Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会ドイツ管区のロイトリンゲンにある聖十字架教会の30周年記念の写真

2008年06月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会ドイツ管区のロイトリンゲンにある聖十字架教会の30周年記念の写真をご紹介します。30-Jahrfeier in Reutlingen (Kirche Heilig Kreuz)


聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年

聖ピオ十世会(SSPX/FSSPX)ドイツ管区 ロイトリンゲン(Reutlingen)の聖十字架教会(Church of the Holy Cross)の30周年


============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

【関連記事】

聖ピオ十世会創立者の伝記 12.1.5.グレゴリオ聖歌とローマの聖伝ラテン語ミサの保護者

2008年06月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
第12章 公会議の嵐に直面して

I. 中央準備委員会委員

グレゴリオ聖歌及びローマの聖伝ラテン語ミサの保護者

 1962年 3月-4月の会議では、典礼に関する主題が討議された。 ララオナ枢機卿は、その前任者である故 ガエタノ・チコニャーニ (Gaetano Cicognani) 枢機卿が署名したブニーニ神父の概要を、皆に紹介した。

 それは聖週間典礼の改革においてアントネリ (Antonelli) 神父とブニーニ神父によって既に使われた革新的な原則の路線に従った、典礼全体を体系的に改革 (instauratio) するための詳細計画だった。それは「革新の新しいパン種という圧力の流行に押されて」[Annibale Bugnini, La Riforma Liturgica, CLV, Roma, 1997, p26]、典礼法規 (Code des rubriques)の 1960年改訂版を覆した。

 自由主義教父たちは、ドプフナーが言ったように、「私たちの中央委員会に今まで提出された全ての概要の中で、最も註目するに値するものの一つであるとされなければならない」概要であると、互いに先を争って誉め讃えた。他方で、オッタヴィアーニは「過度な革新に大きく門を開きすぎる、或いは少なくとも革新をしたくてうずうずしている欲望を助長する精神」をこの概要において告発した。

 ルフェーブル大司教は、彼なりに「ここにおいては、秘跡の観点と聖化の観点があまりにも強調されており、祈りという観点は充分に強調されていないが故に、典礼の定義として不完全に見える。ところが、典礼において最も根本的な観点は、天主に対する礼拝、つまり宗教行為である」と告発した。

 次に、ルフェーブル大司教はミサにおける読書の数をふやすことと自国語使用を拡張することに反対した。(「きわめて美しいグレゴリオ聖歌のメロディーは、何が残るだろうか? [何も残らなくなってしまう!]) そして突然の人為的改革という計画と発想とを持った者等を攻撃した。

「確かに、教会位階だけが典礼において何かを変えることができると言われていることは言われている。...しかし...私たちは体験を通して、変化を要求する者らは司教たちではなく、典礼で何やら変えること以外には何もしない典礼司牧委員会に属した司祭たちであることをよく知っている!」

「私たちは『聖伝を保持』しなければならないことを決して忘れてはならない。変化を加えるということは、極めて慎重にして始めて許容されなければならない。聖伝とは、終始一貫した長き時代の教会の業績以外の何ものでもない。全般的に、この業績は幾多の世代が努力して得た結果だ。」
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 71, 76, 98 - 99.]

 大司教の洞察力は感歎を催す。発議された改革は、本質的なこと--天主への礼拝--を捨て去り、聖伝の業績を軽蔑するものであるが故に、反-典礼的だった。

 3月 27日、ブニーニ神父の臨席のもと、かわいそうなララオナ枢機卿が教父たちにミサの通常文の改革計画を説明した。[ララオナ枢機卿のこの改革への抵抗については、Annibale Bugnini, La Riforma Liturgica, CLV, Roma, 1997, p41]

 レルカノ(Lercaro)、ドプフナー、その他の教父たちは、幸福そうにこの概要を承認した一方、「ローマ派」の枢機卿たちは反撃した。ゴッドフレ (Godfrey) 枢機卿は本文を分析して、何種類かの詭弁に異意を申し立てた。更に提案された典礼文の削除や修正を次々に拒否した。

 オッタヴィアーニは、巨大な不可 (non placet) の一喝をした。
キリスト教の民に驚愕を引き起こすであろう革命的な改革と見えるほどに変化の塊でしかない。
 ブラウンは「人間の聖化...は宗教の徳による最高の行為である奉献、或いはいけにえという行為の行為それ自体によって、ミサにおいて成り立っている。革新者たちはこの真理を忘れ、その代わり天主の御言葉を聞くこと、そして晩餐の挙行を強調した。」と、信仰の原理を述べた。[ここで革新者たちといわれたのは、プロテスタントのことである。しかしブラウン枢機卿は間接的に典礼委員会と、特に、ミサ改革の下部委員会の報告者であったヨゼフ・ユングマン教授を暗示させていた。]


Cardinal Brown and Archbishop Lefebvre in 1964 ブラウン枢機卿とルフェーブル大司教 1964年


 ポール・フィリップ神父は、ピオ十二世が提示した教理に照らして見ると分かる通り共同司式がミサの時に司祭であるキリストと同化された司祭の唯一の聖職位階的役目を毀損すると説明した。更に、共同司式は生けるものと死せるもののために捧げられる贖いと嘆願というミサの効果を減少させてしまう、何故なら「多くの司祭が多くのミサを捧げるときの効果と、一つのミサを共同で捧げるときの効果とは同じではない」からだ、と指摘した。

 投票する時には、ルフェーブル大司教はこう言った。
ゴッドフレ枢機卿、オッタヴィアーニ枢機卿、ブラウン枢機卿及びフィリップ神父の見解に従って、条件付き賛成 (Placet juxta modum)。」
[条件付き賛成 (Placet juxta modum) とは、提示された文書に修正を加えることを条件に賛成するということ。Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 121, 125, 126, 128, 142.]

