萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第57話 鳴動act.9―side story「陽はまた昇る」

2012-10-23 19:11:55 | 陽はまた昇るside story
動く時へと、



第57話 鳴動act.9―side story「陽はまた昇る」

窓は青空を映しだす。
車窓の景色が川を越え、市街地は山嶺の街へと移っていく。
晴れた空と稜線の影を見つめる横顔に、運転席からテノールの声が笑った。

「おまえ、マジでばれなかったね?その拳銃、」
「うん、」

微笑んで英二は肩越しに後部座席を見た。
そこに置かれた自分のビジネスバッグには、晉の拳銃が入っている。
いま自分の救命救急セットのケースに眠る戦闘用銃、それの現況について英二はパートナーに教えた。

「分解してから個別カバーして救命具のケースにしまえば、医療器具に見えるだろ?これなら衛生面の問題あるからチェック少ないよ、」

自分は山岳救助隊員、応急処置を主担当し警察医の助手も務めている。
こうした立場の自分が救命救急の機材を持っていても、誰も不思議に思わないし器具カバーの入手も疑われない。
もし金属探知機で引っ掛ったとしても「医療器材」という衛生上の理由から、開けて見せろとまでは言い難いだろう。
半世紀も前に葬られた拳銃が無傷とは思っていなかった、けれど念のためカバーを準備しておいたのが役に立った。
そんな考えに昨夜は夜中の書斎で分解作業をした、おかげで幾分かの寝不足に小さく欠伸した英二に、光一は笑ってくれた。

「なるほどね?おまえ、その作業を昨夜はヤってたんだ、寝たの遅かっただろ?」
「でも3時には寝られたよ、だから大丈夫、」

答えながら笑いかけて、「大丈夫」じゃないことを英二は思いだした。
いま隣の運転席で上機嫌でいる光一、その横顔に英二は口を開いた。

「光一、あんまり内山のこと虐めないでやって?今日、ちょっと見てらんなかったよ、」

昼間の講義中、内山は真赤にさせられた。
本庁の会議室で何十人もの衆目のなか、あれでは可哀想だろうに?
そんな想いに提案したけれど、底抜けに明るい目は視線をこちらに流し、温かに笑んだ。

「アレで良いんだよ、だって可哀想だろ?彼みたいなエリートくんが、ホモになっちゃったら大変だね。いま俺で懲りた方が良い、」

内山は、光一に淡い恋愛を抱き始めている。
きっかけは今月初め、同期に光一も混ざった8人での飲み会だった。
あのとき「テスト」のために光一が色仕掛けの冗談で転がした、それの予想外の影響が「内山の恋」でいる。

―あの内山が、なあ?

本当に「あの内山が?」と思ってしまう。
信じられないけれど、今日の態度も露骨な位で痛々しいほどだった。
初任科教養のとき内山は、同期の女性警官と騒動を起こしている。だからノーマルだと思っていたのに?
この予想外の現実と、けれど逆にそれがチャンスになる可能性を考えながら、英二はパートナーに笑いかけた。

「内山がゲイになる可能性、光一も考えたんだ?」
「そりゃね?俺、そういう誘いも多いしね、」

さらっと言われた答えに、横顔を見直した。
機嫌良くカーステレオを聴きながらハンドルを捌く、その貌はいつも通り飄々と明るい。
悪戯っ子のような老成した仙人のような表情、けれど端正なエリート風の美貌を魅せる貌に英二は尋ねた。

「光一、ゲイにもモテるんだ?」
「ゲイじゃない男にも誘われるよ。俺って色っぽい美形だからさ、男でもソソられちゃうんじゃない?おまえもだろ?」

おまえもだろ?そう指摘して白い指が英二の額を小突く。
言われて素直に英二は微笑んだ。

「うん、光一にはそそられるな。でも俺、おまえの外見も好きだけど、おまえ自身はもっと好きだよ。」
「そ?ありがとね、英二、」

軽やかに応えて嬉しそうに笑う、その横顔も楽しげでいる。
フロントガラスの向こうを見つめる笑顔は明るい、けれどテノールの声は淡い哀しみに微笑んだ。

「周太、樹医になること忘れていなかったんだね、通夜の直前までは、」

さっき蒔田に聴いたばかりの、馨の通夜が始まる前の周太との会話。
9歳の周太が蒔田と交わした会話は、優しい穏やかな気性らしい言葉が温かかった。
父を亡くした直後でも周りに優しかった周太、そんな幼い少年の温もりを壊した残酷な存在がいる。

