萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第57話 共鳴act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-26 23:32:49 | 陽はまた昇るanother,side story
日常、永遠の瞬間



第57話 共鳴act.2―another,side story「陽はまた昇る」

濃やかに甘い香と、深い森の香。

眠れる意識の底ふれる、ふたつの香。
どちらも懐かしくて好きな香が嬉しくて、微笑んだ唇を温もりが包んだ。

…あたたかい、ほろにがくて甘くて…

唇ふれる吐息に、深く鼓動が響く。
この吐息も唇も知っている、唯ひとり待っていた。
きっと瞳披けば居てくれる?そう幸せが微笑んで周太は目を覚ました。

「おはよう、周太」

綺麗な低い声が名前を呼んで、綺麗な笑顔ほころんでくれる。
まだ覚めきらない意識もどかしい、それでも嬉しくて見つめる恋人の笑顔は優しい。

…ほんとうに今、目の前にいてくれるの?…帰ってきたの?

これは夢では無くて現実なのかな?
そんなふう微睡に囚われたまま見つめてしまう、その唇に温かなキスがふれた。
その温もりに「帰ってきてくれた」実感が微笑んで、周太は待ち人の名前を呼んだ。

「…ん、えいじ?」
「俺だよ、周太?おはよう、」

笑いかけて額をくっつけてくれる、その額が温かい。
大好きな温もりが帰ってきてくれた、嬉しくて幸せで、けれど英二はスーツ姿で傍にいる。

…もしかしてもう朝?

いま英二は「おはよう、」と笑ってくれた、もう朝になった?
しかもスーツ姿でいるなんて、もう出掛ける時間なのだろうか?

…さっきここで本を読んでいて…そのまま眠っちゃった?

また墜落睡眠してしまった。
そのまま眠りこんで、英二が帰ってきたことも気付かなかった。
きっと、優しい英二だから気遣って眠らせてくれた?そう思って周太は落ちこんだ。

…待っていたのに寝ちゃうなんて、お帰りなさいも言えなかったなんて…どうしてこんな子供なんだろう

ふたりで食事したくて待っていたのに、一緒に食べられなかった?
お風呂も沸かして布団も干した、そういうことに喜んでくれる笑顔を見られなかった?
何より出迎えてあげられなかった、こんなことでは「妻」だなんて難しい。もう色々と困りながら周太は婚約者に訊いた。

「…あの、いまってなんじ?…もう朝なんだよね、」
「え?」

驚いたよう切長い目が見つめてくれる。
ほら、きっと時間も解からないなんて呆れられた?
こんな子供じみた自分に泣きそうになる、それでも瞳ひとつ瞬いて堪えると周太は謝った。

「ごめんね、俺、寝ちゃって…待ってようって思ってたのに朝になっちゃうなんて…スーツ着てるけど英二も出掛ける時間なの?」
「ふっ、」

謝った途端、綺麗な笑顔が吹き出した。
こんなふうに笑うなんて、やっぱり呆れて可笑しくて仕方ないよね?
そう落ち込んで俯きそうになったとき、綺麗な切長い目は周太を見つめて笑ってくれた。

「周太?俺、いま帰ってきたところだよ。まだ金曜の夜9時半だよ、」

まだ朝になっていなかった?
言われて気がつくと、確かに自分はソファに横になっている。
その視界の先で台所の窓は暗い、それに食事を仕度した香がまだ温かい。

「…あ、」

安堵に声こぼれて涙も出そうになる。
けれど瞬きひとつで納めた視界に、長い指が持つ白い蕾が映りこんだ。
ふわり甘い優しい香ほころぶ白い花と艶やかな緑の葉、綺麗で見つめた周太に英二は微笑んだ。

「ごめんな、遅くなっちゃって。急いで帰ってきたから、なにも土産が無いんだ。それで庭で綺麗だった花、ひとつ摘ませて貰った、」

言葉に白皙の左腕を見て、文字盤の短針と長針を読む。
さっき告げてくれた通りに9時半を示してくれる、この時間が嬉しくて周太は笑いかけた。

「でもメールの時間より早いね?…10時って英二、書いてあった、」

暗くなる頃に送ってくれたメールの時間、それよりも30分早い。
その分だけ一緒の時間が増えて嬉しい、嬉しい気持ちに見つめた花に周太は微笑んだ。

「梔子、いい香…夜露で香がまた濃くなるね?きれい…ありがとう英二、」
「くちなしって言うんだ、この花。喜んでくれる?」

綺麗な笑顔ほころばせて頬にキスしてくれる。
ふれるだけの頬にキス、それでも気恥ずかしくて嬉しくて頬が熱くなってしまう。
このキスも心遣いの花も幸せで、周太は素直な想いに頷いた。

「ん、うれしい…思ったより一緒にいる時間、長くなったから…」
「ありがとう、周太。俺も周太と一緒にいたくて、頑張って仕事終わらせてきたんだ、」

嬉しそうに答えてくれながら、周太を抱き起こして隣に座ってくれる。
英二も同じことを願ってくれた、こういう同じは嬉しくて「想い合っている」と自覚が温かい。

…両想いって言うんだよね?

そっと心に呟いて首筋が熱くなる。
こんなこと独り考えて赤くなる自分が恥ずかしくて、けれど幸せな想いに周太は微笑んだ。

「吉村先生のお手伝いだよね?…先生、いま忙しいのでしょう?夏山のシーズンは応急処置の講習も多い、って、」

吉村医師の手伝いで遅くなる、そう夕方のメールで知らせてくれた。
きっと忙しくて英二は疲れているだろう、それなのに川崎まで帰ってきてくれた。
それが申し訳なくて、けれど幸せで見上げた周太の肩にスーツの腕を回してくれる。
そんな親しい仕草にふっと大好きな香がたって、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「そうだよ、明日と明後日は先生も講習会があるからね、その資料の最終チェックをお手伝いしてきた、俺たちも使わせて貰うんだ、」

深い森の香が抱き寄せて、ソファから立ち上がらせてくれる。
その掌に渡してくれる花が嬉しい、ふくらかな蕾に微笑んで周太は婚約者に尋ねた。

「救急法の資料?」
「うん、応急処置と遭難場所のポイントについてだよ、」

答えてくれながら一緒に歩いてくれる。
洗面室へと向かいながら英二は、仕事の話をしてくれた。

「周太にあげたファイルにも載ってるけど、遭難場所は奥多摩と主な山系の実例をまとめてさ。応急処置は代用品での処置方法だよ、」
「英二がメインになって資料、作ったんだ?…すごいね、英二」

素直に褒めて洗面室の扉を開く、その頬にキスしてくれる。
嬉しくて、けれど面映ゆくて微笑んだ周太に綺麗な低い声は笑ってくれた。

「周太に褒めてもらうの、やっぱり嬉しいな?もっと俺のこと褒めて、」
「ん?…救助隊の仕事も忙しいのに、吉村先生も手伝えるなんてすごいね…英二、仕事出来るんだね?」

言われた通り周太は思ったままに褒めた。
その言葉の先で幸せな笑顔が咲かせながら、袖を軽く捲って蛇口をひねる。
掌を洗いながらも英二は周太に笑いかけて、またねだってくれた。

「俺のこと、出来る男って褒めてくれるんだね、周太?有能な男がお好みに合うなら、ご褒美のキスを下さい、俺の奥さん?」

そんなおねだり気恥ずかしいな?

恥ずかしくて首筋がまた熱くなってしまう、きっともう真赤になっている。
それでも婚約者の笑顔が見たくて周太は、戸棚から出した花瓶をサイドテーブルに置いて、隣へ立った。

「…あの…ごほうびです、」

つい小さくなる声で呟いて、白皙の頬にキスをする。
なめらかに唇ふれる肌が優しい、その近づいた衿元から微かに汗が薫らす。
仕事の後に急いで帰ってきた、そんな大人の男らしい薫りにふと記憶が起こされた。

…お父さんもいつもそうだった、こんなふうにキスして

お帰りなさい、そう告げて頬にキスをする。
それは幼い日の家族での挨拶だった、あの習慣は父が亡くなって消えてしまった。
お互いの頬にキスをする父と母の笑顔はいつも幸せで、それは今も記憶に温かい。
あの幸せな幼い日には、ふたりの頬に周太がキスをする度、ふたつ幸せが微笑んだ。

―…ただいま、周…キスありがとう、いつまで周はしてくれるんだろうね?

そう笑って父は頬を赤くほころばせていた。
おはよう、いってらっしゃい、おかえりなさい、おやすみなさい。
優しい挨拶たちの度に頬や額にキスをして、父と母と愛情を贈りあうのは幸せだった。
たぶん普通の日本家庭では息子が両親にキスするのは珍しい、けれど自分には普通だった。
だから9歳の冬の日に光一が頬にキスしてくれたのも、挨拶代わりのようで抵抗も無かった。

…それなのに、ね…いつまでたっても英二には照れちゃうね

それは自分があの頃よりは大人になったからだろう。
けれど多分、それだけじゃない。だって今こんなに幸せで嬉しくて、首筋も頬も熱い。

「周太のキスは可愛いな、大好きだからもっとして?」

嬉しそうに英二は笑顔でねだってくれる、そんな様子が可愛いと思ってしまう。
こんなふう子供みたいに「もっと」と言うなんて普段の真面目で大人びた姿から想像できない。

…こういう貌を知っているの、俺だけかもしれない?

ふっと思ったことが嬉しくて、けれど寂しい。
本来ならこんな貌は母親にするものだろう、それを英二はしてこなかった。
葉山でも英二は、自分の祖母にもこんなふうには笑っていない。

…おばあさまも菫さんも、あんなに優しくて英二を大切にしているのに…でも英二にはだめなんだね

どうして?
そう思いかけて、すぐ応えは見つかってしまう。
それほどに英二の哀しみと傷が深い、そういうことだと気付かされて心軋む。
けれど今は幸せにしてあげたくて、大切な婚約者に周太は綺麗に笑いかけた。

「ちゃんと、うがいもして?風邪ひいたら困るでしょ、もうじきマッターホルン行くのに…ね、英二?」
「うん、うがいするよ、」

素直に笑って英二は洗面台に向き合うと、嗽を始めた。
ほら、こんなふう素直に子供みたいな所を今は見せてくれる。
この姿も全部を憶えていたい、ずっと心のいちばん大切な所に抱きしめたい。

…愛してるよ?

そっと心に呟きながら流しで花瓶を濯ぎ、水を張る。
白い花を活け込んでみると、青と白の磁器に緑の葉も映えて美しい。

…勉強机に置こう、

贈られた花の場所を決めながら戸棚を開いて、タオルを手に振り返る。
ちょうど蛇口を閉じた英二にタオルを渡すと、周太は質問と微笑んだ。

「あのね、ごはんも支度出来ていて、お風呂も沸いてるんだけど…ごはんとお風呂、どっちからにする?」

22時に帰ってくる、そう言われたけれど早めの時間に合わせて仕度した。
もしも早く帰ってきたら嬉しいな?そんな願いにせっかちをした、それが役に立って嬉しい。
風呂と食事で疲れを癒して欲しいな、そう見上げた周太にキスをして恋人の笑顔は幸せにねだった。

「周太から、って言ったらダメ?」

それってどういういみ?

…もしかしてドラマとかで見るやつかな?

