昨日の朝 7時頃、夫の出勤時刻に家を出て実家に向かった。
犬と二人旅である。
都内の幹線道路はまだ渋滞しておらず、高速の入口までは今までの最短時間で着いた。
更に高速道路もすいていて快適にとばすことができた。
道半ばをすぎると ふるさとの山が見えてくる。見慣れた山(10年間その山から吹き下ろしてくる風に向って登校した)の向こうにはすっかり雪をかぶって真っ白になった県境の山も見える。
真っ青な冬空から斜めに差しこんでくる朝日のまぶしさ。くっきりと空に描かれる山の稜線。
ドライブって朝がいいな と 思った。
実家に帰った目的は 父の定期検診に付き合うためだった。
年末年始に一緒に過ごした時に 気分が悪くなって倒れそうになった父。
母に聞くと 12月は何かとおちこんでいる様子だったと言う。
4年前に脳梗塞を患って、早期発見でそう後遺症は残らなかったとはいえ、加齢のせいもあって なかなか単語がでてこなかったり物忘れする頻度も高くなった気味もある。
おととし、国道で自損事故をおこして VOLVOを一台廃車にしてしまったことをきっかけに(幸い自分も他人も傷つけずにすんだが)運転免許を返上して以来、だんだん行動範囲も狭くなってしまっている。
「このさい お前が行って 主治医に今の様子を話して これからの治療方針聞いて来いや。薬も3か所からもらってるのが統一してもらえるように手続きしてくれば」 と 夫
「ねえちゃん 頼む。一度話をしてだいたいの方針が決まったら細かいことは俺が動く」 と 弟
ってことで実家について父を載せて かかりつけのクリニックに。
ここは 父が入院したところのサテライトの老人向けの診療所である。
外来担当の医師は 弟の小中の同級生、私の後輩でもある女医さんである。
高校でも一緒だったので記憶にあるが 当時もんのすごい美少女で有名であった。
あらかじめ弟より 「OOちゃん、貫録でたぜ~」と注意を受けていたのでそう驚かなかったが ほえ~ 月日は流れ、貫録と脂肪が積もったOOちゃん。町ですれ違っても絶対わからなかったであろう。
しかし月日は ツンとして生意気なお嬢様キャラだった彼女の雰囲気も変えていた。気さくにてきぱきと話しを聞いてくれて 今後の方針を提案してくれて、私たちが心配していた点を踏まえてこれから治療も考えてくれると快く言ってくれた。
そして父が落ち込んでいたこと、時々頭が真っ白になるような気がすると自分でも言っていて、客観視すると いわゆるまだらぼけの様な症状を感じるというのはまるで認識していなかったようだ。
「お父様はとてもしっかりしてると思いますけどね」とも言っていた。
う~ん 外に出るととてもしっかりするのだけど・・・
待合室で待っている間 父と色々話もしたが、確かに普通に話している分には言葉が時々出にくい点以外はしっかりしている。
それどころが、昔のことはめちゃくちゃよく覚えている。
「OO通りにバス路線がないのは昔からだよ。橋ができたのが新しかったからな。」
「へえ あの橋はいつできたの?」
「うん あれは新しいんだよ 昭和25年だな」
・・・って新しかないと思うが よく覚えてる・・・
待合室で死んだ兄(私にとって伯父)と高校で同級生だった知り合いと会って挨拶していた。
「OO兄が OO高で二年上にいたから 俺はとても助かったんだ」
「へえ どうして?」
「OO兄は ガキ大将だったし いつも制服のポケットに小銭をジャラジャラ入れていて子分にソバだの饅頭だのしょっちゅうおごってたからな。その弟だっていうんで俺はいじめられたことなかった」
「あはは OOおじさんらしいね。昔から太っ腹だったんだね」
「入試のときもな。俺は学科は大丈夫だったけど体操が苦手だったんでな。肋膜やって身体も弱かったし」
「うん」
「そうしたら 入試の手伝いで記録係をしていたのがOO兄の友達でな。懸垂なんか3回くらいしかできないのを13回にしちまうし、短距離走なんかは1秒くらい短くして記録してくれたらしくてな」
「あはは それってひど~い 不正入試じゃない」
「もう時効だろ」
母とはよく話すが 父と二人っきりで話をすることって考えてみたらあんまりなかったような気がする。
これからは帰れる時は帰って まだ知らない父の面をたくさん聞いておきたいな とも 思った。
