萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第57話 鳴動act.8―side story「陽はまた昇る」

2012-10-21 22:55:44 | 陽はまた昇るside story
時、それでも動かざるもの



第57話 鳴動act.8―side story「陽はまた昇る」

窓の外、四角い空は青い。

透明なブルーが桜田門にも蒼穹を描く、この天候に英二は微笑んだ。
朝、川崎を出る時も西の空は明るかった、風も穏やかに乾いている。
きっと丹沢も晴天だろう。

―周太、今頃もう下山してるだろうな?

遠く西の空に想い馳せながら見る、クライマーウォッチの文字盤に踵を返す。
もう開場時間が近い、英二は光一が担当する応急処置講習の受付セッティングを始めた。
受付名簿を書類ケースから出して、入口近くのデスクにペンを添え配布資料たちと並べ置く。
あと10分で開場する、その時刻を頭脳の端で計測しながら英二は、受講者名簿を広げた。
名簿は第一方面から順に記載されていく、その一番上に記された麹町警察署の出席者に視線が止められ声が出た。

「あ、」

麹町警察署 麹町四丁目交番所属 内山由隆巡査

「…内山?」

名簿の名前と階級に、名字を復唱してしまう。
この「内山」はあの内山じゃないだろうか?そんな可能性に首傾げたとき、扉が開いた。

「宮田、セッティング終わった?」

からりテノールの声が笑って、白い手が扉を閉める。
今日も光一はきちんと髪を整えスーツを着こなし、端正なエリート姿がよく似合う。
底抜けに明るい目と愉しげな表情はいつもどおり、けれど「馬子にも衣装」なんてものでは無い。
スーツ姿の美貌に感心しながら、英二はアンザイレンパートナーに微笑んだ。

「うん、机にはプリント1だけで良かったよな?」
「だね、後の資料は手渡しの方が良い。余計な部数が無いしね、」

機嫌良く笑いながら光一は隣に来ると、白い手に名簿を取り上げてしまう。
やっぱり気付かれるだろうな?そんな予測と見た先で唇の端が、すっと上がった。

「おや?これって東大くんのコトかな、宮田くん?」

飄々としたトーンの声、けれど「宮田くん?」なんて呼ぶのは威圧の時。
先輩の質問に誤魔化し無用、そんな眼差しに見つめられて英二は困り顔で微笑んだ。

「はい、」

短く先輩に応えて、名簿を白い手から取りあげる。
元通りに受付用の机に据え直し、ペンを添える英二の手元を眺めながら光一は笑った。

「へえ?東大くん、今日は俺の生徒なんだね。どうして彼は受講しようって思ったんだろ、ねえ?」

この問いかけに、即答は難しい。
その判断のまま正直に英二は、アンザイレンパートナーに答えた。

「必要だって思ったんだろうな?警察官として使う知識だ、そう自分では考えたと思う。あとは解からない、」
「だね?」

頷いて、すこし考えるふう光一は首傾げた。
そして時計に視線を向けると踵を返し、教壇の上に立つと微笑んだ。

「ま、講義中も観察ってトコかな?さて、開場しよっかね、開けてくれる?」

言いながら光一は資料ケースを開いて、DVDを機材にセットした。
リモコンを手許に持って操作確認をする、その姿に笑いかけて英二は扉に手をかけた。

「国村さん、開場します、」
「はい、よろしくお願いします、」

先輩後輩の公式モードになって、お互い笑いあう。
そして開いた扉の向こう、待ちかねる受講者たちへと英二は笑いかけた。

「お待たせいたしました、順次こちらの受付をお願いします、」

呼びかけながら見渡すなかに、馴染みの貌がこちらを見つめている。
その精悍な顔が驚いて、目をひとつ瞬くのを英二は見た。

―想定外だったのかな?

だとしたら、ちょっと内山としては考えが足りない?
その「足りない」が光一の神経を逆撫でする可能性があるだろう。
たぶん「俺たちの仕事って何だっけ?」なんて質問をして、回答次第で転がしだす。

―この場でそれは、ちょっと困るな?