気がついて、首筋に熱が昇りだす。
たまに母と見ていたテレビドラマで、いわゆる新婚夫婦がそんな台詞を言っていた。
そのあと何だか大人の雰囲気になるから恥ずかしくて、いつも席を立ってしまったから続きは知らない。
けれど今はもう、英二に「大人にしてもらった」から何となくの意味は解る、それが気恥ずかしくて困ってしまう。

…でも今夜は、英二が願ってくれることは出来るだけ叶えてあげたい…次は、わからないから

こうして家で一緒に過ごすことは、次はいつだろう?
あと2週間したら異動して多忙な日々が始まり、休暇の自由も減っていく。
だから今夜は出来る限り英二の笑顔を見つめていたい、この今を大切に幸せに生きていたい。
そんな願いに周太は微笑んで、自分なりの精一杯で婚約者へと羞みながら提案した。

「…おふろでせなかながしてほしい?」

お風呂で背中を流すと、いつも父は喜んでくれた。
けれど英二には、まだしてあげたことが無い。いつも英二が周太を洗ってばかりいる。
だから今夜は自分がしてあげたいな?そう見上げた先で綺麗な笑顔ほころんで、けれど不意に英二は声を出した。

「あ、」

声をあげた端正な唇から鼻を、長い指の掌がおさえこむ。
2秒間があって、外した掌を眺めると困ったよう、けれど幸せに英二は微笑んだ。

「周太、鼻血でちゃった、」
「え、」

言葉に驚いて見上げると、笑って英二は掌を示してくれる。
素直に覗きこむと白皙の掌に赤い鮮血が、ひとしずく洗面室のランプに輝いた。

…宝石みたい、白い肌に映えて

きれいで一瞬見惚れて、すぐ我に返る。
いま英二はスーツを着ている、きっと明日明後日も着るだろう。
血で汚したら困ってしまう、すぐ周太はティシュペーパーを取ると、婚約者の顔と手を拭った。

「もう血は止まったかな?シャツに染み作らなくて良かった…おふろは後の方がいいかな?」

鼻血のときは血流が活発化すると、なお出血しやすくなる。
けれど英二は今もう止まっている、このまま入浴しても大丈夫だろうか?
それにしても、滅多に鼻血など出さない人なのにどうしたのだろう、疲れているのだろうか?
心配しながらワイシャツやスーツをチェックする、血痕はない事にほっとした周太に、綺麗な笑顔が言ってくれた。

「このまま風呂、入ってもいい?それで背中を流してくれたら嬉しいな、」

英二は山岳救助隊員として応急処置のプロでいる。
その英二が入浴しても良いと判断したのなら大丈夫だろう、安心して周太は素直に微笑んだ。

「はい…いいよ?」

頷いて周太は婚約者の後ろに回った。
いつも母が父にしていたことを今、英二にもしてあげたい。
そんな想いと背伸びすると広やかな肩に手を掛けて、スーツのジャケットを脱がせかけ微笑んだ。

「あの…腕、抜いて?」
「ありがとう、周太、」

笑って英二は袖から腕を抜いてくれる。
黒に近い上品なグレーのジャケットが脱げて、ふわり香ごと腕に凭れこむ。
目の前のワイシャツの背中がなんだか気恥ずかしい、羞みながら周太は話しかけた。

「スーツ、部屋に掛けておくね?…それで着替え持ってくるから、先に入ってて?」
「うん、」

肩越し、優しく周太に笑いかけながら、靴下を脱いで脱衣籠に入れてくれる。
そのまま潔くスラックスを脱いで周太に渡してくれた。

「周太、持たせてごめんな、」
「ううん…」

労ってくれる優しい笑顔が嬉しい、けれど首筋が熱くて恥ずかしい。
いま目の前のワイシャツ姿は伸びやかに端正な脚を晒して、惜しみなく光に魅せる。
艶やかな白皙の脛にランプきらめく体毛が「大人の男」だと示して、どこか子供っぽい自分の体と比べてしまう。
華やかで端正な容貌の英二、けれど日々の訓練に鍛え上げられる体躯は男性美に充ちている。
それを綺麗だと憧れているだけに気恥ずかしくて、もう頬まで紅潮に熱くなっていく。

…このあとワイシャツも脱いだらはだかだよね

このまま明るい光で恋人の体を見るのが、気恥ずかしい。
もう何度も英二の裸身は見ている、それでもやっぱり気恥ずかしくて周太は踵を返した。
早くここから出てしまおう、けれど急いた背中に綺麗な低い声が笑いかけた。

「周太、このワイシャツも一緒に持って行ってくれる?ちょっとしか着ていないからさ、このまま明日も着るから」
「あ…はい、」

その場でスーツを抱え込んだまま、やっぱり俯いてしまう。
どうして同じ男なのに英二の裸を見るのは、こんなに恥ずかしいのだろう?
そして英二に自分の裸を見られることも恥ずかしい、初任科教養の時は何も思わなかったのに?
初任総合の時も同期達の裸は何とも思わなかった、けれど英二を見るのは恥ずかしくて風呂で毎晩困った。
その理由に考え廻らすまま首筋は熱い、また困って俯いていると白皙の腕がワイシャツを渡してくれた。

「はい、周太。よろしくな、」
「ん、」

頷いて受けとる頬がすっかり熱い、きっともう真赤だろう。
そんな自分が余計に恥ずかしくて周太は、スーツ一式を抱えこんで廊下に出た。
そっと後ろ手に扉を閉めて歩き出す、スリッパの音の向こうで水音が響きだした。
この後、あの音の中に自分も入って英二の背中を流す、そうしたら裸を見ることになる。

「…いまからこんなでだいじょうぶかな」

ひとりごと心配に熱い頬を撫でながら、階段を上がっていく。
その腕に抱えるスーツから、かすかな温みと残り香が昇らせ慕わしい。
この香も温もりも大切な人が傍にいる証、それが幸せで周太は自室に入りながら微笑んだ。

…こういうの、すごく幸せだね?

大好きな人の帰りを待って、一日の疲れを服ごと脱がせてあげる。
その服に名残らす香と温もりに、離れていた一日の時間ごと帰ってきてくれたと幸せを抱きしめる。
こうして毎日を待って迎えて、一緒に時を過ごせて行けたなら、どんなに幸せなのだろう?

「…あ、」

ふっと頬を熱が伝って、ぽとり零れたままダークグレーの生地が吸いこんだ。
もう英二の前では泣かないと決めた、これからの別離の時間が終わる「いつか」までは涙を見せない。
けれど今、ひとり緩んだ心に零した涙を英二のスーツは吸いこんでしまった。
ほら?こんなふうに英二はいつも、無意識でも周太の本音に応えてくれる。

「…隠していても、ちゃんと拭ってくれるね?英二…」

言わなくても、隠しても解かってくれて、様々な形で慰め励ましてくれる。
こういう婚約者が恋しい、そして愛してしまう、だからこそ一緒に全てを見つめていたい。
今日の昼間に父の写真に告げた想い、それを今もまた恋人のスーツと香ごと周太は抱きしめた。

「…何も知らないで置いて行かれるのは嫌だよ、英二…辛くても哀しくても一緒に見つめさせて?どんな時も隣にいさせて…」

ルームライトの優しい光のなか、静かな夜の片隅でスーツを見つめ、抱きしめる。
名残に香らす恋人の気配、深い森のような高潔な香、この香の人と生きていたい。
その為になら自分はどんな真実も現実も受け留めてみせる、だから信じて共に見つめさせて?

…愛してる、大好き…幸せは英二の隣だけだから

心の想い微笑んで、周太はハンガーへとスーツを吊るした。
丁寧に折り目に沿ってスラックスを掛け、きちんとジャケットを整える。
ワイシャツにもハンガーを出して掛けると周太はチェックした。

「ん、出来てるね?」

微笑んで見つめるスーツは落着いた地味好み、けれど仕立ても素材も良いことに英二の好みが解かる。
良いものを長く大切に遣いたい、そういう堅実さがまた好きになってしまう。

…俺のこともずっと大切にしてくれそうで…ね…

心に本音こぼれて、頬が熱くなりだした。
こんなことつい考えてしまうなんて?ひとり赤くなりながら周太は箪笥を開いた。
英二の寝間用の浴衣と兵児帯を出し、下着を添えようとしてまた恥ずかしい。
恥ずかしくて、つい止まった手へと独り言こぼれた。

「じぶんのだとなんともないのに…いしきしすぎちゃってる、ね?」

同じ男だから下着も似たり寄ったり、当然のこと大差ない。
しかも最近は周太の下着も英二が買ってくれるから、サイズ以外は同じようなのに「英二の」だと恥ずかしい。
子供のころから家事をしている自分だから、母の下着も恥ずかしいと思わず洗濯して畳んでいる。
けれど英二の下着だけは毎回のこと気恥ずかしくて、こんなふうに真赤になってしまう。

…奥さんになったら毎日なのにどうしよう

そんなふう何げなく思って、周太は微笑んだ。
いま自分は自然と「奥さんになったら」と思えた、それが素直に嬉しい。
この先に「いつか」毎日になる日が来る、そう心の底では信じているから自然に思えた。

…信じられている、自分のこと、英二のこと…未来があるって信じてる

もうじき自分は「死線」に行く、それでも先の時間を信じている。
こうして希望を見つめている、なにも諦めていない強さが自分にもある。
すこしは強くなれた自分が嬉しくて、赤い頬のまま婚約者の着替を抱えて廊下に出た。
そのときエプロンのポケットで携帯電話が振動して、すぐに開くと周太は微笑んだ。

「おつかれさま、お母さん…」
「おつかれさま、周。電話、遅くなってごめんね?」

明るいアルトの声が微笑んでくれる。
声が楽しげな雰囲気でいることが嬉しい、嬉しくて周太は電話むこうに笑いかけた。

「ううん、俺もさっきまで寝ちゃってたんだ…英二が帰ってきて起こしてくれたの、」
「良かった、英二くん無事に帰ってこられたのね?おかえりなさいって言っておいてね、あと客間のセットは見てくれた?」

母の声の向こう、楽しげな話し声が聞こえてくる。
今日から2泊で母は勤め先の納涼会に出掛けた、その和やかな空気が嬉しい。
こういう普通の楽しみに母が出るようになった、この明るい変化への感謝を想いながら周太は答えた。

「昼間に見たよ、素敵だね?…カードのメッセージもお母さんの下に書いたよ、ありがとう、お母さん、」
「周の御目がねなら良かったわ、光一くんものんびりしてくれるといいね?周も明日から気を付けて、美代ちゃんにもよろしくね」
「ん、伝えおくね…お母さんも気を付けて楽しんできてね、」

短い通話、それでも母子笑いあって電話を切った。
母の元気な明るい声が嬉しい、こんなふうにずっと笑っていてほしい。
そんな想い微笑んで階段を降りると、洗面室の扉を開いた。

かたん、

静かに扉を閉めて、籠に英二の着替え一揃いを置く。
ふわり甘い香が頬撫でて振り向くと、サイドテーブルに梔子の花活が置かれていた。

…さっき置いて行っちゃったんだ

英二の着替えに気恥ずかしくて、スーツとワイシャツだけ抱えて行ってしまった。
こんな子供っぽい慌て方がまた恥ずかしくなる、首筋また熱くしながら周太はエプロンを外した。
コットンパンツの裾を膝まで折りあげ、ブルーの縁どりがあるカットソーの袖も捲る。
そうして身支度すると小さく覚悟して、そっと浴室の扉を開いた。

「英二、」

湯気の向こうに呼びかけて、浴槽の頬杖姿がひとつ瞳瞬いた。
すこし不思議そうに見つめてすぐ微笑んでくれる、その笑顔が湯から立ち上がった。

…あ、

恥ずかしくてつい、目を逸らせてしまう。
湯気透かせても白皙の肌まばゆい、ダークブラウンの髪が濡れて艶めくのが綺麗。
本当は見惚れてしまいそう、けれど恥ずかしくて見つめるなんて到底出来そうにない。

…でも、これから背中流してあげるんだから、恥ずかしがってばかりいたらだめ

心裡に覚悟つぶやきながらシャワーの前に行くと、白皙の背中の後ろにしゃがみこんだ。
タオルに泡を立てていく、そうして鏡ごし顔だけ見つめて笑いかけた。

「あの、洗うね?…痛いとかあったら言ってね?」
「うん、ありがとう周太、」

鏡越しの笑顔が幸せそうで嬉しくなる、提案してみて良かったと嬉しい。
喜んでもらえたら良いな、そんな願いに背中を洗い始めた指先に、泡を透かしてふれる素肌にどきんとした。

…こんなにいしきしちゃうなんておれってやっぱりえっちなんだよね

こんな自分が恥ずかしくて仕方ない、きっともう首筋は真赤になっている。
気恥ずかしくて目だけ逸らしかけたとき、綺麗な低い声が笑いかけてくれた。

「初めて洗ってもらうけど、巧いな、周太。気持いいよ、」
「ほんと?…よかった、」

嬉しくて上げた視線へと、鏡越しに目が合さる。
きれいな切長い目が笑ってくれる、その笑顔が嬉しくて、けれど気恥ずかしくて視線を落とした。
洗い上げていく肌は湯に薄紅ほころぶ、その火照りから深い森の香は濃やかになって、石鹸の香に交らす。

