遠雷、跫に聲に兆し
第57話 鳴動act.1―side story「陽はまた昇る」
水音に、雷鳴が響く。
冷水が頭上から奔り、額を頬を濡らして全身を覆う。
誰もいない早朝の浴場、ひとり流水のなか意識が目覚めだす。
朝、診察室で吉村医師を手伝い、御岳駐在所へ出勤する。
御岳山から大岳山の巡回、そのまま鋸尾根に抜けて光一と合流し、奥多摩交番に向かう。
このルートは3月に遭難したのと同じ道、あのとき自分の運命は動き、そして今日も動くだろう
―あのルートは俺にとって、運命の道かもしれない
ふっと浮かんだ考えに微笑んで、冷水の中また今日の予定を確かめていく。
奥多摩交番で後藤副隊長と明日の講習会について打ち合わせ「結論」を貰う。
そして御岳駐在所に戻って通常勤務、定時に上がり青梅署で携行品の手続きを済ませ、川崎へと帰る。
「…よし、」
微笑んで蛇口を閉め、冷水が止まる。
水音の消えた空間に光閃き、空呻る聲がタイル張りに響く。
見上げた窓はまだ昏い、踵返して英二は脱衣場に出ると体を拭い始めた。
「…うん?」
拭うタオルの感触に軽く首傾げて、二の腕と肩を見る。
また筋肉が厚みを増したかもしれない?そう鏡を見た視界に光が閃いた。
―稲妻、
夜明け前から雷鳴は起こり、光ひるがえる。
この天候は昨日の天気図から予想は出来ていた、だからこの後も予想通りだろう。
けれどこんな雨後は、山の軟らかな土は水を含み、岩場も水走り滑りやすく沢の水も増える。
そして季節的に沢登りを楽しむ者も多い、今日はそのポイントもチェックした方がいいだろう。
そんな考えを廻らせながら着替え終えて廊下に出た。
まだ夜明け時、薄暗い廊下を時折フラッシュの光が奔る。
輝いては昏くなる視界を歩いていく、その窓を稲妻が空切り裂いて跳ぶ。
霹靂に雲は閃きグレイッシュブルーのガラスを雨は叩く、夜明けの太陽も今は見えない。
それでも雷雲の向こうには、青空まばゆい朝がある。
―今日、思い通りの結論が聴けると良いな、
そんな想い微笑んで、自室の扉を開いた。
かすかな音に閉じられる空間に、稲光が映っては消える。
それでも雷鳴は少しずつ間遠になっていく、遠のいていく音を聞きながら英二は着替え始めた。
すぐに終えて、胸元に合鍵の輪郭を指なぞる。いつも通りの感触に微笑んで、登山ザックのポケットを開いた。
―あった、
そっと赤い小さな守袋を載せた、その掌にも雷光が明滅する。
赤い錦の袋に紺青色の房、小振りな品の良い御守袋には白椿の花びらと雄蕊が納められている。
この花は3月の雪崩に遭った時刻、川崎の家で舞い落ちて周太の掌に受けとめられた。
その花へと英二の無事と約束に祈りをこめて、周太は御守に作りあげ贈ってくれた。
いつも登山ザックかウェアに入れて山行の御守にしている、けれど今日は一日持ち歩いていたい。
「…周太、君の傍にいたいよ、」
そっと御守袋に笑いかけて、制服の胸ポケットへと仕舞った。
そのまま登山ザックの装備点検を済ませて、登山靴のメンテナンス確認をする。
この天候で今日の山は滑りやすい、だから靴の不備は避けなくてはいけない。
紐の強度もチェックして微笑んだとき、扉が開かれた。
「あれ?今朝のお着替えタイムは終了?」
からりテノールの声が可笑しそうに笑って、制服姿がデスクの椅子に座った。
底抜けに明るい目が温かに笑んで見つめてくれる、その笑顔に英二は唇をよせた。
「おはよう、光一、」
唇を重ねて花の香がふれる、すぐ離れて微笑んだ英二を透明な眼差しが見上げた。
真直ぐ見つめる無垢の瞳はいつもどおり揺るがない、その明るいままに光一が笑った。
「おまえ、恋人宣言した途端に挨拶はキスだね?俺よりキス魔、」
「俺は恋人限定だよ、」
さらり答えて笑いかけた先、もうひとりの恋人が笑ってくれる。
雪白の貌を頬杖ついて英二を見、静かな透明な声が唇に微笑んだ。
「川崎の家ではキス、しないでね、」
告げられた言葉を見つめて、デスクに片手をつくと英二は恋人を覗きこんだ。
頬杖ついたままの透明な眼差しは静かに笑っている、そして透明なテノールが意志を告げてくれた。
「あのひとが居れば俺は、おまえにとって二番目の恋人だろ?俺は一番じゃないと気が済まないし、あのひとを傷つけるのは嫌だね。
だから周太の気配がある所では恋人ではいられない。何より俺は英二の唯一のアンザイレンパートナーだ、この関係を最優先してよね、」
この意志に反対意見は赦さない、そう山っ子の瞳が笑っている。
こういう潔さが同じ男として惚れてしまう、その想い素直に英二は微笑んだ。
「うん、俺のアンザイレンパートナーは光一だけだ、血の契もおまえ唯ひとりだよ。だから俺も、そっちを優先したい、」
「よかった、同じだね、」
笑って光一は掌を伸ばし、濡れた英二の髪をかきあげた。
冷たい髪を白い指からませ梳きあげて、綺麗な笑顔がほころんだ。
「俺たちは生涯のアンザイレンパートナーだね、この関係はお互いに一番で唯ひとりだ。これは俺にとって最高の繋がりだよ。