犬と二人旅である。
都内の幹線道路はまだ渋滞しておらず、高速の入口までは今までの最短時間で着いた。
更に高速道路もすいていて快適にとばすことができた。
道半ばをすぎると ふるさとの山が見えてくる。見慣れた山(10年間その山から吹き下ろしてくる風に向って登校した)の向こうにはすっかり雪をかぶって真っ白になった県境の山も見える。
真っ青な冬空から斜めに差しこんでくる朝日のまぶしさ。くっきりと空に描かれる山の稜線。
ドライブって朝がいいな と 思った。
実家に帰った目的は 父の定期検診に付き合うためだった。
年末年始に一緒に過ごした時に 気分が悪くなって倒れそうになった父。
母に聞くと 12月は何かとおちこんでいる様子だったと言う。
4年前に脳梗塞を患って、早期発見でそう後遺症は残らなかったとはいえ、加齢のせいもあって なかなか単語がでてこなかったり物忘れする頻度も高くなった気味もある。
おととし、国道で自損事故をおこして VOLVOを一台廃車にしてしまったことをきっかけに(幸い自分も他人も傷つけずにすんだが)運転免許を返上して以来、だんだん行動範囲も狭くなってしまっている。
「このさい お前が行って 主治医に今の様子を話して これからの治療方針聞いて来いや。薬も3か所からもらってるのが統一してもらえるように手続きしてくれば」 と 夫
「ねえちゃん 頼む。一度話をしてだいたいの方針が決まったら細かいことは俺が動く」 と 弟
ってことで実家について父を載せて かかりつけのクリニックに。
ここは 父が入院したところのサテライトの老人向けの診療所である。
外来担当の医師は 弟の小中の同級生、私の後輩でもある女医さんである。
高校でも一緒だったので記憶にあるが 当時もんのすごい美少女で有名であった。
あらかじめ弟より 「OOちゃん、貫録でたぜ~」と注意を受けていたのでそう驚かなかったが ほえ~ 月日は流れ、貫録と脂肪が積もったOOちゃん。町ですれ違っても絶対わからなかったであろう。
しかし月日は ツンとして生意気なお嬢様キャラだった彼女の雰囲気も変えていた。気さくにてきぱきと話しを聞いてくれて 今後の方針を提案してくれて、私たちが心配していた点を踏まえてこれから治療も考えてくれると快く言ってくれた。
そして父が落ち込んでいたこと、時々頭が真っ白になるような気がすると自分でも言っていて、客観視すると いわゆるまだらぼけの様な症状を感じるというのはまるで認識していなかったようだ。
「お父様はとてもしっかりしてると思いますけどね」とも言っていた。
う~ん 外に出るととてもしっかりするのだけど・・・
待合室で待っている間 父と色々話もしたが、確かに普通に話している分には言葉が時々出にくい点以外はしっかりしている。
それどころが、昔のことはめちゃくちゃよく覚えている。
「OO通りにバス路線がないのは昔からだよ。橋ができたのが新しかったからな。」
「へえ あの橋はいつできたの?」
「うん あれは新しいんだよ 昭和25年だな」
・・・って新しかないと思うが よく覚えてる・・・
待合室で死んだ兄(私にとって伯父)と高校で同級生だった知り合いと会って挨拶していた。
「OO兄が OO高で二年上にいたから 俺はとても助かったんだ」
「へえ どうして?」
「OO兄は ガキ大将だったし いつも制服のポケットに小銭をジャラジャラ入れていて子分にソバだの饅頭だのしょっちゅうおごってたからな。その弟だっていうんで俺はいじめられたことなかった」
「あはは OOおじさんらしいね。昔から太っ腹だったんだね」
「入試のときもな。俺は学科は大丈夫だったけど体操が苦手だったんでな。肋膜やって身体も弱かったし」
「うん」
「そうしたら 入試の手伝いで記録係をしていたのがOO兄の友達でな。懸垂なんか3回くらいしかできないのを13回にしちまうし、短距離走なんかは1秒くらい短くして記録してくれたらしくてな」
「あはは それってひど~い 不正入試じゃない」
「もう時効だろ」
母とはよく話すが 父と二人っきりで話をすることって考えてみたらあんまりなかったような気がする。
これからは帰れる時は帰って まだ知らない父の面をたくさん聞いておきたいな とも 思った。