いやだいやだと思っているものをつい覗いてみたりしたくなることありません?
私にとって そういう対象の作家は 渡辺O一氏である。
さすがに本を買って氏に印税をもたらすのもしのびないので図書館で借りることにしておりますが・・・
「あじさい日記」 講O社
(多分40半ばの)開業医が主人公。自分のクリニックに勤務する医療事務の20代の女の子と浮気中である。
ひょんな事から 妻の書いている あじさいの模様のついた日記帳を見てしまう。 そこには客観視された自分の姿が書かれている。浮気の事も勘付かれていることを知る。
妻はやがて夫の愛人のマンション(主人公がお金を出して借りてやっている)に乗り込み修羅場。その時の妻の本音も日記により知る。
やがて妻が気分転換にと源氏物語の講座に出かけることになり、その講師である元師事していた大学教授と再会。
今度は妻が教授と親しくなり浮気に走る。 それも妻の日記で経緯を覗き見てあせる夫。
と言うお話。
この主人公の医者ったらホントに嫌な奴なんですわ。
自分がさんざっぱら浮気しているのにもかかわらず 妻の浮気は 「不潔だ」と決めつける。普段の言動もオレサマタイプである。
妻もねちっこいと言うか女っぽすぎるというか、めんどくさそうで友達にはなりたくないタイプの女性である。
まあ 渡辺氏の小説ってこういった感じの男女が多いのですけどね。きっと氏自身の投影と好きなタイプの女性なのであろう。
だいたい妻の日記を盗み見るって設定も嫌だし、こういった嫌な男女が夫婦になってしかもお互い浮気していることを知りつつセレブ生活をしているといった嫌な設定なんだから嫌な話になるはずである。(だったら読むなですが冒頭の理由ゆえ)
500ページあまりの長編であったが、読み進んだ推進力は他人の家の揉め事を盗み見るといった下世話な興味だけだった気がする。
最後も夫が盗み見している妻の日記で終わり 「・・・お互いが相手の立場をいかに寛容に理解し、許しあえるかで、夫婦の、そして家族の幸せが決まっていく。 たとえそれが仮面でも、そうすることが、社会の枠組みのなかで円滑に家庭生活を続けていくための知恵なら、避けることはない・・・」
これが結論ですか? 陳腐だね~ ムカつくね~
大筋もこういったところだが、細かいところも突っ込み所が満載であります。
会話や単語に作家の年代、世代が表れてしまうものだが、登場人物を40代に設定したならその年代にふさわしくしゃべらせたらいかがなもんであろうか?
「ワイフです」なんて馴染みの焼肉屋で言うかい?
「先生に接吻されたわたし」 アラフォが接吻なんて言うかい?
小学校の子供が 「ママ 今 なにか口ずさんでいたよ。いいことあったの?」
なんて言うかい?
奥さん・母と言えども 最近の小中学生のママたちのキャピキャピしてて若くて軽いのを知らないのだろうか? だいたい「あじさい」の柄の日記帳なんて買わないだろうさ。
とにかく会話はダサすぎ。作者にはイマドキの携帯小説でも読んで会話部分を勉強されて欲しいわ。まだしゃべり言葉に限っては荒唐無稽の携帯小説の方が現実的であろう。(もっとも恋空を10話まで読んで気分が悪くなって撤退した私なので詳しくは存じませぬが・・・)
加えて彼の小説の主人公は医者が多いけど、医療現場も渡辺氏が現役だった頃(昭和40年代?)の雰囲気で時が止まってるんじゃなかろうか?
やたらナースやパラメディカルを下に見てるし、いくら自分のクリニックだとはいえ昨今は先生様じゃやっていけないであろう(私の知り合いの開業医の先生はスタッフのおやつを用意するために自らコンビニに買い物に行くらしいw)
平成20年代の医療現場の人間関係ってもっと希薄だし、医者が威張ってられないと思うよ、多分。
普通に生活してれば違和感を感じる小説内のこういう事って誰か指摘しないの?
大講O社の編集者の人たちって 御大の渡辺先生には物も言えないの?