 これは、求道者のミサ (ミサの前半部) の改訂には「賛成」だが、革命には「反対」ということだった。改訂のための委員会は、教皇の権威に基づいて仕事をしなければならない、とルフェーブル大司教は要求した。しかし、「一度変更が成り立っても、しばらくはそのままでいるように。何故なら、絶え間ない変化が続くと、司祭たちの間でも信者たちの間でも、教会の典礼様式の尊厳性と価値に対する尊敬心を弱化させるからだ。」


 1962年 3月 30日、ルフェーブル大司教はアガジャニアン枢機卿の概要によって、提案された宣教対象国たちのための典礼の革新に反対した。彼はその革新は「特にプロテスタントの分裂を反映している多くのプロテスタントの儀式を前にして、宣教地の私たちの信者たちには信仰に有益な非常に力強い論拠である」典礼様式及び典礼言語の単一性を破壊すると言った。

 ルフェーブル大司教は二つの事実によってこの真理を例証した。

「宣教聖省が、荘厳ミサの聖歌すなわちキリエ (Kyrie)、グロリア (Gloria)、クレド (Credo) その他を自国語に翻訳する許可を私たちに与えたとき、すべての司祭たち及び特に現地人司祭たちはこの翻訳を全く益のないことだと強烈に一蹴したが、何故なら彼らと彼らの信者たちはこれらの聖歌を完璧によく知っていたし、ラテン語が信仰の単一性を表示する印であることを理解していたからだ。」

「ダカールの汎アフリカ大会 (Congres panafricain de Dakar) のため政府の大統領たち -- セネガルのセンゴール(Léopold Sédar Senghor、セネガル共和国初代大統領(1960年9月6日 - 1980年12月31日)、マダガスカルのツィラナナ (Tsiranana)、ダホメイのマガ (Maga) 及びオート・ボルタから来たヤメオゴ (Yameogo) -- は、この荘厳ミサに参加して司教座聖堂に一堂に集まったが、彼らは声をそろえて大きな声で階段唱 (Graduale) をはじめとし全てのラテン語聖歌を歌っていた。ミサの後で、彼らは私たちにこの一致によって自分たちがどれ程嬉しいかを明らかに言ってくれた。」

「臨席のすべてのカトリック信者たちを前にして、祈りと礼拝におけるどれ程大いなる一致と兄弟愛との模範であることであろうか!」

「典礼に関すること及び秘跡の典礼様式に関することを司教評議会が働きかけ法規を制定することができる、という原則を受け入れてしまうと、たとえ教皇の承認をもってはじめてそうなるとしても、民族的典礼と国民典礼様式というものに回帰してしまうだろう。典礼の一致のための過去の二世紀のすべての努力が無駄になってしまうだろう。芸術とグレゴリオ音楽は没落するだろう。... 無秩序状態になる危険がある。
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 384 385.]

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

韓国の国会議員:”キリスト教信者”が議席の64%をしめる

2008年06月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】韓国の国会議員

 2008年4月9日に韓国では国会議員選挙がありましたが、韓国の国会(一院制)の299議席のうち、191議席が”キリスト教信者”(プロテスタント110議席、カトリック81議席)で占められたそうです。これは議席の64%に当たるとのことです。

 2005年の統計によると、4700万の人口の内、プロテスタントは18.3%、カトリックは10.9%ですから、”キリスト教信者”の議席の数は極めて多いと言えます。

 今回の選挙では、プロテスタントは議席を減らし(112議席から110議席へ)、カトリックは議席を増やしました(72議席から81議席へ)。

 因みに仏教徒の議員は34議席から53議席に増加しています。(統計によると、韓国の22.8%が自分を仏教徒であるとしています。)文鮮明の統一協会は、議席を得ることができませんでした。

 ただし、多くの場合、一度選挙に当選すると「議員は自分の宗教を忘れる傾向にある」とのことです。たしかに、韓国前大統領の盧武鉉も大学生時代に洗礼だけは受けた「カトリック」でしたし、前前大統領の金大中も洗礼は受けたカトリック信者でした。現大統領の李明博はプロテスタント信者だそうです。

参考資料 Eglises d'Asie (EDA) No 484 1er mai 2008

============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============
【関連記事】


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.4. 最初の小競り合い

2008年06月16日 | ルフェーブル大司教の伝記

第12章 公会議の嵐に直面して

I. 中央準備委員会委員

最初の小競り合い

 すべての公会議教父たちと同じく、ルフェーブル大司教は教皇によって指名されたいろいろな準備委員会の顧問の名簿 [1960年6月に指名された名簿のこと。Documentation Catholique, 1346, 267 sq. 完全な名簿は Documentation Catholique, 1367, 67 sq. にある。] を受け、それを注意深く読んだ。 1961年 6月 15日、中央委員会の第一会期が開かれる間、彼が発言する番になると、------ たった一人であったが ----- 公会議の規定と公会議で実際にやっていることとの間に矛盾があることをためらわずに告発した。


