私が韓国で能天気に遊んで帰ってきたら、実は大変なことが起きていた。
先月 みゃー地方に住む私の叔父が亡くなり弟と葬儀に行ってきたのだが、今度はその娘が亡くなったのである。
一月の間に叔母は 夫と娘を相次いで亡くしたことになる。
叔父の見舞いはこのへんやこのへん。
叔父の葬儀は このへんに書きましたが・・・
理由がわからなかったので仕方がないのだけど、この頃私は叔父が危篤状態にもかかわらず、謎の合宿に行ってしまったり、亡くなったあとも親戚にほとんどお通夜や告別式をまかせて何もしないように見えた従姉妹に対して秘かに腹を立ててたのであります。しかし事情が明かされ、こうなってしまった以上、彼女の名誉と誤解していたことへのお詫びの気持ちもこめて 今度のことは記しておきたいと思う。
しかし、韓国に行く数日前に、そろそろ叔母も落ち着いたし様子も心配だったので家に電話をしたのである。そうしたら従姉妹が電話にでた。(今考えると彼女と話をした最後になった)
叔母は姪の家にとまりに行っていること、自分の病気の調子が悪くて母(叔母)といると余計暗くなるので行ってもらったと言っていた。
彼女はいつも淡々としているし、自分のことをあれこれ話すキャラでなかったので、相手に頼まれなきゃ基本的には踏み込まないのを信条としている私は今まで彼女の病気についてはこちらからは尋ねなかった。しかしこの時初めて
「Oちゃん、何の病気なの?」と聞いてみた。
「ん? 乳がんだよ」 と淡々と答える彼女・・・
私は 去年の夏に腎不全になりかけて入院したのは知っていたが、もうそれはその時点で治ったと思っていたのでびっくりした。
「知らなかった・・・ それで調子悪いのってそのためなの?」
「うん おととし手術をして取りきったって言われたけど 去年再発したんだ。それで転移してるからさ」
彼女は40代半ばである。
オペして再発してそれが転移しているって若いだけに大変なことなのではないだろうか?
「それで 今、一人で暮らしていて大丈夫なの? ちゃんと食べてるの?治療は?」と思わずその時は畳み込むように聞いてしまった。
それがちょっとおかしかったのか苦笑いをにじませて答える彼女
「うん、大丈夫。一人の方が気楽だし、自分のものだけなら作るの簡単だから。でもねー 治療についてはちょっと悩んでるんだー」
「何を?」
「手術したあと抗がん剤ですごく調子悪くなったんだけど 大丈夫だと思ってたら再発したでしょ。それでもう化学療法や放射線治療はやめたんだ」
「ん?じゃあ 今は何もしてないの?」
「してるよ 食物療法とか気功とか・・・ 」
「それで Oちゃん ガンが治るの?」
「うん 化学療法してもまた再発するじゃない。私の目指してるのは根治なの」
「で、その今 Oちゃんがやってる治療で根治できるの?」
「う~~ん それがちょっと調子が悪くてね パパが亡くなったってことやママの影響もあるからうまくいかないのかもしれないんだけど・・・ ちょっと局ちゃんにも相談したいと思ってたんだ・・・」
「私が詳しいわけじゃないけど、詳しい人にも聞けるから 土曜日に電話しておいでよ それまでに聞いておくから。乳がんの専門医もなんなら紹介できるよ」
「うん。わかった。かけるかも」
「無理しないでね。」
「うん。でもがんばるね 局ちゃん。こんなことで私 くたばらないから」
かいつまんで記すとこんな感じなんだけど、彼女の西洋医学に対するかなりの不信感と 他の何かに対して盲信といっていいような頑なな入れ込みかたを感じた。
多分 土曜日に電話はかかったこないだろうな と 思っていたがやっぱり彼女と話したのはそれが最後になった。
その代わりに外国に居る彼女の兄から国際電話がかかってきた。
「オヤジの時には 局ちゃんに色々お世話になりました。本当に助かったよ」
彼はとにかく生真面目、紳士的、話す言葉も一見しっかりしてるし(関係ないけど)えらいイケ面なのだけど、やはり盲信しやすいってところが昔からあるのである。
