萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

soliloquy 七夕月act.2 Encens de biere et l'orange―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-31 21:27:52 | soliloquy 陽はまた昇る
ほろ苦く、あまく



soliloquy 七夕月act.2 Encens de biere et l'orange―another,side story「陽はまた昇る」

純白の光が弾けて、なめらかに浮きあがる。

グラスに充ちる泡は黄金の酒に変わって、かすかな音を弾く。
充たされる黄金色にガラスは霜をまとう、ゆっくり注ぎ終えて周太は向かいへと差し出した。

「はい、英二…」
「ありがとう、周太、」

2杯目のビールを受けとって、綺麗な笑顔を見せてくれる。
笑顔が嬉しくて、すこし熱い頬に掌あてながら見つめてしまう。

…英二、今夜もきれいな笑顔…だいすき

心で告白しながら頬が熱くなる。
ほら、こんな食事の席でも羞んでしまうなんて、自分は子供っぽい?
すこし自分で困りながらも幸せで、食事に箸つけながら見てしまう視界で端正な唇がグラスに口付けた。

…あ、のどが動く

傾けるグラスに白皙の喉が動いていく。
ゆっくり黄金の酒を呑みこむ白い喉、その艶麗な雰囲気に溜息こぼれた。

…ビール飲むだけでも英二っていろっぽいね

こんなに綺麗だと、なんだかもう羞んでいる暇もない。
それでも気恥ずかしくてグラスを持つと、そっと唇つけて傾けた。
冷たさが喉を透って、すこし紅潮の熱は醒まされていく。けれど口に広がる苦みに顰めてしまう。

…やっぱりビールって苦いな、英二は美味しそうに飲んでるのに…光一とか瀬尾とか、みんな平気なのに

グラスから口を離して、ほっと息吐いてしまう。
もう味覚から自分は大人になりきれていない、それが幾分か悔しい。
少しだけ俯き加減になってしまう、その前から綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「周太、カクテル作ってあげようか?」

提案してくれながら、白い浴衣姿が立ってくれる。
意外な申し出に驚いてしまう、こちらに来てくれる婚約者に周太は訊いてみた。

「英二、そんなこと出来るの?」
「この程度ならね、ちょっとグラス借りるよ?」

切長い目が微笑んで、長い指に周太のグラスをとってくれる。
まだビールが半分以上残っている、そのグラスを片手に英二は台所へと入って行った。

「周太、冷蔵庫のオレンジジュースもらうよ?あとオレンジも、」
「あ…どうぞ?」

答えながら立ち上がって、ダイニングから台所を覗いてみる。
調理台に向かって浴衣の長身は佇んで、ひろやかな背中をこちらに向けている。
その手元は器用に果物ナイフを使っていく、もう慣れた雰囲気でいる容子に周太は瞳ひとつ瞬いた。

…英二がひとりで台所してくれてる、ね?

去年の秋、この家で過ごした夜に英二は、クラブハウスサンドを作ってくれたことがある。
あのとき周太はベッドから起きられなくて、台所に立つ英二を見てはいない。
あのサンドイッチは冷蔵庫の惣菜を挟んだだけ、けれど美味しかった。

…あれが初めて食べた、英二の手料理だったな

自分のために英二が作ってくれた、それだけで幸せだった。
おにぎりとサンドイッチしか作れない、そう言って笑った英二の笑顔が温かかった。
あの夜に見つめた幸せが今、目の前で再生されていく?そんな想い見つめる真中で、長身の浴衣姿が振向いた。

「周太、お待たせ。ほら、座って?」

綺麗な笑顔が楽しげに笑いかけてくれる。
言われたよう席に戻ると、白皙の手がグラスを前に置いてくれた。
そのグラスを眺めて嬉しくて、周太は綺麗に笑った。

「きれい、」

黄金ゆれるオレンジの光が、ガラスを透かせ弾けていく。
グラスの縁にはオレンジの飾切りも添えてくれた、その器用なカッティングに周太は微笑んだ。

「オレンジもきれいに切ってあるね…英二、こんなふうに出来るようになったんだね?」
「見様見真似ってやつだけどな、でもナイフには馴れたと思うよ?雪山で結構、遣ってたから、」

