「祭り用」にと頼まれた10基の輪投げ台の制作を終えたが、もやもやが残った。就寝間際に解消法が浮かんだのだが、結果は「くたびれたー」である。
最初の10基に遊びで入れたイラストは、それなりに受けるアイデアと思っているが小生的には不十分だった。そこで材料が残っていたから4基追加した。写真の様に、ピノキオ、天狗、アンパンマン、バイキンマンのキャラクター輪投げ台だ。
出来上がりは我田引水で100点満点。満足感に浸れるかと思ったけれど、連日、拠点小屋で加工、帰宅して小細工と続いて、ドリンク剤の厄介になった。凝り性、根を詰める性分は、結果として疲労が自分に返ってくるが「分かっていても止められない」のが性分による泣き所だ。治らない病です。
18号一過、水見回りで泥水地と先日送水を復旧させた吐出口を確認に行く。泥水地は既にアップの通りであるが、吐水口からは茶色い水が垂れているだけだった。先日の豪雨の時と同じく、土砂で取水路が埋まったと判断し、本日は早めの御出勤で道具を担いで現地に出向いた。
もう「開けてびっくり玉手箱」である。取水路、取水升の間、左右三カ所で崩落しているではないか。
写真左側中央程に取水升があり、河床に「くの字」に見えるのが取水路の擁壁である。右半分、河床と笹薮の間に埋もれているのが導水管で、押し出され河床の上に浮き上がっている。右側上流部の誘水路も土砂崩れで崩壊した。
これではスコップと鍬で復旧出来る状態では無く、県の担当部署に報告とお願いをし小生の出番は無くなった。当然、速やかな復旧は見込めないから、この冬は水が無い水辺で終わりそうだ。残念なのは繁殖まで回復したドジョウが失われる事、トンボ類の被害は量りきれない。拡幅しておいた絞り水頼りの沈泥池は緊急避難用に利用できるが、捕獲できるかどうかが怪しい…。
台風一過、トンボ池と泥水地の水見回りをする。トンボ池は流入が塩ビ管の通水量で制限されるので越流寸前で持ちこたえている。第二トンボ池は僅かな越流痕跡が見られたが排水口の改良で収まるだろう。ここは収支バランスだけで良い。
問題は泥水地なのである。写真左端、泥水池3から4への水路だが丸太橋で越流した。この丸太橋の基部を猪が掘り起こしていた結果である。写真中央、取水路と泥水池3の間の堤も猪が削り取った跡で越流。
写真右、泥水池3と4の間の堤も越流した。ここも度重なる猪の掘り起こしの結果の越流である。堤や畦の盛り土は用土がない事と独り作業なので十分な土台を用意するのは難しい。猪が悪さをしなければ今回の出水でも大丈夫だったのに、思わぬ伏兵にやられた思いである。時間雨量100mm近くを記録したにもかかわらず、度重なる改善の結果が功を奏したが猪だけはお手上げだ!
用足してしばし眺めし夜半の月 用足してしばし眺めし軟な倅
網戸越し涼風落とし月はゆく 網戸越しかみなり落とし看守行く
賽の目に切られて網戸のお月様 賽の目 に切られて網目の外れ券
窓開けて寝れば冷気も腹の上 窓開けて寝ればシマカは腹の上
蚊で寝れぬ月の光は痒み止め 蚊で寝れぬ肌の光は痒み止め
むら雲も名月立てる脇の役 むら雲の名月隠す糞悋気
泥水地の稲穂が出そろった。早速、猪の偵察隊第一号がお出ましで数株を踏み倒していった。
水漬けになった水稲は数日で腐敗して悪臭を発する。猪に食べられた上に悪臭の稲の片づけは御免こうむりたいから背丈の半分から刈り取った。「ざまあみろ!」であるが…。
先日、苗を譲ってくれた農家の親父さんが成長具合を見に来た時に「イノシシに荒らされるのも悔しいから出穂したら穂苅します」と話したら顔が曇った。小生は水稲を食物連鎖の要に位置づけして作付けしたが、これは少数派の感覚である。
農家の親父さんにしてみれば「この罰当たりめ!」と言いたいところだったろう。稲穂は神棚にお供えできる物なのであるけれど、稲穂を失った丈半分の株でも、これからも十二分に働いてくれるはず。
小雨の降る中、自然学校・観察会があった。車両15台ほどあって総勢は30人超くらいか…。4グループに分かれ順次コースを巡る算段らしい。
主催は公で、世話役達は「環境教育指導員」やら「自然観察指導員」のような腕章を付けている。参加の子ども達全てではないにしても補虫網や虫かご持参である。
従来からある水辺で、このような活動をする事まで悶着言うつもりも無いが、種の保全を目的として産卵行為をさせるために群れさせている箱庭程度の水辺で、かような捕獲を伴う行為は不愉快極まりない。管理者の許可を得て看板を立ててあるが用をなさない。
候補地としてはコンパクトで生息密度も高いから簡便この上ない環境なのは理解できるが、保全活動や環境教育に責任を持たねばならない立場からこういう有様なのだ。プライバシー情報が詰まった名簿を右から左に移して利益を上げる輩と同類に見えてしまう。
濡れた補虫網で濡れたトンボの捕獲、かような事が与えるダメージも想起出来ないのも腹立たしい。そのうえ、雨で柔らかい畦や堤への踏圧ダメージも馬鹿にならない。天邪鬼の小生、「自然学校・観察会」が「破壊学校・完殺会」と読めた。
突端台地斜面の真竹の再生が始まった。既に刈り払いは実施した区域であるが、役立たずのタケノコは再生竹となり2m程に伸びてきた。
竹もササ類も再生力があるし、刈り払っても地表ごと削り取っても衰退を見せない。1シーズン作業をしなければ、また元の竹林に戻ってしまう。
この頃は「保全の範囲拡大」路線は終了して「維持管理」に意地を張らねばならなくなった。会の実質的作業力は衰退するばかりだし、一向に衰えないのが竹笹類なのだ。
今になって思えば、この勝負「勝つ訳が無い」のであるけれど、こがないと自転車は倒れるのは明白。あの痴呆議員いや渡世議員同様「誤魔化せるところまでは行く!」。
まあ、わめき会見と言い「どこでも勝手口」と言い、なんとも情けなく「悪貨は良貨を駆逐する」実体験をさせてもらっている。
祖父越える一角欲しいボンボンの理想と秘める燐国の雄
苦労など無縁ほっとけ御大尽釜戸観るより硝煙見たき
甚六は我はつわもの白けても次々置きたいナチの黒石
苦情など半兵衛で良しドンの思慮浅き夢見し民息もせず
聞く耳も観る眼も無くて偉ぶれば頼りにします撃ちて死止まぬ
沈泥池の拡幅で周囲の岸を掘り取っていたらアオガエルが出てきた。現在、煩いほどの大合唱をしているのはシュレーゲルアオガエル。写真の蛙は左右ともサイズは似ているが同種なのかそうでないのか決め手を欠く。どちらも掘り取り中にあらわれた。
右は姿の確認が難しい「シュレーゲルアオガエル」で左も同じと思えるが、図鑑によれば識別のポイントは「黒目の周り」、モリアオガエルは「赤っぽい」のだそうだが、右は金色に見え左はやや赤みを帯びている。モリアオガエルと思ってもサイズが同じで、冬を越した成体がシュレーゲルと同等サイズとは思えない。
このように「若きベルテル」でなくとも迷いは尽きない。それはカエルだけでなくトンボも植物も、はたまた作業の手順や結果にまで及ぶ。