だから壊したくない、この関係を壊さない為なら俺は、恋愛が叶わなくっても良いって思ってる。告白した癖にって思うだろうけど、」
透明なテノールが告げてくれる想いが、ただ嬉しい。
対等な男として山ヤとして結んでくれる深い、友情より恋愛より勁い想いがここにある。
こういう相手だから血も契り合い、命も運命も懸けてアンザイレンザイルを繋ぎあえる。この大切な絆に英二は綺麗に笑いかけた。
「俺も壊したくない、だから俺は光一との恋愛も認めたんだよ?山の天辺で一緒に、肚から笑い合いたいからさ、隠し事したくなかった」
「そっか、ありがとね、」
嬉しそうに雪白の貌ほころばせ、白い手が洗い髪から離れていく。
撫でてくれるの気持ち良かったのにな?そう思った額を白い指に小突かれた。
「痛っ、」
「そりゃね、痛い様にやったんだからさ、」
飄々と笑って英二の腕をすり抜けると、光一は窓辺に立った。
その隣から見上げた彼方、雷電は奔り霹靂がフラッシュに輝き描く。
黒い雲、雷鳴の唸りに煌めかす電光、けれど遥か天穹に青が見え出した。
「うん、晴れそうだね?足元注意だけど、森の空気はイイんじゃない、」
「そうだな、」
相槌を打ちながら見た横顔は、底抜けに明るい目が空を見上げる。
自分と同じような体格と拮抗する能力、そして誰より解かり合い信頼できる相手。
この唯一のパートナーが言ってくれた想い、その意味を確かめたくて英二は口を開いた。
「なあ、キスの話したのってさ?今日、決まるかもしれないからだろ?」
「そ、よく解ってるね、お前も。ルールの遵守はよろしくね、」
さらっと応えてくれる笑顔は温かで、その貌に配慮が優しい。
この表情に解かってしまう、光一にとって周太は本当に「山」と同格の存在でいる。
光一が何より尊重する「山」の世界、それと同じほど深い想いは「周太」にも温かい。
―このふたりの出逢いには、なにがあったのだろう?
疑問と見つめるパートナーの瞳は明るく、無垢な優しさが温かい。
この無垢の瞳と自分の婚約者は9歳の冬に出逢い、それが互いの初恋だった。
そのとき光一に周太は悩みを受けとめられ、光一は周太の存在に癒された。そこまでは自分も聴いている。
けれど何故、光一がこうも周太を特別視するのか?それが不思議な時がある、そして光一と自分の繋がりとの比較を想う。
そんな考え廻らす視界へと、鋭い光が雲を裂き耀いた向こうから目映い青空が現れた。
「きれいだ、」
素直な感想が唇こぼれて、空に笑う。
その隣で長身はゆっくり腕を上げ伸びをすると、ベッドに座りこんだ。
「さ、明日と明後日の打ち合わせしちゃお?オシゴトじゃないほうの件、」
「うん、」
短く答えて、英二も隣に座ると胸ポケットから手帳を出した。
食堂に座った頃、空は晴れた。
青空の眩しさに今日の気温が予想される、きっと暑くなるだろう。
もう梅雨も終りだな?そんなことを思いながらトマトを口に入れたとき、前から藤岡が口を開いた。
「そういえばさ、朝稽古のとき先輩に聴いたんだけど。なんか新宿署、ちょっと大変らしいな?宮田、湯原から聴いてる?」
「どんなこと?」
なんだろうな?
そう考えた端から、心当たりが意識を掠めた。
―月曜のことか、
思い当たって肚の底で哂ってしまう、あの効果がもう出たらしい?
そんな予測と一緒にトマトを呑みこむと、藤岡が周囲をさっと見回し声を低めた。
「…署長が昨夜、本庁で倒れたらしいよ?」
ほら、やっぱり正解だ?
予想通りに肚で哂った隣から、光一が尋ねた。
「ソレってさ、結構な機密だよね?なんでその先輩は知ったワケ?」
「先輩の同期がさ、ちょうど倒れた現場に居合わせたんだよ。それで応急処置して昨夜、先輩との飲みに遅れちゃったんだってさ、」
低めた声のままでも、からり藤岡は答えてくれる。
すこし味噌汁を啜りこみ、人の好い笑顔はまた続けてくれた。
「でな?俺の同期に湯原がいるの先輩知ってるから、新宿署の同期は大丈夫か?って今朝、先輩が心配して訊いてくれたんだよ。
ほら、1月の弾道実験も立会ってた刑事課の先輩、あのひとが訊いてくれたんだ。先輩も湯原と面識あるから気になったみたい、」
それなら藤岡に訊くのも納得できる。
そう考えながらも、青梅署の柔道特練を務める顔を記憶から引き出す。
確かに彼は1月、周太とも少し話している。藤岡と似たタイプの素朴で人の好い雰囲気の男だった。
―彼に他意はないだろうな、
けれど、意外な所から情報が入ってきた。
おそらく今聞かなくても今夜、この件で周太から訊問されて聴いただろう。
その前に心積もりが出来たのは幸運だ、良かったなと思いながら丼飯を英二は口に入れた。
呑気に口を動かす英二を透明な視線に見、何げないまま光一は飄々と藤岡に微笑んだ。
「昨夜のことなら、普通まだ知らないんじゃない?周太に限らず、」
「あ、そっか。そうだよな?」
からっと笑って藤岡も丼飯に箸をつけた。
その笑顔は何も疑ってはいない、それが普通だろう。
―でも光一には解ってるんだろうな?