―赦せない、

静かに心へ熾火が燃える、また怒りを見つめ確認する。
けれど、その想いは隠して英二は静かに微笑んだ。

「うん、ちゃんと覚えていたんだな。お父さんの為にも樹医になろうって決めたなんて、周太らしいな、」
「だね、」

短く頷いて、ふっと黙りこむ。
この沈黙にも光一の想いが解かってしまう、その隠した涙に英二は笑いかけた。

「あのころの周太、冬に光一と会えたから自信を持てたんだよな。だから樹医になろうって決められたんだと思うよ?
お父さんの日記だと、光一に会ったすぐ後なんだ。新聞で樹医の記事を読んだ周太が、樹医になりたいって言いだしたのってさ、」

言葉に、運転席で小さなため息こぼれだす。
すこし微笑んだ横顔に英二は、自分が知った限りを話した。

「でな、夢を忘れずに叶えてほしいって言ったお父さんに、周太は約束したんだ。忘れんぼだから忘れるかもしれないけど絶対思い出すって、」
「ふっ、」

運転席で噴きだして、テノールの声が笑いだした。
朗らかな笑い声を響かせて、可笑しくて堪らない貌で光一は言ってくれた。

「忘れちゃう前提だったんだ、周太?あははっ、周太らしいかもね、でも絶対思い出すって可愛いな、」
「だろ?それで周太、本当に今、また樹医のこと考えてるだろ?お父さんとの約束は、まだ思い出せていないけどね、」

答えながら英二も一緒に笑って、車窓越し西の空を見た。
相変わらず晴れている、この天候に微笑んだ横顔にテノールの声が尋ねた。

「おまえ、後ろからも日記、また読んでみたんだ?」
「うん、」

馨の日記は最後のページだけ先に読んだ。
けれど哀しすぎて最初から順に読み始めている、でも今は方法を変えた。
このことに英二はありのまま口を開いた。

「お父さんが亡くなる前の記録を知りたいって思ったんだ、だから前からと後ろからと、同時に今は読み進めるようにしてるよ、」

もう時が迫っている、だから急ぎたい。
あの14年前の瞬間を惹き起した要因、その全てを10月を迎える前に知る方が良い。
そう考えて今の読み方にした、この意志にパートナーもすぐ理解と笑ってくれた。

「そっか、ラテン語にも慣れたんだね?だったら急いだ方が良いな、9末までにはってとこだろ、」
「うん、出来たら七機に行くまでに終わらせたいんだ。保管場所のことがあるから、」

第七機動隊に異動すれば、隊舎の寮に入ることになる。
そこにはどんな人間が出入りするか解らない、その考えに光一も頷いた。

「あいつらのお仲間いる可能性、高いもんね?そしたら元の場所に戻すんだ、」
「そのつもりだよ。あそこなら俺の鍵でしか開けないから、いちばん安全だろ?」
「だね、まあ根詰めすぎるなよ?体も大事だからね、遠征訓練もあるしさ、」

気遣ってくれる言葉が温かい、そしてもう1つの世界を示してくれる。
この明るい世界への言葉に英二は、アンザイレンパートナーに笑いかけた。

「マッターホルン、もうじきだな?8月からの予定は変わるかもしれないけど、これは登りに行けるな?」
「だよ?あーあ、異動したらソレが困るよね?ま、予定変更ナシで行けるよう俺も根回しするよ、」

第七機動隊に異動したら、今まで通りに訓練の日程が取れるのか解らない。
それでも海外の訓練は、警視庁山岳会全体のチーム構成だから予定通りに行けるだろう。
けれど国内については解からなくなる、このことは正直痛い。
でも約束はしておきたくて、英二は綺麗に笑った。

「俺も努力するよ、今度の冬も雪山に行こうな?冬富士も登りたいよ、最高峰で笑おう、光一」
「だね、この国の天辺で笑ってやりたいね?あいつらのことも、これからの事もね、」

