局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

また おくりびとは辛かった

2009-03-03 22:50:26 | 様々な思い
昨日からの続きです

従姉妹の告別式の前、親族席に座っている叔母のところに駆け寄ってきたチビで小太りでうすらハゲの初老の男性、いきなり叔母の椅子の前にひざまづき、叔母の手をがっしり握り締めて
「おかあさん ××をしているOOです。O子ちゃん残念でした。」と言い出した。
叔母は ああ××の・・・ とは言ったけどどうやら初対面ぽかった。
それにしてもこの馴れ馴れしさと話し方がものすごく私の癇に障った。
「僕も力を尽くしたつもりだったんだけどね、O子ちゃんが亡くなった日はボクの調子も悪かったんですよ。それが影響してしまったと思うと 残念で残念で・・・」
どうみても医者でもないのに、この言葉。。。
故人とその兄がいわゆる西洋医学以外の分野で病気を克服しようとしていたのは知っていたが、ここまで怪しげなうさんくさそうなオヤジにすがっていたとは・・・

話は飛ぶが帰りの新幹線でお清めの時に色々その周辺の話を聞いて 弟となおさら疲れきって帰って来たのだが、弟も あのオヤジにはたまげた。見るからに詐欺師なのにどうして信じたのか と ため息をついていた。
「まあね ああいうの心底信じられるってメンタリティってある意味幸せなんじゃないかね、俺って信じるものってないもんな」 と バカな事を言う弟を「あんなもん信じるくらいなら信じるものがないほうがいいよ、あの手の物にかぶれたらあたしはあんたと兄弟の縁を切るからね」と一喝いたしました 

話を戻して・・・そのオヤジは憔悴しきっても美人な叔母の手を握ったあとは 膝に両手を乗せてなおもゴタゴタ話しかけていた。
下横目でその姿を睨んでいた私はさぞかし怖い顔だったであろう。キツイ従姉妹さんと思われてただろうな、まあいいけど・・・

告別式が終わり お棺の中のO子と最後の別れの時がきた。
叔父の時は親族以外はみんな式場から出て行った後だったが、今回はO子の友達もみんなO子の棺の中に花を入れてお別れすることができた。
O子の死に顔はよくできた蝋人形のように端正で、眠っているように綺麗だった。

そして火葬場に。
前も書いたがどうも違和感のあるみゃー地方の火葬場。この日は次の日に友引を控えているためか叔父の時以上に火葬ラッシュで私達を乗せたマイクロバスが駐車スペースに横付けできずにしばらく待機するほどの混みようであった。
今回は親族以外にO子の親友という三人の同窓生がその場に加わった。
待っている間、彼女たちの話を聞くことができた。
曰く O子は本当に最後まで強かった。治るってことを信じて一人で戦っていた。というのがおおまかな話だった。
しかし、やはりその話の中には私が首をかしげざるを得ない話がたくさん混じっていた。
兄の家に滞在して気功師の治療を受けて その時点(去年の秋)にはとても元気になったこと。そして大丈夫 絶対に治ると言われて帰国して 彼女たちに「治ったよ」と言っていたこと。
しかし一ヶ月もしないうちに調子を崩して年末年始に日本に来たその気功師に再度見てもらったこと その時に 「生きているガン細胞は一つもない」と言われたこと
しかし MRIやCTによる画像の診断ではガンは全身に転移しており、腫瘍マーカーの値もあがり、極度の貧血、痛み だるさに悩んでいたらしい。
私が叔父のお見舞いに行った時は その症状をかかえて 某地方のヒーラー(この名称もうさんくさい)のところの合宿に行っていたらしい。
そこでも 信じて実践すればあなたのガンは治ると言われていたらしい。

今時 どんな外科手術の達人でも 「あなたのガンは取りきった 再発しないでしょう」なんて言わないんじゃないでしょうかね。もし再発でもしたら裁判沙汰にでもなりかねないし、ガンにかかわっている医者だったら 自分が(人間が)外科手術や化学or放射線療法でできる限度ってものをわきまえてるからその手の保証はしないだろうね。
この手の ヒーラーだか詐欺師だかの間違った断言ってのは罪にならないのでしょうか・・・? 罪になるならないは別としてこういう事を断言するあつかましさは人間として傲慢としか思えません。