きっと後で尋問が待っている、そんな予想をしながら丼を置いて湯飲みに口付けた。
のんびり茶を啜り、ほっと息を吐く。今日は色々と尋問されそうな日だ、たぶん3回はあるだろう。
それぞれへの回答対策を廻らしながら茶を啜っていると、丼を抱えながら藤岡が訊いてきた。
「なあ?宮田んとこ、内山から連絡ってあった?」
今度はそっちの問題なんだ?
訊かれたことの「奥」が可笑しくて笑ってしまう。
隣の気配を気にしながら英二は正直に答えた。
「特に無いけど、何かあった?」
「昨日さ、内山から電話来たんだよ。昇進試験の話もしたんだけどさ?」
ベーコンの最後の一切れを口に放り込み、藤岡は口を動かしながら首を傾げた。
藤岡にとっては内山が不思議だったのかな?そう見た先で人の好い同僚は再び口を開いた。
「なあんか言い澱んでんだよなあ、あいつ?俺、あいつとは初任教養から同じ班だけどさ、内山らしくないだろ、そういうの?
それで俺、何か言いたいことあるんなら言えよって笑ってやったんだよ。そうしたらあいつ、しばらく考えてから言ったんだよ、」
どんなふうに言ったんだろう?
考えながら湯呑をトレイに置いたとき、笑い堪えた貌で藤岡は言った。
「それがさ、『宮田は相変わらず山登ってる?』だってさ、」
山岳救助隊員の俺に「相変わらず山登ってる?」って内山どうよ?
本当は他のことを内山は訊きたい、そう解るだけに可笑しい。
訊けない内山の気持ちは自分にも解る、けれど質問の稚拙が可笑しくて英二は笑いだしてしまった。
山岳救助隊員が山に登らなかったら、何をしているというのだろう?初任総合でも英二と藤岡から話は聴いているのに?
そうした記憶も飛ぶほどに動揺している、そんな様子が可哀想だけれど、あの内山がと思うと笑ってしまう。
そんな英二につられたよう藤岡も笑いだし、光一も笑って内山発言にツッコんだ。
「山岳救助隊員に向かって『相変わらず山登ってる?』ってさ、内山くんのボケセンスってすごいよね、」
「だろ?俺もびっくりしちゃってさ、俺と宮田の仕事って何だっけ?って、内山に逆質問しちゃったよ、」
それは逆質問するだろうな?
その回答を訊いてみたくて英二は笑いながら尋ねた。
「内山、なんて答えた?」
「警察官だよ、って真面目に答えてくれたよ、あいつ、」
からっと答えて藤岡は水を飲んだ。
まあ内山ならそう答えるかもしれない?ある意味納得を英二はしたけれど、その隣は違った。
「へえ?警察官が仕事で山登ってるってのは、眼中じゃないってコトかな?東大くんが言いたいのってさあ、ねえ?」
テノールの声が哂って「さあ」「ねえ」に語尾変化させ、唇の端が上がっている。
この貌は危険信号だ?ちょっと拙いと思いながら英二は隣のパートナーに笑いかけた。
「内山は麹町署なんだよ、都心ど真ん中だろ?だから発想出来ないだけだよ、」
「ふうん?麹町ねえ、」
底抜けに明るい目を不敵に笑ませ、白い手が湯呑を持つ。
頬杖つきながら酒のよう飲み干して、誇らかなテノールは艶っぽく発言した。
「あそこってエリート様コースじゃない?山コースの俺とは世界が違っちゃってるってカ・ン・ジ、」
なあ内山?おまえ、ちょっと拙いこと言っちゃったよ?
そう心で同期に言いながら、英二は気の毒になった。
本当は内山が訊きたかったことは「相変わらず山登ってる?」では無いのに?
―内山、俺のザイルパートナーのこと聴きたいから、山のこと訊いちゃったんだろな
内山の言いたかったことを今この場で英二が言えば、光一の誤解は解けるのかもしれない。
けれど、それを自分が光一に言ってしまえば、尚更に内山は立場を失くすことは明白だろう。
ここはどう収拾をつけるのがベスト?そう考え廻らす前から、人の好い笑顔が朗らかに言った。
「あはは、国村がそんなこと言っちゃったらさ、内山ショック受けるよ、きっと、」
「ふうん?いいんじゃない、是非、ショック受けちゃって貰いたいね。彼には刺激が必要よ、ねえ、ア・ダ・ム?」
モード・イヴになった光一が可笑しくて堪らないと微笑んでくる。
すっかり悪戯っ子になった涼しい目に「アレは転がす獲物」という笑いを見て、英二は生真面目な同期に同情した。
この自分も光一の転がしには餌食にされている、但し、転がす動機が「好き」と「むかつく」で相違する差は大きい。
この「むかつく」は本当に誤解だろう、けれど今ここで英二が何を言っても光一は矛を収めるつもりはない。
光一にとって如何なる理由でも「山ヤの警察官」に対する冒涜は重罪、本人が謝るまで許さないだろう。
それが警視庁山岳会のエースで次期会長を嘱望される責務と権利、そう光一は自覚しているのだから。
―まあ男なんだしさ、自分で何とかしないと無理だよ、内山?