からり笑って光一の顔が明るくなる。
いつもの底抜けに明るい目は楽しげに笑って、山のことを話しだした。

「明日は越沢で訓練したいね?白妙橋もいいな、壁をしばらくヤルよ。ホントは滝谷とか三スラ行きたいけど、時間難しいかね、」
「一日、なんとか一緒に休み取れたら行けるだろうけど、岩崎さんに悪いしな?近場で本数攻める方が良いかもな、」
「だね?タイムレースで数本、キッチリやっておこっかね、あ?」

話しながら光一が声をあげ、英二のポケットに視線をくれる。
そのとき英二の携帯電話がポケットで振動し始めた。

「ほら、メール。周太じゃない?」
「うん、ありがとな、」

笑って携帯を取出し画面を開く、そこに2通のメールが入っていた。
すぐ開封すると待っていた送信人名が表示されて、英二は微笑んだ。

「当たり、周太だ。今、新宿に戻って美代さんと別れたところだって、」

いま15時半、このあと周太は当番勤務に入ることになっている。
元から申請してあるとはいえ、少し遅れての出勤だから周太の性格では急いているだろう。
それでも忘れずにメールを送ってくれたのが嬉しい、嬉しくて笑った隣で光一も笑ってくれた。

「そっか、無事でよかったよ。さぞ楽しかったんじゃない、ふたりとも?」
「うん、そんな感じだな。夜明けのブナ林を見に行ったらしい、ふたりとも元気だな、」
「昨夜もちゃんと寝たのかね?お喋りしちゃって、起きっ放しだったんじゃ無きゃいいけどね、」

可笑しそうに笑いながら白い手でハンドルを捌いていく。
機嫌の良い横顔は愉快げでいる、英二は次のメールを開封しながら訊いてみた。

「美代さん、昨夜は疲れてなかったんだ?」
「だよ。美代ってね、ああ見えてマジでタフだからさ。4月も剣道の試合、見ただろ?デカい相手でも美代は絶対に怯まないね、」

春4月の御嶽神社奉納試合、あのとき美代は御岳の剣道会で中堅を務めた。
急に自分も参加した試合が懐かしい、可憐で強健だった剣士姿の記憶に英二は微笑んだ。

「美代さんは本当に強いな。可愛いのに強いとこ、周太と似てるから気も合うんだろうな、」
「だろ?あのふたりは似てるよ、結局のトコ楽天的でさ?ノンビリ屋の根明で強いから、その分余裕があって優しいんだよね、」
「うん、そうだな?そう言えば内山も似てるって言ってたよ、美代さんと会った後、」

初任総合の外泊日、内山は美代と周太と一緒に過ごした事がある。
周太たちの大学の講義の後に待合せて、茶を飲んだと言っていた。
だから美代も内山を知っている、そのことに思い至って英二は考え込んだ。

―美代さん、内山が光一を好きだって知ったら、どう思うかな?

幼馴染で姉代わりとして、光一をいちばん近くから見ていた美代。
彼女なら光一と内山のことへと、どんな見解を示してくれるだろう?
聡明で実直な彼女なら、こうした相談も真直ぐ受けとめてくれるだろうと思える。
いちど相談してみようかな?そんなことを考えながら何げなくメール画面を見、英二は軽く息を呑んだ。

「あ、」

内山からメールが入っている。
想定外に思わず声が出た、けれどよく考えれば予想出来ることだろう?
さっと考え廻らせた隣から、テノールの声は何気なしに訊いてきた。

「なに、変な声出して。何かあった?」
「あ、手帳のこと話してないなって思い出してさ、」

別件を口にしながら、英二は携帯電話を閉じて胸ポケットに仕舞った。
別に気にする風も無く光一は、いつも通りに微笑んだ。

「周太のオヤジさんの手帳だね、解読とか終わったんだ?」
「うん、全部じゃないけどな。でも『v.g』の照合は終わったよ、」

“v.g”

馨が遺した手帳には、このアルファベットが3月のスケジュール帳に2ヶ所綴られている。
1ヶ所は彼岸の頃、もう1ヶ所は月末近い桜の頃。この2つとも同じ日付を日記帳でも確認した。
そこに綴られているラテン語たちは“v.g”の意味を示す、それについて英二は口を開いた。