…いいかおり、英二の匂いって好き

そっと心に想い羞みながら肌を磨き上げ、シャワーの湯温を調整する。
そして端正な背中を流し終えたとき、肩越しに振向いた綺麗な笑顔がねだってくれた。

「周太、髪も洗ってくれる?」
「あ…」

いまこの時間が気恥ずかしくて、けれど幸せは面映ゆい。
この幸せを大切にしたくて、熱くなる頬のまま周太は素直に頷いた。

「ん、いいよ?」

笑いかけて、目の前の髪をシャワーで濡らしていく。
ダークブラウンが湯に艶めく、綺麗で見惚れながら周太は笑いかけた。

「目、つむっていてね、」
「うん、」

素直に頷いて笑ってくれる、その笑顔に微笑んでシャンプーを掌にとった。
ゆっくり髪に泡立てていく、髪を洗うのなら肌を見なくて良いぶん緊張が少ない。

…あ、英二のつむじ見るのって初めてかも…

ふと気がついて何か幸せになってしまう。
英二の方が背が高いから、こうして英二の頭をゆっくり見たことはない。
雪崩で受傷した英二の看護で包帯を巻いたことはある、けれど手当に集中して余裕は無かった。
この今の時間は些細なことかもしれない、けれど大切な人の髪を洗いふれる時間は、不思議な安らぎがある。

…英二も気持ちいいと良いな、それで疲れが抜けてくれたら嬉しい

少しでも今日の疲れも癒してあげたい、出来るだけ。
もう今夜の次は解からない、だから今この時に出来るだけ日常の幸せを贈りたい。
その願いに恋人の髪を洗い上げて、シャワーの栓を閉めると鏡越しに笑いかけた。

「はい、おしまい…洗い足りないとかある?」

笑いかけた鏡の端正な貌が幸せに笑ってくれる。
ひとつ両掌で髪を掻き上げて、綺麗な笑顔が振向いた。

「周太、」

名前を呼んで振り向きざま、白皙の腕が周太を抱きしめた。
そのまま抱え上げられて湯気のなか視界が動く、そして水音がタイルに響いた。

「え…」

こぼれた声と同時に周太はひとつ瞬いた。
いま自分は何処に座りこんでいるのだろう?

「きれいだ、周太。水も滴る美少年だな、」

綺麗な低い声が笑いかけて、その唇がキスしてくれる。
ふれる唇の温もりと一緒に足先から、胸元まで温もりに濡らされていく。
そっと唇離れて、瞳を覗きこんだ切長い目に今の状況を周太は理解した。

…おふろのなかに入れられちゃったの?

自分は服を着ているまま、浴槽に入ってしまった?
こんなの困ってしまう、こんな悪戯を英二がするなんて?
予想外の展開に困らされて周太は、子どもっぽい婚約者を見つめて拗ねた。

「ばかっ、えいじのばかばかなにしてるのっ…だ、だめでしょっふくきたままはいっちゃ!ふくいたんじゃうでしょばかっ、」

一息に叱った湯気の向こう、きれいな貌は幸せな笑顔にほころんだ。
その笑顔が嬉しくて、怒りながら困りながら周太は、ずぶ濡れのまま微笑んだ。







(to be continued)

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secret talk10 七夕月act.6―dead of night

2012-10-26 04:36:01 | dead of night 陽はまた昇る
今、ひと時を



secret talk10 七夕月act.6―dead of night

最後の一枚を拭き終えて、戸棚に仕舞う。
その背後で蛇口も閉じられ、小柄な背中はエプロンを外す。
白と藍のストライプが畳まれていく、いつもの籠にきちんと入れられてしまう。
いつもなら何げない光景、けれど今朝は幸福な時間の終りを告げるよう、切ない。

―でも、あと1時間は一緒に居られるはず

そっと左腕のクライマーウォッチに時間を確かめ、すこし安堵する。
まだ離れたくない、傍にいてほしい、その想い正直に腕を伸ばし婚約者を抱きあげた。

「…、どうしたの?英二、」

驚いたよう見つめて、腕のなか尋ねてくれる。
すこし大きくなった瞳が可愛くて、不意打ち出来たことが何だか嬉しい。
この1時間をどう過ごそう?考えるけれど想いつく端から叱られそうで困ってしまう。
それでも抱え込んだまま歩き出して、リビングのソファに抱きあげたまま腰を下した。

「お膝で抱っこしたかったんだ、周太これ好きだろ?」

笑いかけて訊いてみる、その質問に気恥ずかしげに微笑んでくれる。
ほら、笑ってくれて嬉しい。こんなことでも嬉しくて弾んだ心にまた自覚してしまう。

―ほんと俺、恋の奴隷だな?

こんな自分に呆れながら幸せになる。
こんなに一喜一憂するのは周太だけ、光一への想いとはまた違う。
こうした比較に気付かされる、恋愛は同じ人間がしても様々な形が顕われる?

「あの、えいじ?…ずっとこうしてるの?ごはんの後だし、コーヒーいれようとおもっていたんだけど」

遠慮がちな恥ずかしげな声に、意識戻される。
そして恋人の提案に嬉しくなって、素直に英二は頷いた。

「周太のコーヒー嬉しいな、淹れてくれるの?」
「ん、…淹れるよ?」

穏やかな声が微笑んで、黒目がちの瞳が羞んでくれる。
どうして恥ずかしがるのかな?そう見つめた先で婚約者は言ってくれた。

「だって…約束したでしょ?英二のコーヒーとお茶は、俺がずっと淹れるって」

その約束、ちゃんと覚えてくれていたんだ?

憶えていてくれて嬉しい、秋に結んだ約束が今も生きている。
ふたり初めて迎えた秋の記憶が幸せで、共有できる記憶が嬉しい。
こういう共有の記憶を重ねて行けたなら良い、そんな願い素直に英二は微笑んだ。

「うん、約束守ってよ、周太?一生ずっと、俺のコーヒーもお茶も淹れてくれな、」

もうじき1年になる約束に微笑んで、英二は恋人の唇にキスを贈った。






(to be continued)

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深夜日記:光の森

2012-10-26 00:56:28 | 雑談
黄昏、光の翳に



こんばんわ、今日もお疲れさまです。

写真は近所の森にて撮影した、夕暮れ直前の風韻です。
光まばゆい森の秋、この季節らしい光線が織りなす光景は切ないなあと。
ちょっとしたカメラの迎角で風景が変わるのも、写真の面白い所です。

第57話「共鳴1」加筆校正が終りました、当初の倍になっています。
今夜は本篇の続きUPが出来ず、楽しみにして下さっている方いらしたら申し訳ありません。
明日は上梓の予定です、夜になるかとは思いますが。
でも朝一の短編はUP出来るかなと。

昨日ちょっと書いた今後の登場人物ですが。
8月登場の1名についてはイメージする人が決っていません。
もちろんコンナ人がイイナアって言うのはあるんですけどね、俳優さんが解からない…笑
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secret talk10 七夕月act.5―dead of night

2012-10-25 09:43:18 | dead of night 陽はまた昇る
温もり、待ってくれる居場所



secret talk10 七夕月act.5―dead of night

透明なオレンジ色ふくんだ光が、窓の小さな緑たちを温める。
キッチンの出窓にならんだ陶器の鉢たちは、香さわやかに昇らせ葉を煌めかす。
朝の水を与えられ瑞々しい緑、その幾つかを優しい指が摘みとり籠に乗せ、水洗いしていく。

「周太、これは何て言うんだ?」

明るい緑の葉を指さして、エプロン姿の恋人に尋ねてみる。
藍色と白のストライプが爽やかなコットンは、淡いブルーのカットソーにも映えて優しい。
よく似合うな?そう見惚れて笑いかけた先、雫光る掌に洗った緑を示して答えてくれた。

「ん、バジルだよ…トマトやチーズにすごく合うの、このサラダに入れるね?ちぎると、こんな香だよ」
「あ、この匂い、イタリアンだとよくあるな?」
「でしょ?…魚や肉の料理にも合うし、パスタのソースにも使うんだ」

うれしそうに説明しながら、手際よく料理してくれる。
その手元からは朝食と、もう一食分の献立が同時に作られていく。
本当に手際が良い、感心しながら隣でボールの中身を和えながら、また他の葉を訊いてみる。

「周太、こっちの細かい葉っぱのは?」
「それはディル、魚料理にすごく合うよ?…鯵の南蛮漬けに使うから、夜に食べてみてね、」

今夜、恋人はここに居ない。
だから今、夜の食事の分まで支度してくれている、その気遣いが温かい。
けれど夜にはもう、このエプロン姿を見ることが出来ない寂しさが募ってしまう。

―寂しい、今すこし想っただけでもう…苦しい

ほら、苦しい。

今夜は帰ってきてもこの人は居ない、そう想うだけで苦しくて。
こんなふうに、誰かが居ないことが苦しいなんて、この人以外には知らなかった。
そして心射すように、昨夜ずっと待ってくれていたことが幸せだったと思い知らされてしまう。

昨夜の自分が今、羨ましい。

昨夜は帰ってきた家には灯が付いていた。
その明りは温かくて、愛しい人の体温のまま優しい気配に充ちていた。
あの温もりに迎えてもらえる幸せを、もう今夜には見つめることが出来ない。

「英二、お味噌汁はこの鍋だから…温めて食べてね?ガスには気を付けて、あと献立のことメモ貼っておいたから、」

穏やかな声に笑いかけられて、意識が戻される。
その視線に見つめた恋人の笑顔が、温かくて優しくて、泣きたい。

「周太、」

名前を呼んで抱きしめる、その肩に藍色と白のストライプが横切らす。
藍と白のエプロン、これを今は自分の食事の為に着てくれる。
この姿を今夜は見られない、今夜は此処に居てくれない。

「…どうしたの、英二?」

抱きしめた懐から黒目がちの瞳が見上げてくれる。
穏やかで幸せな笑顔の周太、その明るい微笑みにふっと肩の力が抜けた。
ほら、また笑顔で心寛がさせてくれる、こういう温もりが大好きで離れられないのに?
離れてほしくなくて、構ってほしくなる。その気持ち素直に英二は婚約者に笑いかけた。

「周太、キスして?」
「…え、」

小さく声を出した首筋が赤くなっていく。
見上げてくれる瞳の長い睫が途惑い伏せられる、その陰翳に清楚は艶めいて優しい。
あわくそまる薄紅の頬、ためらっている唇、それでも睫はあげられて微笑んでくれた。

「ん…英二、」

名前を呼んで、そっと肩に掌かけて、綺麗な笑顔が近寄せられる。
長い睫はまた伏せられて、やわらかな唇ふれあう幸せが生まれだす。

―あまい、

あまいオレンジの香、唇の温もりは優しくて心ほどかれる。
このまま抱きしめて離したくない、ずっとこうしていたい、そんな気持ちに腕の力が籠められかかる。
けれど、かすかな沸騰の音に肩から掌は静かに外された。

「…お鍋、沸いちゃう、」

赤い貌できれいに微笑んで、恋人は腕から脱け出してしまう。
ガス台のスイッチを止め、また料理へと優しい掌は動かされていく。
その首筋も頬もまだ薄紅あざやかで、今この窓にゆれる梢の花と色が似ていた。


この次はいつ、この姿が見られるのだろう?