これから講師と生徒の立場になる以上、光一なら遣りたい放題も出来てしまう。
きっと周囲は何も気付かない、それでも内山は大いに困らされる。
そんな予測に英二は順番が廻ってきた同期へと、綺麗に笑いかけた。

「おつかれさまです、内山、」
「おつかれさまです。宮田は運営の方なんだな、よろしくお願いします、」

精悍な顔ほころばせて、内山は笑いかけてくれる。
その笑顔には悪気の欠片も無くて、単純に同期との再会を喜ぶ気持ちが明るい。
こういう貌を見ていると、周太や光一に構うことも許してやらないとなと思える。
ともかくも今は援けてあげたいな?そんな気遣い素直に英二は、生真面目な同期へと微笑んだ。

「山岳救助隊員は山の警察官として、レスキューと山が通常業務なんだ。だから応急処置の講師も務めるんだよ、」
「あ、そうか?じゃあ今日の講師は宮田の先輩なんだ、」

資料を受けとりながら笑ってくれる、その言葉に山岳救助隊の業務を理解したと解かる。
これならもう大丈夫かな?すこし安堵に笑って英二は、名簿に入室時間を記入しながら答えた。

「そうだよ、内山も知ってる先輩だよ?」
「え?」

すこし驚いたよう声をあげ、精悍な顔が英二を見た。
けれど次の受講者に場所を譲ると、目だけで「またな、」と笑って内山は座席へ踵を返した。

―これで内山からの失言は無くなるだろうけど、

意識の隅で心配しながらも全員の受付を済ませ、扉を閉める。
名簿と書類を携えて会議室後方に向かいながら、視界の端で英二は同期の横顔を見た。
その容子に心裡、納得に得心の困り顔で微笑んだ。

―やっぱり内山、そうなんだ?

前から3番目の座席で正面をきちんと向いている、その視線が微かに揺れる。
その横顔は日焼けも凛々しい頬の紅潮が、真面目な顔なだけに五月の武者人形のよう初々しい。
落着きはらって座ってはいる、けれど浮き立つような瑞々しい憧憬と切ない途惑いが、同期の貌を少年に戻す。
こういう相手を山っ子はどう見ているのだろう?そんな想いと後方扉前に立ち、前方に向き直ると溜息が出た。

―やっぱり光一ってそうだよな?

獲物発見、どう料理してやろう?
そんな愉悦に底抜けに明るい目は微笑んで、教壇から自分の生徒を睥睨している。
もう、あんな貌のときに止めようとしても難しい。それでも自分は役割がある。

―こういう時の為に俺、光一のセカンドなんだよな

自分が光一のアンザイレンパートナーでセカンドに選ばれた理由。
それは英二なら、光一が惹き起す悪戯や騒動を制御出来ると見込まれているから。
この期待に今日も応えないといけない、けれど出来たら内山の為にも未遂でいて欲しいな?
そんな儚い望みを抱きながら檀上に意識を向けて、英二は資料のページを開いた。



蒔田は小料理屋の個室を用意してくれた。
坪庭に面した窓は下半分がガラスを嵌めこみ、回廊に人が立てばすぐ解かる。
他の三方は土壁、床の間も軸は無く茶花のみが活けられていた。

「ここはね、後藤さんと密談する時に来るんです。食べながら話しましょう、」

笑って教えてくれながら蒔田は箸をつけた。
光一と英二も倣って箸を動かしだすと、落着いた低い声が微笑んだ。

「異動のこと、宮田くんの希望通りではなかったでしょう?すみません、」
「いいえ、こちらこそ本当に申し訳ありません。ご迷惑をおかけします、」

素直に謝って英二は一旦箸を置くと、膝に手を置き頭を下げた。
たかが2年目の男が自分の異動に我儘を言った、そんな自分は烏滸がましすぎる。
そういう英二を懇意な店での食事に呼んだ蒔田の意図、それを考える隣で光一も一緒に頭を下げてくれた。