「公会議の神学者及び教会法学者たちに要求される基準について言うようならば、確かに顧問たちがすでに明示したように、 彼らはまず教会の心(sensus)を持たなければならず、すべての教皇文書に入っている歴代教皇たちの教理に、全くの心をつくし、言葉と行動とにおいて指示しなければならない、とある。
 私のつたない意見を申し上げれば、準備委員会名簿には、この顧問たちが要求した基準を満たすことができない神学を持った数名の神学者たちの名前が掲載されているのを読んで私たちは大変驚いたので、この原則をもう一度繰り返して確認する必要がある。」
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars I, 316]

 実際に、顧問の中で少なくとも三人が教会当局から叱責あるいは制裁措置を受けた事があった。[イヴ・コンガール、アンリ・ド・リュバック、カール・ラーナーのこと]

 ルフェーブル大司教はこう言った。
 「あの時にオッタヴィアーニ枢機卿は私の所見を取り上げませんでしたが、会議が終わってから茶話の間、彼は私の腕を取ってこう言ったのです。 『よく分かっています! しかし何をしろというのでしょうか。教皇がそれを望んでいるですから。教皇は、有名な専門家を望んでいるのです。」

 ルフェーブル大司教は後に教皇ヨハネのこの決定に対して、こう評した。
ヨハネ二十三世は規律を守らない傾向があった。もしかしたら彼の頭はとても聖伝的であったかもしれない。しかし、彼の心は絶対にそうではなかった。極めて広い視野の意見を持っているという美名の下に、彼は自由主義精神の手の内に入って行った。そして [後ほど] 公会議の難しさを論ずる時には、自分の対話の相手の人々に『全てがうまく行くだろう、皆が同意するだろう』と自分は確信していると言った。ヨハネ二十三世は、誰かが悪意を持つことがあり得たとか、油断してはいけない、という考えを受け入れることを望まなかった。・・・ 同じように、ヨハネ二十三世は、検邪聖省が断罪した専門家たちを選定すると言い張った。そのような決定のため引き起こされた混乱にもかかわらずそう主張した。」

 1961年 11月から中央委員会は委員会らが用意した概要を調査して討論し始めた。ルフェーブル大司教は概してそれらに‘賛成(placet)’の投票をした。

 後にルフェーブル大司教は次のように言った。「公会議は準備委員たちを通じて、出来るだけ長い期間教会から誤謬を追い出すために、 [近代の] 間違いに対立する真理を宣言する準備をしていた。... それは今日の世界において光になる準備をした。もしも、現代の問題に関して健全な教理に対する荘厳な信仰告白があった公会議以前の原文が活用されたなら、教会はこの世の光になったはずだった。」


 ルフェーブル大司教は、教会が誤謬と争わなくては信仰の遺産を守ることができないと考えた。

 そこで 1962年 1月 20日、オッタヴィアーニ枢機卿が「信仰の遺産を純粋に守る」という概要を紹介し終わると、大司教はこう宣言した。「公会議は現代の誤謬に関して発言しなければならない。---- 私たちに何らの原則がないなら、信仰をどうやって守ることができるだろうか?」

 1月 23日、ルフェーブル大司教は公会議が二つの種類の文書を作らなければならないと提案した。すなわち、「正確にほとんど学問的に」現代の誤謬を拒否する「排斥文 canon」付属の提案された概要に加えて、公会議は「幾多の委員会員たちの考えに従って... 私たちの救世主イエズス・キリストとその神秘体である教会の外には、いかなる救いも不可能であることが明らかに分かるような」贖いについての全キリスト教的計画を総合した短い文書を「もっと肯定的に」起草することもできるだろう、と提案した。
[Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars II, 417 - 418]

 既に自由主義的な教父たちの狡猾な批判がルフェーブル大司教を心配させた。 1月 20日、アフフリンク(Alfrink) 枢機卿は、オッタヴィアーニ枢機卿の概要を「一つの哲学派にとらわれている」と批判した。ベア枢機卿はこの文書の「スコラ哲学的な言い回し」を攻撃した。大司教はこの第二次準備期間の間に、自由主義者たちが自分たちの好みではなかった全ての概要を無きものにしようとしていることを見越した。そこで、ルフェーブル大司教は、上のような大胆で独創的な提案をしたのだった。自由主義者たちは馬鹿ではなかったから、マルセル・ルフェーブルを見て、自分の作業を邪魔する敵に出会ったということが分かった。多くの教父たちがそうだったように、オッタヴィアーニ枢機卿はルフェーブル大司教の考えに賛成してそれをほめたたえた。残念なことに、彼らはこれ以上には何もしなかった。

 次の会議でも、またその次の会議でも、まったく同じ事が起こった。各概要がそれを起草した委員会の議長によって提示されてから討論が公開されると、普通は枢機卿たちが討論の議長となった。

 一方にはリエナール、フリンクス (Frings)、アフフリンク、ドプフナー (Dopfner)、ケーニッヒ (Konig) 及びレジェ (Leger) がいた。他方には、ルッフィーニ、シリ (Siri)、ララオナ及びブラウン (Browne) がいた。 6対4だった。

 ルフェーブル大司教はこう説明した。「出席していた会員の全てにとって、教会内に分裂があることがあまりにも明らかであった。それは偶然に起きたのでもなく、表面的なものでもなかった。深刻な分裂でだったし、枢機卿たちの間の分裂は、大司教や司教たちの間の分裂よりももっと深刻だった。」

 時に、これらの会議において、マルセル・ルフェーブルの発言はもっと多くなった。数週間前にあらかじめ受け取った概要を読みながら発言を準備し、或いは、会議の間、自由主義派の教父たちの発言を聞きながら自分の発言を書いて準備した。

