萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第57話 鳴動act.7―side story「陽はまた昇る」

2012-10-20 04:27:45 | 陽はまた昇るside story
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第57話 鳴動act.7―side story「陽はまた昇る」

あわい煙くゆらせ、薫っていく。
朱金に耀く光がゆっくり下りて、線香の紫が灰白色に燃え尽きる。
火の気配に焚かれる芳香のなか、仏前に掌を合わせ英二は祈りに微笑んだ。

―しばらくお騒がせします、夜に申し訳ありません。炉を、外させて頂きます

今から、この仏間に切られた炉を取り外す。
茶室の炉の構造は、炉壇を畳に切った穴に嵌めこみ炉縁をのせてある。
この炉壇の中に灰を入れて五徳を据え、釜を載せて使う。こうした構造から炉は内部からしか外せない。
この「内部から」という限定が晉の狙いだった、けれど盲点がそこにはある。その為に今から炉を外さないといけない。

―斗貴子さん、今から1つ終わらせますね?だから晉さん、場所を教えてください

青い表装の古いアルバムで会った、ふたりの俤に心で語りかける。
この夫婦が遺した悲哀と行きつく先の無い怒りと願いを、自分が受けとめたい。
この自分が「50年の束縛」を壊す為に呼ばれたのなら、権利と資格があると今から始めることに示してほしい。
その願いを祈り見つめて瞳を披くと、ゆるやかな煙めぐらす仏前に合掌を解き、英二は立ちあがった。

「始めよっか、光一、」
「だね、」

英二の後ろで光一も立ち上がると、スポーツバッグから大きなブルーシートを取出した。
シートの中心には一線が61cmのX字が切られている、この交点が炉の中心になるよう敷く。
そしてXの切れ目を折りあげると、1辺43cmの正方形が開いて炉の蓋が顕われた。

「よし、大きさはピッタリみたいだね。開いてくれる?」
「うん、」

頷いて英二は畳の蓋を上げ、約43cm1尺4寸四方の炉が開かれた。
炉縁の漆塗りにランプが艶めき、灰は抜かれた空洞が中へ落ちこんでいる。
その状態をデジタルカメラで撮影し、それから炉縁を外すと炉壇の縁が現われた。
炉縁の寸法は1尺4寸四方、高さ2寸2分5厘、天端1寸2分5厘、面取2分5厘が常寸で流儀を問わない。
この炉も常寸通りに作られていることは、初任総合の外泊日に帰ってきたとき計測して既に確かめてある。
炉壇も同じく定石に従い木製だと縁に見える、その木目に白い指先で触れて覗きこみ光一は微笑んだ。

「やっぱり檜だね、中も黄土で塗った正式な造りだ。きちんと炉の灰も上げてあるね、でも炉壇は外さないんだ?」

炉壇の定石は檜造りで、四方が1尺4寸、深さ1尺8寸の箱を作り内部の壁を微塵苆を混ぜた黄土で塗る。
厚さは二寸二分五厘、内寸で九寸五分四方、深さが一尺五寸に塗り上げた炭櫃となっており、毎年炉開きの前に塗替えていく。
そして光一が言うよう炉の灰を上げる5月、炉から風炉に変える時に炉壇も外して鍵畳から風炉畳に変える。
そのため炉壇は取り外せる構造になっている。けれど、この家では外さない。その理由を英二は口にした。

「この家では塗替えの時しか炉壇を外さないんだ、お母さんも周太もお父さんからそう教わっている。お父さんはお祖父さんからだと思う、」

この炉壇の下を見られたくない、それが晉の意図だろう。
炉縁を外した今の状態もデジタルカメラで、細部が解かるよう数枚撮影していく。
その傍らで、もう一枚のブルーシートを50cm四方に厚く畳んで置きながら、炉壇の縁を見て光一は頷いた。

「ふん、その割に傷んでないよね?この下に埋める前は、ちゃんと風炉の間も外していたんだろ?」
「外していたよ、俺の祖母も手伝いに来たことがある。斗貴子さんと女中さんと曾おばあさんと、4人で楽しかったらしい、」

話しながら英二と光一は炉を挟んで向き合うと、ゆっくり炉壇を持ちあげた。
経年の檜は火の気に乾いて思ったより軽い、畳んだシートの上に降ろして光一が軽くため息吐いた。