「宮田の我儘は指導係の俺の責任です、しかも俺まで便乗して異動願いを出しました。急な勝手をすみません、」
「いや、異動希望は誰にもありますからね、」

笑って蒔田は箸を一旦止めて、こちらを見てくれる。
その目が愉快に笑んで、からっと言ってくれた。

「ほら、冷めたら飯が勿体ないだろ?食いながら話そう、箸を取れよ、」
「え、」

フランクな口調に英二は顔を上げた。
いつも穏やかで丁寧なトーンで話す蒔田が、こんな話し方するなんて?
意外で、この上品な初老の男を見つめてしまう。その隣からテノールの声は可笑しそうに笑ってくれた。

「蒔田さん、完全にプライベートモードになりましたね?じゃ、俺も遠慮なく無礼講でイイですか?」
「ああ、光一もいつも通りで良いよ。お互い今日はスーツだけどな、これだって私服だろう?気楽に密談しよう、宮田くんも遠慮するな、」

愉しげに笑って蒔田は箸を置くと、すこしネクタイを緩めて第一ボタンを外した。
ジャケットも脱いでワイシャツの袖を捲り逞しい腕を晒す、すっかり気楽な恰好で蒔田は再び箸をとった。

「すまんな、宮田くん。いきなり行儀悪いだろうが、これが俺のいつも通りなんだよ。警察官やってる時は、こうはいかんがね、」

明るい気さくな笑顔ほころばせ、元気に惣菜を口に入れていく。
そんな様子はいかにもベテラン山ヤの風貌で、警視庁幹部の厳めしさが消えてしまう。
この今の蒔田に驚きながら、けれど「後藤のアンザイレンパートナー」だという事実に納得して英二は微笑んだ。

「では4月に御岳へいらした時も、警察官の貌でいらしたんですね?」
「あのときは宮田くんと2回目だろ?半分は公務としても会いに行ったしな、まだ遠慮させてもらったんだよ。でも今日は限界だ、」

からっと笑う貌は明朗で、山の頂上にでも居るよう闊達で明るい。
こういう貌を見ると何故、後藤が蒔田を自分のザイルパートナーに選んだのか解る気がする。
英二も箸を取り、膳につけながら大先輩で上司の男へと綺麗に笑いかけた。

「こんなこと申し上げて失礼ですが、警察官の時と『いつも通り』は随分と違うんですね?」
「そうだろう?オフィシャルの貌はな、社会人の努力で造ったものだからな。でも本当はこんなだよ、がっかりさせたかな?」

屈託ない笑顔は優しく明るい、その穏やかさは警察官の時と変わらない。
けれど今、目の前に居る蒔田からは誇らかな自由の空気が温かい、これとよく似た雰囲気を思い出し英二は微笑んだ。

「いいえ、嬉しいです。蒔田さんは副隊長とも似ていますね、」

山という峻厳な世界に自助の原則で立ち、他の救助に駈けていく。
その力強い自律と謙虚な勇気が積み上げた重厚で明るい誇りが、ふたりの山ヤには共通している。
いつか自分もこうした雰囲気になれるだろうか?そんな想いの隣からテノールの声が愉快に笑った。

「あ、宮田もそう思うんだね?似てるよね、後藤のおじさんと蒔田さんって、」
「そうか、似てるかな。後藤さんとなら嬉しいよ、」

嬉しそうに笑って蒔田は箸を動かしていく。
その箸を止めずに、ふと気がついたよう蒔田は旧友の遺児に笑いかけた。

「でも光一、いつも思うんだがな?なんで後藤さんは『おじさん』で俺は単にさん付けなんだ?俺たち1歳しか違わんのに、」

言う通り、後藤は蒔田や周太の父より1歳年長なだけでいる。
確かに高卒任官の後藤は5年先輩だろう、けれど実年齢は差がなく後藤と蒔田なら「父親の友人」という立場も同じだろう。
なんで光一はそう呼び分けているのかな?言われて不思議に思った隣から、光一は飄々と答えた。

「なんとなくだね。ま、後藤のおじさんって昔から『おじさん』って感じだからじゃない?蒔田さんは十年前アタリ、急に老けたよね、」

自分の上司に「老けたよね、」なんて言っちゃうんだ?

