萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第56話 潮汐act.8―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-07 04:17:51 | 陽はまた昇るanother,side story
※念のため中盤R18(露骨な表現は有りません)

青、深く抱かれて



第56話 潮汐act.8―another,side story「陽はまた昇る」

月明りの静謐に、温もりが寄りそわす。

息を呑んだ体が白い袖に包まれる、白皙の腕が肩に回され抱き寄せる。
深く広やかな懐が背中を受けとめてくれる、ふたつの衣に隔てられ、けれど体温は温かい。
深い森のような香、優しい腕は静かに抱きしめ頬よせて、微笑んだ綺麗な低い声が囁いた。

「周太…俺を頼ってよ?もっと甘えて、俺を必要として?…俺は君の婚約者で、夫なんだから、」

どうか、必要として欲しい。
どうか頼ってほしい、そのために自分はこの家に来たのだから。
そんな想いが「婚約者で夫」に籠められている、そう気づいた心へと愛しい声が呼びかけた。

「周太、俺の全ては周太のためだよ?だから甘えてよ、俺を見て?」

告げられる言葉に、深紅のアルバムが映りこむ。
生まれたばかりの写真から、警察学校卒業式の写真までを納めたアルバム。
その記憶たちに籠めた想いの告白が、今また静かに心を抱きとめ温めだす。

―…周太と出逢う前の俺も、周太にあげたいんだ。受けとってくれる?

あの言葉が、嬉しかった。
嬉しくて幸せで、素直に頷いてもう、祖父のトランクに納めてしまった。
出逢う前の英二を受けとる。その言葉に涼やかな切長い目と低く美しい声が重なって、時の潮流と充ちる瞬間に心落ちた。

…もう、選んだんだ、この今を…戻れないんだ

もう戻れない。

もう、去年の9月30日には戻れない。
時間は戻らない、出逢う前には戻れない、あの夜の瞬間には戻らない。
もう与えられた全てに向き合うしかない、それなら後悔に泣くより、幸福に笑って受けとめる方が良い。
ただ幸せにしたい、その願いに勇気ひとつ覚悟に呼吸する。涙と嗚咽を飲み下した唇から穏やかに声は微笑んだ。

「ん、ありがとう、英二…すごく嬉しい、よ?」

言葉と一緒に振向いて、抱きしめてくれる人を見上げる。
見上げた先の切長い目には真摯な熱情、その熱に心の裂傷が痛みながら塞がれていく。
そんな想いと婚約者を見上げて、周太は微笑んだ。

「小十郎、置いてくるね?…そしたら抱っこでベッドに連れて行って?それから…」

言いかけて、最後の言葉が恥ずかしい。
気恥ずかしいまま腕から抜け、周太はロッキングチェアーの前に立った。
そっとテディベアを座らせ優しく撫でる、やわらかな毛並に温もり見つめ微笑んで、振り返る。
振り返った想いの真中は、切長い目が真直ぐ見つめてくれる。その眼差しに、ただ幸せを見つめて笑いかけた。

「英二、抱っこして行って?それから…絶対の約束を、して?」

絶対の約束。

この言葉は、奥多摩の初雪に結んだ想い。
ふたり初めて雲取山に登り、あのブナの木で初めて恋人の名前を呼んだ、その翌日の初雪。
あのとき抱いた勇気ひとつ燈火となって今も耀いている。初雪の翌朝に見つめた想いに今、最愛の人へと微笑んだ。

「お願い、英二?甘えさせて、頼らせて?来年の夏は北岳に行く、その約束を…体ごと結んで?」

わがまま言わせて、この約束を叶えて?
この自分も約束のため努力する、何があっても帰ってくる、だから約束を結んで?
そんな願いの幸せに笑いかけた先、恋人は深い懐の腕を広げてくれた。

「約束するよ。おいで、周太、」

受けとめてくれる懐に素直に笑って、頼もしい肩に周太は腕を回した。
そのまま抱きあげて階下へ降りてくれる、そっと優しくベッドに降ろし座らせ、恋人は微笑んだ。
優しいスタンドライト照らす切長い目は、真摯な熱情のまま周太へと笑いかけてくれる。
その瞳の実直な光に、ことんと覚悟は落ちて勇気ひとつ心に微笑んだ。