(to be continued)

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深夜日記:黄昏の記憶に

2012-10-25 02:05:52 | 雑談
記憶の陰翳



ちょっと前に見た、黄昏です。
資料撮影で行った先でのワンシーン、山嶺に沈む落陽と水鏡。
黄昏の陽光はナンダカ切ないのは、その日の最後の光だからでしょうか?
ナンテ、こんなこと考えながら深夜、次の行く先を考えている夜のひと時です。

第57話「鳴動9」加筆校正が終わりました。
このターンは3日間の物語ですが、濃くて長かったですね。
今夜からanotherでのターンになりました、またカラーが変ってくると思います。
こちらは全3話位になるでしょうか?今夜UPした分は、また大幅に加筆校正の予定です。

物語中ではまだ7月、とうとうリアルタイムから3ヶ月もズレてしまい。笑
第58話までが7月、第59話から8月に移り変わる予定をしています。
8月からはキャラクターのフォーメーションも舞台も徐々に変化していきます。
ここから新しい登場人物も複数現われて、新しい人間関係が織られだす時です。

8月登場は特に、2名がメインです。
このうち1名は9月以降は相当絡んでくる予定です、実際は書かないと解からないですが。笑
後々には2名とも関わりは深くなっていくと思います、どちらも設定はほぼ出来ているとこです。

そして、影響力大なキャラクターが作中10月に新登場します。
この人物については以前、こんなキャラクター居たら良いのにとリクエスト頂いたことも。
その方は今も読んで下さっているのでしょうか?だったら嬉しいのですが、どうかなあ?
この10月登場の人物は「遅れてきた主要人物」になるか、そうでもないか?
まだ未知数のキャラクターです、設定はほぼ出来上がっているのですが。
この「彼」を書くのは自分でも楽しみです。

予告編的な深夜の日記でした。



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第57話 共鳴act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-10-24 23:39:15 | 陽はまた昇るanother,side story
今、この瞬間に祝福を



第57話 共鳴act.1―another,side story「陽はまた昇る」

緑が濃くなった。

明方の雷雨に洗われた梢は豊かに煌めき、芝生の一葉ごと露ふくむ。
花々も潤った花弁のびやかに空仰いで、涼やかな樹影の風にゆれている。
静かな家の庭の午後、菜園も雨に耕された土やわらかに草が取れやすい。
畑から引いた草たちを土に埋戻し、ほっと息つくと周太は野菜たちに微笑んだ。

「…ん、みんな大きくなったね?」

翡翠色のレースに似た葉がトマトは美しい。
紫紺に艶やかな茎の茄子は、花も淡い紫とシックに佇む。
蔓をからます胡瓜の花の黄色が可憐で、トマトの花とも似ている。
緑と黄色のズッキーニ、とんがり帽子のようなオクラに、赤と緑のピーマン。
ゆっくり露地で熟した実は鮮やかに瑞々しい、きれいな姿に見惚れてしまう。

…ほんとにきれい、

綺麗な実のひとつずつが嬉しい、この実りに感謝しながら周太は軍手を外した。
鋏を遣い掌に熟した実を摘んで、丁寧に竹籠へと入れては眺めてしまう。
紫、赤、橙、黄色、緑、彩り豊かな実の数々に周太は微笑んだ。

「美代さんのトマト、やっぱりかわいいね?」

感心しながら手に摘んだ、黄色い楕円のトマトが可愛らしい。
他にもオレンジ色に翡翠色と、珍しいトマトが幾つか植えてある。
こうした稀少の品種はどれも美代から譲られた種から、実生で育てた。

―美代さんって、野菜の研究もすごいのに木の事もすごいよね…頭良いんだな、

心裡に感心しながら摘みとる綺麗な実に、いちばんの友人の事を考えてしまう。
明日から1泊で大学の森林学講習でフィールドワークに行く、それが楽しみで仕方ない。
それも仲良しの友達と一緒に行ける、そういう普通の初めてが楽しくて嬉しい。

「…なんか、ゆめみたいだね?」

ひとりごと零れて、周太は微笑んだ。
こうして明るい庭で菜園の手入れをしながら、大学の講義と仲良しの友人を考える。
こんなごく普通の幸せに居ると、ほんの2時間ほど前まで自分がいた場所が遠く思えてしまう。

硝煙の臭いと蒼い煙の術科センター射場。
響く銃声の轟音、掌にかかる金属の重みと発射の衝撃。
そのどれもが遠いこの「今」を愛しく思うのは、警察官として失格かもしれない。
それでも今が幸せなことも本当で、この与えられた温かい時間に周太は素直に微笑んだ。

「ん…明日、楽しみだね?」

野菜籠と軍手を持って立ち上がると、水場へと歩いていく。
足元の芝生をスニーカーに踏む、その足元から緑の薫り立つ。
青々しい香の濃さに季節の訪い告げられる、それでも心は凪いでただ夏に微笑んだ。

…今年の夏は独りじゃないから、ね

心裡のつぶやきに幸せを想う。
確かに夏が来れば異動になって、自由な時間も減るかもしれない。
こんなふうに泊まりがけで実家に帰ることも制限されて、英二とも今まで通りに逢えなくなる。
それは寂しい、けれど去年の夏までは自分のことを想い傍にいる人は、母以外に誰も居なかった。
だから想う、たとえ逢えなくても「傍にいたい」と願ってくれる人がいることは、幸せだ。
そして今夜には逢える、そういう予定がある今が幸せで周太は微笑んだ。

「…英二、何時に帰って来られるかな?」

普通に駐在所の仕事が終わるなら、20時前だろう。
けれど山岳救助隊員の英二は救助要請があれば駈け出していく、そうなれば時間は約束できない。
そして遭難状況によっては夜間捜索にもなって、そうすれば帰ってくることは難しい。

…でも、帰りたいって想ってもらえるだけで嬉しい

帰りたい、そう約束してくれること。
それだけでも充分に嬉しくて幸せで、面映ゆい。
でも出来れば今夜は帰ってきてほしい、異動前に一緒の夜を過ごせるのは今夜が最後だから。

「…献立、どうしようかな?」

考えながら水場で野菜を洗っていく、その飛沫がときおり紺色のエプロンにかかる。
見ると泥も付いているから台所に立つ前に替えた方が良い、新しいのを着ようかな?
あと献立は何時に食べても美味しいものが良いかな?明日の夕食も支度考えないと?
そんなふう考え廻らすのも楽しくて、こういう穏やかな普通の幸せが温かい。

…いま、幸せだ

心からの想い微笑んで、周太は蛇口を止めた。
その最後の一滴に、夏の陽光きらめいて青空うつすと、丸いトマトの赤に弾けた。



窓を開くと梢から風は吹きこんでくる。
涼やかな緑ふくんだ空気が心地良い、頬ふれる風に微笑んで見上げた空は青く明るい。
これなら明日も晴れるだろうか?窓辺に佇んで携帯電話を開くとbookmarkから予報を開く。
そこに表示される神奈川西部の予報に周太は微笑んだ。

「ん…明日も明後日も、良さそうだね?」

ひとりごとに確認して、ふと不思議に思えてしまう。
このサイトはいつも英二のいる山域を見るために使ってきた、それを今、自分のために使う。
いつも通りとすこし違う「山」への想いが不思議で、なんだか面映ゆい。

「…英二も心配するのかな」

心裡が言葉にこぼれて、首傾げてしまう。
いつもは自分が英二の山行を心配して、天気予報やニュースをついチェックする。
山は街中と違って何か起きても自助、自分で自分を援けるしかない。
山は危険も隣り合わせだと、もう何度思い知ってきただろう。

…1月の富士も、3月の雪崩のときも、怖かった…

1月の冬富士で起きた雪崩のなか、英二は遭難救助に立っていた。
あのとき英二は無傷だった、けれど繋がらない電話に最悪の事態を予想して苦しんだ。
それから3月、巡回中に鋸尾根で起きた表層雪崩に英二は攫われて、沢まで滑落させられた。

「…こわかった、」

ぽつん、言葉がこぼれて記憶があふれだす。

あの日、自分は家に居た。
小糠雨ふる庭で白澄椿を見上げて、その花ひとつ舞い落ちるのを両掌に受けとめて。
どこか英二と似た高雅な白い花、それを活けて暫くしたら家の電話が鳴りだした。
そして知らされた英二の遭難事故に、自分は奥多摩へと駆け出した。

…あのとき、よく落着いて行動出来たよね、

本当は泣き崩れたいほど怖かった、知らせを聞いた瞬間から。
それでも自分は婚約者で妻なのだと、伴侶としての責務で心を立て直して。
不安を押えこむよう父に祈りながら着いた青梅駅に、光一は迎えに来てくれた。
そして辿り着いた吉村医師の病院の一室、英二は眠り続けていた。

軽度の凍傷、左足首脱臼、左半身打撲、それから額の左に裂傷と脳震盪。
怪我と疲労からの発熱に失った意識のまま、翌朝まで昏睡状態に英二は墜ちこんだ。
その看病の合間に、英二の母と初めて会った。

―…あなたのせいよ!

悲痛な怒りの声の記憶に、そっと左頬に掌ふれる。
桜貝のような爪の美しい白い手は、思い切りこの頬を叩いた。
痛くて、それ以上に心が傷んで、けれど「これで良かった」と心から嬉しかった。
ずっと彼女の怒りも痛みも受け留めたかった、だから、いつかこの頬を存分に叩かせようと思っていた。
そして「ありがとう」を、自分の大切な人をこの世に生んでくれた感謝を彼女に伝えたかった。

…よかった、英二のお母さんと会えて

卒業式の翌朝、英二は周太のことで母親に頬を叩かれた、そのとき自分も一緒に叩かれたかった。
彼女の怒りを自分自身で受け留めたかった、そして心から「ありがとう」を言いたかった
その全てが叶った春の雪の夜、この記憶と見つめる空は今、夏の青と白い雲に明るい。

「ん、明日の準備しよう、」

今は夏、この季節を迎えた想いは哀しみもある。
もうすぐ異動して、また異動して、少しずつ今の世界から遠のく瞬間は訪う。
それは雪の厳しい夜のよう辛いかもしれない、それでも超えた向こうにはきっと、豊かな季節が待っている。
父を亡くして孤独に沈んだ13年間の先が「今」であるように、この先もきっと明るい。

…明日、メールとか電話とか出来る限りしよう…心配かけたらいけないから

明日からのフィールドワークで登る丹沢山は、電波状況が限定されると聴いた。
それでも携帯電話が繋がる場所があるとWEBで読んだ、そこを通るときに送信すればいい。
あらかじめ文面とか作っておくと良いかな?そんなことを考えながら周太は、登山ザックを開いた。

まず救命救急セットをチェックする。
これは英二に選んで貰った救急法のテキストを参考に買い揃えた。
その中に今回は抗ヒスタミン剤軟膏と絆創膏、メチル系軟膏と消毒用エタノールを2本セットしてある。
ザックの外ポケットにも山ヒル忌避剤とスプレー式の消毒用エタノールを入れた、これらは丹沢に多い山ビルへの対策になる。

山ビルは代表的な吸血性の陸棲種で、日本では秋田県から沖縄県まで広く分布している。
活動期間は5月~10月頃迄となり、特に雨が降っているときや雨上がりなど湿度の高い時に活発化する。
だから今日のような明方の雨後は危険となってしまう、だから明日明後日が晴天続きの予報であることが嬉しい。
それでも装備を固めておかないと山ビルは細かなところから吸血してくる、そのための支度を確認し始めた。

「…あと、手袋と靴下、タオルと帽子も入れたよね?…レスキューシートと、細引きと…」

ひとつずつ声出し確認して、きちんと納めていく。
その最後の1つを手にとって周太は赤くなった。

「これ…明日と明後日、履くんだよね?」

女性用のニーストッキング。
これが一番防止策に良いと光一に奨められて、素直に準備した。
色は黒だけれど、女性ものというのが何となく気恥ずかしい。
けれど山ビルに噛まれてしまうことは困る、そう思うと遣わざるを得ないだろう。
山ビルに吸血された場合、大量の出血と腫れ、かゆみと化膿、まれに発熱もみられる。
回復までに通常なら1~2週間程度、長いと1ヶ月かかり、半年まで長引くケースもある。

「ヤラれないことが大事だね、編目が細かいのを着て山ビルの侵入を防ぐのが一番だよ、」

そう光一は言って、美代と周太にメールで女性用ストッキングの事を教えてくれた。
これと登山用スパッツを履けば万全、そう言われた通りに青木准教授にも美代と話してある。
だから明日の参加者の殆どが同じ装備で来るのだろう、そう思うと何だか可笑しくて周太は笑ってしまった。

「みんな男の人ばかりなのに…あ、女のひとって考えたら美代さんだけ?」

笑いかけて、ふと気がついて周太は首を傾げた。
森林学は山野に入り作業する体力勝負の面がある、その為か公開講座の聴講生も女性は少ない。
今回は学部生と聴講生の混合で10名ほどだけれど、参加者説明会に出ていた女性は美代だけだった。

…そういうの普通の女の子って気にするけど、美代さんは全然気にしてなかったな?

