽んじてこれに叛(そむ)き、ただちに永遠なる地獄(じごく)におとされた。
聖ヤコボによってイエズス・キリストは、罪を犯(おか)したる天使の堕落(だらく)について次の如く仰せられた。「我サタンが今の如く天より堕(お)つるを見つゝありき」と。
唯(ただ)一(ひと)つの天使等の罪は恐ろしき罰を招(まね)いた。しかるに、虫の如くいやしい我々人間は、平気で行く度(たび)も天主に叛(そむ)こうとするのであろうか?
(二)天主は悪天使の罪をきびしく罰(ばっ)せられたばかりでなく、人類の元祖(がんそ)の罪をも罰(ばっ)せられた。
我等人類の元祖(がんそ)は天主の最上の主権(しゅけん)を蔑視(べっし)して、彼と同様の者とならんが為、極(きわ)まりなき傲慢(ごうまん)の罪を犯(おか)した。天主は人類の元祖(がんそ)の罪を如何(いか)にきびしく罰(ばっ)せられたか?
アダムとエワは、このただ一つの罪のために楽園から追放された。元祖(がんそ)ばかりではない。
其の子孫なる我々も原罪(げんざい)の悲しむべき結果なる病気、辛苦(しんく)、艱難(かんなん)、疫病(えきびょう)、飢饉(ききん),地震、戦争等を免れぬものとなった。罪のこのおそろしい結果を考えよ、必ずその考えによって罪の憎(にく)むべきを知るであろう。
叉、聖母マリアの天主に対する従順(じゅうじゅん)を見よ。それによって全世界にどれほど大いなる恵(めぐみ)を与えられたか、わからないのである。故(ゆえ)に聖会は聖マリアの御誕生について云っている。
「あゝ!童貞(どうてい)なる聖母よ、御身の御誕生は全世界に大いなる喜びをもたらし、御身は全世界を照らす太陽なる救い主に先だちて世に現れ給えり。
神の呪(のろ)いを滅(ほろ)ぼし,明るき救いを得(え)させ死に打ちかち、我等に永遠の生命(いのち)を与え給うた主イエズス・キリストは御身より現れ給いしなり」と。
聖母マリアは今天主の御側(みそば)にあって、我等の代祷者(だいとうしゃ)として善人をも悪人をも御子の慈悲(じひ)深き聖心(みこころ)に近寄らせ給う。
聖マリアこそ、善人には死に至るまでの忍耐(にんたい)を、悪人には真(まこと)の改悛(かいしゅん)の恩寵(おんちょう)を求め給う愛の母である。
○ 聖母の御助(おんたす)けによってすべての大罪を免(まぬが)れんが為「めでたし」三度唱(とな)えん。
祈 願 せ ん
あゝ天主、我は一つの大罪をもっても地獄に堕(お)つべき者なるに、そを覚(さと)りつゝ
なお屡々(しばしば)之を犯すの暴虐(ぼうぎゃく)を敢(あ)えてなしたりき。
主は憐(あわ)れみの眼(まなこ)をたれ給いて、行く度(たび)もこれを赦(ゆる)し給いしかば、我が心の
底より感謝し奉る。願わくは哀憐(あわれみ)の母なる聖母マリアの御伝達(おんとりつぎ)によりて、再び罪を犯(おか)さざるの聖寵(せいちょう)を与え給わん事を。アメン。