しかも上司とは言え蒔田は組織ナンバー3の幹部でいる、けれど光一の態度は変わらない。
今はプライベート、そう言い切った蒔田へと光一は真直ぐ向き合っている、その大らかな闊達が山っ子らしくて良い。
こういう無垢の真摯が自分も好きだ、けれど自分の性格で光一のような態度は難しい?そんな想いの前で蒔田が愉快に笑った。

「やっぱり俺、急に老けたよなあ?たぶん幹部候補って認められだした頃だよ、警察官モードが多くなって疲れたんだろうな、」
「無理しちゃってんだね、蒔田さんもさ。宮田も気を付けてね、類い稀なる別嬪をクタビレさすんじゃないよ?」

半分心配という貌で光一は可笑しくて仕方ないと笑っている。
こんな席でも「別嬪」だなんて言われて、困り顔で微笑んだ英二に蒔田も笑いかけた。

「本当にそうだよ、宮田くん?こんなハンサムは滅多に無いんだ、これでメディアに出れば警察のイメージアップにも良いしな、」

自分ってそういう利用方法もあるんだ?
いま言われた方法が予想外で驚いてしまう、そして過去の自分を思い出させられる。
物堅い警察官という職に就いても自分は、そういう事になるのだろうか?こんな予想外に困りかけた隣りは機嫌よく笑った。

「そういう実益も大事ですよね。こいつの美貌をキッチリ利用するコト、俺も考えとこっかね、」
「ああ、考えた方が良いぞ?なんでも遣える手駒は遣うべきだ、目的があるんならね、」

さらっと言った蒔田の言葉に、心のなか呼吸が止まる。
いま「目的があるのなら」と蒔田は言った、その言葉にメッセージを読んでしまう。
蒔田は英二の意図に気付いている、そう後藤副隊長も教えてくれた。たぶんその話に今からなる?
予想を見つめながら箸を動かし微笑んだ、その向かいから蒔田は口を開いた。

「宮田くんと光一は、目的があるから異動する。それは湯原くんのためだ、違うかい?」

訊かれた言葉に英二は、蒔田の目を真直ぐ見つめた。
穏やかで真摯な眼差しは底が明るい、その目がやわらかに笑んだ。

「答えたくなければ黙っていて構わんよ?ただ聴いてほしい、たぶん俺と君たちは同じ意志だろうから、」

蒔田も箸を止めずに話し、笑ってくれる。
初老らしい半白の髪を、障子透かす陽光に映えさせながら、ひとりの山ヤは口を開いた。

「14年前に俺の同期が消えた、あのときから俺は後悔しているんだ。あいつも山が好きだったよ、でも山ヤの警察官にならなかった。
その理由を俺は知りたかったんだ、それを本当は本人に聴いてやればよかった、でも訊けなかったんだ。もしあの時に聴いていたら?
もう何度も考えているよ、何も出来ないとしてもせめて一緒に山に登ろうって誘えばよかった。山で一緒に笑ったら違ったかもしれない、」

穏やかな声が一瞬止まり、かすかな吐息こぼれる。
かすかに涙を呑みこむ気配、けれど泣く気配も見せない微笑は言葉を続けた。

「湯原は親戚がいないから、同期達で葬儀を手伝った。安本が俺にも声をかけてくれたよ、教場は違うけど七機で一緒だったからって。
通夜の日の昼過ぎから俺は、湯原の家で仕度を手伝った。そのときにな、可愛い子供が庭の大きな桜に凭れて、ぼんやり座りこんでいた、」

―周太だ、

心に名前を想い、英二は蒔田を見つめた。
蒔田も馨の葬儀を手伝った、そのことは6月に安本から聴いている。
だから周太が馨の同期達と面識があることに不思議はない、けれど本人はまだ思い出せてはいないだろう。
この通夜の時に周太は記憶を失う「言葉」を吹込まれた、その事件の前に蒔田は周太に会ったことになる。