美代は可愛らしい風貌だけれど、内実はとてもタフだと周太は思う。
JAに勤務する傍らで実家と光一の家と両方の畑を手伝い、野菜の栽培研究も自力でしている。
4月に開かれた御嶽神社奉納の剣道大会でも中堅を務めて、ほぼ全勝で1度引分けただけらしい。
美代にはそういう堅実な凛々しさがある、そんな友人の強さが好きだなと嬉しくて、周太は微笑んだ。

「美代さんってカッコいいね?」

なんだか嬉しくて微笑んで、ザックの中身を確認していく。
水筒と携帯用押花キット、防水カバーをかけた登山図とコンパスは外ポケットに入れた。
雨具とヘッドライトは出しやすい所に入れて、替えのカットソーと下着類はパッキングしておく。
それからデジタル一眼レフのカメラを出して、バッテリーのチェックをした。

「ん…充電良いよね?さっき庭の野菜も撮ったから、美代さんに見てもらえるし」

映像チェックもして電源をOFFにすると、元通りザックへ納めておく。
全てのチェックが終わると今度は登山ジャケットのポケットをチェックし始めた。
文庫本サイズの植物図鑑とペン、手帳と行動食の飴はこちらに入れてある。
そうして全てのチェックが終わると、青い本を抱えて周太は立ちあがった。

『樹木の生命―千年の星霜と年輪の軌跡―』

冬2月に青木樹医から贈られた、大切な宝物の本。これを今回も新宿署の寮から持って来た。
ハードカバーの重たい本だから登山には荷物になるだろう、けれどブナ林研究について記されている。
それこそ今回のフィールドワークの目的だから、やっぱり持って行きたい。

…きっと山小屋で読んだら楽しいし、良い復習になるよね

すこし重いだろうけれど、やっぱり持って行きたい。
確かに英二や光一のようには自分は登れない、それでも体力はある方だと思う。
父の軌跡を追うため警察官になろうと決めた、あの幼い日から自分なりに努力して鍛えてある。
それに第七機動隊に異動すれば毎日のよう装備を着けたトレーニングをする、しかも自分は銃火器も携行するだろう。
そう思えば今回もトレーニングも兼ねて、重たい本を背負って登るのは良い事かもしれない。そう考えて持って来た。

…一石二鳥、って言うんだよね?

そんな諺を思い出しながら、部屋の窓を閉じた。
もう時刻は17時になる、けれど青く明るい空はもう夏だと視覚に知らす。
きれいな夕焼けになりそうな空に微笑んで、念のため周太はカーテンも閉じた。
それから屋根裏部屋に上がりカーテンを閉めると、天窓ふる明るい陽だまりの部屋で周太は微笑んだ。

「小十郎、」

頑丈できれいなロッキングチェアーに座る、テディベア。
この父から贈られた大切な宝物を、そっと撫でると周太は話しかけた。

「俺ね、明日は樹医の先生と山に行くんだよ?…昔、お父さんと一緒に新聞で読んだ、植物の魔法使いと森に行くんだ…」

幼い頃の父との会話の、微かな記憶。
あのとき父と何を話しただろう?

…すごく大切なこと話した気がするのに

もどかしい靄の向こうに、まだ言葉は眠って目覚めてくれない。
必ず切欠があれば記憶は蘇える、そう吉村医師は言ってくれた。
だから、いつかこの会話も思い出せるだろうか?

「小十郎?俺、思い出せるよね…お父さんと話したこと全部を取り戻したいんだ、」

そっと本音を語りかけ、青い本を片手にテディベアの頭を撫でる。
このクマは多忙な父の身代わりとして贈ってくれた、その為かふれる毎いつも温かい。
そして話しかけた望みを聴いてもらえる気がする、そんな気持ち微笑んで踵を返すと梯子階段を降りた。
そのまま廊下に出ると隣の扉を開く、ふわり甘く重厚な香が頬撫でて、書斎机の写真に周太は微笑んだ。

「お父さん、」

写真立ての笑顔に笑いかけて、書斎椅子に座りこむ。
青い本を机に載せて見つめた写真は、すこし寂しげでも綺麗な笑顔は幸せに優しい。
この写真は母が撮ったものだと聴いている、だからこの笑顔は母に向けた想いの結晶だろう。
いま傍らにゆれる薄紅いろの撫子も、母が父の為に活けた花。こんなふうに両親は今も想い合っている。
そんな両親が子供として嬉しい、この幸せ見つめて周太は両掌で頬杖つくと、父の笑顔に笑いかけた。

「お父さん、やっとゆっくり話せるね?…あのね、この間は俺、葉山に行ったんだよ?英二のおばあさまに会ったんだ…」

葉山に行ってから、こうして話すのは初めてになる。
あれから一週間ほど考えてきたことに、静かに周太は微笑んだ。

「ね、お父さん?英二のおばあさまと、うちのお祖母さんは親戚だよね?」

英二の祖母、顕子の涼やかな切長い目。
あの眼差しと今、見つめている父の目を重ね合わせてしまう。
明るい海の光ふる部屋で過ごした、楽しい記憶に周太は微笑んだ。

「おばあさまの目、お父さんとそっくりだったよ?…おばあさまね、お祖母さんとお父さんも似てるって教えてくれたんだ。
だから英二はお父さんと似てるんだね?…英二の目は睫が長くて華やかだけど、おばあさまの目とよく似てる、お父さんともね。
でもね、おばあさまも英二も何も教えてはくれないの…それでも、お祖父さんやお祖母さんや、お父さんの話を沢山してくれたよ?」

空中庭園に続く明るく上品な部屋。
香り高い紅茶と優しい手作り菓子、それから可愛い猫と犬。
あの楽園のような時間に見つめていた想いを、ひとつずつ周太は言葉に変えた。

「俺にね、おばあさまって呼んでねって言ってくれたんだ…それから謝ってくれたの、知らなくて、何も出来なくてごめんねって。
きっとね、お父さんとお祖父さんが亡くなった時のこと謝ってくれたんだよ?…きっと、親戚なのに何も出来ないことを謝ってた。
お父さん、どうしてイギリスに行った後は連絡するの止めちゃったの?…おばあさまのこと、お父さんも大好きだったんでしょう?」

どうして?
この謎の答えは、まだ何も解らない。
この謎の為に英二も顕子も親戚であることを黙っている、そんなふうに想う。

「お父さんもお祖父さんも連絡するの止めた理由、おばあさまと英二は知ってるんでしょう?…でも俺には何も教えてくれないの。
ね、お父さん?この理由のために親戚だってことも黙ってるんでしょう?…俺が知ったら困るから、言わないでいるのでしょう?
だってお父さんも、お祖父さんやお祖母さんのこと教えてくれなかったよね?お祖父さんが大学の先生だったことも言わなかった」

なぜ?

どうして父は祖父たちのことを一切話さなかったのだろう?
この「話さない」にも父の理由がある、そう解るけれど周太は口にした。

「でも、本当に俺は知らないままでいてもいいの?…この家のことは俺自身のことだよ、自分のことから逃げるなんて出来ないよ?」

そう、逃げることなんて出来ない。

だから自分は父の軌跡を追う道を選んだ。
あの春の夜から見てしまう父の最期の夢、その苦しみに向き合う為に今を選んだ。
父の軌跡を追う事で父の死と向き合っていく、そう決めた後に悪夢は減っていった。
だから思う、事実に目を逸らしても不安に傷つくだけ、だったら向き合って傷つく方がずっといい。

「お父さん、内緒にすることで俺のこと護ってくれようとしたんでしょう?英二もそう、おばあさまも同じだよね?
みんな俺のこと本当に大切にしてくれてるよね、でもね…きっと運命ってものが有るのなら、自分で超えないとダメだと思うんだ」

もし、運命なら逃れられない。
そう自分は知っている、あの哀しい夢にそう教えられたから。
だからこそ、この家の事実に目を逸らしたまま生きることを、肯定なんて出来ない。
この想いのまま正直な告白に、周太は父の写真へと笑いかけた。

「お父さんの亡くなる瞬間の夢をね、ずっと俺は見ていたんだ…お父さんと同じ警察官になろうって決めるまでずっと。
警察学校に入った後も見たことあるよ?…いつも夢に見た後はトイレで吐いて独りで泣いていたんだ、ずっと、去年の春まで」

繰返し幾度もリフレインする、父の最期。
響く銃声の轟音、蒼い硝煙の影と射すような火薬の臭い。
桜の花ふる夜の底、深紅に染められた父の最期の微笑と冷たい掌。

現実には見ていない父の最期、それでも現場に居たよう見えてしまう。
あの夜に新宿署の検案所で見つめた遺体の姿、家の仏間に寄添った白無垢の父。
あの哀しい映像たちが夢にも何度も現れて、いつも焦燥感と哀しみに胸は潰され、泣きながら吐いた。
胃の中のものが無くなっても嘔吐は収まらなくて、そのたび元から弱い喉が裂けて吐血した。

…いつも苦しくて痛くて、哀しかった…ずっと、

けれど、それが終わりになった時がある。
その時への想いに首筋へ熱が昇りだす、この温もりに周太は微笑んだ。

「でもね…英二が隣で一緒に寝てくれるようになってから、夢に見なくなったの…初任科教養のときの最初の時から。
英二が脱走しちゃって俺のとこ来てくれて…あの日から毎晩みたいに隣に居てくれるようになったでしょ?勉強して朝まで、ね」

気恥ずかしいけれど、これは本当のこと。
このことは不思議だと思っていて、まだ英二にも話していない。
けれど、父の夢がなぜ英二によって終わったのか、もう理由が今は解かったように思う。

「お父さん…英二が一緒に居てくれるようになって夢が終わったのって、お父さんと英二が本当に似ているからでしょ?
身代わりとかじゃなくて、同じもの持ってるんだよね?…ふたりのこと俺は大好きで、安心して甘えられるのも同じだからで、」

なんだか巧く言えない、けれど解かっている。
この想いそのままを周太は言葉に変えて、綺麗に微笑んだ。

「お父さんも英二も大好き、愛してるよ…だからね、俺、二人と同じ世界を見つめたいんだ、だから信じて一緒に背負わせて?」

ふたりとも本当に大切なひと。
ふたりとも本当に自分を護ろうと命を懸けてくれる。
だからこそ自分も護りたい、どうか自分を信じて一緒に背負わせてほしい。

「ね、俺、一緒に背負える位に強くなるから、だから信じてね?…お父さん、見守っていて?」

どうかこの我儘を訊いてほしい。

本当に自分は我儘の泣き虫で弱虫、けれど愛している。
だから強くなれるはず、ふたりが自分を愛して強く護ってくれるように、自分も出来る。
そう信じてほしい、どうか自分も信じて努力するから一緒に世界を見つめさせて?
そんな願いのままに瞳の奥に熱が昇って、静かに涙ひとすじ零れ落ちた。

「お父さん…もう、何も知らないで置いて行かれるの嫌だよ?…英二とは一緒に生きていたい、だから一緒に見つめさせて?」

静かな涙の向こう、母の活けた撫子の花翳に、父の笑顔は綺麗に見つめてくれる。





(to be continued)

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秋の陽に@お知らせ他

2012-10-24 11:52:17 | 雑談
光躍らす風は、



こんにちは、秋晴れ清々しい神奈川です。昼休憩に失礼します。
写真は週末に近場の河原にて。尾花の美しい季節になりました、仙石原@箱根など行きたくなります。
仙石原の薄野はホント美しい、特に、午後の陽光はえる穂波は銀いろの海です。
でも休日は道選択を誤ると激混みな箱根です、笑

朝一UPの「secret talk10 七夕月act.4」加筆校正が終わっています、第57話「鳴動」5と6の幕間です。
川崎の庭でのワンシーン、夏の朝に見つめる宮田の記憶と「今」の幸せの瞬間の物語。
昨夜UP第57話「鳴動9」このあと加筆校正ちょっとします。
で、夜は第57話の湯原サイドをUP予定です。

週中の水曜日、今日を超えると週末の雰囲気がイイなあ。など考える正午前。
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secret talk10 七夕月act.4―dead of night

2012-10-24 04:19:33 | dead of night 陽はまた昇る
朝、幸せの時に



secret talk10 七夕月act.4―dead of night

朝露が下駄ばきの素足に触れる。

湯に火照った肌ふれる冷たい雫、暁の風すずやかに頬撫でる。
夏の朝、緑深い芝生に木洩陽ゆれる、豊かな梢ふる空気が清々しい。
露ふくんだ花々も庭に夏を彩らす、その瑞々しい花に微笑んでカットソーの腕が指さした。

「見て、英二…朝顔が咲いたよ?すいかずらも咲いてる、」

うれしそうに笑って青と白い花の東屋に歩みよる、その掌をそっと指に包んだ。
繋がれた掌に振り向いてくれる、淡いブルーの衿元のびやかな首筋が薄紅いろに染まっていく。
ほら、こんな手を繋ぐだけでも恥ずかしがって赤くなる?

