昨日からの続きです
従姉妹の告別式の前、親族席に座っている叔母のところに駆け寄ってきたチビで小太りでうすらハゲの初老の男性、いきなり叔母の椅子の前にひざまづき、叔母の手をがっしり握り締めて
「おかあさん ××をしているOOです。O子ちゃん残念でした。」と言い出した。
叔母は ああ××の・・・ とは言ったけどどうやら初対面ぽかった。
それにしてもこの馴れ馴れしさと話し方がものすごく私の癇に障った。
「僕も力を尽くしたつもりだったんだけどね、O子ちゃんが亡くなった日はボクの調子も悪かったんですよ。それが影響してしまったと思うと 残念で残念で・・・」
どうみても医者でもないのに、この言葉。。。
故人とその兄がいわゆる西洋医学以外の分野で病気を克服しようとしていたのは知っていたが、ここまで怪しげなうさんくさそうなオヤジにすがっていたとは・・・
話は飛ぶが帰りの新幹線でお清めの時に色々その周辺の話を聞いて 弟となおさら疲れきって帰って来たのだが、弟も あのオヤジにはたまげた。見るからに詐欺師なのにどうして信じたのか と ため息をついていた。
「まあね ああいうの心底信じられるってメンタリティってある意味幸せなんじゃないかね、俺って信じるものってないもんな」 と バカな事を言う弟を「あんなもん信じるくらいなら信じるものがないほうがいいよ、あの手の物にかぶれたらあたしはあんたと兄弟の縁を切るからね」と一喝いたしました
話を戻して・・・そのオヤジは憔悴しきっても美人な叔母の手を握ったあとは 膝に両手を乗せてなおもゴタゴタ話しかけていた。
下横目でその姿を睨んでいた私はさぞかし怖い顔だったであろう。キツイ従姉妹さんと思われてただろうな、まあいいけど・・・
告別式が終わり お棺の中のO子と最後の別れの時がきた。
叔父の時は親族以外はみんな式場から出て行った後だったが、今回はO子の友達もみんなO子の棺の中に花を入れてお別れすることができた。
O子の死に顔はよくできた蝋人形のように端正で、眠っているように綺麗だった。
そして火葬場に。
前も書いたがどうも違和感のあるみゃー地方の火葬場。この日は次の日に友引を控えているためか叔父の時以上に火葬ラッシュで私達を乗せたマイクロバスが駐車スペースに横付けできずにしばらく待機するほどの混みようであった。
今回は親族以外にO子の親友という三人の同窓生がその場に加わった。
待っている間、彼女たちの話を聞くことができた。
曰く O子は本当に最後まで強かった。治るってことを信じて一人で戦っていた。というのがおおまかな話だった。
しかし、やはりその話の中には私が首をかしげざるを得ない話がたくさん混じっていた。
兄の家に滞在して気功師の治療を受けて その時点(去年の秋)にはとても元気になったこと。そして大丈夫 絶対に治ると言われて帰国して 彼女たちに「治ったよ」と言っていたこと。
しかし一ヶ月もしないうちに調子を崩して年末年始に日本に来たその気功師に再度見てもらったこと その時に 「生きているガン細胞は一つもない」と言われたこと
しかし MRIやCTによる画像の診断ではガンは全身に転移しており、腫瘍マーカーの値もあがり、極度の貧血、痛み だるさに悩んでいたらしい。
私が叔父のお見舞いに行った時は その症状をかかえて 某地方のヒーラー(この名称もうさんくさい)のところの合宿に行っていたらしい。
そこでも 信じて実践すればあなたのガンは治ると言われていたらしい。
今時 どんな外科手術の達人でも 「あなたのガンは取りきった 再発しないでしょう」なんて言わないんじゃないでしょうかね。もし再発でもしたら裁判沙汰にでもなりかねないし、ガンにかかわっている医者だったら 自分が(人間が)外科手術や化学or放射線療法でできる限度ってものをわきまえてるからその手の保証はしないだろうね。
この手の ヒーラーだか詐欺師だかの間違った断言ってのは罪にならないのでしょうか・・・? 罪になるならないは別としてこういう事を断言するあつかましさは人間として傲慢としか思えません。
そして更に腹立たしかったことには、一旦完治させたガンがまた再発したのは 帰国したあとの周りの環境 特に家族が一丸となって O子のガンが治ったことを信じていなかった環境のせいと言ったことである。
正気ですか?