「やっぱり炉壇もよく乾いてるね、ってことは床下も水分が少ない状態だね?」

床下の湿気が低いから炉壇の檜が乾いている。
この低湿度が晉の意図を裏切っているだろう、その予想に英二も困り顔で微笑んだ。

「うん、そうだな?状態は思ったより良いかもしれないな、」
「イイ状態、ってこの場合は言えるのかね?」

テノールで困ったよう笑って、地下足袋を放ってくれる。
それを履いてゲイターを上から装着すると、ヘッドライトを付けて軍手を嵌める。
いつも雪山で使う折畳式スコップをセットし携えると、ブルーシートの折れ部分を今度は地下に向け折り直す。
そうして汚れの防染を整えると、音もなく床下50cmほど下の地面に降りた。

―昏い、

炉に開けられた43cm四方の光だけが、地面を照らす。
その彼方は闇が拡がり数メートル向う、空気抜きの格子が微かに光って見える。
いつも生活する家、その真下に広がる闇は異世界を想わせて「奈落」という言葉が浮ぶ。
同じように晉もここを「奈落」と考えたのだろうか?そんな想いと床下に潜り片膝つくと、光一も降りてきた。
ヘッドライトの灯に床下を見まわし、軍手の指で床材にふれると底抜けに明るい目は笑ってくれた。

「ふうん、やっぱり良い木材を使ってるな。昔っぽく床下が高いね?これなら炉の真下って考えるワケだ、」

炉壇の丈は40cm強、これを床から降ろした状態だと炉壇と地面の間は10cmに満たない。
この炉壇直下に埋没させれば、室内から炉壇を外さない限りは地下を掘ることも難しい。
だから恐らく目的物はここに埋まっている、ふたり慎重に掘り始めながら英二は微笑んだ。

「うん。床が高いから、この場所以外は外から入りこんでも掘れるんだ。それに、お祖父さんのコードネームは『Fantome』だろ?
それで小説には『埋葬』ってあったよな?これに『オペラ座の怪人』と考えると、あれの埋葬場所はここって見当つけたんだけど、」

『Fantome』

晉は戦時中、狙撃手に従事させられていた。
その当時コードネームは『Fantome』だった、その根拠は警視庁警務部のファイル名と『Le Fantome de l'Opera』。
光一がハッキングした警務部のファイル『Fantome』には『Fantome.K』に馨の履歴が記載されている。
そこには『Fantome.K』の父親が『Fantome』だったと書かれていた、それは晉のことだろう。
そして恋愛小説『Le Fantome de l'Opera』の作中、怪人Fantomeが自らの埋葬場所に選んだのは?
この答へと、慎重にスコップを使いながら光一は応えてくれた。

「『Fantome』が消えたのは『奈落』だからだね?確かにここは、この家の奈落かもね、」

からり笑いながら光一は、薄暗い空間でも雪山のよう素早く掘り下げていく。
そんな隣と一緒に腕を動かしながら、英二は答えた。

「この仏間は茶室で、接待と寛ぎ場所のテラスにも繋がっている。この家にとって大切な場所で、もてなしの舞台でもあるんだ。
そういう場所の地下なら『奈落』に相応しいだろ?だけど、炉の真下だってことの影響を、お祖父さんは計算していたのかは解からない、」

この湿度の低さを晉は、考慮に入れて『埋葬』したのだろうか?
その可能性は低いと考えるのが普通だろう、けれどまだ真相は解からない。その疑問へと光一が口を開いた。

「やっぱり土自体の湿気も少ないね、この家の構造だと床が高くて木造だから換気も良いんだろな。で、炉壇も本式だからね?
あの土壁の塗り方はキッチリしてる、たぶん炭を焚いたら内部は数百度の高温になるよ?でも炉壇の外壁は38度くらいのはずだね。
乾いた熱い空気が気流を作って、この地下の湿気を抜いてるんだと思うよ。でさ、周太のじいさんならコレ位は気づいてるんじゃない?」