「周太、周太のうなじも花が咲いたみたいだね。恥ずかしがってくれるんだ?」

恥ずかしがりが嬉しくて、つい訊いてしまう。
聴かれて、尚更恥ずかしそうに周太は俯いた。

「ん…なんか赤くなりやすいよね、俺って…変?」

そんな貌で「変?」って聴くなんて可愛い。

こんなとこ本当に大人に見えない、羞み屋の美少年がここにいる。
こういう恋人にまた嵌ってしまう自分が幸せで、思ったまま英二は微笑んだ。

「変じゃない、可愛いよ?恥ずかしがりの周太が大好きだよ、でも昨夜はあんなに大胆で色っぽかったのにな?」

言葉に尚更また赤くなる、昇らす紅潮が耳から頬へと広がりだす。
ほら、また真赤になってくれる。可愛くて嬉しくて笑った英二に、困ったよう恋人は口ごもった。

「…そういうこといわれるのはずかしいから…まっかになるとこまるから」
「困らないで良いよ、周太?」

笑いかけて、掌繋いだまま抱き寄せる。
抱き寄せたまま素直に懐へ頬よせてくれる、その仕草が愛しい。
ワイシャツ透かす頬の温もりが優しくて、幸せで英二は黒目がちの瞳を覗きこんだ。

「大胆な周太も好きだから、困らないで?昨夜は俺、気持よすぎて腰ぬけそうだったよ。またしてくれる?」

ほら、薄紅の貌が困りだす。

驚いたよう黒目がちの瞳で見つめて、長い睫が伏せられる。
暁の光おどる睫に陰翳こぼれる、優しい艶が眼差しに生まれだす。
羞んで竦んでいる清楚な色香、淑やかな恋人の純真が愛しくてまた恋をする。
途惑って何も言えない唇が可愛くて、そっと唇かさねて口づけた。

―やわらかい、周太

やわらかな唇ふれて、そっと唇で包みこむ。
すこし厚めの唇は果実か蕾のようで、またキスしたくなる。
ふれるオレンジの香があまく爽やかで、幸せな香と甘さに惹かれるまま離れられない。

このままずっと抱きしめてキスを交わしていられたら?
そんな叶わぬ望みに微笑んで、そっとキスを解いた。

「周太のキスは甘いな?今朝ものど飴、もう食べたんだ、」

朝、起きて口を漱ぐと周太はのど飴を口に入れる。
そんな習慣も今はもう知っている、それくらい朝を共に過ごしてきた。
もう何度一緒に朝を見てきただろう?いま積み上げてきた幸福な朝を想いながら、もう一度キスをする。
ふれるだけですぐ離れた唇は、気恥ずかしげに微笑んで尋ねてくれた。

「ん、朝はね、すこし喉が痛くなるから飴がほしくて…嫌だった?」

嫌なわけなんか無いのに?
いつも遠慮がちな恋人に少しもどかしくて、けれど愛しくて英二は微笑んだ。

「嫌なわけないだろ?この香、好きだよ。オレンジと蜂蜜が甘くて、幸せで切なくなる、」

香の記憶に正直な想いを告げて、そっと腕をほどく。
掌は繋いだままカットソー姿を見つめた、その視界で恋人は不思議そうに首を傾げた。

「ん?…切なくなるの?オレンジとはちみつの飴…」

どうして?

そう訊いてくれる黒目がちの瞳が純粋なまま見つめてくれる。
こんな眼差しに本当のことを言ったら、なんて想ってくれるだろう?
知りたくて、正直に英二は香の記憶を口にした。

「初任科教養のとき。いつも周太の部屋に俺、朝まで入り浸っていたろ?それで一緒に寝てるとき、いつもこの香がしてたんだ。
いつも勉強したまま周太が先に眠って、俺が抱っこして寝かせてさ。そうすると寝息が近くて、あまい香が俺の唇にふれるんだよ。
朝、起きたときも俺のほうが早く目が覚めるから、いつも周太の寝顔を見つめてたよ。それで朝も香が唇ふれて、我慢していたんだ、」

去年の春も夏も、夜毎朝ごとに想っていたこと。
その想いを素直に英二は恋人へと告白した。

「俺、いつもキスしたいの我慢してた。この香に誘われてキスしそうで我慢してたよ?周太を好きだからキスしたかった、
だから切なくなるよ、我慢が哀しかったこと思い出すから。傍にいられるの幸せで、だけど片想いで苦しくて切なかったんだ、」

去年の今頃は、もう恋愛なのだと自覚していた。
出逢った春3月の彼岸桜の時、あのときから惹かれて、ずっと見ていた。
そして夏の驟雨に籠められた、あのベンチに見つめた横顔に想いは微笑んだ。
あのとき横顔を振り向かせたくて、けれど出来なくて切なくて、それでも今は目の前に居てくれる。

―今、幸せだ

素直な想い心に微笑んで、今この目の前の恋人を見つめている。
あと2時間ほど後には離れてしまう、それでも今この瞬間の幸福が嬉しい。
振り向かせられなかった春と夏、あのときを想えばこれからの別離の季節すら、心繋がれている幸せがある。

けれど今はただ、この瞬間の幸せだけ見つめていたい。
この今に微笑んだ英二に、恥ずかしがり屋の恋人はそっと訊いてくれた。

「…ずっと、そう想ってくれてたの?去年も…学校のときも?」
「うん、想ってたよ、」

正直なまま答えて、またキスをする。
ふれるオレンジの香が切なくて幸せで、泣きたいほど想い募らす。
こんなキスが出来る自分は、本当に幸せなのかもしれない?そんな想い微笑んで静かに唇はなれた。
離れて見つめた瞳に幸せが映って嬉しくなる、そう見つめる先で恋人の唇が、そっとつぶやいた。

「……ったのに、」

いま、なんて言ったの?

ちゃんと聴きたい、もう一度言ってほしい。
そう想って見つめたけれど恋人は気恥ずかしげなまま微笑んだ。

「ずっと、ありがとう英二…ね、すいかずらを吸ったことある?」
「え、」

さっき言ってくれたことと違うよね?
聴きたかったのに違うことしか言ってくれない、その意外に恋人を見つめてしまう。
けれど黒目がちの瞳は微笑んで、そっと手を曳いてくれると東屋に歩みよった。

「この白い花がすいかずら…忍ぶ冬って書くんだ、冬も緑の葉っぱがきれいだから…金と銀の花っても書くの、白から黄色に変るんだよ」

薄紅の頬のまま教えてくれながら、優しい指が白い花をふたつ摘んだ。
摘んだ花にふくらかな唇ふれて、それから恋人の指は英二の唇に花をよせた。

「すってみて?…あまいから、」

そっと白い花ひとつ唇にふくませ、優しい指が離れていく。
もう片方の花を周太も口ふくんで、それからまた教えてくれた。

「ふたつずつ一緒に咲く花なんだ…だから花言葉もそういう言葉」

どんな言葉?

そう目だけで訊きながら唇の花を吸ってみる。
唇からひろがる甘みに微笑んだとき、薄紅の貌は恥ずかしげに答えてくれた。

「ん…あいのきずなっていうんだ…それでおとうさんはおかあさんとけっこんしたときうえたっていってた、よ?」

花言葉に、ふたつの花を摘んで唇ふくんだ想いが優しい。
あまくなる唇、見つめる想いごと甘く酔わされて英二は恋人を抱きしめた。
ずっとキスしたかった、あのころの記憶と想いのまま花をふくんで、恋人に口づけた。

「…ぁ、」

ちいさな吐息にオレンジの香こぼれだす。
あまい白い花、くちづけ交わす甘い香とキスの想い、そして切なかった春と夏の夜と朝。
この今の瞬間を連れてきた時の全てが切なく愛しくて、腕のなかのひとが恋しい。

どうか、いつかこの朝が日常になってほしい。
毎日を今の瞬間に過ごして、毎夜に隣りで過ごせる普通がほしい。
キスを交わす夜と朝、その瞬間が「いつもどおり」だと厭きるほど一緒に居られたら?

「周太、ずっとキスしていきたいよ?だから必ず俺の嫁さんになって?約束してくれるなら、名前呼んでキスして、」

離れたキスに微笑んで、今この朝にも約束を繋いで?




(to be continued)

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第57話 鳴動act.9―side story「陽はまた昇る」

2012-10-23 19:11:55 | 陽はまた昇るside story
動く時へと、



第57話 鳴動act.9―side story「陽はまた昇る」

窓は青空を映しだす。
車窓の景色が川を越え、市街地は山嶺の街へと移っていく。
晴れた空と稜線の影を見つめる横顔に、運転席からテノールの声が笑った。

「おまえ、マジでばれなかったね?その拳銃、」
「うん、」

微笑んで英二は肩越しに後部座席を見た。
そこに置かれた自分のビジネスバッグには、晉の拳銃が入っている。
いま自分の救命救急セットのケースに眠る戦闘用銃、それの現況について英二はパートナーに教えた。

「分解してから個別カバーして救命具のケースにしまえば、医療器具に見えるだろ?これなら衛生面の問題あるからチェック少ないよ、」

自分は山岳救助隊員、応急処置を主担当し警察医の助手も務めている。
こうした立場の自分が救命救急の機材を持っていても、誰も不思議に思わないし器具カバーの入手も疑われない。
もし金属探知機で引っ掛ったとしても「医療器材」という衛生上の理由から、開けて見せろとまでは言い難いだろう。
半世紀も前に葬られた拳銃が無傷とは思っていなかった、けれど念のためカバーを準備しておいたのが役に立った。
そんな考えに昨夜は夜中の書斎で分解作業をした、おかげで幾分かの寝不足に小さく欠伸した英二に、光一は笑ってくれた。

「なるほどね?おまえ、その作業を昨夜はヤってたんだ、寝たの遅かっただろ?」
「でも3時には寝られたよ、だから大丈夫、」

答えながら笑いかけて、「大丈夫」じゃないことを英二は思いだした。
いま隣の運転席で上機嫌でいる光一、その横顔に英二は口を開いた。

「光一、あんまり内山のこと虐めないでやって?今日、ちょっと見てらんなかったよ、」

昼間の講義中、内山は真赤にさせられた。
本庁の会議室で何十人もの衆目のなか、あれでは可哀想だろうに?
そんな想いに提案したけれど、底抜けに明るい目は視線をこちらに流し、温かに笑んだ。

「アレで良いんだよ、だって可哀想だろ?彼みたいなエリートくんが、ホモになっちゃったら大変だね。いま俺で懲りた方が良い、」

内山は、光一に淡い恋愛を抱き始めている。
きっかけは今月初め、同期に光一も混ざった8人での飲み会だった。
あのとき「テスト」のために光一が色仕掛けの冗談で転がした、それの予想外の影響が「内山の恋」でいる。

―あの内山が、なあ?

本当に「あの内山が?」と思ってしまう。
信じられないけれど、今日の態度も露骨な位で痛々しいほどだった。
初任科教養のとき内山は、同期の女性警官と騒動を起こしている。だからノーマルだと思っていたのに?
この予想外の現実と、けれど逆にそれがチャンスになる可能性を考えながら、英二はパートナーに笑いかけた。

「内山がゲイになる可能性、光一も考えたんだ?」
「そりゃね?俺、そういう誘いも多いしね、」

さらっと言われた答えに、横顔を見直した。
機嫌良くカーステレオを聴きながらハンドルを捌く、その貌はいつも通り飄々と明るい。
悪戯っ子のような老成した仙人のような表情、けれど端正なエリート風の美貌を魅せる貌に英二は尋ねた。

「光一、ゲイにもモテるんだ?」
「ゲイじゃない男にも誘われるよ。俺って色っぽい美形だからさ、男でもソソられちゃうんじゃない?おまえもだろ?」

おまえもだろ?そう指摘して白い指が英二の額を小突く。
言われて素直に英二は微笑んだ。

「うん、光一にはそそられるな。でも俺、おまえの外見も好きだけど、おまえ自身はもっと好きだよ。」
「そ?ありがとね、英二、」

軽やかに応えて嬉しそうに笑う、その横顔も楽しげでいる。
フロントガラスの向こうを見つめる笑顔は明るい、けれどテノールの声は淡い哀しみに微笑んだ。

「周太、樹医になること忘れていなかったんだね、通夜の直前までは、」

さっき蒔田に聴いたばかりの、馨の通夜が始まる前の周太との会話。
9歳の周太が蒔田と交わした会話は、優しい穏やかな気性らしい言葉が温かかった。
父を亡くした直後でも周りに優しかった周太、そんな幼い少年の温もりを壊した残酷な存在がいる。