―記憶を失う直前の、周太の状態が聴ける

聴きたい、その意思に英二は静かなまま馨の同期を見た。
同じよう隣も見つめているのだろうな?ふっと信頼に微笑んだ前で、蒔田は口を開いた。

「湯原に息子さんがいる、そう聴いたことはあったけれど会ったのは初めてだった。奥さんと似た可愛い顔立ちで、女の子に見えたよ。
ぼんやり寂しそうでな、俺もしゃがみこんで話しかけてみたんだよ。ポケットにあった飴を渡して、良い桜の木だね、って言ったんだ。
そうしたらな、寂しいけれど嬉しそうに笑って教えてくれたんだ。この桜の木はお父さんが大切にしている、奥多摩の山桜なんだって、」

奥多摩の山桜、

その言葉に、光一の空気が揺らぐ。
川崎の庭に育つ山桜、あの木を光一も愛しげに撫でていた。
奥多摩に生えた実生を晉が移植したという山桜、あの木は光一にとっても意味深いのだろうか?
ふと廻らした考えのなか、懐かしげに微笑んで蒔田は教えてくれた。

「もう幾らか花が咲き始めていたよ、その花を見上げて周太くんは言ったんだ。僕はこの桜を護れる樹医になりたいんですって。
その言葉で俺は泣きそうになったよ。だってな、亡くなった父親が大切にしている木を護りたいって、まだ小さな子が言うんだから。
あのころ俺も息子が生まれて1年位でな、親の気持ちが解かり始めた頃だった。だからな、湯原の気持ちを思うと俺は泣きたかったんだ、」

通夜の前まで周太は、樹医になる意志を忘れていなかった。
それも父の馨の為になりたいと考えていた、その事実に心が引っ叩かれる。

―周太らしい、そういう考え方は…それなのに、

それなのに数時間後、周太は記憶を捻じ曲げられた?
また肚の底で燻りだす想い、その昏い熱い光を見つめながら動かす箸の向こう、言葉は続いた。

「何を言っていいのか解らなかった、奥多摩の山には山桜がたくさん咲くよって、それしか言えなかったよ、涙堪えるので精一杯でな。
そうしたら周太くんに聴かれたんだ、おじさんは山ヤさんですか?って。そうだって答えたら、アンザイレンパートナーはいますか?
って聴かれてな。俺は後藤さんとパートナーを組んでいたから、いるよって答えたよ。そうしたら周太くん、良かったって笑ったんだ、」

言葉を一旦切って、ゆっくり瞬いて蒔田は微笑んだ。
そして英二と光一に笑いかけ、静かな声は話してくれた。

「お父さんにはアンザイレンパートナーが居なかったんです、それが寂しそうだったから、おじさんには居て良かったです。
そう言ってくれた笑顔が優しくってな、俺はもう堪えきれなかったよ。そして後悔した、どうして湯原を山に一度も誘わなかったって、」

静かに微笑んだ目から、ゆっくり雫ひとつ零れだす。
静かに頬伝いおちていく一筋、それを拭いもせずに蒔田は惣菜を口に入れ、呑みこんだ。

「湯原も警視庁山岳会には入っていたんだ、けれど会合とか訓練には参加した事は一度も無かったんだ。本部特練が忙しいらしくてな。
七機から警備部に異動した後は、同期の集まりも参加しなくなって。警備部は幹部候補の多いポストだから、忙しいのだと思っていたよ。
だから俺が山に誘うのも迷惑かなって想っていたんだ、だけど誘って山で話せばよかった、ただ一緒に飲んで笑うだけでも良かったのに、」

また惣菜を口に入れ、咀嚼し呑みこむ。
もう涙は溢さず静かなままで、蒔田は14年の後悔に微笑んだ。

「湯原はアンザイレンパートナーを求めていたんだ、だったら一度だけでも俺がアンザイレン組めばよかった、一緒に登れば良かった。
確かに俺のほうが身長は高い、バランスも悪いだろう、それでも一度だけでも俺が、湯原の山ヤとしての夢を叶えてやれたはずなのに?
あのとき俺は周太くんの言葉に気付かされてな、だから俺は後藤さんと話しあって出世することに決めたんだよ、罪滅ぼしの為にも、」

静かな声が語る、14年の想いが温かい。
そして蒔田の覚悟が解かってしまう、だから止めることも当然出来ない。
この止められない現実に気付かされていく前、穏やかな声で蒔田は言った。

