Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母の汚れなき御心への奉献更新のため:公審判

2013年06月13日 | カトリックとは
聖母月中の祈祷


我等主の御前(みまえ)に出で、主の御母マリアの尊敬によりて、主を讃美(さんび)し奉つらんとす。主よ願わくは我等の心を浄(きよ)め、すべての無益なる思いより遠ざけしめ、我が智恵を照らし、意志をば堅固(けんご)ならしめ給わんことを、我等の主イエズス・キリストによりて、アメン
 最も尊むべき天主の御母童貞聖マリアよ、我等は御身につくすべき尊敬と愛とを現さんがために此処に集(つど)いきたれり。
 我等は全能の天主が御身(おんみ)にかくも高き御位(みくらい)と御光栄(みさかえ)とを下し給えることを喜び、且つ主が御身(おんみ)の御心(みこころ)に最も深きいつくしみを与え、御身(おんみ)を我等の母と定め給いしによりて主を讃美し奉(たてまつ)る。
 我等はこの月を聖母の月として今日一日をもまた御身の尊敬のために捧(ささ)げ奉(たてまつ)る。
いつくしみ深き聖母よ、我等は御身(おんみ)を御子イエズスの御前(みまえ)における代祷者(だいとうしゃ)として撰(えら)び奉(たてまつ)る。
 今新たに我等が身も心も御身(おんみ)に献げ、我等が悲しみも喜びも生命(いのち)、死もすべて主の御旨(みむね)にかなうよう御身(おんみ)に任(まか)せ奉る。願わくは我等の御母たることを示し給へ。我等は叉、聖会と教皇、及びすべての聖職者並びに生けると死せる親族友達の為に祈り奉る。願わくは我等が讃美(さんび)と祈りとをもって御身の御心(みこころ)を喜ばせ奉らんとするを顧(かえり)み給え。
 我等はこの聖(とうと)き月において、すべての公教信者が特に御身(おんみ)にさゝぐる其の祈りに我等の祈りを合わせ、且(か)つ天国において、天の元后(げんこう)なる御身(おんみ)を永遠に讃美(さんび)する諸々(もろもろ)の天使と共に御身を讃(たた)えまつらん。
 されば我等をして死に至るまで生涯(しょうがい)忠実に主に仕(つか)え、死後天堂(てんどう)において諸天使(しょてんし)諸聖人(しょせいじん)と共に御身(おんみ)を愛し御身(おんみ)に感謝し、御身(おんみ)と共に主を永遠に讃美(さんび)するをうるの最上の幸福をえせしめ給わんとを特に願い奉る。アメン

八     日
公審判

(一)死んでからすぐにある審判(しんぱん)は、ただ審判者(しんぱんしゃ)イエズス・キリストと霊魂(れいこん)との間に、秘(ひそ)かに行われるのである。しかしこの外に公衆の前にて行われる公審判も世の終わりにはあるのである。
 それは、現世(げんせ)において善人が度々(たびたび)悪人に、虐(しいた)げられたり、叉、悪人が多くの場合に栄えたりしたに対し公明なる賞罰(しょうばつ)がなければ正義がたゝぬからであるが、叉、イエズス・キリストがすべての人に認められ、天主の世界と、銘々(めいめい)に対する慈悲(じひ)深い御摂理(ごせつり)とを覚(さと)らしめるためである。
 いよいよ公審判の時期が近づくと、天使等は天主の御命令により、ラッパを吹き、以て総(すべ)ての人を其の地より招集(しょうしゅう)する。ついで審判主たるキリストが威勢(いせい)と光栄(こうえい)を以て、雲にのり天より現れ給うと、銘々(めいめい)の、生前(せいぜん)になした善悪(ぜんあく)の、いかにかくれたる物なりとも、総(すべ)ての人々に明らかにしられ、悪人の大いなる恥、善人(ぜんにん)の大いなる慰(なぐさ)めと歓喜(よろこび)とになるのである。  
これに依(よ)って天使等は審判主の命令により、人々を二つの組みに分け、善人(ぜんにん)をキリストの右、悪人をその左におくのであるが、親子、夫婦、兄弟、朋友、などがその善悪(ぜんあく)のために永遠に別離(べつり)すべき事を考えれば、如何(いか)に淋(さび)しき事であろうか?

(二)左におかれた悪人は審判(しんぱん)主(ぬし)のキリストは、永劫(えいごう)に変わらぬ判決を以て「呪(のろ)われた者よ,我を離れて悪魔と其の使(つかい)等(ら)の為に具(そな)えられた永遠の火に入れよ」(マテオ二五、四一)との恐ろしき宣言をうけ、地獄におとされ、その霊肉(れいにく)は苦しみの火の中に、おち入り沈んでしまうのであるが、其の後、右に立てる善人は、キリストの有り難き「来たれ、我が聖(ち)父(ち)に祝せられたる者よ、世界開闢(かいびゃく)より、汝(なんじ)等(ら)に具(そな)えられたる国に入れよ」(マテオ二五,三四)という聖(み)言(ことば)を聞き永遠の福楽に入(い)る。
この時彼等善人の喜びは如何(いか)ばかりであろうか。彼等はこの世にある間(あいだ)苦しみを忍(しの)び、恥を献(ささ)げ信仰の務(つと)めをよく果たしたにより、永遠の報(むく)いとして天国の清き楽しい生命(せいめい)に入(い)ることができたのである。
 信仰生活において悪(あく)慾(よく)とたゝかう時など,弱い心の起(おこ)る際には、世の終わりの公審判の事を考えよ。たとえ信仰の為に一生の間(あいだ)苦しまなければならないとしても之によって、地獄(じごく)の永遠の苦しみを免(まぬが)れ、天国において永遠の楽しみが得(え)られるとすれば遙(はる)かに幸(さいわ)いなことではあるまいか。
 我々は行く度(たび)も罪を犯(おか)したにより、公審判の時にキリストの左におかるべき
者であったかも知れない。
しかし哀憐(あわれみ)の母なる聖マリアはその都度(つど)我等の罪の赦(ゆる)しを天主に祈って下さった。我々はこの愛にみちた御母(おんはは)に心から感謝しなければならない。

○ 公(こう)審判(しんぱん)の時に,聖母の御伝達(おんとりつぎ)によりてキリストの右におかるべき者となるよう
「めでたし」三度唱(とな)えん。

祈 願 せ ん

主イエズス・キリスト、公(こう)審判(しんぱん)に当たりて,主は左に置かれし悪人を永遠に葬(ほうむ)り,右に置かれし善人を永遠の福(ふく)楽(らく)に召(め)し給(たま)う。
 願わくはその時に当たり我が右に置かるゝ者となり、主と聖人と共に,天国へ入るを得(え)るよう御恵(おんめぐみ)を与え給わん事を、聖母の御伝達(おんとりつぎ)により伏(ふ)して願い奉(たてまつ)る。  
アメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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