…この目を信じるのなら、もう迷ったらいけないね…

もう時間は引き返せないよう想いも引き返せない、この瞳を裏切ることなんて出来ない。
そして、自責の痛みと同時に気づかされる本音が、静かな覚悟と微笑んだ。

あの9月30日を、もう2度と後悔しない。

あの日に開いてしまったのは「今」の瞬間。
そこに繋がる自責は痛い、それなら痛みの分だけ努力すればいい。
この最愛の人を巻き込んだ、その贖罪は「幸せな笑顔」への努力しかない。
もしこの先に泣かせて苦しめたとしても、その倍を幸せな笑顔の瞬間で埋め尽くしてしまえばいい。
これから始まる別離の哀しみ、無事を祈らせる不安の苦しみ、その2倍も3倍も幸せな瞬間を贈ればいい。

…そのためにも泣いたらいけない、そして絶対に帰ってくる、この隣に俺は帰る

絶対に、何があっても帰って来よう。
この贖罪のために必ず生きて帰って、この笑顔のために生きよう。
この先に「あの扉」の向こうで自分は掌から変わるかもしれない、それでも帰って来よう。
この先の時間「あの扉」の向こう側にある瞬間も、この大切な笑顔を護る自分として生きていたい。
この美しい人の伴侶になる、その資格が与えられる自分なのか?それを知るためにも全てを懸けて危険へ「賭け」に行けば良い。

こんな賭けは、愚かだろう。
それでも自分だって男、この賭けへの譲れない誇りがある。
この身はいつか英二の「妻」になる、けれど妻であっても自分は「男」であることは変わらない。
だから男として誇りを懸けて運命の「賭け」に克てば良い、その勇気はもう抱いている。

「周太、」

名前を呼ばれて瞳へ微笑む。
そっと抱き寄せられて、唇ふれあい熱が交わされる。
抱きしめる強い腕、受けとめる深い懐、その全てが熱く温かい。
唇ふれる熱に、抱きしめられる体の衣透かせる熱に、委ねるままベッドの上に横たえられる。

「愛してる、周太」

切長い目は熱情に瞳を結び、白皙の手が瑠璃色の帯を解く。



遠く近く、ざわめくよう聴こえてくる。
これは風の音?梢をゆらせて駆ける山風の音だろうか?
けれど玉響す音は囁きに似ている、これは水の音だろうか。

…波のおと?

微睡む意識ゆるやかに潮騒は響き、引いては満ちる波が映りだす。
金色輝く黄昏の波、夜うつす瑠璃色の波、そしてペールブルー優しい暁の浜辺。
あわく優しいブルーの浜辺には、波打際に薄紅の桜貝ひとつ落ちている。ふたつ向き合う対のまま繋がれて、蝶のような姿で。

―…この桜貝、海の底からずっと離れないで、ここまで来たんだろ?俺たちも離れないで、ここまで一緒に来たよ
  こんなふうにずっと一緒に離れないでいよう?何があってもずっと…約束だよ?俺は何があっても君から離れない、ずっと永遠に

きれいな低い声の約束が、薄紅の海の花を輝かす。
この声の主に逢いたくて、大好きな笑顔を見たくて、ゆっくり睫が披き始めた。
すこしずつ披いていく視界、光ふる白皙が映りだす。優しい暁の艶めきが白い素肌を輝かす。
なめらかな白皙の端正なラインが瞳に映る、頬ふれる体温と鼓動の温もりが心へと響きだす。
ゆるやかな体温に包まれる意識の、穏やかな温もり微笑んだとき、美しい恋人の微睡みが暁に映された。

「…英二、」

そっと名前を呼んで見つめる貌の、濃い睫は伏せられている。
規則正しい吐息ほろ苦く甘く香らせ、凭れた胸の鼓動と呼応する。
まだ眠りの底にある恋人の姿を見つめて、そっと身じろいだとき芯の感覚が奔った。

「…っぁ…」

こぼれた声に気付かされる、体の一部が温かな熱に浸されている?
やわらかに包みこんでくれる熱は酷く甘くて、うずくよう蕩かせ膨れてゆく。
そして見つめる恋人の胸元に、深紅の花びら映した痣華やいで夜の記憶が蘇えった。

―…周太、俺に入って?…俺のこと周太が抱いて、気持よくしてよ?