「後藤さんから周太くんが警察官になったと聴かされた時、俺は信じられなかった。だって樹医になる筈だったのに?
けれど2月の警視庁の射撃大会で、本当に周太くんは警察官として射場に立ってた。それで俺は自分の憶測が正しいって思ったよ。
そして余計に赦せなくなった、湯原のことを追いこんだだけじゃ足りない貪欲な奴らに仕返ししたい、そう前より思うようになった、」

告げていく言葉に、穏やかな目の深くに熾火がゆれる。
そして蒔田は、告白をした。

「新宿署長が一昨日、本庁で倒れた。あのとき署長が倒れたのは、俺が自販機で買った冷たいココアの缶を渡した瞬間だ。
署長は先週の月曜、ココア塗れのスーツとワイシャツ、ネクタイを署内からクリーニングに出している。その後から新宿署に出ていない。
だから俺は考えたよ、『ココア』に何か意味があるから署長は新宿署に行きたくなくなった?そう考えて思い出したよ、ココアのことを。
ココアが好きだった男がいる、彼が新宿署に繋がることも思い出した。だから俺はココアの缶を所長に渡してやったんだ、俺は確信犯だよ」

ゆっくりと、けれど一息に告げて蒔田は汁椀に口を付けた。
今告げてくれた告白は、地域部長らしい情報が交ぜられている

―やっぱり蒔田さんなら所轄の情報も自由なんだ

改めて気づかされる「蒔田が出世した理由」とその職能の意味。
警視庁全所轄を掌握する権限が地域部長にはある、そのポストを実力で掴んだノンキャリアの男。
その男が自分たちと同じ意志に立っている?その真実を見つめる前で蒔田は、笑って話しを続けた。

「宮田くんは周太くんの同期で親しい、彼らもその程度は既に把握しているかもしれないだろう?そのマークを外したいんだ。
だから宮田くんは同じ8月一日の異動を避けたんだよ、彼らの警戒がより少ない方が行動の監視が少ない、その方が良いだろう?
でも光一が周太くんと親しいことは一部の連中しか知らない、しかも光一は階級も年次も上位だから周太くんを護りやすいはずだ。
そう考えて俺は、今回の異動を決めたよ。俺にはこういう権限と意志がある、これを2人に利用してほしいから今日は飯に誘ったんだよ、」

利用してほしい、そう明確に蒔田地域部長は意思表示をした。
そう告げる目は穏かで底が明るい、こういう眼差しを持ちながら緻密な頭脳を蒔田は持っている。
そんな亡父の旧友に、底抜けに明るい目の山っ子は可笑しそうに笑った。

「へえ?蒔田さんってさ、なんか宮田にも似てるよね?笑顔で周りを味方にして巧いことやってさ、そのくせ自分でも行動出来るトコ、」
「今度は宮田くん似か?それは光栄だな、でも俺はこんなにハンサムじゃないだろ?」

気さくに笑って光一に応える、そんな蒔田は根が大らかに明るい。
この明るさがあるから警察組織の闇にも不屈なまま、蒔田は幹部の席にも真直ぐ立っている。

―そこが俺と違うんだ、蒔田さん。俺は根が昏いから、

光一の言うよう自分と似ていて、けれど明るい蒔田。
怜悧で緻密な計算が巧いのだろうと、今回のココアの件を聴いただけでも解かる。
そういう頭脳と行動力があるからこそ、蒔田はノンキャリアで最高と言われるポストにまで昇りつめた。
その真意は山ヤの警察官である誇りと、出来なかった約束にある。この約束への想いに英二は、そっとワイシャツの胸元にふれた。

―お父さん、山に登る約束をしたかった人が、ここに居てくれますね?