答えてくれながら切長い目は微笑んで、周太の隣から覗きこんでくれる。
席に戻らない婚約者にすこし首傾げると、綺麗に笑って勧めてくれた。

「ほら、周太?飲んで感想を聴かせて?」

それを待ってくれていたの?
そう見上げた周太に切長い目は期待するよう笑ってくれる。
そんな婚約者の貌が嬉しくて、周太は素直に口を付けた。

…あ、おいし

豊かな柑橘の香と爽やかな甘みに、ほろ苦いアルコールが郁る。
すっきりとした飲み口に好みの香と味が嬉しくて、すこし苦いのが美味しい?
どこか大人の味のオレンジジュース、そんな味に微笑んで周太は恋人を見上げた。

「おいしいね、英二?…生のオレンジも絞ってくれたの?」
「うん、香が良くなるし生ジュースって旨いから。気に入ってくれた?」

切長い目が少しだけ心配そうに微笑んで、周太の顔を覗きこむ。
こんな貌も英二は綺麗で、また微熱に羞みながら周太は素直に頷いた。

「ん、これ好きだよ?作ってくれて、ありがとう…これならビール飲めるよ?」
「良かった、」

嬉しそうに笑って、端正な貌を近寄せてくれる。
間近くなる綺麗な貌に気後れして、すこし俯いた周太に綺麗な低い声がねだってくれた。

「ね、周太?気に入ったんなら、ご褒美のキスしてよ。また作ってあげるから、」

言葉に睫あげると、すぐ近くで切長い目が見つめてくれる。
もう至近距離で待っている、そんな率直な愛情表現が嬉しくて、素直に周太はキスをした。

…あ、キスも、あまくてにがい…ね、

ふれる唇の吐息にアルコール香って、甘く苦い。
温もりに秘めやかな香は華やぐ、ふれるだけのキスなのに艶が深い。
いつもとなにか違うキスに魅かれ途惑う、そっと離れて見つめる眼差しも熱い。

…なんか緊張しちゃう…このあとのことのせい、かな

この食事が終ったら、どんな時間が訪れる?
その問いに先週末の夜がふれて、鼓動が心をそっと揺らす。
あの時間がまた訪れる?あまやかな微熱の記憶がふっと首筋へ昇らせ、吐息交じりに唇が披かれた。

「あの、えいじ?このお酒、なんて名前なの?」

なにか言わないと?
そんな想いに問いかけて、途惑いと幸せが羞んでしまう。
どこか浮ついたような羞恥に困って、けれど幸せで微笑んだ周太に、恋人の幸せな笑顔が教えてくれた。

「ビター・オレンジ、」

さらり答えた唇が、きれいに微笑んで周太の唇ふれる。
あまやかな熱ふれて、すぐ離れると英二は笑って席に戻って行った。

…ほろ苦いオレンジ、

そっと心つぶやく名前が、どこか自分の想い重なるよう慕わしい。





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第57話 共鳴act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-31 02:02:47 | 陽はまた昇るanother,side story
親愛なる時の始まりへ



第57話 共鳴act.5―another,side story「陽はまた昇る」

山荘の窓ふる午後の光に、黄昏の気配すこし映りだす。
いま時刻は17時、それでも夏の空には日没まで2時間近くある。
観察発表が終わって片づける隣、周太のノートを見ていた美代が笑いかけてくれた。

「ね、湯原くんのノートってすごいね?先生の話ほとんど全部メモ出来てる、手帳のメモもそうだったけど、」
「ん?…そうなの、かな?でも美代さんのメモのほうが、解かり易いと思うけど」

想った事を素直に口にして、周太は微笑んだ。
自分は単に記録しているだけ、だから後でまとめ直さないといけない。
明日は新宿に戻った後は当番勤務だから、明後日は書き直しが出来るかな?
そう考えながら美代のノートを横から見ていると、前に座っている学生が声をかけてきた。

「あ、ほんとだ。ふたりともメモすごいね、ちょっと写させて貰っていい?」
「え…あ、」

どうぞ?
そう周太が言いかけた隣りから、朗らかに美代が提案してくれた。

「じゃあ、あなたのも見せて写させてくれる?それなら良いよ、」
「俺のでも良いんならいいよ、でも小嶌さん達の方がちゃんと書けてると思うけど、」

気さくに笑って学生はノートをこちらに向けてくれる。
そのノートを受けとりながら、美代は軽く首傾げて微笑んだ。

「あれ?私の名前、憶えてくれてるんだ?」
「そりゃね、紅一点だしさ。可愛いって評判なんだよ、君って、」

さらっと学生は言って、美代に笑いかけた。
やっぱり美代はモテるんだな?そんな納得に微笑んだ隣で、美代は朗らかに笑いだした。

「ありがとう、褒めてくれて。でも私より湯原くんの方が可愛いわよ?」

そんなこといわれてもこまるんだけど?