「手帳に『v.g』って書かれている日と日記帳を照合したんだ、この2つに共通する単語は『visita gravem』墓参り、って意味だ。
でも3末の方には『visitacion gravem』重たい面会って単語があったんだ。それから『expiationum』贖罪って言う単語と、もう1つ。
『Peccatum quod est non dimittuntur』赦されない罪っていう意味だ。この3つの言葉で3月末の墓参りが誰の墓か、予想付くだろ?」

墓参、そして、重たい面会、贖罪、赦されない罪。
この単語から想起される事実の裏付けを自分は探している、この予想される事実へと光一が溜息を零した。

「それ、オヤジさんが狙撃した犯人の命日だね?」
「たぶんな、他の月にも同じように2つ書いてあったよ。家族の命日とかじゃない日に、」

ありのままを答えて英二は微笑んだ。
この3月末の数日後に美幸と出逢ったのだろう、そんな馨の春は悲喜が廻っていた。
もう四半世紀ほど過去の日を思いながら、英二はアンザイレンパートナーに協力を仰いだ。

「この3つの日について新聞記事を検索したら、確かに該当する事件があるんだ。でも裏付けを取りたい、光一に頼んでも大丈夫か?」

裏付けを取る、それは直接に「担当部署」のファイルを覗くこと。
おそらく秘文書があるはず、そんな予測を察してパートナーは微笑んだ。

「もちろんだね、これから一緒に御岳駐在に出る?それとも明日のが怪しまれなくってイイかね、」

気楽に頷いて提案してくれる。
少し考えて英二は、今後の考えを話した。

「明日の方が良いな、それで俺にもハッキング教えてくれる?8月から光一は七機でいないだろ、だけどその間にも調べておきたいから、」
「なるほどね?だったら明日のが良いよね、岩崎さん留守だし。警務部の事も調べるんだろ?」
「当たり、よろしくな、」
「こっちこそね?一発で全部を覚えてもらうから、よろしくね、」

底抜けに明るい目を悪戯っ子に笑ませて、了承してくれる。
そのフロントガラスはもう一般道に降りた、見慣れた街の景色をハンドル捌きながらテノールの声は可笑しそうに笑った。

「おまえみたいな堅物くんが、ハッキングまで手出しするなんてね?蒔田さんの話聞いて余計にキレちゃったんだ、」

確かに光一が言う通り、そこまで自分がするなんて自分でも意外だ?
けれどこんな意外もなんだか楽しくて、英二は綺麗に微笑んだ。

「たしかに俺は堅物だけどさ、危険な事も大好きだよ?」

自分で言った言葉に、ふと数ヶ月前の記憶がひっかかる。
なんだろう?そう首傾げかけた脳裡へと姉の言葉が思い出された。

―…あんたみたいな危険を愛する男に、きちんと手綱つけて向き合ってくれる相手は貴重よ
  しかも英二は恋愛不感症じゃない?そんな英二が、こんなに惚れ込める相手なんて、もっといないわよ?

確かに姉の言う通りだな?
そんな納得に我ながら可笑しい、あのとき姉は周太のことを言ってくれた。
けれど今、ここにもう一人の貴重な相手がいてくれる。こういう自分は幸せだろうな?
そんな自覚に微笑んだ頬を運転席から白い指に小突かれた。

「マジ、おまえってアブノーマルだよね?俺なら自分もソッチ系だからイイけどさ、周太は違うんだからソコントコ考えなね、」
「そうだな、気を付けるよ、」

答えて笑いかけた隣りの向こう、車窓の風景が減速して止まる。
そうして見慣れた駐車場に着いて、英二は助手席の扉を開いた。

「光一、巡回とか気を付けてな?俺は診察室に居るから、救助とかあったら連絡そっちでもいいよ、」
「了解、また夕飯にね、ア・ダ・ム、」

からり笑って白い手の投げキスすると、光一は御岳へと四駆を向けた。
見慣れた車体を見送って、踵返すと英二は青梅署入口を潜った。



保管に警察手帳を返却して寮に戻ると、スーツを脱いでスラックスに履き替えた。
この後すぐ診察室の手伝いに入るから、ワイシャツとネクタイはそのまま着替えない。
念のため登山ザックの中身をチェックして救助要請に備え、それから英二は救命救急ケースを開いた。
整然とセットされた器具や包帯類が並ぶ中、拳銃のパーツは各々ケースに隠され違和感なく納まっている。
拳銃の分解されたパーツと似た器具ケースを予め調べて買っておいた、それは巧く全てに填まっている。