 真剣ながらも超自然的な精神で、大司教は教会の教え (sensus Eclesiae) の声を表明するために、立ち上がって的を射る見解を発言した。

 そうして 1962年 1月 17日、アロイジ・マセッラ (Aloisi Masella) 枢機卿の準備した叙階の秘蹟に関する概要が、助祭妻帯に関する考えを提案すると、ルフェーブル大司教はこう意義を申し立てた。
「私たちの宣教地区では、この新しい慣習が、司祭妻帯へと行く道の第一歩と解釈されるとおもわれる。これは、不可 (quod non placet)。それだけではなく、そのようになればまさしく司祭職に対する召命の数を減らす危険を犯すことになる。他方、私は永久助祭に関する新しい考えは気に入った。」

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員

バチカンの公式ウェッブ・サイトに新しくラテン語のセクション

2008年06月16日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 【参考資料】バチカンの公式ウェッブ・サイトでは、今までの英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ポルトガル語に加えて、ラテン語のセクションが出来ました。


バチカン・サイト


 その中には、6つの部門があります。
Summi pontifices(ヨハネ二十三世からベネディクト十六世までの公式文書)
Biblia sacra(新ブルガタ訳による聖書)
Catechismus catholicae ecclesiae(『カトリック教会のカテキズム』)
Codex iuris canonici(カトリック新教会法典)
Concilium vaticanum II(第二バチカン公会議)
Romana curia(ローマの諸聖省の重要な文書)

 ご参考までにどうぞ!

============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

【関連記事】



サンタ・バルバラ

2008年06月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 あっという間の約十日のイロイロと、バコロドのミッションも明日で終え、18名のブラザー及ん修練・志願者のもとを離れて、マニラに明日向かいます。

 自然の中の修練院は、定期的な停電があり、15年前のマニラのようでした。サンタ・バルバラには、インターネットも無く、携帯の電波もかすかなところ。しかし、とても良い思い出になりました。天主様に感謝。

 またマニラに戻ったらルフェーブル大司教様の伝記を頑張ります。

天主様の祝福が豊かにありますように!

イロイロ、サンタ・バルバラにて

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

国民投票 その2

2008年06月14日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、

 私たちの主はご自分の民の前で、強盗殺人犯バラバの横に立たせられ、同列に置かれました。

 死者を蘇らせた私たちの主と、残酷な殺人犯とが同列に置かれたのです。「目には目を、歯には歯を」の法によれば、バラバには死刑が当然すぎることでした。ピラトはイエズス・キリストが無罪だと知っていました。だから、イエズス・キリストを釈放するためにイエズス・キリストかバラバかどちらかを選べと言ったのです。しかしながら、これにより私たちの主はバラバと同列に置かれたのです。

 しかし、群衆はただ情報操作させられるだけでした。司祭長たちは、その権威と知識とテクニックで、人民の扇動を始めました。

 すでにカイファはイエズス・キリストは死ななければならない、と決めていたのです。

 彼らは民衆をこう扇動さたことでしょう。「お前は、司祭長よりも偉いのか? イエズスは司祭長から破門された、司祭長はイエズスを断罪した、これ以上の証拠が必要なのか? イエズスは自己弁護の言葉さえ言うことを知らない、偽メシアだ、うそつきだ、悪魔に憑かれている、魔法使いだ、司祭長のみが律法の正当な解釈者だ、一般人民には与り知り得ないことだ。」

 あるいは「ピラトは明らかにイエズスの味方だ、何故ならイエズスは陰でローマの側についているからだ。イエズスは、反ユダヤだ。イエズスは、モーセの掟の平気で破る。アブラハムの子孫を侮辱している。バラバは、外国による支配の犠牲者だ、ローマから差別されたのだ、専制的ローマの被害者だ、ローマによるユダヤ植民地化状態の結果だ。だから、ローマに通じているイエズスを信じるのは非国民的だ、ユダヤ人はバラバを選べ!愛国的ユダヤ人はバラバを釈放することを求めよ!」

 そこで「全群衆は、この男を取り去り、私たちにバラバを釈放せよと叫んだ」のです。


 民衆は、今に至るまで、操作され、かりたてられています。

 しかし彼らは、司祭長たちとは異なって、イエズス・キリストの十字架の後で、後悔しました。聖書によれば、彼らは胸を打ちながら帰ったとあります。

 私たちの主は、人民・民衆にはいつもいつまでも憐れみ深くあられます。何故なら本当の張本人が誰かを知っておられるからです。私たちの主は民衆を扇動させる指導者にのみ怒り給うのです。

至聖なるイエズス・キリストの聖心よ、我らを憐れみ祈り給え!

イロイロ、サンタ・バルバラにて。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

国民投票

2008年06月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 
 ドイツではもっとも民主的だと言われていたワイマール憲法のもとの選挙で、ヒトラーが生まれました。

 ユダヤでは、国民投票によって、天主が磔(はりつけ)にされ、極悪犯人が釈放されました。

 2000年前、ユダヤの地では、イエズス・キリストについてこう言っていました。「見よ、彼は全てのことを良くした、彼は聞こえない耳を聞こえさせ、おしを話せるようにした」と。その同じイエズス・キリストについて、悪人だと言うのです。そうでないなら何故ピラトのもとに告発するだろうか、と。

 ユダヤの人々は、イエズス・キリストについて、誠実で人の顔色をうかがわない人だ、と言っていました。その同じイエズス・キリストについて、彼らは人をそそのかしている、と告発したのです。

