今日は悪口三昧です。嫌な方はスルーしてね。
姑の検査のため、大学病院へ付き添いに行った。
ステージⅢからの癌サバイバー(完治!)なので一年おきに血液検査をしてその結果を聞くのだが、車いすでの移動が大変なのでオットとワタシが二人かかりで連れていく。
5月の予定だったが、コロナのため半年ずらして今頃になった。
オットが職場に近い姑の老人マンションでピックアップして、ワタシが途中の駅で待ち受けて一緒に行くという形。
そしてその検査が終わるころに姑の友達に病院まで来てもらって、一緒にご飯を食べるというのが習慣になっている。
コロナのため、姑が老人マンションから出かけたのが10か月ぶりだった。
久々の外出が嬉しいのかもしれないが、テンションが高すぎ。オットの車の中でず~~~~っとしゃべっている。
この日の話題は
1)故郷に居た若い頃、絵を習いに行った商業美術の有名な先生が口説いて来たのでうるさいから振って東京に出てきたというモテ自慢
2)いつものオットの話題(落ち着きがないと幼稚園の先生に注意されたが男の子は落ち着きのないほうが伸びる ワタシの目は確かだった)の子育て自慢
3)東京に出てきて一生懸命働いて土地を自分の稼ぎで買ったこと自慢
今回はこの話題が各5回ずつ以上無限ループされた。
何十回(何百回かもしれぬ)も聞いた話なのでワタシも展開は空で言えるし、聞いていてもまるで楽しくない話なので、車の中では他のことを考え、病院についてからは持参した本を読むことにしている。
それでも「ね、局さん」とかたまにこちらに振られることがあるので「そうですね」とか「さすがですね」とかはそれに応じて言うことにしている。
民謡でいう「はぁ どっこい」とか「はーこりゃこりゃ」みたいに反射的に出てくる合いの手みたいなもんですね。
まあ 私の合いの手より、姑にとってはオットが聞いてくれるというのが何よりうれしいのである。(この満面の笑み)
この話を途中で遮らずに聞いてあげるオットは確かに孝行息子だと思うよ。オットも「はぁ どっこい」なのかもしれぬが・・・
病院ではエコーと血液検査をして、結果が出るのを待って治療してもらった血液内科の外来へ。
JInの主人公に似た、なかなかのイケメンDrである。姑も常日頃、ご親切な良い先生ね などと言っているのだが
外来の部屋に入ったとたん
「ワタクシ、何にも悪いことがないんでございますの」 そりゃあ何よりだが、診断を下すのは目の前のDrでしょうに。
「それでもね、先生、ワタクシね、何年か前に顎に癌ができたんでございますよ、とても腫れましてね。それが治ったんでございますの」入院したのはここ、主治医は目の前のヒトだよ。
Dr.JINはめげずに
「そうでしたね、〇〇さん。僕がその時、治療させていただきました」 と返したのはさすがだけどコントみたいなやりとりだったね。。
それを聞いていたオットもワタシも後ろで脱力したのであった。
そして
「エコーの結果も血液検査の結果も何も異常はありません。優秀です」 とお墨付き。
姑、血圧も低めで安定して、現在何も薬を飲んでいない、奇跡の91歳なのである(この調子で100歳も余裕で迎えそうな予感がする)
ちょうど外来が終わるころに、姑の友達が病院に到着。
こちらはオットの小学生の時の母友。
やはり母一人子一人というパターンなので気が合ったのだろうか?姑が老人マンションに入るまでは月①くらいでランチしたり、コンサートに行ったりしていたらしい。
ただオットの友達は米国で就労してグリーンカードも取ったが度重なる病気で半身が不自由になってしまっていったんは帰国したものの、あちらで年金も出ているので行ったり来たりしていたが、このコロナのおかげで年頭に行ったきり帰ってこられなくなり、連絡も途絶えておばちゃまは超絶心配していた という状態だった。
オットや当時の仲間も心配して(血管関係の持病があるのでコロナにかかったら大変だと)色んな手段で連絡を取って9月になってやっと生存が確認できたが、まだいつ帰ってくるかは未定 という。
その間、おばちゃまは転んで捻挫して歯を折ったり、夜中に心配になって目が覚めるとめまいで立ち上がれなくなったことも何度かで相談されたこともあった。一人暮らしでさぞ心細かったと思う。
そんな状況にもかかわらず、姑のおよびたてで電車を乗り継ぎ来てくれるおばちゃま。
すっかり歩けなくなってしまった姑と違い、歩き方はしっかりしている。
姑と私たちにもお土産を持ってきてくださり、「またあなたに会えてうれしいわ」と満面の笑みを浮かべる気のいい方。
元は大変な美人で、おしゃれで、自立していて話も面白い。
ただ、この日会った時は、やはり(年取っちゃったなあ・・・ 心配だなあ)と思わされた。
一人息子がこのご時世で何か月か行方知れずになっていたというのはかなりのストレスだったと思う。
とはいえ
二人合わせて180歳 木〇路の結構ボリュームのあるランチ完食 + デザートとコーヒーも完食というのはごりっぱである。
ワタシがホントに嫌なのは、こういう背景があるおばちゃまの前で
「ワタクシは本当に幸せな老人なのよ。こうやってムスコも嫁も病院に連れてきてくれるでしょ」とか
「ひ孫まで見られるなんて思わなかったわ。孫やひ孫の成長がみられるのは嬉しいことよ」などとのたまう事。
オットの友達は×2で子無しである。姑って天然でバ〇なのかマウンティングのつもりなのか?