―どうやって保管し続けるか、だな

心裡に呟いて、すこし考える。
下手な場所に置いておくのは危険、そう考えた方が良いだろう。
この拳銃の存在は自分だけの問題にとどまらない、間違えば周太どころか美幸も巻きこんでいく。

「…俺だけの問題にするには、」

ひとりごと微笑んで、ケースをそのまま閉じた。
むしろ自分が持ち歩く方が安全、そう考えた方が良いだろう。
ここも警察署独身寮である以上は何があるか解らない、それは第七機動隊に行けば尚更だろう。
ならば自分の目が届かない場所で発見されるより、自分が所持している方が幾らでも対応の仕様がある。
そう決定するとビジネスバッグに普段どおり救急法ファイルとケースを一緒に納め、ペンを胸ポケットに挿して扉を開きかけた。

「あ、メール、」

思わず呟いて、開きかけた扉を閉じる。
鞄を持ったままポケットから携帯電話を出すと、受信ボックスからメールを呼びだした。
そして開いた受信メールの内容に、困り顔で英二は微笑んだ。


From  :内山由隆
subject:無題
本 文 :お疲れさま、今日は助け舟ありがとう。勉強不足を反省したよ。
     近々、時間作れるか?聴いてほしいことがあるんだけど、電話だと言い難い。
     忙しいのに悪いけど、頼む。

     国村さんは俺のこと嫌いだろうか。


最後の一行が、一番聞きたいことなのだろうな?
そんな察しをつけながら電話を閉じると英二は廊下に出た。
足早に歩いていく、その途中に談話室で藤岡が先輩たちと愉しげに話していた。

「お、宮田。お帰り、講習会おつかれさん、」

気がついて人の好い笑顔を向けてくれる。
いつもどおり温かい気楽さに、ほっと寛いで英二は歩きながら笑いかけた。

「ただいま、藤岡。あとでコーヒー来る?」
「うん、行きたいな。国村も来るんだろ、6時半で良い?」

いつもの時間で確認してくれる、こんな習慣がなんだか嬉しい。
けれど8月になれば光一は異動し、9月には自分もここから去る。
そんな寂しさを肚の底に今は沈めこんだまま、英二は綺麗に微笑んだ。

「ああ、その時間で良いよ。そこまでには仕事、終わるから、」
「帰ってきて早々、大変だな?これから俺も道場に行くんだ、また後でな、」

からっと笑って稽古着を示して、気楽に笑ってくれる。
この明るい柔道家の友人に笑いかけて、英二は廊下を急いだ。
そうして一昨日と同じ扉の前に立ち、ノックと声をかけて開いた。

「失礼します、遅くなって申し訳ありません、」

声に、白衣姿のロマンスグレーがデスクから振向いてくれる。
机上には山ヤの医学生が綺麗な笑顔ほころばす、その写真へ心で会釈した英二に吉村医師は笑ってくれた。

「おかえりなさい、宮田くん。講習会おつかれさまでした、帰ってすぐにすみません、」
「先生こそ、おつかれさまでした。アンケートの整理、すぐまとめますね、」

鞄を置いて流しに立つと、いつものよう蛇口をひねり手の殺菌消毒を始める。
丁寧に水気を拭いながら振り返ると、サイドテーブルに吉村はマグカップを並べてくれた。

「さっき、車の音が聞えたので淹れておいたんです。まず一服してから始めましょう?」
「あ、すみません。ありがとうございます、」

温かい笑顔で勧めてくれる、その気持ちが有り難い。
素直に笑って英二はいつもの椅子をセットすると、自分の鞄から箱を取出した。

「先生、川崎の菓子です。周太から先生にって預って来ました、」
「おや、嬉しいですね。湯原くんは本当にこまやかだな、早速戴きましょうか、」

嬉しそうに受けとってくれると、きれいに包装を解いてくれる。
その器用な長い指を眺めながら、英二は困り顔で微笑んだ。

「先生、今、ひとつ相談したいことがあるんですけど、」
「君からそう言ってもらえるの、嬉しいですね。なんでしょう?」

気さくに笑って菓子を出しながら訊いてくれる。
その笑顔にほっとしながら英二は携帯電話を取出すと、さっきの受信メールを開いた。

「先生、このメールへの返信、どうしたら良いと思いますか?前に飲み会で一緒して、今日の講習会にも出席した俺の同期なんです」

開いたメールを英二は、最高の警察医で名カウンセラーへと差し出した。
すこし首傾げながら医師は受け取ると、温かい眼差しで微笑んだ。

「そうですね?まず、処方箋は無いってことを申し上げましょうか、」

可笑しそうに笑って吉村医師はメールを見、英二に笑いかけてくれる。
やっぱりこの短文でも吉村には充分、内山の状況が解かるのだろうな?
そう感心した前で医師はデスクを振り向いて、写真立ての医学生に尋ねてくれた。