 彼らは、イエズス・キリストを彼らなりの手作りの王にまつり上げようとしました。イエズス・キリストは、それから何度か逃げ出したほどです。その同じイエズス・キリストについて、彼らは、この男は自分を王にしたがっていると告発したのです。

 矛盾、混乱、恥知らず、いい加減、無責任。彼らは言いたい放題でした。

 彼らの行動は更に酷く、残酷で、非道でした。

 おとなしいイエズス・キリストを園で強盗を捕らえるかのように逮捕し縛り上げ、大司祭のもとでは顔を殴りつけ、嘲り、罵りました。「十字架に付けよ! 十字架に付けよ!」
「その血は、私たちと私たちの子孫にふりかかるように!」

 人民の叫びは、怒りに満ち、アンナ、カイファ、ピラトの残酷さをはるかに上回っていました。

 私たちの主イエズス・キリストは、もういい加減いいにしてもらいたい、もう十分だ、これ以上いったい彼らから何を期待することができるのか、とどれほど思ったことでしょうか。いいえ。少しもそうではありませんでした。

 私たちの主は、彼らのことを「牧者のいない羊」と思って、憐れんでおられました。

 弟子たちが、彼らの不信仰に腹をたてて天から火を降らして彼らを罰することを主張した時、イエズス・キリストは弟子たちを叱りつけ、彼ら人民を擁護しました。

 イエズス・キリストは、最悪の非道と残酷と不正義の真っ只中で聖父にこう祈りました。「聖父よ、彼らを赦し給え、彼らはそのなすところを知らざるなり」と。


 みんなそう言っている、民主主義的だ、人民裁判、多数決で決まったことだ、と言ってどれほど多くの悪が犯された・犯されようとしていることでしょうか。同性愛の「結婚」の法定化、堕胎、ポルノ、常軌を外れた性教育。
 
主よ、我らを憐れみ給え!
天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

指紋押捺拒否 その2

2008年06月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 カトリック教会(天主教)は、洗礼の時に洗礼志願者にこう尋ねます。
「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
 受洗者は、こう答えます。
「信仰を」
 何故なら、真の信仰こそ私たちの霊魂の救いを与えることができるからです。

 何故なら信仰無しには、天主によみされることは出来ないからです。カトリック教会は、信仰を最高の宝と考えます。信仰は、カトリック信仰を信じることのために、すべてを犠牲にすることさえ要求します。多くの殉教者たちは、天主の掟を守るために、人間の作った悪しき「法」を無視せざるをえない状況に追い込まれ、天主の掟と人間の悪法との選択を迫られ、天主を選んで殉教していったのです。これが信仰の特権です。真理である真の信仰だけが持っている特権です。天主の掟の第一戒は、すべての法に優るからです。何故なら真の天主を信じないことは罪だからです。これがカトリックの教え、旧教の精神です。

 アシジの諸宗教の集いを見たルフェーブル大司教が1988年6月30日にした司教聖別の基礎は、正にこのカトリック信仰でした。

 ところで、最近の司教団が取った指紋押捺拒否に対する連帯と、ルフェーブル大司教の司教聖別に対する排斥に、矛盾無き論理があるならば、次のようなものでしょう。

 霊魂の救いを忘れてしまうと、この地上の建設、この地上に楽園を作ることが「宗教」になってしまいます。この地上から苦しみを取り除く「メシア」を信じる「宗教」になってしまいます。

 カトリック教会の内部で、新しい教え、新しい「宗教」のようなものが生まれつつあるようです。それは、客観的な天主の代わりに、主観的な人間の良心を神のように礼拝し、神のように絶対視する教えです。

 人間が、そして人間の良心が神々となったとき、良心が法の超えるものとなります。だから、最近はやりの殉教者の説明は、真理のために殉教したと言うのではなく、良心の自由のために人格の尊厳のために殉教したと言うのです。

 人間の良心が神となると、人間の人格の尊厳を損なうことが「悪」となります。そのような「罪」は、絶対に避けなければならないことになります。

 だから、誰かにとって、指紋押捺が(たとえそれが、天主の掟に逆らうものではないとしても)、その誰かの人格の尊厳を傷つけるものであると判断されるなら、自由を傷つけるものであると主張されるなら、それを押し付けることは悪となり、従って、拒否すべきものとなるのです。差別された人格の尊厳の回復のために連帯して闘うことを当然とします。

 極めて民主主義的な新しい教え、新教がこう尋ねたら、その信徒に次のように答えることを求めるでしょう。
「あなたは、新しい教会に何を求めますか?」
「押し付けられない私の良心を」

 ここにおいて、2つの別の教えが現れてきます。一方は、客観的真理の信仰を教え、他方は主観的良心の自由を教えるのです。つまり、天主が人間となったカトリックの宗教である天主教(旧教)と、人間が神となる民主主義的な新しい教え(新教)と言うことができるでしょう。

 新教は、神となった人間の尊厳が冒されたのを見ると連帯するのです。しかし、アシジで天主イエズス・キリストの尊厳が
冒されても連帯感を感じなかったのです。

 だから、指紋押捺拒否と、カトリック聖伝の信仰のためにルフェーブル大司教が4名の司教を聖別したこととは、一見して似ているようで、非なるものだったのです。

 一つは旧教、もう一つは「新教」の行動だったのです。


イロイロ、サンタ・バルバラにて

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

指紋押捺拒否

2008年06月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様
 フィリピンで、ある特別の長期滞在のビザを受けるために、外国人は指紋押捺をしなければなりません。私も指紋押捺しました。指十本の指紋です。もし必要なら、足の指紋も喜んで押捺したでしょう。何故なら指紋押捺することは、天主の十戒に反する罪ではないからです。信仰に反する罪でもないからです。