何もしないことも友情だと自分は思う、男は自分で矢面に立って経験を積んで成長するものだから。
ちょっと内山には多面的にハードルが高そうだけれど、いちばん良い方向を探して頑張ってほしい。
もう自分には今、なにもしてやれないな?そんな結論と空のトレイを持って、英二は席を立った。
吉村医師の手伝いを終えて診察室を出、駐車場に向かう。
いつもの場所に停めた四駆に乗込むと、窓から隣のスペースを見て光一は笑った。
「やっぱりね、おまえの車、ココには違和感あり過ぎだよね?」
四駆の隣には落着いたブルーの車が停まっている。
このブルーの愛車に英二は困り顔で微笑んだ。
「やっぱり俺の車、違和感ひどい?」
「そりゃね?ALPINAって言えば値段もハイグレードだろ?おまえ、やっぱりボンボンなんだね、」
可笑しそうに笑いながら光一はハンドルを捌きだした。
光一の四駆は古い国産車に実用的な改造がされている、それに比べると確かに自分の車は「ボンボン」だろう。
そういう車は山ヤの警察官らしくない、やっぱり買替えは正解だろうな?そんな考えに笑った隣から、テノールの声が問いかけた。
「おまえさ?月曜に訊いた時は、亡霊ゴッコしたってだけ俺に言ったけどね、どういう風にやったワケ?」
ほら、尋問が始まった。
今日、第1回目の尋問に英二は、正直に答えた。
「ココアをぶっかけてやったんだよ、」
「ココアねえ、ふうん?」
頷いて少し考えるふう首傾げこむ。
光一ならすぐ気がつくかな、そんな予想と運転席を見ると、尋問者は前を向いたまま尋ねた。
「アレって色の感じが似てるけどさ、おまえ暗示的なコトでも言ったんだろ、」
「当たり、」
ほら、気がついた。
言わなくても察してくるパートナーが嬉しい、笑いかけた英二に秀麗な貌は振向いた。
「おまえの言葉とココアが引き金だね?あの署長がブッ倒れたのは。で、なんて言ったワケ?」
真直ぐに透明な目が「話せよ?」と見つめてくる。
この眼差しだけには隠し事は不可能だ?そんな想いと数日前の記憶に英二は微笑んだ。
「古い血液みたいですね、その染み。すぐ洗えば間に合いますよ?」
あのココア、ほんとうに血痕みたいだった。
赤ふくんだ深茶色に染まるスーツとワイシャツ、ほろ苦く甘い芳香。
あの色彩と香に記憶を揺り動かしてやりたかった、そして跪かせてやりたい。
こんな考え廻らす隣から、テノールの声が溜息ひとつに困ったよう微笑んだ。
「古い血の染み、ココアの香、ね?どっちも周太のオヤジさんを連想させるね、14年前の記憶に土下座させたいんだろ?」
やっぱり解ってくれた。
この理解がいつも嬉しい、嬉しいまま英二は素直に笑いかけた。
「あの署長、いま夢のなかで土下座してると思う?」
「でなきゃ倒れたりしないんじゃない?罪悪感を利用して復讐したんだね、おまえ、」
呆れ顔と困り顔が一緒に笑ってくれる。
いま光一は「復讐」と言った。その言葉自体の意味は昏く冷たい、けれど英二にとっては所縁の温もりと自由の意味がある。
それも全て光一は解かってくれている、この大らかな懐へ微笑んだ英二にテノールの声は続けた。
「周太のオヤジさんと似てるって、おばあさんにも言われたんだろ?ホンモノの亡霊か血縁者だって怯えたんだろね、」
「たぶんね?でも周太に余計なことは訊いてないみたいだよ、」
全部言わなくても的確に理解してくれる、そんなパートナーが居て良かった。
その感謝に微笑んで英二は、月曜日に気付いたことを口にした。
「あの場所、監視カメラの位置が変わってた。多分パソコンと連動してる、だからすぐ来たんだよ。俺が来ること待ってたみたいにさ、」
「おまえは待たれているコト、承知で行ったんだろ?」
「まあね、」
笑って答えながらも考えてしまう。
もし周太に尋問されたら、なんて答えよう?その答えを有利にする伏線を英二は口にした。
「光一、あのとき俺から電話しただろ?もし周太に訊かれたら、22時位から青梅に戻るまで、ずっと電話してたって話してくれな」
「アリバイ工作の電話だったってワケ?おまえも周到だね、」
可笑しそうに笑ってくれながらハンドルを捌く、その視線は前を向いたまま「了解」と微笑んだ。
これで「亡霊ゴッコ」の犯行は隠匿できる、もう前に「危険なことしないで」と釘刺してくれた周太の想いを傷付けないで済む。
そう考え廻らせながら山嶺を眺めていく車窓、四駆は御岳駐在所駐車場で停まった。
(to be continued)
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第57話 鳴動act.1―side story「陽はまた昇る」
水音に、雷鳴が響く。
冷水が頭上から奔り、額を頬を濡らして全身を覆う。
誰もいない早朝の浴場、ひとり流水のなか意識が目覚めだす。
朝、診察室で吉村医師を手伝い、御岳駐在所へ出勤する。