「おじちゃんは残念だったけど O子ちゃんの話を聞いてびっくりしたわよ。おじちゃんの事もまだ色々しなくちゃいけない事もあるだろうけど 今はOちゃんの治療を最優先しなきゃならないね」
「局ちゃんの言うとおり 僕もそう思うんだ。できる限りのことはするつもり。 実は去年の秋にボクのところに1ヶ月滞在して治療してたんだ」
「なんの?」
「こっちで有名な気功師がいるんだ。末期がんの患者も何人も治してきた先生でね・・・ 以下略」
この時点で 言っちゃ悪いがダメだこりゃ と思いました。
そして それから1週間あまり、彼女は全身にガンが転移した状態で 最後は脳内出血で急死した。一人でおかしいと言ってタクシーを呼び、病院についた時点で倒れこんだそうだ。全身の骨も血管もボロボロで 出血の止めようがなかったらしい。
めいの所に居た叔母は医師からの電話で呼び返されて かろうじて返事ができるくらいの頃には間に合って死に目には会えたらしい。
クールビューティーだった彼女は笑顔の写真が少なかったらしい。
これは叔父の葬儀の時 親戚一同で写した写真の中で珍しく笑顔の一枚。
父の死の一月後に分も逝くなんて、この時写した写真が彼女の祭壇を飾るなんて・・・彼女自身も 叔母も周りの親戚や友人も誰一人として想像もしていなかったと思う。
私はかろうじて 事情を知っていたが、参列した親戚内や友人たちの多くも 「全然知らなくて」と突然の訃報に驚いた人たちが大半だった。
彼女の中高大学の同級生たちや仕事上の友人たちがどんなに嘆いていたか・・・
家族の前では自分を見せず、感情をあらわにしなかった彼女だったけど 外にいったら案外社交的で人気者だったのもしのばれた。
昨日がお通夜、今日が告別式だったのだが、式の始まる前に、親族席にいた叔母に一人のオヤジが駆け寄ってきた。
いきなり叔母の手をむんずとにぎり
「お母さん 残念でした。 私があの時もっと力を入れてあげれば・・・」
小太り うすハゲの風采のあがらないオヤジである。
以下 明日に・・・
もう疲れたし 悲しいし 腹たつし・・・
先月 みゃー地方に住む私の叔父が亡くなり弟と葬儀に行ってきたのだが、今度はその娘が亡くなったのである。
一月の間に叔母は 夫と娘を相次いで亡くしたことになる。
叔父の見舞いはこのへんやこのへん。
叔父の葬儀は このへんに書きましたが・・・
理由がわからなかったので仕方がないのだけど、この頃私は叔父が危篤状態にもかかわらず、謎の合宿に行ってしまったり、亡くなったあとも親戚にほとんどお通夜や告別式をまかせて何もしないように見えた従姉妹に対して秘かに腹を立ててたのであります。しかし事情が明かされ、こうなってしまった以上、彼女の名誉と誤解していたことへのお詫びの気持ちもこめて 今度のことは記しておきたいと思う。
しかし、韓国に行く数日前に、そろそろ叔母も落ち着いたし様子も心配だったので家に電話をしたのである。そうしたら従姉妹が電話にでた。(今考えると彼女と話をした最後になった)
叔母は姪の家にとまりに行っていること、自分の病気の調子が悪くて母(叔母)といると余計暗くなるので行ってもらったと言っていた。
彼女はいつも淡々としているし、自分のことをあれこれ話すキャラでなかったので、相手に頼まれなきゃ基本的には踏み込まないのを信条としている私は今まで彼女の病気についてはこちらからは尋ねなかった。しかしこの時初めて
「Oちゃん、何の病気なの?」と聞いてみた。
「ん? 乳がんだよ」 と淡々と答える彼女・・・
私は 去年の夏に腎不全になりかけて入院したのは知っていたが、もうそれはその時点で治ったと思っていたのでびっくりした。
「知らなかった・・・ それで調子悪いのってそのためなの?」
「うん おととし手術をして取りきったって言われたけど 去年再発したんだ。それで転移してるからさ」
彼女は40代半ばである。
オペして再発してそれが転移しているって若いだけに大変なことなのではないだろうか?