読後一番の感想はそこでありました。
これが文芸作品と銘打たれて書店に一時的にでも平積みされるのってねえ・・・
文句ばかり垂れましたが、私 氏のイニシエの小説 「阿寒に果つ」 好きでしたね。
自死した早熟だった女流画家、彼女をめぐる男たちの視点から見た小説。
クリスタルのように繊細な少女画家が相手によって違う姿を見せていた様。
北海道の自然の中で自己陶酔の内で美しいままで死んでいった少女が脳裏に浮かび、それがいまだに残っているような 忘れがたい作品だった・・・のにな。
年の取り方は色々なんだなあと考えさせられる本であった。
長々毒舌すみませぬ。
私にとって そういう対象の作家は 渡辺O一氏である。
さすがに本を買って氏に印税をもたらすのもしのびないので図書館で借りることにしておりますが・・・
「あじさい日記」 講O社
(多分40半ばの)開業医が主人公。自分のクリニックに勤務する医療事務の20代の女の子と浮気中である。
ひょんな事から 妻の書いている あじさいの模様のついた日記帳を見てしまう。 そこには客観視された自分の姿が書かれている。浮気の事も勘付かれていることを知る。
妻はやがて夫の愛人のマンション(主人公がお金を出して借りてやっている)に乗り込み修羅場。その時の妻の本音も日記により知る。
やがて妻が気分転換にと源氏物語の講座に出かけることになり、その講師である元師事していた大学教授と再会。
今度は妻が教授と親しくなり浮気に走る。 それも妻の日記で経緯を覗き見てあせる夫。
と言うお話。
この主人公の医者ったらホントに嫌な奴なんですわ。
自分がさんざっぱら浮気しているのにもかかわらず 妻の浮気は 「不潔だ」と決めつける。普段の言動もオレサマタイプである。
妻もねちっこいと言うか女っぽすぎるというか、めんどくさそうで友達にはなりたくないタイプの女性である。
まあ 渡辺氏の小説ってこういった感じの男女が多いのですけどね。きっと氏自身の投影と好きなタイプの女性なのであろう。
だいたい妻の日記を盗み見るって設定も嫌だし、こういった嫌な男女が夫婦になってしかもお互い浮気していることを知りつつセレブ生活をしているといった嫌な設定なんだから嫌な話になるはずである。(だったら読むなですが冒頭の理由ゆえ)
500ページあまりの長編であったが、読み進んだ推進力は他人の家の揉め事を盗み見るといった下世話な興味だけだった気がする。
最後も夫が盗み見している妻の日記で終わり 「・・・お互いが相手の立場をいかに寛容に理解し、許しあえるかで、夫婦の、そして家族の幸せが決まっていく。 たとえそれが仮面でも、そうすることが、社会の枠組みのなかで円滑に家庭生活を続けていくための知恵なら、避けることはない・・・」
これが結論ですか? 陳腐だね~ ムカつくね~
大筋もこういったところだが、細かいところも突っ込み所が満載であります。
会話や単語に作家の年代、世代が表れてしまうものだが、登場人物を40代に設定したならその年代にふさわしくしゃべらせたらいかがなもんであろうか?
「ワイフです」なんて馴染みの焼肉屋で言うかい?
「先生に接吻されたわたし」 アラフォが接吻なんて言うかい?
小学校の子供が 「ママ 今 なにか口ずさんでいたよ。いいことあったの?」
なんて言うかい?
奥さん・母と言えども 最近の小中学生のママたちのキャピキャピしてて若くて軽いのを知らないのだろうか? だいたい「あじさい」の柄の日記帳なんて買わないだろうさ。
とにかく会話はダサすぎ。作者にはイマドキの携帯小説でも読んで会話部分を勉強されて欲しいわ。まだしゃべり言葉に限っては荒唐無稽の携帯小説の方が現実的であろう。(もっとも恋空を10話まで読んで気分が悪くなって撤退した私なので詳しくは存じませぬが・・・)
加えて彼の小説の主人公は医者が多いけど、医療現場も渡辺氏が現役だった頃(昭和40年代?)の雰囲気で時が止まってるんじゃなかろうか?
やたらナースやパラメディカルを下に見てるし、いくら自分のクリニックだとはいえ昨今は先生様じゃやっていけないであろう(私の知り合いの開業医の先生はスタッフのおやつを用意するために自らコンビニに買い物に行くらしいw)
平成20年代の医療現場の人間関係ってもっと希薄だし、医者が威張ってられないと思うよ、多分。
普通に生活してれば違和感を感じる小説内のこういう事って誰か指摘しないの?
大講O社の編集者の人たちって 御大の渡辺先生には物も言えないの?
読後一番の感想はそこでありました。
これが文芸作品と銘打たれて書店に一時的にでも平積みされるのってねえ・・・
文句ばかり垂れましたが、私 氏のイニシエの小説 「阿寒に果つ」 好きでしたね。
自死した早熟だった女流画家、彼女をめぐる男たちの視点から見た小説。
クリスタルのように繊細な少女画家が相手によって違う姿を見せていた様。
北海道の自然の中で自己陶酔の内で美しいままで死んでいった少女が脳裏に浮かび、それがいまだに残っているような 忘れがたい作品だった・・・のにな。
年の取り方は色々なんだなあと考えさせられる本であった。
長々毒舌すみませぬ。