ほら、首筋が熱くなりだした。
そっと掌で首筋を隠してしまう、赤面するのが恥ずかしい。
でも、もう真赤になっているだろうな?困っていると他の学生が笑いかけてきた。

「小嶌さん、ほんとに湯原くん?のこと好きなんだね、」
「うん、大好きよ、」

堂々と美代は笑ってくれた。
この「大好き」は自分も同じ、それが解かるから嬉しい。
けれど部屋割りの時に聞えた学生たちの言葉に、誤解されるだろうとも解かる。

…美代さんの言葉は嬉しいけど、きっと誤解が深まっちゃうよね?

どうしよう?
こんなこと馴れていない、対処がちっとも解からない。
また困りだした周太の周りから、他の学生たちが皆で振向いて声をあげた。

「やっぱり小嶌さん、彼とつきあってるんだ?」
「やっぱ可愛い子は彼氏いるよなあ?」
「いいなあ、湯原くん?だっけ、こんな可愛い彼女いてさ、」
「家族公認って、どうやって?」

そんなにいっぺんにはなしかけないで?

「あ、あの、」

困りながらも答えようとして、でも何て言っていいのか解からない。
こんなふうに囲まれて困ってしまう、それも誤解されているのに?
けれど、初任総合の時に女性警官たちに囲まれた時よりは怖くない。

…こういうことも、男と女の人って違うんだな?

やっぱり性別による雰囲気の差ってある?
そう思った途端に先週末の、英二に教わった記憶が起きてしまった。

―…周太、答えて?…男女関係なく同じだと思う?

先週末、葉山から川崎に帰ると英二は銃創の応急処置を教えてくれた。
英二の説明はとても解かり易くて、そして、そのあとの「授業」も解かり易かった。
あのとき自分は初めて男性と女性の体の構造が全く違うと知った、教えてもらえて良かったと思う。けれど、

…でも教え方がはずかしすぎるんだもの…すごくよくわかったけどはずかしくて、あ、思い出しちゃダメ

こんなとき思い出したら恥ずかしすぎるのに?
けれどもう首筋から昇らす熱に頬まで熱い、きっと真赤になっている。
紅潮の微熱にぼんやりして、余計に何を答えて良いのか解らない。困って俯きかけた周太に、ひとりの学生が笑いかけた。

「湯原くんのノート、本当にすごいね?先生の言葉を全部書いてあるよな、それに自分の見解も書いてある。奥多摩に詳しいんだ?」

気楽に笑いかけてくれる笑顔は生真面目そうで、笑んで細めた目に愛嬌がある。
勉強の話と彼の雰囲気になんだかほっとして、赤い頬のまま周太は微笑んだ。

「うん、奥多摩は何度か行ったことあって。それでメモに書いてみたんだ、」
「こういう実例が載ってると解かり易いよね。俺もまとめる時は、自分ちの山のこと書いてみようかな、」

話しながら周太のノートを眺め、楽しそうに笑ってくれる。
その笑顔と言葉に周太は、思ったままを訊いてみた。

「家に山があるの?」
「うん、俺んち林業をやってるんだ。長野の山奥だけどさ、」

長野県には、高峰が多い。
この冬に英二と光一が登った雪山にもあった、その記憶に周太は微笑んだ。

「長野って高い山が多いよね?穂高とか槍ヶ岳とか、」

穂高連峰、あの場所には想いが深い。
あの場所には父と行った、光一にも雅樹との想い出がある。

…だから英二、槍ヶ岳では命も懸けたんだ

春3月のこと、けれど氷雪に鎖された槍ヶ岳で英二は誇りと生命を懸けた。
あのとき英二は光一のため雅樹の慰霊登山に挑んだ、それは危険と隣り合わせでもあった。
それでも無事に全て遂げたのだと光一にも聴いたとき、恐怖と誇りと、より深くなる恋愛の想いを見つめた。
この想い見つめる向う、学生は楽しげに笑んで周太に訊いてくれた。

「お、湯原くんって山好き?」
「ん、そんなに難しい山は登ったこと無いけど好きだよ、家族に山ヤさんがいるし…」

いま答えた「家族」という言葉には、温もりと幸せが面映ゆい。
すこし熱い頬に掌あてる周太に、学生は気さくに尋ねてくれた。

「山ヤは俺の地元にも多いよ、湯原くんは穂高とか登った?」
「ん、穂高はね、小さい頃に涸沢って所まで連れて行ってもらったよ、」

素直に答える言葉のなかに、幼い日に父と見た夏の山が懐かしい。
あの場所で父とふたり見た山肌に、アンザイレンザイルを繋ぎあうクライマーがいた。
あのとき自分は初めてアンザイレンパートナーの事を知った、そして父の哀しみを垣間見た。