昨夜、初めて自分は恋人を抱いた。

初めて自分から恋人の体内に入った、初めて恋人を犯した。
自分から抱きしめて、思うまま深く挿しこみ繋げて、あまい熱に溺れこんだ。
この今も自分は恋人の体に入ったままでいる、この熱の記憶に体がゆっくり動いた。

「…ん…えいじ…」

吐息に名前を呼んで、ひろやかな胸を抱きしめる。
頬ふれる白皙の肌ふかく鼓動は波うち、白い首筋ゆるやかに逸らされる。
ダークブラウンの髪に曙光がこぼれだす、薄紅の唇かすかに震えて、あまやかに吐息が堕ちた。

「っ…しゅうた…?…」

きれいな低い声がひどく甘くて、心ゆらされる。
見つめてくれる眼差しに艶は深い、微熱に潤んだままの目がまばゆくて、すこし披いた唇が花のよう優しい。
美しい天使が白いシーツの海に埋もれる、綺麗で見惚れたまま周太は微笑んだ。

「…きれい…英二、」

ため息に名前を呼んで、そっと身じろぎ唇を重ねる。
そして包んだ熱から真芯は解かれて、白皙の肢体があまやかに揺れた。

「…ぁっ、周太…、ん、」

零れた吐息に唇かさねて、キスをする。
ふれる唇かすかに震えて、けれどすぐ応えるよう熱についばむ。
あまい温かいキスふれあって熱に見つめて、見下ろす恋人の顔へと周太は綺麗に微笑んだ。

「おはようございます、英二…はなむこさん?」
「…ん…おはよう、周太…けさもかわいいね、好きだよ」

ぼんやりしたよう綺麗な声は応えて、ゆっくり長い腕が肩に腰に回される。
温もりと深い森の香が周太を抱きしめて、静かにうたれた寝返りにシーツが頬ふれた。
ふれるシーツに残る体温と香、暁まばゆい白皙の艶、肌こもる熱と馥郁、微熱きらめく眼差し、キス濡れた唇。
目覚めにほどかれた艶麗な肢体が自分を抱きしめてくれる、幸せに微笑んで周太は美しい婚約者を見つめた。

「英二、きれい…今朝の英二すごくきれいだね?…だいすき、」

笑いかけ、肩に腕を回してキスをする。
キスに切長い目は幸せ微笑んで、綺麗な笑顔は言ってくれた。

「周太こそ、すごく美人だよ?俺の花嫁さん、昨夜は気持ち良かったろ?俺の体も好き?」

そんなすとれーとにきかないで?

気恥ずかしさに首筋から熱が昇りだす、けれど幸せも充ちていく。
この美しい恋人の体を自分が抱いた、その全ては現実だと言ってくれている。
それが面映ゆくて幸せで、羞みながら周太は口を開いた。

「ん…すき…ね、ゆうべのことって本当だよね?…俺、ほんとうに英二のこと…えっちしちゃったんだね?」

こんなこと信じられない、嘘みたい。
だって自分よりずっと大きくて綺麗な英二、大人の男らしい成熟した体。
なめらかな肌に均整の美しい筋肉を魅せて、長く伸びやかな手脚は力強く、広やかな背中は逞しい。
同性でも羨んで見惚れてしまう、男性美あふれる見事な肢体。それを子供じみた自分が、大人の男のよう抱くことが出来たの?

「そうだよ、周太に俺が抱かれたよ。俺のこと4回もセックスして、いかせてくれたよ?あんなの俺も初めてだよ、周太」

嬉しそうにストレートな回答をして、切長い目が幸せに笑ってくれる。
その笑顔のすこし気怠げな雰囲気に「本当」なのだと解ってしまう、嬉しさと気恥ずかしさで頬が熱くなる。
こんなの馴れてない、困ってしまう、けれど嬉しい気持ちを伝えたくて周太は微笑んだ。

「ん…はずかしいけど、でも嬉しい…ありがとう、英二」
「俺も嬉しいよ、周太、」

綺麗な笑顔ほころんで、優しいキスを額にくれる。
ふれる熱うれしくて微笑んだ周太を切長い目が覗きこむ、そして英二は言ってくれた。

「俺を抱いたのは周太が初めてで、唯ひとりだ。他の誰にも俺を抱かせない、約束するよ?俺の体を自由に出来るのは周太だけだ、」

初めてで、唯ひとり自分だけ。
この言葉が嬉しくて、幸せで、そして勇気ひとつ生まれだす。
ゆっくり瞳を披きだす勇気を見つめる、その想いへと美しい恋人は笑いかけた。

「周太だけが俺を抱けるんだ、抱かれる幸せを俺にくれるのは周太だけ、だから周太、必ず俺の隣に帰ってきて?絶対に離れないで、」

今、告げられる約束に、初雪の夜が蘇える。

あのとき自分が英二に願った祈りの想い、それを今、英二が自分に祈ってくれる。
あのとき雪山の危険に向かう英二を護りたくて、祈りのなか自分は「絶対の約束」を体ごと交わした。
あの約束を英二も自分に結んでくれる、この肌に体温に祈りをこめて、全てを懸けた約束を贈ってくれる。
この約束に懸ける想いに英二の心の変化が見えて、喜びは静かに深く周太の心を充たしだした。

…英二、体を大切にしてくれるんだね?…ちゃんと英二自身を大切にしてくれるね?