(普通、ここで言う言葉かいな) とムラムラするワタシ。この時ばかりは姑の発言を強引に遮って違う話題に持っていくことにしている。
それでも
「ホントにあなたはお幸せよ 良かったわねえ 癌が治って」と返すおばちゃまは本当に人間のできた人だ。彼女みたいな人が姑だったらワタシも素直に姑孝行ができたと思う。
オットの車で帰りはおばちゃまの家まで送った。
某高級住宅地で彼女を下ろし、また会いましょうと嬉しそうに手を振ったあげくに
「〇〇さんもお気の毒にね。あの坊ちゃんは親不孝だわ。甘やかされすぎたのね」と宣う人。ホント嫌いです、こういう所。
さすがのオットも
「お母さん、そういうこと言うもんじゃないよ」とたしなめたが、ワタシはあんまりムカついたので帰り道は合いの手も入れずに沈黙を保つことにした。
縁あって姑と嫁という関係になってしまったが、ワタシが彼女を苦手とするのは、世の中一般に言われる「仲が悪いのが嫁姑のデフォ」ということではないんですね。姑は意地は悪くないので、意地悪されたことはない。
ただ性格が合わない&言動が許せないってことだね。ワタシが彼女のために尽くすのはただオットのためという義務感だけだし、その時は修行と思うしかない。
ワタシも姑の立場ではあるので、ムスコの嫁と、ムスメの婿には、姑の存在を反面教師として接することにしている。
ワタシはお嫁ちゃんも婿も好きだし、こちらは(多分)うまくいっているのはお勉強の成果かしらね。
姑の検査のため、大学病院へ付き添いに行った。
ステージⅢからの癌サバイバー(完治!)なので一年おきに血液検査をしてその結果を聞くのだが、車いすでの移動が大変なのでオットとワタシが二人かかりで連れていく。
5月の予定だったが、コロナのため半年ずらして今頃になった。
オットが職場に近い姑の老人マンションでピックアップして、ワタシが途中の駅で待ち受けて一緒に行くという形。
そしてその検査が終わるころに姑の友達に病院まで来てもらって、一緒にご飯を食べるというのが習慣になっている。
コロナのため、姑が老人マンションから出かけたのが10か月ぶりだった。
久々の外出が嬉しいのかもしれないが、テンションが高すぎ。オットの車の中でず~~~~っとしゃべっている。
この日の話題は
1)故郷に居た若い頃、絵を習いに行った商業美術の有名な先生が口説いて来たのでうるさいから振って東京に出てきたというモテ自慢
2)いつものオットの話題(落ち着きがないと幼稚園の先生に注意されたが男の子は落ち着きのないほうが伸びる ワタシの目は確かだった)の子育て自慢
3)東京に出てきて一生懸命働いて土地を自分の稼ぎで買ったこと自慢
今回はこの話題が各5回ずつ以上無限ループされた。
何十回(何百回かもしれぬ)も聞いた話なのでワタシも展開は空で言えるし、聞いていてもまるで楽しくない話なので、車の中では他のことを考え、病院についてからは持参した本を読むことにしている。
それでも「ね、局さん」とかたまにこちらに振られることがあるので「そうですね」とか「さすがですね」とかはそれに応じて言うことにしている。
民謡でいう「はぁ どっこい」とか「はーこりゃこりゃ」みたいに反射的に出てくる合いの手みたいなもんですね。
まあ 私の合いの手より、姑にとってはオットが聞いてくれるというのが何よりうれしいのである。(この満面の笑み)
この話を途中で遮らずに聞いてあげるオットは確かに孝行息子だと思うよ。オットも「はぁ どっこい」なのかもしれぬが・・・
病院ではエコーと血液検査をして、結果が出るのを待って治療してもらった血液内科の外来へ。
JInの主人公に似た、なかなかのイケメンDrである。姑も常日頃、ご親切な良い先生ね などと言っているのだが
外来の部屋に入ったとたん
「ワタクシ、何にも悪いことがないんでございますの」 そりゃあ何よりだが、診断を下すのは目の前のDrでしょうに。
「それでもね、先生、ワタクシね、何年か前に顎に癌ができたんでございますよ、とても腫れましてね。それが治ったんでございますの」入院したのはここ、主治医は目の前のヒトだよ。
Dr.JINはめげずに