…お父さんにも、アンザイレンパートナーがいたら良かったのに…英二と光一みたいに

あの日に見つめた父の言葉と表情が、今も心に切ない。
いま思い出すだけでも切ない記憶、けれど13年間ずっと忘れていた。
こんなに切ない想いを自分は、どうして忘れていられたのだろう?思わず溜息つきかけた周太に、学生は笑いかけてくれた。

「涸沢か、良い所だよな。俺も遠足で行ったことあるよ、家は木曽なんだけどさ、」
「木曽、きれいな宿場町のところだよね?檜とか有名で、」

林業の盛んな山、そんなふうに本で読んだことがある。
古くて美しい街並みの写真がきれいだった、そんな感想に微笑んだ周太に学生は嬉しそうに頷いてくれた。

「そう、その木曽だよ。俺んちも檜とかやってるんだ、それで森林学に興味もってさ。湯原くんは聴講生だよね、なんで興味を持ったの?」
「ん、小さい頃から木とか花が好きなんだ。それで樹医に憧れて…ね、」

『樹医に憧れて、』

今、自分は確かにそう言った。
幼い日に父と読んだ新聞記事がきっかけだった、そこまで自分は思い出せてはいる。
けれど、もうひとつ大切なことを「樹医」に自分は決めていた?それを思い出したいのに靄が晴れてくれない。

…憧れていただけだった?ううん、違う…あのとき樹医になりたいって、思ったんじゃないかな?

心に浮んでくる過去への推測に、ふっと意識が惹きこまれる。
けれど今は話し中なことを思い出して、微笑んで周太は言いかけた言葉を続けた。

「…今の仕事は植物とは関係ないんだけど、ちゃんと植物のこと勉強してみたいなって思って、」

素直に答えて周太は学生に微笑んだ。
その前で学生は軽く首傾げると、率直に訊いてくれた。

「もしかして、湯原くんって社会人?」
「うん、そうだけど、」

たぶん職種は言わない方が良い、警察官というと身構える人も多いから。
そう思って短く答えた周太に、彼は驚いたよう謝ってくれた。

「そうだったんだ?ごめん、俺、てっきり高校生かなって思ってた。あ、しかも俺、名前も言わないで喋ってるな、ごめん、」

言って可笑しそうに学生は笑いだした。
その笑顔は屈託なく明るくて、生真面目な顔がひといきに懐っこい。
物堅い真面目な風貌だけれど、明るくて話しやすい人なのかな?なんだか嬉しくて微笑んだ周太に、彼は笑顔で教えてくれた。

「俺、手塚っていうんだ。さっき発表の時も名乗ったけどさ、まだ俺のこと憶えて無かったよね?」

申し訳ないけど図星です。
そんな感想に申し訳なくて、けれど名乗ってもらえたことが嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、でも今、憶えたよ。それでね、俺のこと湯原って呼び捨てでも良いよ?」

警察学校の友達は互いに呼び捨てしている、それに今もう馴れている。
だから大学でもその方が気楽かな?そう提案した周太に、手塚も笑って言ってくれた。

「そのほうが気楽だな、湯原も俺のこと、呼び捨てで良いよ、」
「ん、ありがとう、手塚、」

早速に呼んでみて、なんだか温かい。
自分と同じ道を学ぶ友達が出来る、その兆しに嬉しくて周太は思い切って訊いてみた。

「あのね、木曽との比較をまとめたノート出来たら、いつか俺にも読ませてくれる?」
「うん、いいよ。土曜の聴講のときで良い?あれに俺も出てるんだ、ここにいるヤツ皆もだけど、」

笑って手塚は了承してくれる。
その笑顔と言葉が嬉しくて周太は笑った。

「ん、皆、見たことあるよ?あの講義、一般の人と学部生の混合クラスなんでしょ?」
「そう、学部の3年は青木先生の授業とってたら参加できるんだ、それで噂だったんだよね?あ、ここ写させてくれる?」