御岳山から大岳山の巡回、そのまま鋸尾根に抜けて光一と合流し、奥多摩交番に向かう。
このルートは3月に遭難したのと同じ道、あのとき自分の運命は動き、そして今日も動くだろう
―あのルートは俺にとって、運命の道かもしれない
ふっと浮かんだ考えに微笑んで、冷水の中また今日の予定を確かめていく。
奥多摩交番で後藤副隊長と明日の講習会について打ち合わせ「結論」を貰う。
そして御岳駐在所に戻って通常勤務、定時に上がり青梅署で携行品の手続きを済ませ、川崎へと帰る。
「…よし、」
微笑んで蛇口を閉め、冷水が止まる。
水音の消えた空間に光閃き、空呻る聲がタイル張りに響く。
見上げた窓はまだ昏い、踵返して英二は脱衣場に出ると体を拭い始めた。
「…うん?」
拭うタオルの感触に軽く首傾げて、二の腕と肩を見る。
また筋肉が厚みを増したかもしれない?そう鏡を見た視界に光が閃いた。
―稲妻、
夜明け前から雷鳴は起こり、光ひるがえる。
この天候は昨日の天気図から予想は出来ていた、だからこの後も予想通りだろう。
けれどこんな雨後は、山の軟らかな土は水を含み、岩場も水走り滑りやすく沢の水も増える。
そして季節的に沢登りを楽しむ者も多い、今日はそのポイントもチェックした方がいいだろう。
そんな考えを廻らせながら着替え終えて廊下に出た。
まだ夜明け時、薄暗い廊下を時折フラッシュの光が奔る。
輝いては昏くなる視界を歩いていく、その窓を稲妻が空切り裂いて跳ぶ。
霹靂に雲は閃きグレイッシュブルーのガラスを雨は叩く、夜明けの太陽も今は見えない。
それでも雷雲の向こうには、青空まばゆい朝がある。
―今日、思い通りの結論が聴けると良いな、
そんな想い微笑んで、自室の扉を開いた。
かすかな音に閉じられる空間に、稲光が映っては消える。
それでも雷鳴は少しずつ間遠になっていく、遠のいていく音を聞きながら英二は着替え始めた。
すぐに終えて、胸元に合鍵の輪郭を指なぞる。いつも通りの感触に微笑んで、登山ザックのポケットを開いた。
―あった、
そっと赤い小さな守袋を載せた、その掌にも雷光が明滅する。
赤い錦の袋に紺青色の房、小振りな品の良い御守袋には白椿の花びらと雄蕊が納められている。
この花は3月の雪崩に遭った時刻、川崎の家で舞い落ちて周太の掌に受けとめられた。
その花へと英二の無事と約束に祈りをこめて、周太は御守に作りあげ贈ってくれた。
いつも登山ザックかウェアに入れて山行の御守にしている、けれど今日は一日持ち歩いていたい。
「…周太、君の傍にいたいよ、」
そっと御守袋に笑いかけて、制服の胸ポケットへと仕舞った。
そのまま登山ザックの装備点検を済ませて、登山靴のメンテナンス確認をする。
この天候で今日の山は滑りやすい、だから靴の不備は避けなくてはいけない。
紐の強度もチェックして微笑んだとき、扉が開かれた。
「あれ?今朝のお着替えタイムは終了?」
からりテノールの声が可笑しそうに笑って、制服姿がデスクの椅子に座った。
底抜けに明るい目が温かに笑んで見つめてくれる、その笑顔に英二は唇をよせた。
「おはよう、光一、」
唇を重ねて花の香がふれる、すぐ離れて微笑んだ英二を透明な眼差しが見上げた。
真直ぐ見つめる無垢の瞳はいつもどおり揺るがない、その明るいままに光一が笑った。
「おまえ、恋人宣言した途端に挨拶はキスだね?俺よりキス魔、」
「俺は恋人限定だよ、」
さらり答えて笑いかけた先、もうひとりの恋人が笑ってくれる。
雪白の貌を頬杖ついて英二を見、静かな透明な声が唇に微笑んだ。
「川崎の家ではキス、しないでね、」
告げられた言葉を見つめて、デスクに片手をつくと英二は恋人を覗きこんだ。
頬杖ついたままの透明な眼差しは静かに笑っている、そして透明なテノールが意志を告げてくれた。
「あのひとが居れば俺は、おまえにとって二番目の恋人だろ?俺は一番じゃないと気が済まないし、あのひとを傷つけるのは嫌だね。
だから周太の気配がある所では恋人ではいられない。何より俺は英二の唯一のアンザイレンパートナーだ、この関係を最優先してよね、」
この意志に反対意見は赦さない、そう山っ子の瞳が笑っている。
こういう潔さが同じ男として惚れてしまう、その想い素直に英二は微笑んだ。
「うん、俺のアンザイレンパートナーは光一だけだ、血の契もおまえ唯ひとりだよ。だから俺も、そっちを優先したい、」
「よかった、同じだね、」
笑って光一は掌を伸ばし、濡れた英二の髪をかきあげた。
冷たい髪を白い指からませ梳きあげて、綺麗な笑顔がほころんだ。
「俺たちは生涯のアンザイレンパートナーだね、この関係はお互いに一番で唯ひとりだ。これは俺にとって最高の繋がりだよ。
だから壊したくない、この関係を壊さない為なら俺は、恋愛が叶わなくっても良いって思ってる。告白した癖にって思うだろうけど、」