確かに、周太の祖父なら気付いても不思議はない。
すこし天然で本質が呑気な周太、けれど、鋭利で聡明な頭脳も持ちあわせている。
そういう周太の祖父であり、東京大学やパリ第3大学と言った最高峰の学府で教鞭を執っていた。
おそらく晉も相当の頭脳を持っている、それでも「人間」なら精神的陥穽に陥ったなら?この可能性を英二は口にした。

「うん、普通なら気付くかもしれない。でも文系の学者だと逆にそこまで考えない可能性もある、それに当時の精神状態が…あ、」

かつん、

かすかな手応えと音に英二はスコップを止めた。
その斜向かいで光一も手を止め、英二を見た。

「いま、音が鳴ったね?」

乾いた土の上に屈みこみ、ヘッドライトの照らすサークルに視線を凝らす。
もう土は30cmほど掘り下げられて岩盤が覗く、この穴底へとふたり腕を伸ばした。
昏い土の中で軍手の指はライト光る土を慎重に掻き分けていく、土の感触しみだす指先に硬質がふれる。
指先ふれる固い感触は徐々に面積を広げだす、そして現れた古い革のケースを、そっと英二は掌に救い上げた。

「…これが、」

つぶやいた言葉の先に、腐食しかけた革がヘッドライトに光る。
掌の上ぼろぼろと革が毀れていく、地中から空気に掘り出されて脆く崩れだす。
掌から墜ちていく古い革、その下から鈍い光がライトに光を放ちだす。

「…うん、思ったより腐ってないね、本体はさ、」

静かにテノールが微笑んで、掘り起こした土を戻し始めた。
その傍らでカーゴパンツのポケットからサラシを出し、掌の物体を包みこんだ。
床の穴から腕を伸ばしサラシの包みを置く、掘り出した箇所を周囲の土と同様に戻すと床下から上がった。
昏い土底の視界がランプの世界に明るんで、まぶしさに目を細める。薄く目を披いてゲイターと地下足袋を脱ぎ、スコップも袋にしまう。
炉壇を戻してから広げた古新聞の上、サラシの包みを開いて英二はすこし微笑んだ。

―晉さん、あなたの拳銃ですか?

ほどいた白布のなか、黒革のケースは崩れきり銃身が露になる。
丁寧に油で手入れされた所為だろう、思ったより劣化の少ない銃身は金属の光沢と錆の斑をなす。
あれから50年、それでも腐食をほとんど逃れた姿に、透明なテノールが微笑んだ。

「これの下に岩盤があっただろ?あれが地中からの湿気を防いだんだろうね、それにケースの革も湿度の壁になってくれたよ。
銃身にも油が残ってるし、炉の直下で湿気も少ないからね?錆って水と酸素の両方が揃わないと出来ないから、錆び難かったんだろね、」

鉄は水と酸素が共存すると、反応して錆を生成する。
大気中では酸素があっても水分を取り除けば錆ることはなく、水中では酸素が無ければ鉄は腐食しない。
この錆生成の条件から逃れた保管状況だった、その銃を光一は慎重に手にとるとサラシで汚れと錆をざっと落としていく。
その手元を見つめながら英二は、晉の意志に反したこの現実に微笑んだ。

「お祖父さん、『もう1つの名前を埋葬した、私の拳銃と共に』って書いていたよな?土の中で錆びて腐るって信じていたんだと思う。
何年かを懸けて土に還して、50年前の証拠を消す。そしていつか子孫が脅迫されたとしても、証拠が無ければ大丈夫だろうって考えて。
だから建替えも引越もしないし、イギリスに行く時も曾おばあさんは残って家を守ったんだと思うんだ。家を留守にしたら危ないって、」

1914年に建てられた擬洋館建築の、築100年になる家。
この家は修繕を繰り返しながら大切に住んできた、それは家族達の慎ましやかな性質にも因るだろう。
けれど、移築も改築もしなかった理由はこの拳銃、50年前の惨劇の証拠を隠滅するためだった。
それを裏付ける事実を、静かに英二は口にした。

「光一、どうして今夜も留守番を頼まれたかっていうとさ?お母さんも周太も、お父さんに言われているからなんだ。
この家では夜は無人にならないように留守番をする決まりだ、そう言われてる。お父さんはお祖父さんに言われたって日記にもあった。
だからお父さん、曾おばあさんが亡くなってからは退寮して、この家から通勤していたんだ。独身の時からもずっと、言いつけ通りに」