周太のノートを指さしながら手塚は訊いてくれる。
頷きながら周太は、いま言われたことに質問をしてみた。

「ん、どうぞ?…ね、噂ってなに?」
「うん、湯原と小嶌さんのことだよ、」

広げた手塚のノートにペンを走らせながら、愛嬌のある目が笑った。
自分と美代がなんだろう?そう見た周太に明快なトーンが答えてくれた。

「真面目で可愛い高校生カップルがいる、って噂だよ?講義の感想を書く時いつも最後まで残ってるし、先生と昼食べてるしさ、」

そんなふうに皆に見られていたんだ?
また気恥ずかしくなって首筋へと熱が昇りだす、その隣から可愛い声が話しかけてくれた。

「手塚くん、私も高校生じゃないからね、」
「あ、小嶌さんも違うんだ?ごめん、俺たち全員で勘違いしてたんだな、湯原もごめんな、」

困ったよう笑いながら手塚は謝ってくれる。
その笑顔の屈託ない愛嬌に気楽になって、周太は綺麗に微笑んだ。

「ううん、俺、よく高校生って間違われるから。体もあんまり大きくないし、」

何げなく答えて周太は、自分で少し驚いた。
前なら体格の事をこうして口に出すのも嫌だった、けれど今なにげなく言えている。

…きっとえいじのおかげだよね…あ、これはずかしいだめえいじふくきてでてきて?

嬉しいけれど恥ずかしい記憶に、また首筋が熱くなりだしてしまう。
自分の小柄な体へのコンプレックス、それが軽くなった理由は「英二」だと自覚している。
これがさっき美代にも訊かれた「宮田くんと良いことあった」への回答で、幸せだけど気恥ずかしい。
これを考えてしまうのは今日これで何度めだろう?ひとり困っている隣、美代も笑いながら言ってくれた。

「私も間違われること多いのよ、3月に公開講座受けた時もね、学食で間違われたし。ね?」
「ん、そうだったね、」

共通の記憶に頷いて、それが周太には幸せに想えてしまう。
こんなふうに大好きな友達と同じ記憶に笑える、これは普通のことかもしれない。
けれど自分には13年間ずっと得られないことだった、だから今この瞬間が嬉しい。

…こういうの嬉しいって思えること、すごく幸せなことかもしれない

普通だったら気づけない「普通」の幸福感。
それを気づける自分は、幸せと想える瞬間が普通より多い?
そう考えると自分は幸運なのだと想えて、この今を造ってくれた全てが温かく優しい。

…きっとそう、13年間が無かったら今は無いんだから…お父さんのこと本当に哀しいけど、でも

父を亡くした後の13年間は、辛くなかったとは言えない。
哀しくなかったとは言えない、苦しくなかったとも言えない、素直に幸せだったとも言えない。
あの13年の間に自分は、母は、いったい幾つの夜を独りぼっちで泣いてきたのだろう?
その全ては今も哀しくない訳がない、思い出せば今だって哀しみは鮮やかに見てしまう。
けれど、それでも「良かった」と今、素直に想える。

…そう思えるのはね、英二が来てくれたから

ちょうど今頃の1年前、英二は外泊日に家を訪れてくれた。
あのときが父の葬儀の後に初めて、自分たち母子以外が家に入った瞬間だった。
あのとき13年間に積った自分と母の孤独は解かれだし、そして今の幸福が現われた。

この今が幸せ、そんな幸福感を再び見つめる始まりは、大切な笑顔の唯ひとり。




山荘の早い夕食を済ませて、周太と美代は丹沢の夜に立った。
扉を開いてふれる空気は穏やかで、濃やかな樹木の香が芳しい。
見上げる紺青色の空は銀色に星が瞬き、遠く西の空は落日の気配を残す。
黄昏と夜の狭間、ヘッドライトの灯で歩く足元から草が香り立つ。そんな静謐の隣で美代が笑ってくれた。

「ね、高校生って誤解は解けたけど、たぶん年齢は間違われてるよね?」

きっと美代の言う通りだろう。
手塚を始め、他の学生たちにも同年か年下に話す気楽さがある。
そんな親しげな雰囲気に食事の席も楽しかった、この気持ちに周太は楽しく笑った。

「ん、たぶんね…俺が社会人2年目って言ったから、高校出て2年目って思われたかも?」
「じゃあ私たち今度、成人式なのね?だからお酒も勧められなかったのかな、」

食事時のことを言って、美代は可笑しそうに笑いだした。
酒を勧められずに済むのは、そんなに呑まない美代と周太にとっては好都合でいる。
かえって誤解が良かったかもしれない?それも楽しくて一緒に笑いながら、美代が空を指さした。

「星、奥多摩の方が多く見えるね?でも街の灯りがきれい、」
「ん、山によって違うんだね…俺も、山小屋の夜ってあまり知らないけど…」

言いかけて、記憶がかすめた。
山小屋の夜を自分は幾つ知っているだろう?