そして更に腹立たしかったことには、一旦完治させたガンがまた再発したのは 帰国したあとの周りの環境 特に家族が一丸となって O子のガンが治ったことを信じていなかった環境のせいと言ったことである。
正気ですか? 
叔父も叔母もO子に化学療法を勧めていたはずだし、そういう態度を責めるつもりなのか?
自分が結果を出せなかったことを、相手の責任に転嫁するのはまさに詐欺師の常套手段だと思う。

私は別に信仰や宗教を否定するものじゃありません。
素晴らしい自然の中に神々しさを感じることもあるし、人との絆やめぐりあいの中で不思議な縁や 何かの力を感ずることもある。
何千年も続いている宗教の教えは確かに人を善に導き幸福や安らぎを与えたことは承知しております。

しかし、私は信じるとしたら 直接神を信じたい。
神の言葉を語る人間や自分を神と標榜する人間は信じられない。

宗教ではないが スピリチュアル系、それも 科学っぽい衣を着せてスピリチュアルを語る人たちにはアレルギーがある。

この兄妹も実践していたらしいが、水を青いボトルに入れて日光に当てるとエネルギーが上がるとか、水に ありがとう とか 愛してるとかいうと 結晶が綺麗になるとか この手のものを信じやすい人たちが多いことには驚かされる。
別に信じるのは勝手だし、この水程度のことならどうぞご自由にと愛想笑いの一つもしてあげられます。(勧められたらすっぱり断るが)
しかしね、こういうのがエスカレートして O子みたいなパターンになっちゃったのではないだろうか・・・

病院にも スピリチュアルを信じて療法した末に 悪化したガンを抱えて駆け込んでくる方たちが時々くるらしい。
「一時はよくなったんですよ」と必ず口にするらしい

O子については もっと前に相談されていれば・・・ とか 化学療法や放射線を最後まで受けていれば・・・と今更言ってもしょうがないことではあるけど。
O子が本当に自分の病気を克服しようと思っていたなら、渾身で戦ったのなら、最新の科学の力も借りてくれたらよかったのにと思ってやまない。




コメント (8)
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今度は従姉妹が・・・

2009-03-02 22:47:53 | 様々な思い
私が韓国で能天気に遊んで帰ってきたら、実は大変なことが起きていた。
先月 みゃー地方に住む私の叔父が亡くなり弟と葬儀に行ってきたのだが、今度はその娘が亡くなったのである。
一月の間に叔母は 夫と娘を相次いで亡くしたことになる。
叔父の見舞いはこのへんこのへん
叔父の葬儀は このへんに書きましたが・・・

理由がわからなかったので仕方がないのだけど、この頃私は叔父が危篤状態にもかかわらず、謎の合宿に行ってしまったり、亡くなったあとも親戚にほとんどお通夜や告別式をまかせて何もしないように見えた従姉妹に対して秘かに腹を立ててたのであります。しかし事情が明かされ、こうなってしまった以上、彼女の名誉と誤解していたことへのお詫びの気持ちもこめて 今度のことは記しておきたいと思う。

しかし、韓国に行く数日前に、そろそろ叔母も落ち着いたし様子も心配だったので家に電話をしたのである。そうしたら従姉妹が電話にでた。(今考えると彼女と話をした最後になった)
叔母は姪の家にとまりに行っていること、自分の病気の調子が悪くて母(叔母)といると余計暗くなるので行ってもらったと言っていた。
彼女はいつも淡々としているし、自分のことをあれこれ話すキャラでなかったので、相手に頼まれなきゃ基本的には踏み込まないのを信条としている私は今まで彼女の病気についてはこちらからは尋ねなかった。しかしこの時初めて
「Oちゃん、何の病気なの?」と聞いてみた。
「ん? 乳がんだよ」 と淡々と答える彼女・・・
私は 去年の夏に腎不全になりかけて入院したのは知っていたが、もうそれはその時点で治ったと思っていたのでびっくりした。
「知らなかった・・・ それで調子悪いのってそのためなの?」
「うん おととし手術をして取りきったって言われたけど 去年再発したんだ。それで転移してるからさ」
彼女は40代半ばである。
オペして再発してそれが転移しているって若いだけに大変なことなのではないだろうか?
「それで 今、一人で暮らしていて大丈夫なの? ちゃんと食べてるの?治療は?」と思わずその時は畳み込むように聞いてしまった。