透明なテノールが告げてくれる想いが、ただ嬉しい。
対等な男として山ヤとして結んでくれる深い、友情より恋愛より勁い想いがここにある。
こういう相手だから血も契り合い、命も運命も懸けてアンザイレンザイルを繋ぎあえる。この大切な絆に英二は綺麗に笑いかけた。
「俺も壊したくない、だから俺は光一との恋愛も認めたんだよ?山の天辺で一緒に、肚から笑い合いたいからさ、隠し事したくなかった」
「そっか、ありがとね、」
嬉しそうに雪白の貌ほころばせ、白い手が洗い髪から離れていく。
撫でてくれるの気持ち良かったのにな?そう思った額を白い指に小突かれた。
「痛っ、」
「そりゃね、痛い様にやったんだからさ、」
飄々と笑って英二の腕をすり抜けると、光一は窓辺に立った。
その隣から見上げた彼方、雷電は奔り霹靂がフラッシュに輝き描く。
黒い雲、雷鳴の唸りに煌めかす電光、けれど遥か天穹に青が見え出した。
「うん、晴れそうだね?足元注意だけど、森の空気はイイんじゃない、」
「そうだな、」
相槌を打ちながら見た横顔は、底抜けに明るい目が空を見上げる。
自分と同じような体格と拮抗する能力、そして誰より解かり合い信頼できる相手。
この唯一のパートナーが言ってくれた想い、その意味を確かめたくて英二は口を開いた。
「なあ、キスの話したのってさ?今日、決まるかもしれないからだろ?」
「そ、よく解ってるね、お前も。ルールの遵守はよろしくね、」
さらっと応えてくれる笑顔は温かで、その貌に配慮が優しい。
この表情に解かってしまう、光一にとって周太は本当に「山」と同格の存在でいる。
光一が何より尊重する「山」の世界、それと同じほど深い想いは「周太」にも温かい。
―このふたりの出逢いには、なにがあったのだろう?
疑問と見つめるパートナーの瞳は明るく、無垢な優しさが温かい。
この無垢の瞳と自分の婚約者は9歳の冬に出逢い、それが互いの初恋だった。
そのとき光一に周太は悩みを受けとめられ、光一は周太の存在に癒された。そこまでは自分も聴いている。
けれど何故、光一がこうも周太を特別視するのか?それが不思議な時がある、そして光一と自分の繋がりとの比較を想う。
そんな考え廻らす視界へと、鋭い光が雲を裂き耀いた向こうから目映い青空が現れた。
「きれいだ、」
素直な感想が唇こぼれて、空に笑う。
その隣で長身はゆっくり腕を上げ伸びをすると、ベッドに座りこんだ。
「さ、明日と明後日の打ち合わせしちゃお?オシゴトじゃないほうの件、」
「うん、」
短く答えて、英二も隣に座ると胸ポケットから手帳を出した。
食堂に座った頃、空は晴れた。
青空の眩しさに今日の気温が予想される、きっと暑くなるだろう。
もう梅雨も終りだな?そんなことを思いながらトマトを口に入れたとき、前から藤岡が口を開いた。
「そういえばさ、朝稽古のとき先輩に聴いたんだけど。なんか新宿署、ちょっと大変らしいな?宮田、湯原から聴いてる?」
「どんなこと?」
なんだろうな?
そう考えた端から、心当たりが意識を掠めた。
―月曜のことか、
思い当たって肚の底で哂ってしまう、あの効果がもう出たらしい?
そんな予測と一緒にトマトを呑みこむと、藤岡が周囲をさっと見回し声を低めた。
「…署長が昨夜、本庁で倒れたらしいよ?」
ほら、やっぱり正解だ?
予想通りに肚で哂った隣から、光一が尋ねた。
「ソレってさ、結構な機密だよね?なんでその先輩は知ったワケ?」
「先輩の同期がさ、ちょうど倒れた現場に居合わせたんだよ。それで応急処置して昨夜、先輩との飲みに遅れちゃったんだってさ、」
低めた声のままでも、からり藤岡は答えてくれる。
すこし味噌汁を啜りこみ、人の好い笑顔はまた続けてくれた。
「でな?俺の同期に湯原がいるの先輩知ってるから、新宿署の同期は大丈夫か?って今朝、先輩が心配して訊いてくれたんだよ。
ほら、1月の弾道実験も立会ってた刑事課の先輩、あのひとが訊いてくれたんだ。先輩も湯原と面識あるから気になったみたい、」
それなら藤岡に訊くのも納得できる。
そう考えながらも、青梅署の柔道特練を務める顔を記憶から引き出す。
確かに彼は1月、周太とも少し話している。藤岡と似たタイプの素朴で人の好い雰囲気の男だった。
―彼に他意はないだろうな、
けれど、意外な所から情報が入ってきた。
おそらく今聞かなくても今夜、この件で周太から訊問されて聴いただろう。
その前に心積もりが出来たのは幸運だ、良かったなと思いながら丼飯を英二は口に入れた。
呑気に口を動かす英二を透明な視線に見、何げないまま光一は飄々と藤岡に微笑んだ。
「昨夜のことなら、普通まだ知らないんじゃない?周太に限らず、」
「あ、そっか。そうだよな?」
からっと笑って藤岡も丼飯に箸をつけた。
その笑顔は何も疑ってはいない、それが普通だろう。
―でも光一には解ってるんだろうな?