冬富士の雪崩で気づいてしまった英二の「体」を軽んずる心。
この体で思い知らされた、英二の性愛に対する歪な傷は痛くて哀しくて、どうして良いのか解らなかった。
あのとき堕とされた体だけの快楽は冷たくて、上滑りする虚無の孤独は恋愛の幸福から遠すぎた。
その苦痛を知ってしまったから尚更に、再び恋人に戻ってからは体の求めをもう拒めなくなった。
英二の冷たい快楽に抉った傷を癒したくて、全てを受容れ心から愛しあい幸福に温めたかった。

その願いに初任総合の2カ月間も、夜の時間を幾度か許してしまった。
本当は規則違反だと怖かった、違反が英二の進路を妨げる事が怖くて、軽蔑されることも怖かった。
けれど、それ以上に英二を傷つける方が怖かった、もう冷たい虚無の孤独に堕としたくなかった。
そして自分も、ひと時でも多く英二と愛し合う幸福に全身で温め合い、記憶したかった。

出逢ったころ、要領良いフリをした冷たい仮面に英二は微笑んでいた。
あの冷たい仮面に英二が隠していたのは、求め得られぬ愛が抉った歪んだ虚無の深い裂傷。
けれど今、英二は「体」ごと結んだ約束を、真実も恋愛も全てを懸けて贈ってくれる。
この絶対の約束が、英二の傷が癒え始めたと教えてくれて今、温かい。

…よかった

心につぶやき零れて、微笑が自分に訪れる。
英二の冷たく歪んだ病根は「母親の偏愛」だと知っている、その母親の傷も自分は見つめた。
そして願っていた、祈っていた、この母子に親子の情愛がもつ幸福と温もりを知ってほしかった。
この願いが少しずつ叶い始めた、それが今の約束に垣間見えて今、自分の心こそ温められる。
温かで嬉しくて、そっと周太は瞳を閉じて3月の雪夜に向き合った俤へ微笑んだ。

…ありがとうございます、英二のお母さん…本当に、ありがとうございます、

いちばんの心残りだった。
大切な人の最も深い傷、それが心残りで不安だった。
母親との相克、それが英二の最大の傷で哀しみ、それを放りだして行きたくなかった。
この傷の存在に英二は苦しんで「仮面」を被って生きていた、その深い傷を癒せる場所だと英二は周太の隣を選んでくれた。
その癒しを失うことが怖くて英二は、周太との別離に恐怖して無理心中も図ってしまった。それほど英二の傷は深い。

だからこそ独り残すことが心配で、光一に英二の傍にいてほしいと願い続けている。
その願いどおりに光一はきっと英二の傷を癒してくれる、あの美しい山っ子はそういう優しい懐を持っているから。
けれど、何より英二の心を癒すのは、英二自身と英二の母親自身だけ。母子ふたり向き合うことこそ最高の治癒になる。
ふたりの傷は互いの擦違いに刻みあったもの、それは本人たち自身の力だけが真実から心の傷を塞いで癒せる。
その可能性が今、英二の言葉に笑顔に、そして昨夜の英二の行動に解って嬉しい。
これで英二はきっと幸せになれる、嬉しくて周太は心から綺麗に笑いかけた。

「ん、必ず帰ってくるよ?だから大丈夫…あいしてる、英二、」

告げる言葉に祈りと幸福だけを見つめて、周太は最愛の人へ祝福のキスを贈った。
穏やかな温もりふれあうキス、その唇に、暁の光は明るく温かい。



ほろ苦く甘い香に、さわやかな柑橘が馥郁と温かい。
チョコレート、コアントローにグランマニエ、バターと卵の芳ばしさ、優しい温かい香たち。
ときおり英文字綴りのメモを見ながら掌を動かして、オーブンの火加減を見、最後の天板をセットした。
調理台を拭きながら見上げた時計は14時を示す、もうじき母も帰ってくるだろう。そうしたら家族3人でお茶の時間を過ごせる。