無人にした間に、「あの男」が証拠を盗ってしまわないか?
それを心配して晉は家族に言いつけを残したのだろう、その推測に光一も手を動かしながら微笑んだ。

「そう言われていたんじゃ、泊まりで家族旅行も難しいよね?だから周太、山小屋で1泊とかしかしたこと無かったんだ、」
「そうだと思う。周太、言いつけの理由に疑問を持ってないんだ。まだ何も気づいていないなら、このまま気付かせたくない」

話しながら英二はデジタルカメラの再生画面を確認し、炉壇まわりを拭き始めた。
作業前の状態を画像で確認して全く同じ状態に汚れを拭き取っていく、こうして元通りに復したい。
今日の作業の全てを隠滅することで美幸にも勘付かれたくない、あまりに事実は彼女にとっても重すぎる。
射殺された義祖父、犯人殺害と死体遺棄に銃刀法違反という義父の三重罪、全て負わされた涯に夫が選んだ「殉職」という自殺。
そんな現実は美幸にとっても辛くない筈がない、きっと知れば彼女は今まで以上の自責に苦しまされてしまう。

―きっと気付かなかった自分を責めてしまう、あのひとは…これ以上は苦しませたくない、もう辛い涙では泣かせたくない

自分が愛している穏やかで明朗な黒目がちの瞳、あの美しい目をもう悩ませたくない。
いま馨の死から14年を経て、漸く彼女は自分の人生を歩き始めている。そんな時に苦しみの事実は要らない。
それは周太にも願うこと、だからこのまま自分と光一だけの秘密にしたい。そんな英二の願いに頼もしいパートナーは微笑んだ。

「ホントに今日出来て良かったよね、コレの存在に周太が気づく前でさ。周太、お祖父さんの小説は読んだんだろ?」
「まだ通し読みだけらしいけどね、東大の図書館で見つけたんだ。その本のサインを見て、自分のお祖父さんだって確信したらしい、」

話しながら手は止めず、今の泥汚れを拭取っていく。
作業前に撮影したデジタルカメラの映像と照合し、それから炉縁を戻し蓋をする。
そうして元通りにしたとき光一も手を止めて、英二にサラシごと拳銃を渡してくれた。
ずしりと重みを掌に感じる、その銃身に未だ読める刻印を白い指で示しながら透明な声は告げた。

「ワルサー社製のP38、サブマシンガン用の強装弾も使えるし酷寒でも作動するタフなヤツだよ。太平洋戦争当時の猛者ってトコだね、」

WALTHER P38 

ドイツ・チューリンゲン州ツェラ・メーリスのC・ワルサー社の作品。
ダブルアクション式トリガーを軍用としては初めて実用化した拳銃で、1942年スターリングラード戦線から有名になっている。
戦地の酷寒により他の銃が凍結し作動不能に陥るなか、P38は量産を考慮して製造公差を大きくしていた為に唯一作動した。
こうした過酷な状況下の荒い使用にも耐える実用性から戦闘用拳銃として名高く、様々な小説や映画などにも扱われている。
その拳銃を晉は遣っていた、そして今この掌に納まった銃身を見つめて英二は穏やかに微笑んだ。