きっと後で尋問が待っている、そんな予想をしながら丼を置いて湯飲みに口付けた。
のんびり茶を啜り、ほっと息を吐く。今日は色々と尋問されそうな日だ、たぶん3回はあるだろう。
それぞれへの回答対策を廻らしながら茶を啜っていると、丼を抱えながら藤岡が訊いてきた。
「なあ?宮田んとこ、内山から連絡ってあった?」
今度はそっちの問題なんだ?
訊かれたことの「奥」が可笑しくて笑ってしまう。
隣の気配を気にしながら英二は正直に答えた。
「特に無いけど、何かあった?」
「昨日さ、内山から電話来たんだよ。昇進試験の話もしたんだけどさ?」
ベーコンの最後の一切れを口に放り込み、藤岡は口を動かしながら首を傾げた。
藤岡にとっては内山が不思議だったのかな?そう見た先で人の好い同僚は再び口を開いた。
「なあんか言い澱んでんだよなあ、あいつ?俺、あいつとは初任教養から同じ班だけどさ、内山らしくないだろ、そういうの?
それで俺、何か言いたいことあるんなら言えよって笑ってやったんだよ。そうしたらあいつ、しばらく考えてから言ったんだよ、」
どんなふうに言ったんだろう?
考えながら湯呑をトレイに置いたとき、笑い堪えた貌で藤岡は言った。
「それがさ、『宮田は相変わらず山登ってる?』だってさ、」
山岳救助隊員の俺に「相変わらず山登ってる?」って内山どうよ?
本当は他のことを内山は訊きたい、そう解るだけに可笑しい。
訊けない内山の気持ちは自分にも解る、けれど質問の稚拙が可笑しくて英二は笑いだしてしまった。
山岳救助隊員が山に登らなかったら、何をしているというのだろう?初任総合でも英二と藤岡から話は聴いているのに?
そうした記憶も飛ぶほどに動揺している、そんな様子が可哀想だけれど、あの内山がと思うと笑ってしまう。
そんな英二につられたよう藤岡も笑いだし、光一も笑って内山発言にツッコんだ。
「山岳救助隊員に向かって『相変わらず山登ってる?』ってさ、内山くんのボケセンスってすごいよね、」
「だろ?俺もびっくりしちゃってさ、俺と宮田の仕事って何だっけ?って、内山に逆質問しちゃったよ、」
それは逆質問するだろうな?
その回答を訊いてみたくて英二は笑いながら尋ねた。
「内山、なんて答えた?」
「警察官だよ、って真面目に答えてくれたよ、あいつ、」
からっと答えて藤岡は水を飲んだ。
まあ内山ならそう答えるかもしれない?ある意味納得を英二はしたけれど、その隣は違った。
「へえ?警察官が仕事で山登ってるってのは、眼中じゃないってコトかな?東大くんが言いたいのってさあ、ねえ?」
テノールの声が哂って「さあ」「ねえ」に語尾変化させ、唇の端が上がっている。
この貌は危険信号だ?ちょっと拙いと思いながら英二は隣のパートナーに笑いかけた。
「内山は麹町署なんだよ、都心ど真ん中だろ?だから発想出来ないだけだよ、」
「ふうん?麹町ねえ、」
底抜けに明るい目を不敵に笑ませ、白い手が湯呑を持つ。
頬杖つきながら酒のよう飲み干して、誇らかなテノールは艶っぽく発言した。
「あそこってエリート様コースじゃない?山コースの俺とは世界が違っちゃってるってカ・ン・ジ、」
なあ内山?おまえ、ちょっと拙いこと言っちゃったよ?
そう心で同期に言いながら、英二は気の毒になった。
本当は内山が訊きたかったことは「相変わらず山登ってる?」では無いのに?
―内山、俺のザイルパートナーのこと聴きたいから、山のこと訊いちゃったんだろな
内山の言いたかったことを今この場で英二が言えば、光一の誤解は解けるのかもしれない。
けれど、それを自分が光一に言ってしまえば、尚更に内山は立場を失くすことは明白だろう。
ここはどう収拾をつけるのがベスト?そう考え廻らす前から、人の好い笑顔が朗らかに言った。
「あはは、国村がそんなこと言っちゃったらさ、内山ショック受けるよ、きっと、」
「ふうん?いいんじゃない、是非、ショック受けちゃって貰いたいね。彼には刺激が必要よ、ねえ、ア・ダ・ム?」
モード・イヴになった光一が可笑しくて堪らないと微笑んでくる。
すっかり悪戯っ子になった涼しい目に「アレは転がす獲物」という笑いを見て、英二は生真面目な同期に同情した。
この自分も光一の転がしには餌食にされている、但し、転がす動機が「好き」と「むかつく」で相違する差は大きい。
この「むかつく」は本当に誤解だろう、けれど今ここで英二が何を言っても光一は矛を収めるつもりはない。
光一にとって如何なる理由でも「山ヤの警察官」に対する冒涜は重罪、本人が謝るまで許さないだろう。
それが警視庁山岳会のエースで次期会長を嘱望される責務と権利、そう光一は自覚しているのだから。
―まあ男なんだしさ、自分で何とかしないと無理だよ、内山?