「そうでしたね、〇〇さん。僕がその時、治療させていただきました」 と返したのはさすがだけどコントみたいなやりとりだったね。。
それを聞いていたオットもワタシも後ろで脱力したのであった。
そして
「エコーの結果も血液検査の結果も何も異常はありません。優秀です」 とお墨付き。
姑、血圧も低めで安定して、現在何も薬を飲んでいない、奇跡の91歳なのである(この調子で100歳も余裕で迎えそうな予感がする)
ちょうど外来が終わるころに、姑の友達が病院に到着。
こちらはオットの小学生の時の母友。
やはり母一人子一人というパターンなので気が合ったのだろうか?姑が老人マンションに入るまでは月①くらいでランチしたり、コンサートに行ったりしていたらしい。
ただオットの友達は米国で就労してグリーンカードも取ったが度重なる病気で半身が不自由になってしまっていったんは帰国したものの、あちらで年金も出ているので行ったり来たりしていたが、このコロナのおかげで年頭に行ったきり帰ってこられなくなり、連絡も途絶えておばちゃまは超絶心配していた という状態だった。
オットや当時の仲間も心配して(血管関係の持病があるのでコロナにかかったら大変だと)色んな手段で連絡を取って9月になってやっと生存が確認できたが、まだいつ帰ってくるかは未定 という。
その間、おばちゃまは転んで捻挫して歯を折ったり、夜中に心配になって目が覚めるとめまいで立ち上がれなくなったことも何度かで相談されたこともあった。一人暮らしでさぞ心細かったと思う。
そんな状況にもかかわらず、姑のおよびたてで電車を乗り継ぎ来てくれるおばちゃま。
すっかり歩けなくなってしまった姑と違い、歩き方はしっかりしている。
姑と私たちにもお土産を持ってきてくださり、「またあなたに会えてうれしいわ」と満面の笑みを浮かべる気のいい方。
元は大変な美人で、おしゃれで、自立していて話も面白い。
ただ、この日会った時は、やはり(年取っちゃったなあ・・・ 心配だなあ)と思わされた。
一人息子がこのご時世で何か月か行方知れずになっていたというのはかなりのストレスだったと思う。
とはいえ
二人合わせて180歳 木〇路の結構ボリュームのあるランチ完食 + デザートとコーヒーも完食というのはごりっぱである。
ワタシがホントに嫌なのは、こういう背景があるおばちゃまの前で
「ワタクシは本当に幸せな老人なのよ。こうやってムスコも嫁も病院に連れてきてくれるでしょ」とか
「ひ孫まで見られるなんて思わなかったわ。孫やひ孫の成長がみられるのは嬉しいことよ」などとのたまう事。
オットの友達は×2で子無しである。姑って天然でバ〇なのかマウンティングのつもりなのか?
(普通、ここで言う言葉かいな) とムラムラするワタシ。この時ばかりは姑の発言を強引に遮って違う話題に持っていくことにしている。
それでも
「ホントにあなたはお幸せよ 良かったわねえ 癌が治って」と返すおばちゃまは本当に人間のできた人だ。彼女みたいな人が姑だったらワタシも素直に姑孝行ができたと思う。
オットの車で帰りはおばちゃまの家まで送った。
某高級住宅地で彼女を下ろし、また会いましょうと嬉しそうに手を振ったあげくに
「〇〇さんもお気の毒にね。あの坊ちゃんは親不孝だわ。甘やかされすぎたのね」と宣う人。ホント嫌いです、こういう所。
さすがのオットも
「お母さん、そういうこと言うもんじゃないよ」とたしなめたが、ワタシはあんまりムカついたので帰り道は合いの手も入れずに沈黙を保つことにした。
縁あって姑と嫁という関係になってしまったが、ワタシが彼女を苦手とするのは、世の中一般に言われる「仲が悪いのが嫁姑のデフォ」ということではないんですね。姑は意地は悪くないので、意地悪されたことはない。
ただ性格が合わない&言動が許せないってことだね。ワタシが彼女のために尽くすのはただオットのためという義務感だけだし、その時は修行と思うしかない。
ワタシも姑の立場ではあるので、ムスコの嫁と、ムスメの婿には、姑の存在を反面教師として接することにしている。
ワタシはお嫁ちゃんも婿も好きだし、こちらは(多分)うまくいっているのはお勉強の成果かしらね。