それがちょっとおかしかったのか苦笑いをにじませて答える彼女
「うん、大丈夫。一人の方が気楽だし、自分のものだけなら作るの簡単だから。でもねー 治療についてはちょっと悩んでるんだー」
「何を?」
「手術したあと抗がん剤ですごく調子悪くなったんだけど 大丈夫だと思ってたら再発したでしょ。それでもう化学療法や放射線治療はやめたんだ」
「ん?じゃあ 今は何もしてないの?」
「してるよ 食物療法とか気功とか・・・ 」
「それで Oちゃん ガンが治るの?」
「うん 化学療法してもまた再発するじゃない。私の目指してるのは根治なの」
「で、その今 Oちゃんがやってる治療で根治できるの?」
「う~~ん それがちょっと調子が悪くてね パパが亡くなったってことやママの影響もあるからうまくいかないのかもしれないんだけど・・・ ちょっと局ちゃんにも相談したいと思ってたんだ・・・」
「私が詳しいわけじゃないけど、詳しい人にも聞けるから 土曜日に電話しておいでよ それまでに聞いておくから。乳がんの専門医もなんなら紹介できるよ」
「うん。わかった。かけるかも」
「無理しないでね。」
「うん。でもがんばるね 局ちゃん。こんなことで私 くたばらないから」
かいつまんで記すとこんな感じなんだけど、彼女の西洋医学に対するかなりの不信感と 他の何かに対して盲信といっていいような頑なな入れ込みかたを感じた。

多分 土曜日に電話はかかったこないだろうな と 思っていたがやっぱり彼女と話したのはそれが最後になった。

その代わりに外国に居る彼女の兄から国際電話がかかってきた。
「オヤジの時には 局ちゃんに色々お世話になりました。本当に助かったよ」
彼はとにかく生真面目、紳士的、話す言葉も一見しっかりしてるし(関係ないけど)えらいイケ面なのだけど、やはり盲信しやすいってところが昔からあるのである。
「おじちゃんは残念だったけど O子ちゃんの話を聞いてびっくりしたわよ。おじちゃんの事もまだ色々しなくちゃいけない事もあるだろうけど 今はOちゃんの治療を最優先しなきゃならないね」
「局ちゃんの言うとおり 僕もそう思うんだ。できる限りのことはするつもり。 実は去年の秋にボクのところに1ヶ月滞在して治療してたんだ」
「なんの?」
「こっちで有名な気功師がいるんだ。末期がんの患者も何人も治してきた先生でね・・・ 以下略」

この時点で 言っちゃ悪いがダメだこりゃ と思いました。

そして それから1週間あまり、彼女は全身にガンが転移した状態で 最後は脳内出血で急死した。一人でおかしいと言ってタクシーを呼び、病院についた時点で倒れこんだそうだ。全身の骨も血管もボロボロで 出血の止めようがなかったらしい。
めいの所に居た叔母は医師からの電話で呼び返されて かろうじて返事ができるくらいの頃には間に合って死に目には会えたらしい。




クールビューティーだった彼女は笑顔の写真が少なかったらしい。
これは叔父の葬儀の時 親戚一同で写した写真の中で珍しく笑顔の一枚。
父の死の一月後に分も逝くなんて、この時写した写真が彼女の祭壇を飾るなんて・・・彼女自身も 叔母も周りの親戚や友人も誰一人として想像もしていなかったと思う。
私はかろうじて 事情を知っていたが、参列した親戚内や友人たちの多くも 「全然知らなくて」と突然の訃報に驚いた人たちが大半だった。

彼女の中高大学の同級生たちや仕事上の友人たちがどんなに嘆いていたか・・・
家族の前では自分を見せず、感情をあらわにしなかった彼女だったけど 外にいったら案外社交的で人気者だったのもしのばれた。

昨日がお通夜、今日が告別式だったのだが、式の始まる前に、親族席にいた叔母に一人のオヤジが駆け寄ってきた。
いきなり叔母の手をむんずとにぎり
「お母さん 残念でした。 私があの時もっと力を入れてあげれば・・・」
小太り うすハゲの風采のあがらないオヤジである。

以下 明日に・・・
もう疲れたし 悲しいし 腹たつし・・・
コメント (4)
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