何もしないことも友情だと自分は思う、男は自分で矢面に立って経験を積んで成長するものだから。
ちょっと内山には多面的にハードルが高そうだけれど、いちばん良い方向を探して頑張ってほしい。
もう自分には今、なにもしてやれないな?そんな結論と空のトレイを持って、英二は席を立った。
吉村医師の手伝いを終えて診察室を出、駐車場に向かう。
いつもの場所に停めた四駆に乗込むと、窓から隣のスペースを見て光一は笑った。
「やっぱりね、おまえの車、ココには違和感あり過ぎだよね?」
四駆の隣には落着いたブルーの車が停まっている。
このブルーの愛車に英二は困り顔で微笑んだ。
「やっぱり俺の車、違和感ひどい?」
「そりゃね?ALPINAって言えば値段もハイグレードだろ?おまえ、やっぱりボンボンなんだね、」
可笑しそうに笑いながら光一はハンドルを捌きだした。
光一の四駆は古い国産車に実用的な改造がされている、それに比べると確かに自分の車は「ボンボン」だろう。
そういう車は山ヤの警察官らしくない、やっぱり買替えは正解だろうな?そんな考えに笑った隣から、テノールの声が問いかけた。
「おまえさ?月曜に訊いた時は、亡霊ゴッコしたってだけ俺に言ったけどね、どういう風にやったワケ?」
ほら、尋問が始まった。
今日、第1回目の尋問に英二は、正直に答えた。
「ココアをぶっかけてやったんだよ、」
「ココアねえ、ふうん?」
頷いて少し考えるふう首傾げこむ。
光一ならすぐ気がつくかな、そんな予想と運転席を見ると、尋問者は前を向いたまま尋ねた。
「アレって色の感じが似てるけどさ、おまえ暗示的なコトでも言ったんだろ、」
「当たり、」
ほら、気がついた。
言わなくても察してくるパートナーが嬉しい、笑いかけた英二に秀麗な貌は振向いた。
「おまえの言葉とココアが引き金だね?あの署長がブッ倒れたのは。で、なんて言ったワケ?」
真直ぐに透明な目が「話せよ?」と見つめてくる。
この眼差しだけには隠し事は不可能だ?そんな想いと数日前の記憶に英二は微笑んだ。
「古い血液みたいですね、その染み。すぐ洗えば間に合いますよ?」
あのココア、ほんとうに血痕みたいだった。
赤ふくんだ深茶色に染まるスーツとワイシャツ、ほろ苦く甘い芳香。
あの色彩と香に記憶を揺り動かしてやりたかった、そして跪かせてやりたい。
こんな考え廻らす隣から、テノールの声が溜息ひとつに困ったよう微笑んだ。
「古い血の染み、ココアの香、ね?どっちも周太のオヤジさんを連想させるね、14年前の記憶に土下座させたいんだろ?」
やっぱり解ってくれた。
この理解がいつも嬉しい、嬉しいまま英二は素直に笑いかけた。
「あの署長、いま夢のなかで土下座してると思う?」
「でなきゃ倒れたりしないんじゃない?罪悪感を利用して復讐したんだね、おまえ、」
呆れ顔と困り顔が一緒に笑ってくれる。
いま光一は「復讐」と言った。その言葉自体の意味は昏く冷たい、けれど英二にとっては所縁の温もりと自由の意味がある。
それも全て光一は解かってくれている、この大らかな懐へ微笑んだ英二にテノールの声は続けた。
「周太のオヤジさんと似てるって、おばあさんにも言われたんだろ?ホンモノの亡霊か血縁者だって怯えたんだろね、」
「たぶんね?でも周太に余計なことは訊いてないみたいだよ、」
全部言わなくても的確に理解してくれる、そんなパートナーが居て良かった。
その感謝に微笑んで英二は、月曜日に気付いたことを口にした。
「あの場所、監視カメラの位置が変わってた。多分パソコンと連動してる、だからすぐ来たんだよ。俺が来ること待ってたみたいにさ、」
「おまえは待たれているコト、承知で行ったんだろ?」
「まあね、」
笑って答えながらも考えてしまう。
もし周太に尋問されたら、なんて答えよう?その答えを有利にする伏線を英二は口にした。
「光一、あのとき俺から電話しただろ?もし周太に訊かれたら、22時位から青梅に戻るまで、ずっと電話してたって話してくれな」
「アリバイ工作の電話だったってワケ?おまえも周到だね、」
可笑しそうに笑ってくれながらハンドルを捌く、その視線は前を向いたまま「了解」と微笑んだ。
これで「亡霊ゴッコ」の犯行は隠匿できる、もう前に「危険なことしないで」と釘刺してくれた周太の想いを傷付けないで済む。
そう考え廻らせながら山嶺を眺めていく車窓、四駆は御岳駐在所駐車場で停まった。
(to be continued)
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