叔父も叔母もO子に化学療法を勧めていたはずだし、そういう態度を責めるつもりなのか?
自分が結果を出せなかったことを、相手の責任に転嫁するのはまさに詐欺師の常套手段だと思う。
私は別に信仰や宗教を否定するものじゃありません。
素晴らしい自然の中に神々しさを感じることもあるし、人との絆やめぐりあいの中で不思議な縁や 何かの力を感ずることもある。
何千年も続いている宗教の教えは確かに人を善に導き幸福や安らぎを与えたことは承知しております。
しかし、私は信じるとしたら 直接神を信じたい。
神の言葉を語る人間や自分を神と標榜する人間は信じられない。
宗教ではないが スピリチュアル系、それも 科学っぽい衣を着せてスピリチュアルを語る人たちにはアレルギーがある。
この兄妹も実践していたらしいが、水を青いボトルに入れて日光に当てるとエネルギーが上がるとか、水に ありがとう とか 愛してるとかいうと 結晶が綺麗になるとか この手のものを信じやすい人たちが多いことには驚かされる。
別に信じるのは勝手だし、この水程度のことならどうぞご自由にと愛想笑いの一つもしてあげられます。(勧められたらすっぱり断るが)
しかしね、こういうのがエスカレートして O子みたいなパターンになっちゃったのではないだろうか・・・
病院にも スピリチュアルを信じて療法した末に 悪化したガンを抱えて駆け込んでくる方たちが時々くるらしい。
「一時はよくなったんですよ」と必ず口にするらしい
O子については もっと前に相談されていれば・・・ とか 化学療法や放射線を最後まで受けていれば・・・と今更言ってもしょうがないことではあるけど。
O子が本当に自分の病気を克服しようと思っていたなら、渾身で戦ったのなら、最新の科学の力も借りてくれたらよかったのにと思ってやまない。
従姉妹の告別式の前、親族席に座っている叔母のところに駆け寄ってきたチビで小太りでうすらハゲの初老の男性、いきなり叔母の椅子の前にひざまづき、叔母の手をがっしり握り締めて
「おかあさん ××をしているOOです。O子ちゃん残念でした。」と言い出した。
叔母は ああ××の・・・ とは言ったけどどうやら初対面ぽかった。
それにしてもこの馴れ馴れしさと話し方がものすごく私の癇に障った。
「僕も力を尽くしたつもりだったんだけどね、O子ちゃんが亡くなった日はボクの調子も悪かったんですよ。それが影響してしまったと思うと 残念で残念で・・・」
どうみても医者でもないのに、この言葉。。。
故人とその兄がいわゆる西洋医学以外の分野で病気を克服しようとしていたのは知っていたが、ここまで怪しげなうさんくさそうなオヤジにすがっていたとは・・・
話は飛ぶが帰りの新幹線でお清めの時に色々その周辺の話を聞いて 弟となおさら疲れきって帰って来たのだが、弟も あのオヤジにはたまげた。見るからに詐欺師なのにどうして信じたのか と ため息をついていた。
「まあね ああいうの心底信じられるってメンタリティってある意味幸せなんじゃないかね、俺って信じるものってないもんな」 と バカな事を言う弟を「あんなもん信じるくらいなら信じるものがないほうがいいよ、あの手の物にかぶれたらあたしはあんたと兄弟の縁を切るからね」と一喝いたしました
話を戻して・・・そのオヤジは憔悴しきっても美人な叔母の手を握ったあとは 膝に両手を乗せてなおもゴタゴタ話しかけていた。
下横目でその姿を睨んでいた私はさぞかし怖い顔だったであろう。キツイ従姉妹さんと思われてただろうな、まあいいけど・・・
告別式が終わり お棺の中のO子と最後の別れの時がきた。
叔父の時は親族以外はみんな式場から出て行った後だったが、今回はO子の友達もみんなO子の棺の中に花を入れてお別れすることができた。
O子の死に顔はよくできた蝋人形のように端正で、眠っているように綺麗だった。
そして火葬場に。