「…アルバム、おかあさん何て言うかな?」

昨日、英二が持ってきてくれた深紅のアルバムは、もうテラスのティーテーブルに置いてある。
母が帰ってきたらまず英二が点法をして、それから紅茶を淹れてガトーショコラを楽しんで、アルバムを見る。
このオレンジのガトーショコラの由来を話して、海の街で聴いた祖父母と幼い父の記憶を母と分け合いたい。
そして英二の祖母と菫の提案を母に話して、いつかあの美しい海の街に母も連れて行ってあげたい。
あの美しい空中庭園で、幼い父の幸福だった日々の物語を母に聴かせてあげたい。
父とそっくりの、あの涼やかな切長い目を見つめながら。

「周太、洗濯もの畳んだよ。茶室もセットしたけど、見てくれる?」

綺麗な低い声に振向くと、父より華やかな切長い目が笑ってくれる。
この美しい所縁を見つめて周太は、幸せに微笑んだ。

「ん、ありがとう…茶花、何にしたい?」
「俺が決めていいの?そうだな、庭の花どれも綺麗だったけど、」

エプロン姿のまま歩み寄って見上げた先、綺麗な笑顔ほころんでくれる。
鰹縞の浴衣に寛いだ姿は涼やかで、ずいぶんと和装に馴染んだ佇まいが美しい。
青のグラデーション美しい縦縞の大胆な華やぎは、長身の端正な肢体に良く似合う。
凛々しい腰を結う角帯の、白地に奔らす織紋の紺青とあわせた深紅が、粋な艶に美しい。
ほんとうに綺麗だな?見惚れて頬熱くなる隣から、綺麗な声は楽しそうに笑いかけてくれた。

「あの植込みの所の、白い花どうかな?花びらに細かい切れ込みがあるやつ、」
「ん、撫子?…そうだね、青い着物にも映えていいね…器、青い染付のとかどう?」

廊下を歩きながら茶や花の話をする。
こんなふうに父とも話していた、あの幼い日の光景が育ったような今の瞬間が優しい。
こんな時間を大切に憶えていたい、そう微笑んで見上げた先で、幸せな笑顔は言ってくれた。

「青と白で夏っぽいな?海みたいで良いね、周太、」

…海、

綺麗な低い声の言葉が、ことんと心に落ち着く。
今日の茶はこれが良いな?この趣向に周太は綺麗に微笑んだ。

「ん、今日のお茶、葉山の海にしたらどうかな?…器もガラスの夏茶碗にして、」
「いいな、そういうの。色々教えて?」

そう言って笑ってくれた恋人の、鰹縞に海が映りだす。

白藍、翡翠、縹、紺碧、瑠璃色。
または水浅葱、水の色、二藍、青、青藍、勝色、豊潤な青たちのグラデーション。
軽やかに透ける、絹紅梅の織。ブルーの濃い淡いに透明度も豊かな、美しい夏の衣。
白皙の肌を透かす夏衣の青は、水と深い風まとうように惹きつけ、深く透明な海を想わせる。
ひろやかな背中は空の青、懐の深みは海、懐かしい藍の香は遠い記憶を優しい眠りから覚まさせ、俤が重なりだす。

青い潮騒に聴いた、父と祖父母の記憶たち。
自分が生まれるより前に確かに在った、自分の家族の幸福な時間たち。
その幸福な時を辿らす道標は、父と祖母の俤を映した切長い目の、優しい眼差し。
そんな道標は幸せに笑いかけて、幼い日の叶わなかった夢を告げてくれた。

「周太は海と仲良くしてたな?落着いたらさ、うちにも犬を連れて来てあげる。周太の犬だよ?」

ほら、言わなくても解かってくれる。
だから想ってしまう、信じてしまう、この隣こそ自分の希望。
夢も願いも叶えてしまう天使は、藍染めの衣を纏って今この瞬間、自分の隣にいる。

「ん、連れて来て?俺の犬に逢いたい…約束、叶えてね?」
「うん、約束する。可愛がってくれな、」

藍染めの透かす向こう、幸せの瞬間が笑っている?
ふるくて新しい夏の記憶、藍の香と透ける青色の優しい想い、潮騒まばゆい桜貝の約束。
この青い薄絹へ交ぜ織られ続けてほしいと願う、どの瞬間も想いもただ、幸せが愛おしくて。








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