 今年、アメリカ入国の際に、やはり指紋と目の彩孔をディジタル化して押捺・撮影しました。十年前は、ただ入国管理の職員に挨拶すればよかっただけでしたが、最近は法が変わって、そうなったのです。指紋だろうが、彩孔だろうが、顔写真だろうが、私はそうしました。何故なら、天主の十戒に反する罪でも、信仰に反する罪でもないからです。

 ところが、数年前、日本では一部の外国人司祭が、人間の尊厳の名前において指紋押捺拒否運動を展開し、司教団は一丸となってこれを支援していたことがあります。司教団は日本の入国管理法に従わない司祭を支援していました。このような一部の外国人司祭がビザを受けることが出来ないと、これに対して政府に抗議の声明さえ出しました。

 さて、今から二十年前に、アシジの諸宗教の集いを見て驚いたルフェーブル大司教が、カトリック信仰の存続のために、カトリック司教の義務として、司教の良心にかけて四名の司教を聖別しました。何故なら、アシジの祈祷集会は、天主の十戒の第一戒に反するもの、少なくとも、宗教無差別主義を助長するものだったからです。

 すると、日本の司教様たちのルフェーブル大司教に対する態度はどうだったでしょうか?

 何故、一見して似たような二つのことにおいて、正反対の態度を取るのでしょうか?

 良心に従ったと主張していたあの外国人司祭を支援したように、司教としての良心に従ったルフェーブル大司教を支援するべきだはないでしょうか?聖ピオ十世会の司祭たちを支援するべきではないでしょうか?

 一体、何故このように態度が違っているのでしょうか?

聖母マリアよ、我らのために祈り給え!
天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

長崎の鐘 その2

2008年06月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 ミサ聖祭の信仰宣言(クレド)では、こう言います。「我ら人間のために、我らの救いのために、天から降り、聖霊によって童貞マリアから托身し、人間となり給うた」と。

 侮辱を受けたにもかかわらず、攻撃を受けたにもかかわらず、無視され侮られ屈辱され冒涜され忘恩を受けたにもかかわらず、この侮辱した人間のために、この攻撃した人間のために、無視し侮り屈辱を与え冒涜し恩知らずの人間のために、敢えてその罪の償いと赦しのために、天主様は人となってお生まれになったのです。それがクリスマスです。

 全ての人は、そして全ての民族は、天主様の前で、大きな罪を犯し、赦された存在です。

 全ての人間・民族は、天主様から赦される手前、自分の兄弟に赦しを与えないわけにはいきません。10億円の負債を憐れんでチャラにしてもらった人間が、どうしてその兄弟の10万円の負債の返済を要求して、兄弟を告発することができるのでしょうか。10億円の返済を免除されつつ、10万円の負債の返済を、債務者の子供たちに、子々孫々に要求し続けることができるのでしょうか? 天主様の正義は、負債を赦すことを要求するのです。憐れみを受けたのだから、憐れむことを要求するのです。それが天主様の正義です。天主の正義は、憐れみなのです。

 天主様を恐れない政治家は返済せよ、謝罪せよ、というかもしれません。天主様から厳しい正義を要求されることも知らずに、兄弟の子々孫々にまで謝罪と賠償を要求するかもしれません。

 しかし、真の天主様の代理者は、カトリックの司教様や司祭は、天主様の正義である憐れみを、相手を赦すことを、兄弟たちにまず促すのではないでしょうか。過ちは人間の業、赦すは天主様の業。

 長崎のクリスマスの鐘は、天主様が人間を赦すために生まれ給うことを、天主様がまず人間を憐れみ給うことを、天主様が人間に天主様の正義である憐れみを要求することを、それこそが本当の天主様の与え給う平和であり、天主様の正義であることを告げているのです。それこそが、本当の正義と平和なのです。それこそが、旧教の精神です。

 長崎の鐘は、アンジェルスの鐘でした。主の御使いの告げの鐘、天使の告げの鐘でした。
 2000年前のクリスマスの夜の、天使たちの歌を準備した、天使の告げの鐘です。「天のいと高きところに天主に栄光、地には善意の人々に平和!」というクリスマスの天使たちの歌を準備した天使の告げの鐘です。何故なら平和は天主様からの賜物だからです。天主様無しに人間だけの力で本当の平和を作り出すことは出来ないからです。「天のいと高きところに天主に栄光!地には善意の人々に平和あれかし!」

 浦上には、この善意があり、感謝があり、赦しがあり、平和がやってきたのです。そしてこの平和は、日本に広がったのです。長崎の鐘、平和と赦しの鐘は、終戦後、長崎から日本に鳴り響いたのです。私たちの主は、私たちを赦すために生まれ給うた、イエズス・キリストは、私たちの祖国日本を赦し給うた、浦上の8000名の聖なるはんさいのいけにえによって、浦上の感謝によって、日本を赦し給うたと、天主様の正義の鐘がすでに鳴り響いたのです。

 願わくは、この長崎の鐘の精神が世界中に鳴り響きますように! 願わくは、この天主様のクリスマスの憐れみという精神が世界中に鳴り響きますように!