長い指先ふれる、合鍵の輪郭に俤を思う。
自分と似た切長い目をした遠縁の、自分が敬愛する男。その俤の旧友へと英二は口を開いた。

「蒔田さん、警務部の部長と人事第二課の課長について、知っている事を全て教えて戴けますか?」

警視庁警務部。
総務、人事、会計など中枢を担う重要セクションで幹部候補者が集められる。
トップである警務部長にはキャリア警察官僚を初め、技官キャリア、警察庁の準キャリア警察官、他省庁キャリアが就任する。
そして人事第二課は警部補以下の人事、警察学校の採用選考、昇任・降格・免職・退職を担当し課長はノンキャリアの警視正が務める。

周太の人事異動、それを卒業配置から操作した人物は、そこにいる。




(to be continued)

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時限付日記:光の秋

2012-10-21 18:30:17 | 雑談
光、澹にきらめいて 



こんばんわ、秋晴れの真青だった神奈川です。

今日は近場の川にて、コンナ写真を撮っていました。
山里の田園風景を囲む山際、清流の岸にて美しかった尾花です。

秋の午後は傾く太陽、こういう切ない光線が撮れるので個人的に大好き。
自分が生まれた季節っていうのも惹かれるモトなんでしょうかね?
三日前に齢とったのですが、無事な迎齢に感謝です。

朝一UPの「secret talk10 七夕月3」加筆校正が終わりました。
第57話「鳴動」の6と7も加筆終っています、7は再加筆を今朝しました。
このあと本篇の続篇UPの予定です。

取り急ぎ、
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secret talk10 七夕月act.3―dead of night

2012-10-21 04:36:53 | dead of night 陽はまた昇る
※念のためR18(露骨な表現は有りません)

ことば無くても、



secret talk10 七夕月act.3―dead of night

梔子の花が、甘い。

吐息の唇ふれる香が甘くて、空気すべてが噎せるよう甘い。
艶やかな肩越しの白い花、あの花弁から濃厚な香がくるみこむ。
意識ごと体ほどかれ犯されていく、花の香に蕩かされてしまう熱が、甘すぎる。

―あまい…何もかもが

花の香、ぎこちなく抱きしめる腕の力に心奪われて、感覚ごと攫われる。
肌なめらかな体温、絡みあう繁みのもつれ、熱く甘く撃ちこまれる楔の鼓動。
ひどく甘やかに染められていく全て、この全てを今、自分に与えてくれる人。
この自分を求めて体内に入り繋がり合おうとする、この少年の肢体が狂おしく恋しい。

「…しゅうた、っぁ…きもち、いい?」

呼びかける声が、自分のものと思えないほど甘い。
こんな声を自分が囁く、そんなこと夢か幻のよう?けれど愛しい声は現実に応えてくれる。

「…ん、きもちいい、よ?…えいじ、」

名前を呼んで抱きしめてくれる、その重なる腰がぎこちなく揺らぐ。
不慣れな初々しい動き、けれど深められた肌に声が押し出された。

「あぅっ、」

声に脊髄を感覚が奔りあげる。
あまい責めに髄から支配されて、もっと求めたい望み急きあげる。
もっと抱いてほしい、このまま自分の中で息づいて甘いまま繋がりたい、その鼓動に脚を絡めひきよせる。

「…っ、え、いじ?…あ、んっ…」

かわいい喘ぎが見上げる貌から降ってくる。
間近くから自分を見下ろす貌は、凛々しい眉を潜め見つめてくれる。
黒目がちの瞳に熱を潤ませ、長い睫の陰翳に深く艶をこめ、すこし厚い唇濡れて吐息こぼす。
その貌が前よりも少しだけ大人、羽化する少年の瑞々しい艶麗に見惚れてしまう。

「しゅうた、きれい…だ、ね…」

抱いてくれる少年に微笑んで、繋がれたまま体を少し起こす。
左掌に腰を抱きしめたまま体を添わせ、オレンジ香る吐息に唇ふれる。
そっと重ねた唇に濡れて、くちづけを深く求めてキスを絡め合わす。

―蕩かされる…融けあいたい

体支える右肘に、恋人の律動がふるえて揺らす。
その波が大きく寄せられて、体が大きく逸らされ喘がされる。
この感覚も一週間前の、初めての夜より強く責められて声が溢された。