「それで 今、一人で暮らしていて大丈夫なの? ちゃんと食べてるの?治療は?」と思わずその時は畳み込むように聞いてしまった。
それがちょっとおかしかったのか苦笑いをにじませて答える彼女
「うん、大丈夫。一人の方が気楽だし、自分のものだけなら作るの簡単だから。でもねー 治療についてはちょっと悩んでるんだー」
「何を?」
「手術したあと抗がん剤ですごく調子悪くなったんだけど 大丈夫だと思ってたら再発したでしょ。それでもう化学療法や放射線治療はやめたんだ」
「ん?じゃあ 今は何もしてないの?」
「してるよ 食物療法とか気功とか・・・ 」
「それで Oちゃん ガンが治るの?」
「うん 化学療法してもまた再発するじゃない。私の目指してるのは根治なの」
「で、その今 Oちゃんがやってる治療で根治できるの?」
「う~~ん それがちょっと調子が悪くてね パパが亡くなったってことやママの影響もあるからうまくいかないのかもしれないんだけど・・・ ちょっと局ちゃんにも相談したいと思ってたんだ・・・」
「私が詳しいわけじゃないけど、詳しい人にも聞けるから 土曜日に電話しておいでよ それまでに聞いておくから。乳がんの専門医もなんなら紹介できるよ」
「うん。わかった。かけるかも」
「無理しないでね。」
「うん。でもがんばるね 局ちゃん。こんなことで私 くたばらないから」
かいつまんで記すとこんな感じなんだけど、彼女の西洋医学に対するかなりの不信感と 他の何かに対して盲信といっていいような頑なな入れ込みかたを感じた。
多分 土曜日に電話はかかったこないだろうな と 思っていたがやっぱり彼女と話したのはそれが最後になった。
その代わりに外国に居る彼女の兄から国際電話がかかってきた。
「オヤジの時には 局ちゃんに色々お世話になりました。本当に助かったよ」
彼はとにかく生真面目、紳士的、話す言葉も一見しっかりしてるし(関係ないけど)えらいイケ面なのだけど、やはり盲信しやすいってところが昔からあるのである。
「おじちゃんは残念だったけど O子ちゃんの話を聞いてびっくりしたわよ。おじちゃんの事もまだ色々しなくちゃいけない事もあるだろうけど 今はOちゃんの治療を最優先しなきゃならないね」
「局ちゃんの言うとおり 僕もそう思うんだ。できる限りのことはするつもり。 実は去年の秋にボクのところに1ヶ月滞在して治療してたんだ」
「なんの?」
「こっちで有名な気功師がいるんだ。末期がんの患者も何人も治してきた先生でね・・・ 以下略」
この時点で 言っちゃ悪いがダメだこりゃ と思いました。
そして それから1週間あまり、彼女は全身にガンが転移した状態で 最後は脳内出血で急死した。一人でおかしいと言ってタクシーを呼び、病院についた時点で倒れこんだそうだ。全身の骨も血管もボロボロで 出血の止めようがなかったらしい。
めいの所に居た叔母は医師からの電話で呼び返されて かろうじて返事ができるくらいの頃には間に合って死に目には会えたらしい。
クールビューティーだった彼女は笑顔の写真が少なかったらしい。
これは叔父の葬儀の時 親戚一同で写した写真の中で珍しく笑顔の一枚。
父の死の一月後に分も逝くなんて、この時写した写真が彼女の祭壇を飾るなんて・・・彼女自身も 叔母も周りの親戚や友人も誰一人として想像もしていなかったと思う。
私はかろうじて 事情を知っていたが、参列した親戚内や友人たちの多くも 「全然知らなくて」と突然の訃報に驚いた人たちが大半だった。
彼女の中高大学の同級生たちや仕事上の友人たちがどんなに嘆いていたか・・・
家族の前では自分を見せず、感情をあらわにしなかった彼女だったけど 外にいったら案外社交的で人気者だったのもしのばれた。
昨日がお通夜、今日が告別式だったのだが、式の始まる前に、親族席にいた叔母に一人のオヤジが駆け寄ってきた。
いきなり叔母の手をむんずとにぎり
「お母さん 残念でした。 私があの時もっと力を入れてあげれば・・・」
小太り うすハゲの風采のあがらないオヤジである。
以下 明日に・・・
もう疲れたし 悲しいし 腹たつし・・・