 
 私は、先週金曜日からのバコロドのミッションが終わり、これからイロイロに戻ります。

無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

長崎の鐘

2008年06月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 バコロドの聖ピオ十世会の教会は、無原罪の御宿りに捧げられた教会です。私は、自然に、浦上の無原罪の御宿り教会を思い出しました。1945年8月9日に被爆して、同日の真夜中に全焼したあの無原罪の御宿りの教会です。

 それと同時に、1945年のクリスマスに廃墟の長崎に鳴り響いた浦上天主堂の鐘、平和と希望の鐘の音を、そして、本や映画となって日本中に鳴り響いた平和と希望の『長崎の鐘』のことを思い出しました。

 今この日本の平和は、浦上の無原罪の御宿りのほふりの上にできたことを思いました。


 サイパン島でそうだったように、硫黄島でもそうだったように、沖縄でもそうだったように、日本人は郷土を愛し、祖国を大切に思い、忠誠を尽くしました。私たちの先祖は、誇り高く、英雄的であり、寛大でした。私たちは、その子孫であることを誇りに思います。一億の私たちの先祖が、大本営の喧伝していたように玉砕するのは時間の問題でした。ただ、一般国民は、天皇陛下が戦争に反対していたことを知りませんでした。

 そんな時、長崎には、250年の厳しい7代にわたる迫害と、その後の80年の長きにわたる差別を受けていたカトリック信徒がいました。カトリック信徒たちはともすれば非国民とかスパイとか揶揄されていました。

 そのような嘲笑にも関わらず、カトリックは、真の天主に祈り、平和のために祈り、祖国のために祈っていたのです。政府の命じるまま、従順に従軍し勤労奉仕をしていました。

 そんな1945年8月9日、原爆で8000余名のカトリック信徒が亡くなりました。司祭、修道女、信徒が、あるいはあっという間に、あるいはラテン語の聖歌を歌いながら、あるいは聖母への賛美歌を歌いながら、苦しみのうちに亡くなりました。

 その真夜中、まだたたずんでいた天主堂に火の粉が移り、音をたてて崩れ落ち、無原罪の御宿りは全焼しました。

 ちょうどその時、正にこの真夜中に、首相は天皇陛下に聖断を仰ぎ、終戦が決定されました。軍部の中には、戦争を始めた時のように、天皇陛下の御心を単なる菊の花であるかのように握りつぶしてしまおうとする者もありました。彼らはクーデターを計画し終戦を妨害しようとしました。

 愛する人を失い、家を失い、教会を失い、大切なものすべてを失った特に浦上のカトリック信徒たちは、それら苦しみを捧げました。愛を込めて捧げました。天主様の御手からこの苦しみを受けとりました。

 1945年8月15日、聖母の被昇天の祝日に、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ戦争は、天主様の御恵みによって終わりを告げました。

 1945年11月、生き残ったカトリック信徒たちは浦上天主堂で合同葬儀を行い、信徒代表で永井隆博士が英雄的で寛大な誇り高い、郷土愛にあふれ、愛国心からの弔辞を述べました。
「浦上を愛し給うが故に、浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめるためにこの世で短きを与え給い、しかし絶えず恵みの雨をこの教会の上に降らし給う天主に感謝を捧げるものでございます。」
 つまり「天主様から苦しむように選ばれたことを浦上は感謝する」と。そこには、恨みも憎しみも復讐もなく、怒りに満ちた賠償請求も責任追求もなく、ただ、感謝と赦しがあったのです。浦上の愛に満ちた犠牲が受け入れられて、真の信仰の自由が与えられたことを感謝し、平和が与えられたことを感謝したのです。

 何故なら、全ては天主様の愛の計らいのうちにあり、私たちの永遠の命のためであることを知っていたからです。

 何故ならまた天主様は私たち人間が赦される条件に、信じて洗礼を受けること、兄弟を赦すことを教えてくれたからです。

 1945年のクリスマスに、浦上の、落ちて土に埋まっていた鐘が掘り起こされて、廃墟となった長崎に鳴り響きました。

 それはクリスマスでした。天主様が、人間を赦すためにお産まれになったクリスマスでした。私たち人間に代わって十字架につけられて苦しむために天主様が人になってお生まれになったクリスマスでした。この日、イエズス・キリストは、人間が無償で赦されるために、罪の無い自分が購いと償いを果たそうとお生まれになったのです。人間が何かする前に、まず天主様が先に人間を憐れんで下さったのです。

 何故なら、人間の罪はあまりに大きいから、罪に無限の邪悪があるからです。人間だけでは償い切れないからです。人類の全ての罪と邪悪とをあがなうために、天主様が人となって無限のあがないを果たすことを望まれたのです。

 その天主様が、私たち人間が他人を赦してはじめて、赦されると教えてくれたのです。イエズス・キリストのためにイエズス・キリストと一致して赦す時赦され、またそうして赦す時、天主様の祝福が豊かに受けることを教えてくれたのです。それがミサ聖祭であり、十字架での言葉でもありました。それが天主の正義なのです。

 赦すことを知らないところには、人間からの賠償は一時的に入るかもしれませんが、天主様の祝福と恵みはわずかでしょう。ところが浦上は感謝したのです。

 だから、天主様は浦上のいけにえを受け入れて下さったのです。だから、浦上の祈りは聞き入れられ、日本は平和を取り戻し、日本は天主様の祝福を豊かに受けたのです。何故なら、本当の平和は天主様からのものだからです。

 無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖伝の生き残り作戦

2008年06月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 もうすぐ、6月30日がやってきます。今年は、ルフェーブル大司教のなした「聖伝生き残り作戦」の20周年です。

