局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

女の一生を考えた

2011-06-15 21:56:57 | 見る(映画 劇場 美術館など)
先月 ニジンスキーの記事でちょっと触れましたが  月曜日 ミュージカル MITSUKOを見てきた。


 青山劇場にて。

明治の女性でオーストリア・ハンガリー公使として日本に来ていたクーデンホーフ伯爵に見初められて正式な妻として結婚。オーストリアに嫁ぐ。七人の子供に恵まれたが、伯爵の早逝で結婚生活は終わる。
七人の子供とともに未亡人として残された彼女は子供の教育に情熱をそそぎ、良い教育を授けるためにウィーンに転居する。
彼女の子供のうち 有名なのは次男リヒャルト 彼こそは今のEUの基礎となるパンヨーロッパ思想を提唱した人であります。

東京の骨董屋の娘がヨーロッパの貴族の正妻となり、一時はウィーン社交界の華だった時もあると、私は華やかなイメージでとらえていたのだけど、彼女の一生、特に後半生はなかなか精神的に厳しいものだったと推察される。



↑ 実際のミツコさん

夫亡きあと情熱を注いで育てた子供たちのほとんどが彼女の元から去っていっているのである。

特に頭脳明晰、容色も優れた自慢の息子、二男のリヒャルトが自分の友人である女優のイダと恋におちた時、彼女は怒り二人の仲を裂こうとした。まあ相手は13歳上の離婚経験者ですからその当時の普通の母親としては難色を示しただろう。 長男もやはり年上の飛行機乗りの女性と結婚し、それもミツコさんにとっては意にそぐわない相手だった。
それが契機となったのだろうか? 彼女は頑固になりかたくなになってしまう。そういう母を避けて、ほかの子供たちも彼女の元から離れて行ってしまった。最後に残ったのは末娘のオルガだけだった。
(オルガは母を看取ったあとも一生結婚せず、第二次大戦後は難民となって大変な苦労をしたそうだ) 亡くなる時の願い、夫と同じ墓所に葬られたいという願いすらかなえられていない。
そして嫁いだ後 一度も日本に帰ることはなかった。

昨日のミュージカル そのミツコを演じたのは

 安蘭けいさん。

 ミツコの持つ美しさと強さがよく表れていた。

 そしてリヒャルト(若い時)はWキャストだったが昨日はジュリアン(水★アキの息子さんだってね、なかなか達者なイケメンであった。向かって左)

終わった後に、この三人と年取ってからのリヒャルト役の増沢望さんとの四人のトークショーがあった。安蘭さんは顔に似合わずwひょうきんキャラでおもしろかった。
そして彼女の言ったことで印象に残ったのは・・・ この舞台を演じるにあたってミツコさんの足跡をたどるのに オーストリアやウィーンを訪ねたそうだ。そして彼女の一生がやはり穏やかで幸せとは言い難く、たくさんの子供のとの関係を知るにあたって 「あ~かわいそうに 子供なんて持つもんじゃないのかも・・・」と思ったそうだ。そしてその思いを抱きながらどういう風に演じるか考えたそうだ。しかし、色々の精神的苦労の中でも前を向いてプライドを持って異国で生きた彼女の強さ、それを演じることで何かを伝えられるのじゃないかと思ったとの言葉が印象的だった。

ヨーロッパ貴族に嫁ぎ 何か国語も操り、一時は社交界の華としてもてはやされた彼女は、実は日本の女性すぎるほど日本の女性だったのかもしれない。自分を殺し嫁ぎ先に合わせて子供を育てるためにわが身を犠牲にして一生を全うした当時の明治女という意味で。

不勉強のため、この舞台を見るために予習するまでほとんど彼女の事を知らなかった。
そして EUの基礎となった理論を唱えたリヒャルトが半分日本人であること、それを私たちはもっと誇るべきこととして認識してもいいんじゃないかと思った。










コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする