夕べのこと、夫が次の日早いからとさっさと寝室に行ったあとブログを書いたりお返事してパソコンを終了させ寝ようかなと思っていたところに娘が帰って来た。
ダンスのサークルのあと、友達と焼肉を食べてきたとご機嫌である。
お茶を入れてお土産のラスクを二人で食べていたら
娘 「ねえママ、百人一首でさ、あなたに出会う前は何にも考えなくて気楽だった~ みたいな歌ってあったよね。あれなんだったっけ?」
局 「ん? 恋の歌?」
娘 「そそ どんな歌だっけ? 今日話題になったけど誰も思い出せなかった」
局 「恋の歌ねえ 恋すてふ 我が名はまだき・・・ あっ これは違うな、じゃ、物やおもふと人の問ふまでの上の句ってなんだっけ?」
娘 「知らない」←あっさり
局 「あ~ 思い出せないと気になる う~~んと え~~と あー出てこない あんたも考えなさいよ」
娘 「このラスク おいしいね もう一枚食べよ」
局 「こんな夜中に食べると太るよ あっ しのぶれど色に出にけり我が恋は だ!」
娘 「それが あなたに会う前とは関係ないよね」
局 「確かにそうだね じゃ なんだろ? 会う前は何も考えなかった歌ね~・・・」
娘 「早く思い出してよ」
局 「自分こそ考えなよ 毎年年明けに百人一首の試験があったじゃない」
娘 「役に立たないもんだね~ 無理やり覚えさせられた知識って~」
局 「あれだけ協力してやったのに バカヤロ~」
思い返せば娘の学校 中学で古典の基礎を習いはじめると年明けに中高一斉に百人一首の試験があった。学年ごとに何首までと合格ラインが決められ、高校になると旧かなづかいの漢字と作者名まで書くことが要求された。
そっち方面に興味のなかった娘、いつも追試におびえながらギリギリラインでかろうじてやりすごして一年たったらまた真っ白のまま覚えなおしといった繰り返しであった。
私も少しは協力してやろうと娘が大学に入るまでの冬休みは 上の句を言って下の句を言わせたりしたものだが、毎年見事に白紙にリセットしてしまう娘の頭の中はお見事である。
(どれだけゆとり脳なんだよっ!)
ネットで調べようかとも思ったがパソコンをまた立ち上げるのもめんどうだし、自分で思い出すのもボケ防止と思って 頭のすみから百人一首記憶を必死で呼び起こす。
そして
局 「あっ わかった! 逢ひみての 後の心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり だ!」
娘 「あっ そうそう さすがママ。だてに年とってないね~」
局 「年のせいじゃなくて 基礎的教養があるって言うんです!」←威張る
「あんたこそ 最近習ったこと忘れすぎよ。 知識が身についてない証拠だよ」
娘 「そんなこと言ったってさあ あの頃 恋心なんてまるで縁がなかったからしょうがないじゃん。身に染みなかったから覚えなかったんだよ」
局 「そういうもんかしらね~ じゃ、今は身に染みてるの?」
娘 「まっ 多少はね」
君は理屈だけは一人前だわね、娘よ。
ちなみに 逢い見ての の見るってのは この時代は契る、つまり やっちゃうの意味があるはずだけど、その辺の解説はやめておいた。
そして、今日 誰と、どんなシチュエーションで百人一首なんて話題に出たのか聞こうかと思ったがそれもなんとなくやめておいた。
確かに恋や別れの歌とか 人生を振り返って若い時の我が身を思う、なんて歌が身に染みるのはある程度人生経験つまないと ではあるけどね。
花の色は うつりにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしなに
うん 身に染む 身に染む。
ダンスのサークルのあと、友達と焼肉を食べてきたとご機嫌である。
お茶を入れてお土産のラスクを二人で食べていたら
娘 「ねえママ、百人一首でさ、あなたに出会う前は何にも考えなくて気楽だった~ みたいな歌ってあったよね。あれなんだったっけ?」
局 「ん? 恋の歌?」
娘 「そそ どんな歌だっけ? 今日話題になったけど誰も思い出せなかった」
局 「恋の歌ねえ 恋すてふ 我が名はまだき・・・ あっ これは違うな、じゃ、物やおもふと人の問ふまでの上の句ってなんだっけ?」
娘 「知らない」←あっさり
局 「あ~ 思い出せないと気になる う~~んと え~~と あー出てこない あんたも考えなさいよ」
娘 「このラスク おいしいね もう一枚食べよ」
局 「こんな夜中に食べると太るよ あっ しのぶれど色に出にけり我が恋は だ!」
娘 「それが あなたに会う前とは関係ないよね」
局 「確かにそうだね じゃ なんだろ? 会う前は何も考えなかった歌ね~・・・」
娘 「早く思い出してよ」
局 「自分こそ考えなよ 毎年年明けに百人一首の試験があったじゃない」
娘 「役に立たないもんだね~ 無理やり覚えさせられた知識って~」
局 「あれだけ協力してやったのに バカヤロ~」
思い返せば娘の学校 中学で古典の基礎を習いはじめると年明けに中高一斉に百人一首の試験があった。学年ごとに何首までと合格ラインが決められ、高校になると旧かなづかいの漢字と作者名まで書くことが要求された。
そっち方面に興味のなかった娘、いつも追試におびえながらギリギリラインでかろうじてやりすごして一年たったらまた真っ白のまま覚えなおしといった繰り返しであった。
私も少しは協力してやろうと娘が大学に入るまでの冬休みは 上の句を言って下の句を言わせたりしたものだが、毎年見事に白紙にリセットしてしまう娘の頭の中はお見事である。
(どれだけゆとり脳なんだよっ!)
ネットで調べようかとも思ったがパソコンをまた立ち上げるのもめんどうだし、自分で思い出すのもボケ防止と思って 頭のすみから百人一首記憶を必死で呼び起こす。
そして
局 「あっ わかった! 逢ひみての 後の心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり だ!」
娘 「あっ そうそう さすがママ。だてに年とってないね~」
局 「年のせいじゃなくて 基礎的教養があるって言うんです!」←威張る
「あんたこそ 最近習ったこと忘れすぎよ。 知識が身についてない証拠だよ」
娘 「そんなこと言ったってさあ あの頃 恋心なんてまるで縁がなかったからしょうがないじゃん。身に染みなかったから覚えなかったんだよ」
局 「そういうもんかしらね~ じゃ、今は身に染みてるの?」
娘 「まっ 多少はね」
君は理屈だけは一人前だわね、娘よ。
ちなみに 逢い見ての の見るってのは この時代は契る、つまり やっちゃうの意味があるはずだけど、その辺の解説はやめておいた。
そして、今日 誰と、どんなシチュエーションで百人一首なんて話題に出たのか聞こうかと思ったがそれもなんとなくやめておいた。
確かに恋や別れの歌とか 人生を振り返って若い時の我が身を思う、なんて歌が身に染みるのはある程度人生経験つまないと ではあるけどね。
花の色は うつりにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしなに
うん 身に染む 身に染む。