「そういうタフな拳銃だったら、今も遣えるかもしれないな、」

言葉に、透明な目が真直ぐ英二を見つめた。
英二が何を考えているのかを見つめる眼差し、それを受けとめて微笑んだ英二に光一は頷いた。

「うん…だね、カバーに納まっていたから銃身に泥も入り込んでいないし、この程度の錆ならね、」
「手入れしたら、いけそう?」

有能なパートナーに問いかけて、綺麗に笑いかける。
問いかけに山っ子は小さなため息を吐いて、率直に言ってくれた。

「だね…クマ撃ちの大口径も精密に造らないから荒っぽい扱いでも平気なんだけどさ。コイツもイケるかもね、部品交換は必要だけど、」
「そっか、」

与えられた答えに微笑んで英二は、掌中に視線を戻した。
いま目の前にある古い拳銃、その姿にフランス語で綴られた小説の一節が浮びあがる。

 私はもう1つの名前を埋葬した、私の拳銃と共に。 
 けれど、この眠りを妨げようとする者が存在することを、私は知っている。
 その存在こそをSomnusの許へ送ってしまえたら?
 そんな願いに罪を重ねそうな自分がいる、これが私の本性なのか、血統なのか?
 もう1人の過去の私を蘇らせようとする、私の学友で戦友の男。
 あの男はきっと、私の原罪を悦んで、私の子孫に及ぼそうとしていく。
 私の原罪が作りだした鎖、硝煙と血に纏わりつかれる香、死の眠りに誘う名前。
 この束縛を私は、断ち切ることが出来るだろうか?どうか私の血に連なる者よ、この束縛を越えてほしい。
 連鎖を絶ち、自分の人生を探し、明るい光に生きる君を、私は祈り続けている

50年前、この家で起きた2つの惨劇。
退役軍人に敦が銃殺され、その犯人を晉が狙撃に射殺した。
この2つの銃殺事件が「50年の束縛」の誕生、今に繋がる全ての始まり。
この家に受継がれる「銃器の名手」という血統、その畸形化を惹き起した拳銃が今、英二の掌の中にある。

―もう、朽ちたかもしれないとも思ったのに

50年の歳月にも、この金属製の兵器は殆ど変ることなく存在する。
錆の斑にも無事な鉄の塊は「50年の連鎖」が未だ終わっていないと示すよう今、この掌の中に佇む。
この拳銃の持主だった男の意志と願いと想い、その全てが「朽ちなかった拳銃」に結晶化されているのだろうか?
そんな想い穏やかに微笑んで、古いアルバムの俤に心で呼びかけた。

―晉さん、斗貴子さん、50年の連鎖を終らせる権利と資格が俺にある、そう想っていいですか?

この拳銃を、どう遣えばいい?




書斎机のスタンドランプを灯すと、オレンジ色の明りが部屋を照らしだす。
写真立ての馨の笑顔に笑いかけて、そっと英二はサラシの包みを机上に置いた。
絨毯に膝まづき、机に肘つき両掌を組み合す。その上に顎を載せて写真の笑顔を見つめた。

「…お父さん、この銃が始まりです」

静かに語り掛ける先、写真の馨は寂しげで優しい、綺麗な笑顔で見つめてくれる。
父親の晉が拳銃で殺人を犯したと馨は知っている、けれど、この拳銃の存在には気付かなかったろう。
家族が愛してきた茶の湯、その茶を点てる炉の直下ひろがる「奈落」に、晉は拳銃を眠らせていた。
地中に埋めて腐食を待ち、罠に犯した三重の罪を明かす証拠を消して子孫たちを護りたい。
そんな願いに眠らせた拳銃は、けれど朽ち果てることなく今、英二の前にある。

「お祖父さん、お父さん…これは、俺が持っていて良いですね?」

そっと告げて微笑んだ言葉は、この掌で「違法」を犯す宣言。
そして周太と美幸を護る宣言でもある、この2つの宣言に微笑んで英二は白布の拳銃を携えた。
スタンドランプを消して窓辺に歩み寄る、ビロードのカーテンを少し開いて眺めた先には、東屋が見える。

―ここから撃ったんだ、晉さんは

今、この掌の中にある拳銃が、この場所から東屋に向かい弾丸を放った。
それは父親の死を悼み、家族を護るための狙撃だった。
けれど、その瞬間が「今」を生みだした。

「お祖父さん?あのとき、それしかありませんでしたか?…この方法だけだったんですか」

この今から50年前の現実が、白布の重みに生々しい。
あの瞬間に犯された3つの罪、それが晉を死なせ馨も死に追い込み、周太の記憶と夢を奪い去った。
この哀しみを創った「50年の束縛」のトリガーを引いたのは、この白布の中身だった。

『WALTHER P38』

第二次世界大戦に生みだされた軍用銃。
その戦争が終わって半世紀が過ぎた今、自分の戦いは始まりだす。
その自分の掌に今、酷寒地にも使える戦闘用の武器は納められた。

古い時の彼方に人命を奪った戦闘銃は、今、どんな目的に遣われる?

「…赦せない、」

そっと呟いた低い聲は、窓ゆれる夜の梢と月光に、密やかなまま融けた。




(to be continued)

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