―赦せない、

静かに心へ熾火が燃える、また怒りを見つめ確認する。
けれど、その想いは隠して英二は静かに微笑んだ。

「うん、ちゃんと覚えていたんだな。お父さんの為にも樹医になろうって決めたなんて、周太らしいな、」
「だね、」

短く頷いて、ふっと黙りこむ。
この沈黙にも光一の想いが解かってしまう、その隠した涙に英二は笑いかけた。

「あのころの周太、冬に光一と会えたから自信を持てたんだよな。だから樹医になろうって決められたんだと思うよ?
お父さんの日記だと、光一に会ったすぐ後なんだ。新聞で樹医の記事を読んだ周太が、樹医になりたいって言いだしたのってさ、」

言葉に、運転席で小さなため息こぼれだす。
すこし微笑んだ横顔に英二は、自分が知った限りを話した。

「でな、夢を忘れずに叶えてほしいって言ったお父さんに、周太は約束したんだ。忘れんぼだから忘れるかもしれないけど絶対思い出すって、」
「ふっ、」

運転席で噴きだして、テノールの声が笑いだした。
朗らかな笑い声を響かせて、可笑しくて堪らない貌で光一は言ってくれた。

「忘れちゃう前提だったんだ、周太?あははっ、周太らしいかもね、でも絶対思い出すって可愛いな、」
「だろ?それで周太、本当に今、また樹医のこと考えてるだろ?お父さんとの約束は、まだ思い出せていないけどね、」

答えながら英二も一緒に笑って、車窓越し西の空を見た。
相変わらず晴れている、この天候に微笑んだ横顔にテノールの声が尋ねた。

「おまえ、後ろからも日記、また読んでみたんだ?」
「うん、」

馨の日記は最後のページだけ先に読んだ。
けれど哀しすぎて最初から順に読み始めている、でも今は方法を変えた。
このことに英二はありのまま口を開いた。

「お父さんが亡くなる前の記録を知りたいって思ったんだ、だから前からと後ろからと、同時に今は読み進めるようにしてるよ、」

もう時が迫っている、だから急ぎたい。
あの14年前の瞬間を惹き起した要因、その全てを10月を迎える前に知る方が良い。
そう考えて今の読み方にした、この意志にパートナーもすぐ理解と笑ってくれた。

「そっか、ラテン語にも慣れたんだね?だったら急いだ方が良いな、9末までにはってとこだろ、」
「うん、出来たら七機に行くまでに終わらせたいんだ。保管場所のことがあるから、」

第七機動隊に異動すれば、隊舎の寮に入ることになる。
そこにはどんな人間が出入りするか解らない、その考えに光一も頷いた。

「あいつらのお仲間いる可能性、高いもんね?そしたら元の場所に戻すんだ、」
「そのつもりだよ。あそこなら俺の鍵でしか開けないから、いちばん安全だろ?」
「だね、まあ根詰めすぎるなよ?体も大事だからね、遠征訓練もあるしさ、」

気遣ってくれる言葉が温かい、そしてもう1つの世界を示してくれる。
この明るい世界への言葉に英二は、アンザイレンパートナーに笑いかけた。

「マッターホルン、もうじきだな?8月からの予定は変わるかもしれないけど、これは登りに行けるな?」
「だよ?あーあ、異動したらソレが困るよね?ま、予定変更ナシで行けるよう俺も根回しするよ、」

第七機動隊に異動したら、今まで通りに訓練の日程が取れるのか解らない。
それでも海外の訓練は、警視庁山岳会全体のチーム構成だから予定通りに行けるだろう。
けれど国内については解からなくなる、このことは正直痛い。
でも約束はしておきたくて、英二は綺麗に笑った。

「俺も努力するよ、今度の冬も雪山に行こうな?冬富士も登りたいよ、最高峰で笑おう、光一」
「だね、この国の天辺で笑ってやりたいね?あいつらのことも、これからの事もね、」

からり笑って光一の顔が明るくなる。
いつもの底抜けに明るい目は楽しげに笑って、山のことを話しだした。

「明日は越沢で訓練したいね?白妙橋もいいな、壁をしばらくヤルよ。ホントは滝谷とか三スラ行きたいけど、時間難しいかね、」
「一日、なんとか一緒に休み取れたら行けるだろうけど、岩崎さんに悪いしな?近場で本数攻める方が良いかもな、」
「だね?タイムレースで数本、キッチリやっておこっかね、あ?」

話しながら光一が声をあげ、英二のポケットに視線をくれる。
そのとき英二の携帯電話がポケットで振動し始めた。

「ほら、メール。周太じゃない?」
「うん、ありがとな、」

笑って携帯を取出し画面を開く、そこに2通のメールが入っていた。
すぐ開封すると待っていた送信人名が表示されて、英二は微笑んだ。

「当たり、周太だ。今、新宿に戻って美代さんと別れたところだって、」

いま15時半、このあと周太は当番勤務に入ることになっている。
元から申請してあるとはいえ、少し遅れての出勤だから周太の性格では急いているだろう。
それでも忘れずにメールを送ってくれたのが嬉しい、嬉しくて笑った隣で光一も笑ってくれた。

「そっか、無事でよかったよ。さぞ楽しかったんじゃない、ふたりとも?」
「うん、そんな感じだな。夜明けのブナ林を見に行ったらしい、ふたりとも元気だな、」
「昨夜もちゃんと寝たのかね?お喋りしちゃって、起きっ放しだったんじゃ無きゃいいけどね、」

可笑しそうに笑いながら白い手でハンドルを捌いていく。
機嫌の良い横顔は愉快げでいる、英二は次のメールを開封しながら訊いてみた。

「美代さん、昨夜は疲れてなかったんだ?」
「だよ。美代ってね、ああ見えてマジでタフだからさ。4月も剣道の試合、見ただろ?デカい相手でも美代は絶対に怯まないね、」

春4月の御嶽神社奉納試合、あのとき美代は御岳の剣道会で中堅を務めた。
急に自分も参加した試合が懐かしい、可憐で強健だった剣士姿の記憶に英二は微笑んだ。

「美代さんは本当に強いな。可愛いのに強いとこ、周太と似てるから気も合うんだろうな、」
「だろ?あのふたりは似てるよ、結局のトコ楽天的でさ?ノンビリ屋の根明で強いから、その分余裕があって優しいんだよね、」
「うん、そうだな?そう言えば内山も似てるって言ってたよ、美代さんと会った後、」

初任総合の外泊日、内山は美代と周太と一緒に過ごした事がある。
周太たちの大学の講義の後に待合せて、茶を飲んだと言っていた。
だから美代も内山を知っている、そのことに思い至って英二は考え込んだ。

―美代さん、内山が光一を好きだって知ったら、どう思うかな?

幼馴染で姉代わりとして、光一をいちばん近くから見ていた美代。
彼女なら光一と内山のことへと、どんな見解を示してくれるだろう?
聡明で実直な彼女なら、こうした相談も真直ぐ受けとめてくれるだろうと思える。
いちど相談してみようかな?そんなことを考えながら何げなくメール画面を見、英二は軽く息を呑んだ。

「あ、」

内山からメールが入っている。
想定外に思わず声が出た、けれどよく考えれば予想出来ることだろう?
さっと考え廻らせた隣から、テノールの声は何気なしに訊いてきた。

「なに、変な声出して。何かあった?」
「あ、手帳のこと話してないなって思い出してさ、」

別件を口にしながら、英二は携帯電話を閉じて胸ポケットに仕舞った。
別に気にする風も無く光一は、いつも通りに微笑んだ。

「周太のオヤジさんの手帳だね、解読とか終わったんだ?」
「うん、全部じゃないけどな。でも『v.g』の照合は終わったよ、」

“v.g”

馨が遺した手帳には、このアルファベットが3月のスケジュール帳に2ヶ所綴られている。
1ヶ所は彼岸の頃、もう1ヶ所は月末近い桜の頃。この2つとも同じ日付を日記帳でも確認した。
そこに綴られているラテン語たちは“v.g”の意味を示す、それについて英二は口を開いた。

「手帳に『v.g』って書かれている日と日記帳を照合したんだ、この2つに共通する単語は『visita gravem』墓参り、って意味だ。
でも3末の方には『visitacion gravem』重たい面会って単語があったんだ。それから『expiationum』贖罪って言う単語と、もう1つ。
『Peccatum quod est non dimittuntur』赦されない罪っていう意味だ。この3つの言葉で3月末の墓参りが誰の墓か、予想付くだろ?」

墓参、そして、重たい面会、贖罪、赦されない罪。
この単語から想起される事実の裏付けを自分は探している、この予想される事実へと光一が溜息を零した。

「それ、オヤジさんが狙撃した犯人の命日だね?」
「たぶんな、他の月にも同じように2つ書いてあったよ。家族の命日とかじゃない日に、」

ありのままを答えて英二は微笑んだ。
この3月末の数日後に美幸と出逢ったのだろう、そんな馨の春は悲喜が廻っていた。
もう四半世紀ほど過去の日を思いながら、英二はアンザイレンパートナーに協力を仰いだ。

「この3つの日について新聞記事を検索したら、確かに該当する事件があるんだ。でも裏付けを取りたい、光一に頼んでも大丈夫か?」

裏付けを取る、それは直接に「担当部署」のファイルを覗くこと。
おそらく秘文書があるはず、そんな予測を察してパートナーは微笑んだ。

「もちろんだね、これから一緒に御岳駐在に出る?それとも明日のが怪しまれなくってイイかね、」

気楽に頷いて提案してくれる。
少し考えて英二は、今後の考えを話した。

「明日の方が良いな、それで俺にもハッキング教えてくれる?8月から光一は七機でいないだろ、だけどその間にも調べておきたいから、」
「なるほどね?だったら明日のが良いよね、岩崎さん留守だし。警務部の事も調べるんだろ?」
「当たり、よろしくな、」
「こっちこそね?一発で全部を覚えてもらうから、よろしくね、」

底抜けに明るい目を悪戯っ子に笑ませて、了承してくれる。
そのフロントガラスはもう一般道に降りた、見慣れた街の景色をハンドル捌きながらテノールの声は可笑しそうに笑った。

「おまえみたいな堅物くんが、ハッキングまで手出しするなんてね?蒔田さんの話聞いて余計にキレちゃったんだ、」

確かに光一が言う通り、そこまで自分がするなんて自分でも意外だ?
けれどこんな意外もなんだか楽しくて、英二は綺麗に微笑んだ。

「たしかに俺は堅物だけどさ、危険な事も大好きだよ?」

自分で言った言葉に、ふと数ヶ月前の記憶がひっかかる。
なんだろう?そう首傾げかけた脳裡へと姉の言葉が思い出された。

―…あんたみたいな危険を愛する男に、きちんと手綱つけて向き合ってくれる相手は貴重よ
  しかも英二は恋愛不感症じゃない?そんな英二が、こんなに惚れ込める相手なんて、もっといないわよ?