「雅樹、おまえの大好きな山っ子は、随分と人気があるようだよ。どうしたら良いと思う?」

父に問われて写真のなか、美しい山ヤの医学生はどこか困ったよう笑って見えた。




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Pensee de la memoire 初霜月―dead of night

2012-10-23 06:38:27 | dead of night 陽はまた昇る
※念のためR18(露骨な表現は有りません)

Pensee de la memoire 記憶の暁



Pensee de la memoire 初霜月―dead of night

9月の終わり、あの夜に自分は生まれたのかもしれない。

あの夜が無かったら、今の自分はきっと苦しんだ。
叶わぬ想いは血液を廻り、開放されることのない熱に蝕まれる。
そんな片想いを自分が出来たか?なんて自信が少しも無い。むしろ自分が壊れる可能性の方が、ずっと大きい。

それとも、あの夜の瞬間に自分は壊れたのかもしれない。
あの夜に、恋するひとを抱きしめ体の全てを支配した、甘い灼熱の時。
あの熱のなか自分は死んで、新しい自分が生まれた。それが正しいかもしれない。
あの一夜に何かが変わり、今、ここで息をしている。

―あの夜から俺は俺のものじゃなくなり始めたよ…周太?

友達から恋人になった、夜の瞬間。
あの瞬間に生まれたのは、酷く甘い幸福感と熱く苦い罪悪感だった。
無垢の少年を初めての恋愛に犯す、その幸福と罪悪は甘く熱く苦い、そして離せない。
離せないまま朝を迎えて、そして今がある。

―ごめん、周太は初めてだったのに…でも、あれは愛したからなんだ

周太は、初めてだった。

恋愛で抱きしめられることは初めてだった。
唇を重ねることも初めてで、肌を夜に晒すことも初めてだった。
なにもかも初めての夜にふるえる周太、その姿が嬉しくて愛しくて、自分は狂った。
甘すぎる幸福に酔うまま溺れて想いつく限りの愛撫を施した、それが周太を傷つけると気付かずに。

『周太は、きれいだ』

そう正直に告げて、あわいオレンジの光が照らす視覚から虜になった。
いつも風呂で裸身を見る度に、洗練された筋肉の美しい体だとは思っていた。
けれど初めて見つめた体は男というより、中性の美貌に充ちていると気がついた。
あのとき自分は初めて男を抱いた、けれど周太の肢体は少年のままで、それでも受容れてくれた。

素肌は透明に艶やかで、寄せた頬もなめらかに優しい。
唇よせた肌の香はかすかに甘く子供のよう、指ふれる骨格は華奢な可憐たおやかで。
添わせる肌は重ねるごと濃やかに融け、夜に怯えたふるえが漣のよう伝わるたび愛しい。
触れる肌、その一点一点から恋は募り熱が生まれて、もう止めることは出来なくなっていた。

初めて抱いた周太の体は確かに男性で、けれど肌も骨格も少年のよう中性に優美で。
うすい艶めく肌に甘い露を満たす果実、そんな周太の体も心も男というより少年としか想えない。
同じ23歳と思えない肢体、それは羽化する前の透明に潤んだ艶まばゆくて、意識から心を奪われた。
なにもかも初めての初々しい体、その心も感覚も未熟な瑞々しい途惑いが眩くて、恋して愛して狂った。
狂うまま愛しつくして、疲れ眠りかける小柄な体を隅々まで犯して、そして暁のシーツは血の花に乱れていた。

―ごめん周太…でもあの夜と朝から、俺は君のものになり始めてる

美しい少年の体を抱いて犯して、そして虜になった自分は全てを捧げ始めた。
美姫を護る騎士のよう愛して、女王に傅く奴隷のよう恋して、離れられない。
そんな生き方を自分が選ぶなんて、昔の自分なら信じられないのに?