…お父さんと幾つか泊まったことある

母も一緒に3人で、どこかの山でココアを飲んだ記憶はある。
けれどそれ以外にもあるはず、家のアルバムには何枚か写真もあった。
その映像と記憶を繋げることが今は出来ない、けれど、いつか出来るかもしれない。

…思い出せたら行ってみたい、英二と一緒に

ほら、また綺麗な笑顔の俤が心に映りだす。
大好きな父の俤を宿した唯ひとり、大切な想いの結晶のひと。
あの笑顔と一緒に大切な記憶の場所を歩けたら、きっと幸せが温かい。
そのときは母も一緒に行けたら嬉しいな?そんな望みと山の夜を歩いて、山荘脇に立つ電波塔の下に来た。

「あ、ほんとに電波が繋がるね、」

笑って美代が携帯電話を見せてくれる、その画面にはアンテナが表示されていた。
周太も自分の携帯を開くと同じよう表示がある、嬉しくて、ふたり顔を見合わせ笑った。

「いつもの逆を、今日は出来るのね?なんか良い気分、楽しい、」

可愛い声で美代が笑う、その声がいつもより弾んでいる。
きっとフィールドワークの時間と今「いつもの逆」なことが楽しくて仕方ない。
それは自分も同じ、こんな同じも嬉しくて周太は綺麗に笑った。

「ん、楽しいね?今頃ふたりで、ご飯食べてるかも?」
「湯原くんの手料理ね、きっとすごく美味しいんだろな。お昼に交換したおにぎり、すごく美味しかったし、」

嬉しそうに笑って料理を褒めてくれる。
そう言う美代の方こそ美味しかったのに?想ったまま素直に周太も褒めた。

「美代さんのおにぎり、ほんとに美味しかったよ?味噌の焼おにぎりって美味しいね、柚子も入ってて…美代さんが作った味噌でしょ?」
「うん、全部、私が作ったのよ?お米も田んぼで作ったやつよ、自給自足ね、」

ヘッドライトの下、明るい綺麗な目が楽しげに笑ってくれる。
その言葉の相変わらずの逞しさに、周太は率直に称賛をおくった。

「材料から手作りってすごいね、いいな…あ、美代さんにもらったミニトマト、どれも美味しかったよ?英二も喜んでくれて、」

言った言葉に、美代の笑顔が羞んだ。
気恥ずかしげに嬉しそうに笑って、そっと美代は教えてくれた。

「宮田くんに褒めてもらうの、やっぱり嬉しいね?教えてくれて、ありがとう、」

そう言った美代は幸せそうで、その表情に想いが解かる。
友達の幸せな笑顔は嬉しい、けれど美代の恋に心が傷んでしまう。
美代は英二に恋をしていると知っている、美代も周太と英二の関係を解かっている。
それでもお互いの恋を大切にしようと決めて「お互い謝るのは一度だけ」と約束をした。

…だから素直に喜ぼう、

あの日の約束は、この友達との大切な絆で宝物。
この宝物をくれた大切な友達に、周太は素直に笑いかけた。

「こちらこそ、英二に喜んでもらえる野菜の種もらって、ありがとう…また珍しい野菜あったら分けてくれる?」
「うん、実はね、今日も持ってきてるの。部屋に戻ったら渡すね、」
「ありがとう、大切にするね、」

笑い合う真中で、美代の笑顔に並んだ星が明るい。
もう西の空も紺青色の夜に沈んで、星の銀が光を増していく。
そろそろ電話架けても良いかな?左腕のクライマーウォッチを見て周太は微笑んだ。

「電話、してみる?」
「うん、しよ?光ちゃんに私が山から架けるなんて、ね?こんなの23年間で初です、」

この初めてが楽しくて堪らない、そんな貌で美代は携帯電話を操作し始めた。
隣で周太も受信履歴から発信すると、ちいさな緊張と一緒に耳元へと当てた。
コール3で繋がって、綺麗な低い声が電話の向こう微笑んだ。

「おつかれさま、周太、」

山の上、大好きな声が笑ってくれる。
今朝はすぐ隣に居たひとの声、それを今は自分が山で聴いている。
なんだか楽しくて幸せで、遥かに見える東の街明りへと周太は綺麗に笑った。

「ん、英二こそ仕事、おつかれさまでした…あの、ごはん大丈夫?」





(to be continued)

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