 今から20年前の1988年当時、バチカンは聖伝が死に絶えるのは時間の問題であると考えていました。何故なら、老ルフェーブル大司教が、あといつまで生きるか、時間の問題だったからです。ルフェーブル大司教がなくなって、聖伝の司祭を叙階する司教がなくなってしまうのは、あとわずかだと思っていたからです。

 第二バチカン公会議の新しいエキュメニズムにとって、カトリックの聖伝は邪魔ものでした。ルフェーブル大司教はエキュメニズムのためには、言ってみれば邪魔ものでした。だからこそ、バチカンの作戦は、時間稼ぎでした。

 しかし、変わることのない聖伝の生き残りのため、また1986年のアシジの集会にしるしを見たルフェーブル大司教は、4名の司教たちを聖別しました。カトリックの聖伝が生き残りために。聖伝の信仰が生き残るために。聖伝の秘跡が死に絶えることがないように。

 第二バチカン公会議後のローマの行動原理は、もはや、全カトリック信仰を勇気をもって主張し肯定することではありませんでした。カトリック信仰よりも、外交と対話でありエキュメニズムでした。外交が悪いのではなく外交だけだったのです。アシジの集会は正にそれを示しています。教皇のシナゴーグ訪問、モスクでの祈り、プロテスタント諸派との合同祈祷会がそれを示しています。そしてこれらエキュメニズムは、既に、過去において、教会が排斥してきたものだったのです。そこで、ルフェーブル大司教はカトリック信仰の声を上げたのです。

 ルフェーブル大司教にも、聖ピオ十世会にも、いかなる離教をする意図もありませんでした。ただ単に、禁じられたことがない聖伝のミサ聖祭だけをし続けたかっただけでした。過去排斥されたエキュメニズムを受け入れることができなかっただけでした。

 法律が命を守るためにあるように、教会法はカトリック信仰の保全のために存在するのです。霊魂の救いのためにあるのです。ルフェーブル大司教は、教会法の精神に従って、司教を聖別したのです。

 その結果は、カトリック教会における聖伝のミサ聖祭の保全と発展でした。例えば、もうすぐ7月で1周年を迎えるモートゥー・プロプリオも、1988年の司教聖別の実りです。(聖伝のミサを守り抜く力が世界中で大きくなりすぎて、無視できなくなったからです。)更に、エクレジア・デイのさまざまな共同体が存在することができて聖伝のミサをすることができるようになったのも、ルフェーブル大司教様の司教聖別のおかげでした。

 かつて天主様は、アヴィニョンにいた教皇をローマに連れ戻すために、一人の女性を使ったように、また、フランスに勝利を与えるために少女を送ったように、カトリック聖伝が生き残るために、一人の大司教を私たちに与えてくださったのです。

 ルフェーブル大司教様にとって、ただあったのはカトリック聖伝の信仰でした。私たちの主イエズス・キリストが真の天主様であるという真理でした。天主様の助けにより、真理の声が大きくなり、意図せずとも外交と対話のバチカンを動かす結果となったのです。

 日本各地で、カトリックの聖伝が、聖伝のミサ聖祭が復活することを私たちは望んでいます。しかし、モートゥー・プロプリオにも関わらずその復活の気配はありません。私たちはどうしたらよいのでしょうか?

 ルフェーブル大司教様の「生き残り作戦」を続けることです。つまり、世界中でそうだったように聖ピオ十世会の聖伝のミサ聖祭に与る方々が日本でますます多くなることです。そうなって、ようやく、小教区にも(まずは、おそらく、聖ピオ十世会のミサ聖祭が近くにある小教区に)、聖伝のミサ聖祭が復活し始めるでしょう。世界中でそうだったように、聖ピオ十世会の活動が日本で大きくなればなるほど、日本でも、ますます多くの教会で聖伝が復活することでしょう。

至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!
聖母よ、我らのために祈り給え!
聖パスカレ・バイロン、我らのために祈り給え!
聖ピオ十世、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

バコロドにて

2008年06月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 ただ今、ネグロス島のバコロドに来ております。

 天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.3.天主の国に入り込んだトロイの木馬

2008年06月05日 | ルフェーブル大司教の伝記
第12章 公会議の嵐に直面して

I. 中央準備委員会委員


天主の国に入り込んだトロイの木馬

 6月 5日ヨハネ二十三世はルフェーブル大司教 (当時ダカールの大司教)とアビジャンの大司教であるベルナール・ヤゴ (Bernard Yago) をプランス語圏西アフリカを代表する、公会議のための中央準備委員会 (Central Preparatory Commission for the Council) 委員に任命した。

 この委員会は、120名からなり、世界の司教たちからの提案をもとに 10の準備委員会によって起草された概要を吟味する責任があった。

 1962年 6月まで、ルフェーブル大司教は、--この間にチュールの司教になっていた-- 中央委員会のすべての会議に参加した。時としてその会議には、教皇も参加した。ルフェーブル大司教は、その会議において、真面目な公会議準備と同時に、ヨハネ二十三世教皇自身によって尽くされた対立する二極の間で繰りひろげられる影響力のすさまじい闘いを目撃することにもなった。

 一方は、険邪聖省長官代理であるオッタヴィアーニ枢機卿の神学委員会と意を共にする「ローマ派」であり、他方はキリスト者の一致促進のための事務局 (Secretariat for the Promotion of Christian Unity) 事務長アウグスティノ・ベア枢機卿とその補佐であるオランダ人高位聖職者ヤン・ウィルブランズ (Jan Willebrands) のリベラル派と彼らの「トロイの木馬」であった。

============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】