桐島 部活をやめるってよ
この作者の生年月日を見てびっくり!1989年生まれだって! 平成だよ、平成。
岐阜県生まれで高校まで岐阜で過ごし、早稲田大学に進学して20歳の時に書いたこの小説がすばる新人賞をとる
以前、新聞か週刊誌の書評で読んで、題名が印象に残っていたので図書館の書棚で発見して借りた本。
桐島くんをめぐる高校生のオムニバス形式の小説。ただし 桐島本人は登場人物の口を借りて語られるだけで登場はしない。
バレー部のキャプテンであった桐嶋くん 爽やかで頼れる人柄で誰よりもバレーが好きだったはずなのに、なぜか周りから浮いてしまってバレー部を休むかやめるかしてしまっている状態。彼をめぐる部活やクラスの高校生たちの群像である。
私は面白かったな。
軽い語り口ですぐに読めてしまうので軽い話と受け取ってしまうかもしれないけど、そうでもなかったな。
ちょっと見 同じような制服を着て、同じように見える高校生の群れ、ところが学校内では上と下っていう見えない序列がある。
この小説で書かれているのは かっこよくてあか抜けていて目立つ男の子(たいていスポーツが得意)が上だとしたら ちょっとオタクっぽくて目立たない男の子が下ランク。
女の子は、可愛くておしゃれでやはり目立つ子が上 そうでない子が下。という序列ある世界。
もっとさっぱり言い換えると 異性にモテルかモテないかが序列になっているかもしれない。
そういえば この時代の序列に言及した話は桐野夏生氏の「グロテスク」でも描かれてましたね。あっちはもっと特殊な慶☆女子高がモデルの話だったし、もっと陰惨だったけど。
こちらは田舎の進学校が舞台なのである意味普通ではある。だからこそ色んな付加価値からフリーでその子の見かけや生まれながらにして持ってるものが評価の対象になっちゃっているのかもね。
で、「上」も「下」も色々それなりに考えはしているのだ。自己肯定してみたり これでいいのか?と反省してみたり、時には家庭に深い事情があってそれと闘ったりしながらも・・・
しかし、あまり深刻なことを口に出したり、他人と深くかかわったりするのを避ける風潮なのか、ちょっとした違和感は飲み込んだり、自分自身に対しても気づかないふりをして通り過ぎたりして過ごしているのだ。
私自身の高校時代(もうとお~~~くなっちゃったけど)共通している部分もある。今思うときらきらしていてまぶしかった反面、どこかひりひりしていた感覚は普遍的なものなのかもね。
しかし この年になると 高校時代 あれほど輝いてた男子が ハゲメタボのオヤジになっていたり、学年一の美少女と言われた女子が、なぜかダメンズウォーカーで子供を連れて離婚してきてから宗教にはまってエライ地味な格好で選挙前にお願いに来たりとか 人生の変遷ってものを目の当たりにしてきちゃっているのよね。
この小説のように「俺たちって高校の序列では「下」だもんね。どうしても「上」にはなれないんだもんね。」と下を向いていじけてる子たちに 「君たち 人生なんて今のクラスの中の序列が続くわけじゃないんだからね」とついつい声かけしてあげたくもなる。
また それとはまるで反対の感情だけど、あの一瞬の高校時代だからこそ 輝いている「上」の若者たちの傲慢さは許してあげたくもなる。
と、過去を振り返ったり登場人物を知人に置き換えてみたりして色々考えてしまったのだ。
この作者の生年月日を見てびっくり!1989年生まれだって! 平成だよ、平成。
岐阜県生まれで高校まで岐阜で過ごし、早稲田大学に進学して20歳の時に書いたこの小説がすばる新人賞をとる
以前、新聞か週刊誌の書評で読んで、題名が印象に残っていたので図書館の書棚で発見して借りた本。
桐島くんをめぐる高校生のオムニバス形式の小説。ただし 桐島本人は登場人物の口を借りて語られるだけで登場はしない。
バレー部のキャプテンであった桐嶋くん 爽やかで頼れる人柄で誰よりもバレーが好きだったはずなのに、なぜか周りから浮いてしまってバレー部を休むかやめるかしてしまっている状態。彼をめぐる部活やクラスの高校生たちの群像である。
私は面白かったな。
軽い語り口ですぐに読めてしまうので軽い話と受け取ってしまうかもしれないけど、そうでもなかったな。
ちょっと見 同じような制服を着て、同じように見える高校生の群れ、ところが学校内では上と下っていう見えない序列がある。
この小説で書かれているのは かっこよくてあか抜けていて目立つ男の子(たいていスポーツが得意)が上だとしたら ちょっとオタクっぽくて目立たない男の子が下ランク。
女の子は、可愛くておしゃれでやはり目立つ子が上 そうでない子が下。という序列ある世界。
もっとさっぱり言い換えると 異性にモテルかモテないかが序列になっているかもしれない。
そういえば この時代の序列に言及した話は桐野夏生氏の「グロテスク」でも描かれてましたね。あっちはもっと特殊な慶☆女子高がモデルの話だったし、もっと陰惨だったけど。
こちらは田舎の進学校が舞台なのである意味普通ではある。だからこそ色んな付加価値からフリーでその子の見かけや生まれながらにして持ってるものが評価の対象になっちゃっているのかもね。
で、「上」も「下」も色々それなりに考えはしているのだ。自己肯定してみたり これでいいのか?と反省してみたり、時には家庭に深い事情があってそれと闘ったりしながらも・・・
しかし、あまり深刻なことを口に出したり、他人と深くかかわったりするのを避ける風潮なのか、ちょっとした違和感は飲み込んだり、自分自身に対しても気づかないふりをして通り過ぎたりして過ごしているのだ。
私自身の高校時代(もうとお~~~くなっちゃったけど)共通している部分もある。今思うときらきらしていてまぶしかった反面、どこかひりひりしていた感覚は普遍的なものなのかもね。
しかし この年になると 高校時代 あれほど輝いてた男子が ハゲメタボのオヤジになっていたり、学年一の美少女と言われた女子が、なぜかダメンズウォーカーで子供を連れて離婚してきてから宗教にはまってエライ地味な格好で選挙前にお願いに来たりとか 人生の変遷ってものを目の当たりにしてきちゃっているのよね。
この小説のように「俺たちって高校の序列では「下」だもんね。どうしても「上」にはなれないんだもんね。」と下を向いていじけてる子たちに 「君たち 人生なんて今のクラスの中の序列が続くわけじゃないんだからね」とついつい声かけしてあげたくもなる。
また それとはまるで反対の感情だけど、あの一瞬の高校時代だからこそ 輝いている「上」の若者たちの傲慢さは許してあげたくもなる。
と、過去を振り返ったり登場人物を知人に置き換えてみたりして色々考えてしまったのだ。