―この俺が、こんなこと誰かに想うなんて?

男同士の夜がどんなものか、自分も知らなかった。
きっと女を抱くほどには快楽が無いと思っていた、けれど違った。
心から恋し愛する体を抱くことは、自分にとって快楽そのもので全身が溺れこんだ。
この恋慕に見つめる少年は、この自分には恋愛と快楽の蜜あふれる幸福の果実、もう失うことが怖い。

ほら、失うことが怖いだなんて?
この自分が、何かを誰かを失うことを恐れている?
こんな怖れを自分が抱く、それはあの夜が明ける瞬間まで知らなかった。

無垢の体と純粋な心を抱いて犯して、自分を刻みこんだ夜。
忘れてほしくなくて、ずっと自分を思い続けてほしくて、身勝手なほど幾度も抱いた。
ようやく自分の体力が果てる瞬間にかすかな満足を見つめ、それでも抱きしめたまま微睡んだ。
浅い微睡み、深く体繋げる熱、甘い吐息と涙にキスをして、眠りの夢にも囁く恋と愛。
どうか夢のなかでも自分に抱かれていてほしい、そんな望みに睦言を囁いた。

―…信じて?どこにいても、いつでも君を愛してる…周太、俺を見てよ?俺を愛して、恋して…

夢のなかですら君を離したくなくて、けれど朝は来た。
目覚めた恋人の貌は別人のよう目映くて、もう離せない思いに傷んだ。
それでも解いた腕の中から少年の肌は脱け出して、浴室へと独り行ってしまった。

もう二度と逢えなくなるかもしれない、その想いは痛くて。
痛くて狂った一夜の心が傷を開いて、けれどその痛みすら幸せだった。
たとえ痛みでも周太と繋がれるのなら、それで構わない。そんな想いに微笑んだ。
そのまま自分は服を着て、かすかに甘い残り香を繊維に籠めて夜を遺して。
そうしてベッドを片づけた時、初めて気がついた。
自分が一夜にしたことの罪を、見つめた。

純白のシーツに散らされた、赤い花びら。

女性なら初夜は処女膜の裂傷から出血する、けれど周太は男性。
それなのにシーツに血はこぼされ花のよう咲き誇る、その意味に漸く気付かされた。
男性が体を開くとき直腸を遣い愛撫を受けとめる、それは内臓器には本来機能外のこと。
確かに男性ならそこに性感帯がある、だからこそ男性同士の快楽が深いと自分も知っていた。
けれど、無理をし過ぎれば傷つくことも当然解かっていたはずなのに、無意識に自分は犯してしまった。

周太は初めてだった、何もかもが。
唇かわす初めてのキス、抱き合うことも初めての腕はぎこちなく震えていた。
女性を抱いたことも当然なくて、大人の恋愛で求め合うこと自体が初めてのことだった。
そんな周太に自分は「初めて」から、すべてを一夜に求めすぎて傷をつけてしまった。

―ごめん、周太…でも信じてほしい、君を愛してる、恋して愛して、だから

あの夜の贖罪を、生涯かけて誓いたい。
この心と体を生涯捧げて償いたい、全てを最後は君のために。
この贖罪は甘すぎる灼熱の罰、罰なのに幸福が微笑んでいる。

あの夜と暁に見つめた幸福感と罪悪感、そして贖罪という名の恋愛の誓い。
あの誓いに秋は始まり、幾たび季節は色を変え廻ろうとも色褪せない想い。

あの夜が明けて迎えた朝、扉を開きたくなかった。
それでも開いて君と外に出た、そして迎えた秋は想い募る幸福に温かくて。
冷たい季節に向かう時、それでも君の隣でいられる温もりは醒めることが無い。
だから今も、これから迎える冬の時が辛くても、きっと超えた向こうには温かい瞬間がある。

「周太、逢いたいよ?」

そっと微笑んだ言葉こぼれて、携帯電話を握りしめる。
そうして歩いていく木洩陽のなか、あまやかな花の香に熱情は募らせ彷徨いだす。
この道の先にどうか君の隣があることを信じ、ただ逢いたくて、祈りながら歩いていく。

幸せは、君の隣でしか見つけられない。




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