「うぁ、…ぁ、しゅう、た…あ、」
「えいじ、へんになりそうな、の…あ、ぁ、」

少年の声に、熱ふくれあがる波が体内に生まれだす。
このまま自分の中に融けてくれる?その予兆に腕を伸ばし初々しい体を抱きしめた。

「そのまま、もっと…おいで、し、ゅうた…ぁ、」

悶える自分の背中に、シーツの波がこすれる。
胸に腰に脚に重ねられる肌の、なめらかな熱があまくて惹きこまれてしまう。
交わされる腰の肌、その狭間に揺すられる真芯が波のまま鼓動が熱い。

―周太、初めての時より熱い…この俺がこんなにされて

まだ少年のままでいる心と体に抱かれ、犯され受容れる喜びに全身が熱い。
こんなふうに誰かに抱かれることを自分が喜んでいる、この現実が自分で信じ難いほど溺れている。
この体に誰かの侵略を赦す、そんな女のような立場を自ら望むだなんて思わなかった。
けれど今この瞬間に、肌を火照らせる悦びは血潮を辿り心も体も翻弄されていく。

―熱い、あまくて愛しくて…

最愛の婚約者に「大人の男」の自信を贈りたい、その願いに我が身を差し出した。
それはまだ一週間前が初めてだった、そして二度めの逢瀬にまた体を開いた自分がいる。
そして与えられている感覚に、快楽の喜びと愛され求められる幸福に酔わされて、ただ愛しい。

―離れてほしくないこのまま…抱かれておかされていたい、このひとだけには…

唯ひとり、この体に受容れたい。ずっと護り続け、触れあい傍にいたい。
本当は男としての誇りが強い自分、それなのに女の身代わりを務めてすら永遠に愛されていたい。
その望みのまま体を開き抱かれていく、体深く穿たれる楔ふくれあがる熱、自分自身に籠りだす熱。
ふたつの熱に犯される甘い責めにただ愛しい、恋慕が深奥から充たす意識に愛しい囁きが響く。

「え、いじ…っ、も、へん…?」
「ん、きもちい、い…おいで、しゅうた、もっと俺のこと…っ」

囁きあいに、強く熱の鼓動が脈打たされて波さらわれる。
ひどく甘い香、あまい感覚、肌こぼれだす熱うかされ呼吸が止まる。

「あっ、えいじ…っ、ぅ」

この体の上、あまい喘ぎ愛しく降って少年の肢体がゆるむ。
ゆっくり凭れこむ薄紅の肌は熱い、熱く真芯はくるまれ熱が誘われだす。
すがるよう抱きしめてくれる腕の、ぎこちない甘さに自分の感覚が弾かれ声があげられた。

「っあ、しゅ、た…、…」

重ねられた肌のはざま、熱がほとばしり脊髄を奔らす。
腰から迫上がる熱の甘さに震わされて、体から力が抜かれていく。その頬に甘い香撫でて胸元に熱ふれる。
やわらかに熱い濡れた優しさ、ぎこちない唇の愛撫に肌を委ねて、掌に黒髪のやわらかさを絡ませる。
指ふれる艶やかに優しい髪、それは今夜に摘んだ花のひとひらと似て、あまい香に優しく指ふれさす。

「周太…髪が花びらみたいだね?あまい香がする…」

繋がれたまま抱き寄せて、ゆっくり寝返らせ恋人を見下ろす。
深みに力を籠らせ恋人の花芯を包みこむ、体内から抱きしめて離さないと伝えてしまう。
いま腕に抱きしめる洗練された少年の肢体、この身の奥深く抱きこんだ少年の大切な体。
愛しい肌を全て我が身に納めて恋愛に酔う、いま瞬間に融けあう幸せに黒目がちの瞳が艶めいた。

「あ、…え、いじ…」

呼んでくれる名前が、さっきより甘い。
もう今からは自分が恋人を抱く時間、その始まりに英二は微笑んだ。

「周太、いっぱい気持ち良かったよ?…もっと気持ちよくしてあげる、」

始まりを告げて愛しい唇にキスをする。
重ねる唇に絡ます熱、その遥か向うに体内から熱が抜け落ちる。
いま離れてしまった体深くの熱、けれど唇にうばう言葉の奥へと熱は蘇える。

あまい香、ことばも無くただ梔子の夢ひととき。




(to be continued)

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