確かに姉の言う通りだな?
そんな納得に我ながら可笑しい、あのとき姉は周太のことを言ってくれた。
けれど今、ここにもう一人の貴重な相手がいてくれる。こういう自分は幸せだろうな?
そんな自覚に微笑んだ頬を運転席から白い指に小突かれた。

「マジ、おまえってアブノーマルだよね?俺なら自分もソッチ系だからイイけどさ、周太は違うんだからソコントコ考えなね、」
「そうだな、気を付けるよ、」

答えて笑いかけた隣りの向こう、車窓の風景が減速して止まる。
そうして見慣れた駐車場に着いて、英二は助手席の扉を開いた。

「光一、巡回とか気を付けてな?俺は診察室に居るから、救助とかあったら連絡そっちでもいいよ、」
「了解、また夕飯にね、ア・ダ・ム、」

からり笑って白い手の投げキスすると、光一は御岳へと四駆を向けた。
見慣れた車体を見送って、踵返すと英二は青梅署入口を潜った。



保管に警察手帳を返却して寮に戻ると、スーツを脱いでスラックスに履き替えた。
この後すぐ診察室の手伝いに入るから、ワイシャツとネクタイはそのまま着替えない。
念のため登山ザックの中身をチェックして救助要請に備え、それから英二は救命救急ケースを開いた。
整然とセットされた器具や包帯類が並ぶ中、拳銃のパーツは各々ケースに隠され違和感なく納まっている。
拳銃の分解されたパーツと似た器具ケースを予め調べて買っておいた、それは巧く全てに填まっている。

―どうやって保管し続けるか、だな

心裡に呟いて、すこし考える。
下手な場所に置いておくのは危険、そう考えた方が良いだろう。
この拳銃の存在は自分だけの問題にとどまらない、間違えば周太どころか美幸も巻きこんでいく。

「…俺だけの問題にするには、」

ひとりごと微笑んで、ケースをそのまま閉じた。
むしろ自分が持ち歩く方が安全、そう考えた方が良いだろう。
ここも警察署独身寮である以上は何があるか解らない、それは第七機動隊に行けば尚更だろう。
ならば自分の目が届かない場所で発見されるより、自分が所持している方が幾らでも対応の仕様がある。
そう決定するとビジネスバッグに普段どおり救急法ファイルとケースを一緒に納め、ペンを胸ポケットに挿して扉を開きかけた。

「あ、メール、」

思わず呟いて、開きかけた扉を閉じる。
鞄を持ったままポケットから携帯電話を出すと、受信ボックスからメールを呼びだした。
そして開いた受信メールの内容に、困り顔で英二は微笑んだ。


From  :内山由隆
subject:無題
本 文 :お疲れさま、今日は助け舟ありがとう。勉強不足を反省したよ。
     近々、時間作れるか?聴いてほしいことがあるんだけど、電話だと言い難い。
     忙しいのに悪いけど、頼む。

     国村さんは俺のこと嫌いだろうか。


最後の一行が、一番聞きたいことなのだろうな?
そんな察しをつけながら電話を閉じると英二は廊下に出た。
足早に歩いていく、その途中に談話室で藤岡が先輩たちと愉しげに話していた。

「お、宮田。お帰り、講習会おつかれさん、」

気がついて人の好い笑顔を向けてくれる。
いつもどおり温かい気楽さに、ほっと寛いで英二は歩きながら笑いかけた。

「ただいま、藤岡。あとでコーヒー来る?」
「うん、行きたいな。国村も来るんだろ、6時半で良い?」

いつもの時間で確認してくれる、こんな習慣がなんだか嬉しい。
けれど8月になれば光一は異動し、9月には自分もここから去る。
そんな寂しさを肚の底に今は沈めこんだまま、英二は綺麗に微笑んだ。

「ああ、その時間で良いよ。そこまでには仕事、終わるから、」
「帰ってきて早々、大変だな?これから俺も道場に行くんだ、また後でな、」

からっと笑って稽古着を示して、気楽に笑ってくれる。
この明るい柔道家の友人に笑いかけて、英二は廊下を急いだ。
そうして一昨日と同じ扉の前に立ち、ノックと声をかけて開いた。

「失礼します、遅くなって申し訳ありません、」

声に、白衣姿のロマンスグレーがデスクから振向いてくれる。
机上には山ヤの医学生が綺麗な笑顔ほころばす、その写真へ心で会釈した英二に吉村医師は笑ってくれた。

「おかえりなさい、宮田くん。講習会おつかれさまでした、帰ってすぐにすみません、」
「先生こそ、おつかれさまでした。アンケートの整理、すぐまとめますね、」

鞄を置いて流しに立つと、いつものよう蛇口をひねり手の殺菌消毒を始める。
丁寧に水気を拭いながら振り返ると、サイドテーブルに吉村はマグカップを並べてくれた。

「さっき、車の音が聞えたので淹れておいたんです。まず一服してから始めましょう?」
「あ、すみません。ありがとうございます、」

温かい笑顔で勧めてくれる、その気持ちが有り難い。
素直に笑って英二はいつもの椅子をセットすると、自分の鞄から箱を取出した。

「先生、川崎の菓子です。周太から先生にって預って来ました、」
「おや、嬉しいですね。湯原くんは本当にこまやかだな、早速戴きましょうか、」

嬉しそうに受けとってくれると、きれいに包装を解いてくれる。
その器用な長い指を眺めながら、英二は困り顔で微笑んだ。

「先生、今、ひとつ相談したいことがあるんですけど、」
「君からそう言ってもらえるの、嬉しいですね。なんでしょう?」

気さくに笑って菓子を出しながら訊いてくれる。
その笑顔にほっとしながら英二は携帯電話を取出すと、さっきの受信メールを開いた。

「先生、このメールへの返信、どうしたら良いと思いますか?前に飲み会で一緒して、今日の講習会にも出席した俺の同期なんです」

開いたメールを英二は、最高の警察医で名カウンセラーへと差し出した。
すこし首傾げながら医師は受け取ると、温かい眼差しで微笑んだ。

「そうですね?まず、処方箋は無いってことを申し上げましょうか、」

可笑しそうに笑って吉村医師はメールを見、英二に笑いかけてくれる。
やっぱりこの短文でも吉村には充分、内山の状況が解かるのだろうな?
そう感心した前で医師はデスクを振り向いて、写真立ての医学生に尋ねてくれた。

「雅樹、おまえの大好きな山っ子は、随分と人気があるようだよ。どうしたら良いと思う?」

父に問われて写真のなか、美しい山ヤの医学生はどこか困ったよう笑って見えた。




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Pensee de la memoire 初霜月―dead of night

2012-10-23 06:38:27 | dead of night 陽はまた昇る
※念のためR18(露骨な表現は有りません)

Pensee de la memoire 記憶の暁



Pensee de la memoire 初霜月―dead of night

9月の終わり、あの夜に自分は生まれたのかもしれない。

あの夜が無かったら、今の自分はきっと苦しんだ。
叶わぬ想いは血液を廻り、開放されることのない熱に蝕まれる。
そんな片想いを自分が出来たか?なんて自信が少しも無い。むしろ自分が壊れる可能性の方が、ずっと大きい。

それとも、あの夜の瞬間に自分は壊れたのかもしれない。
あの夜に、恋するひとを抱きしめ体の全てを支配した、甘い灼熱の時。
あの熱のなか自分は死んで、新しい自分が生まれた。それが正しいかもしれない。
あの一夜に何かが変わり、今、ここで息をしている。

―あの夜から俺は俺のものじゃなくなり始めたよ…周太?

友達から恋人になった、夜の瞬間。
あの瞬間に生まれたのは、酷く甘い幸福感と熱く苦い罪悪感だった。
無垢の少年を初めての恋愛に犯す、その幸福と罪悪は甘く熱く苦い、そして離せない。
離せないまま朝を迎えて、そして今がある。

―ごめん、周太は初めてだったのに…でも、あれは愛したからなんだ

周太は、初めてだった。

恋愛で抱きしめられることは初めてだった。
唇を重ねることも初めてで、肌を夜に晒すことも初めてだった。
なにもかも初めての夜にふるえる周太、その姿が嬉しくて愛しくて、自分は狂った。
甘すぎる幸福に酔うまま溺れて想いつく限りの愛撫を施した、それが周太を傷つけると気付かずに。

『周太は、きれいだ』

そう正直に告げて、あわいオレンジの光が照らす視覚から虜になった。
いつも風呂で裸身を見る度に、洗練された筋肉の美しい体だとは思っていた。
けれど初めて見つめた体は男というより、中性の美貌に充ちていると気がついた。
あのとき自分は初めて男を抱いた、けれど周太の肢体は少年のままで、それでも受容れてくれた。

素肌は透明に艶やかで、寄せた頬もなめらかに優しい。
唇よせた肌の香はかすかに甘く子供のよう、指ふれる骨格は華奢な可憐たおやかで。
添わせる肌は重ねるごと濃やかに融け、夜に怯えたふるえが漣のよう伝わるたび愛しい。
触れる肌、その一点一点から恋は募り熱が生まれて、もう止めることは出来なくなっていた。

初めて抱いた周太の体は確かに男性で、けれど肌も骨格も少年のよう中性に優美で。
うすい艶めく肌に甘い露を満たす果実、そんな周太の体も心も男というより少年としか想えない。
同じ23歳と思えない肢体、それは羽化する前の透明に潤んだ艶まばゆくて、意識から心を奪われた。
なにもかも初めての初々しい体、その心も感覚も未熟な瑞々しい途惑いが眩くて、恋して愛して狂った。
狂うまま愛しつくして、疲れ眠りかける小柄な体を隅々まで犯して、そして暁のシーツは血の花に乱れていた。

―ごめん周太…でもあの夜と朝から、俺は君のものになり始めてる

美しい少年の体を抱いて犯して、そして虜になった自分は全てを捧げ始めた。
美姫を護る騎士のよう愛して、女王に傅く奴隷のよう恋して、離れられない。
そんな生き方を自分が選ぶなんて、昔の自分なら信じられないのに?

―この俺が、こんなこと誰かに想うなんて?

男同士の夜がどんなものか、自分も知らなかった。
きっと女を抱くほどには快楽が無いと思っていた、けれど違った。
心から恋し愛する体を抱くことは、自分にとって快楽そのもので全身が溺れこんだ。
この恋慕に見つめる少年は、この自分には恋愛と快楽の蜜あふれる幸福の果実、もう失うことが怖い。

ほら、失うことが怖いだなんて?
この自分が、何かを誰かを失うことを恐れている?
こんな怖れを自分が抱く、それはあの夜が明ける瞬間まで知らなかった。

無垢の体と純粋な心を抱いて犯して、自分を刻みこんだ夜。
忘れてほしくなくて、ずっと自分を思い続けてほしくて、身勝手なほど幾度も抱いた。
ようやく自分の体力が果てる瞬間にかすかな満足を見つめ、それでも抱きしめたまま微睡んだ。
浅い微睡み、深く体繋げる熱、甘い吐息と涙にキスをして、眠りの夢にも囁く恋と愛。
どうか夢のなかでも自分に抱かれていてほしい、そんな望みに睦言を囁いた。

―…信じて?どこにいても、いつでも君を愛してる…周太、俺を見てよ?俺を愛して、恋して…

夢のなかですら君を離したくなくて、けれど朝は来た。
目覚めた恋人の貌は別人のよう目映くて、もう離せない思いに傷んだ。
それでも解いた腕の中から少年の肌は脱け出して、浴室へと独り行ってしまった。

もう二度と逢えなくなるかもしれない、その想いは痛くて。
痛くて狂った一夜の心が傷を開いて、けれどその痛みすら幸せだった。
たとえ痛みでも周太と繋がれるのなら、それで構わない。そんな想いに微笑んだ。
そのまま自分は服を着て、かすかに甘い残り香を繊維に籠めて夜を遺して。
そうしてベッドを片づけた時、初めて気がついた。
自分が一夜にしたことの罪を、見つめた。

純白のシーツに散らされた、赤い花びら。

女性なら初夜は処女膜の裂傷から出血する、けれど周太は男性。
それなのにシーツに血はこぼされ花のよう咲き誇る、その意味に漸く気付かされた。
男性が体を開くとき直腸を遣い愛撫を受けとめる、それは内臓器には本来機能外のこと。
確かに男性ならそこに性感帯がある、だからこそ男性同士の快楽が深いと自分も知っていた。
けれど、無理をし過ぎれば傷つくことも当然解かっていたはずなのに、無意識に自分は犯してしまった。

周太は初めてだった、何もかもが。
唇かわす初めてのキス、抱き合うことも初めての腕はぎこちなく震えていた。
女性を抱いたことも当然なくて、大人の恋愛で求め合うこと自体が初めてのことだった。
そんな周太に自分は「初めて」から、すべてを一夜に求めすぎて傷をつけてしまった。

―ごめん、周太…でも信じてほしい、君を愛してる、恋して愛して、だから

あの夜の贖罪を、生涯かけて誓いたい。
この心と体を生涯捧げて償いたい、全てを最後は君のために。
この贖罪は甘すぎる灼熱の罰、罰なのに幸福が微笑んでいる。

あの夜と暁に見つめた幸福感と罪悪感、そして贖罪という名の恋愛の誓い。
あの誓いに秋は始まり、幾たび季節は色を変え廻ろうとも色褪せない想い。

あの夜が明けて迎えた朝、扉を開きたくなかった。
それでも開いて君と外に出た、そして迎えた秋は想い募る幸福に温かくて。
冷たい季節に向かう時、それでも君の隣でいられる温もりは醒めることが無い。
だから今も、これから迎える冬の時が辛くても、きっと超えた向こうには温かい瞬間がある。

「周太、逢いたいよ?」

そっと微笑んだ言葉こぼれて、携帯電話を握りしめる。
そうして歩いていく木洩陽のなか、あまやかな花の香に熱情は募らせ彷徨いだす。
この道の先にどうか君の隣があることを信じ、ただ逢いたくて、祈りながら歩いていく。

幸せは、君の隣でしか見つけられない。




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