前も書いたがどうも違和感のあるみゃー地方の火葬場。この日は次の日に友引を控えているためか叔父の時以上に火葬ラッシュで私達を乗せたマイクロバスが駐車スペースに横付けできずにしばらく待機するほどの混みようであった。
今回は親族以外にO子の親友という三人の同窓生がその場に加わった。
待っている間、彼女たちの話を聞くことができた。
曰く O子は本当に最後まで強かった。治るってことを信じて一人で戦っていた。というのがおおまかな話だった。
しかし、やはりその話の中には私が首をかしげざるを得ない話がたくさん混じっていた。
兄の家に滞在して気功師の治療を受けて その時点(去年の秋)にはとても元気になったこと。そして大丈夫 絶対に治ると言われて帰国して 彼女たちに「治ったよ」と言っていたこと。
しかし一ヶ月もしないうちに調子を崩して年末年始に日本に来たその気功師に再度見てもらったこと その時に 「生きているガン細胞は一つもない」と言われたこと
しかし MRIやCTによる画像の診断ではガンは全身に転移しており、腫瘍マーカーの値もあがり、極度の貧血、痛み だるさに悩んでいたらしい。
私が叔父のお見舞いに行った時は その症状をかかえて 某地方のヒーラー(この名称もうさんくさい)のところの合宿に行っていたらしい。
そこでも 信じて実践すればあなたのガンは治ると言われていたらしい。
今時 どんな外科手術の達人でも 「あなたのガンは取りきった 再発しないでしょう」なんて言わないんじゃないでしょうかね。もし再発でもしたら裁判沙汰にでもなりかねないし、ガンにかかわっている医者だったら 自分が(人間が)外科手術や化学or放射線療法でできる限度ってものをわきまえてるからその手の保証はしないだろうね。
この手の ヒーラーだか詐欺師だかの間違った断言ってのは罪にならないのでしょうか・・・? 罪になるならないは別としてこういう事を断言するあつかましさは人間として傲慢としか思えません。
そして更に腹立たしかったことには、一旦完治させたガンがまた再発したのは 帰国したあとの周りの環境 特に家族が一丸となって O子のガンが治ったことを信じていなかった環境のせいと言ったことである。
正気ですか?
叔父も叔母もO子に化学療法を勧めていたはずだし、そういう態度を責めるつもりなのか?
自分が結果を出せなかったことを、相手の責任に転嫁するのはまさに詐欺師の常套手段だと思う。
私は別に信仰や宗教を否定するものじゃありません。
素晴らしい自然の中に神々しさを感じることもあるし、人との絆やめぐりあいの中で不思議な縁や 何かの力を感ずることもある。
何千年も続いている宗教の教えは確かに人を善に導き幸福や安らぎを与えたことは承知しております。
しかし、私は信じるとしたら 直接神を信じたい。
神の言葉を語る人間や自分を神と標榜する人間は信じられない。
宗教ではないが スピリチュアル系、それも 科学っぽい衣を着せてスピリチュアルを語る人たちにはアレルギーがある。
この兄妹も実践していたらしいが、水を青いボトルに入れて日光に当てるとエネルギーが上がるとか、水に ありがとう とか 愛してるとかいうと 結晶が綺麗になるとか この手のものを信じやすい人たちが多いことには驚かされる。
別に信じるのは勝手だし、この水程度のことならどうぞご自由にと愛想笑いの一つもしてあげられます。(勧められたらすっぱり断るが)
しかしね、こういうのがエスカレートして O子みたいなパターンになっちゃったのではないだろうか・・・
病院にも スピリチュアルを信じて療法した末に 悪化したガンを抱えて駆け込んでくる方たちが時々くるらしい。
「一時はよくなったんですよ」と必ず口にするらしい
O子については もっと前に相談されていれば・・・ とか 化学療法や放射線を最後まで受けていれば・・・と今更言ってもしょうがないことではあるけど。
O子が本当に自分の病気を克服しようと思っていたなら、渾身で戦ったのなら、最新の科学の力も借りてくれたらよかったのにと思ってやまない。