トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今朝は朝露ビッショリ

2023-12-09 | 感じるままの回り道

 師走ともなればフイールド到着は9時近くになる。夏時間より1時間は遅いけれどそれなりの理由があって、作業場所のほとんどが日照が届かなくなることもあり気温が低かったり朝露で濡れているからなのだ。昔々、週刊誌だったか「濡れにぞ濡れし」とか言う連載があったけれどまだ中学生だった小生には読む事は憚られたのだった。

 この朝のフイールドは朝露ビッショリでまさしく「濡れにぞ濡れし」を眼前一望のもと、晒していた。だからこそ日陰の植生部には入らずとも眺めれば地味なものの結構美しい風景でもある。朝露をビッショリと付けているのはチゴザサだったか名前が出てこない昨今では断定も出来ないのだが風景を楽しむだけなら名前など野暮である。通りすがりに美人だからとて「君の名は?」なんてセクハラまがいだし美人ではないと思われた側からはそれまた問題が生ずる。まあ、姥捨て山の草本・木本相手なら気兼ねは無い。

 ロシア民謡の一節「朝露踏んで 牛を追っていたら 森の中から熊が出た云々」は少年期にソノシートで覚えた歌だが近年は街中にも熊が出没する。平たく言えば野生動物も文明開化の時代になったのだろう。近々、九州・四国地方にも熊が海を泳いで生活圏を広げそうだというニュースがあったが、生き物である限りフロンティア精神にあふれた先駆者は必ずいる一方で絶滅への道程を辿るしかない生物もいる。しかしなあ永田町界隈の動物は威之志士様の跋扈蹂躙より手に負えない絶滅には程遠い獣たちであることよ。「嘘つきは泥棒の始まり」とか「恥を知る」なんてしつけは無かった獣なのだろう。強いて言えば、なあなあ仕立ての脚本とセットで嘘ッ腐物語の三文芝居が生活の糧かあ。世の中には太平安楽の場所もあるのだった。


危険個所は余計なお世話で・・・

2023-12-09 | 今日は真面目に

 まあ、ネザサ刈りしたのも「余計なお世話」だったのだが、そこで露わになった侵食溝と陥没孔二つ。小生は時折は進入していたから存在は承知だったけれど空洞の拡大が進み思わぬところで脚を落してしまった。窪みがあったので予想はしており大事には至らなかったものの全く知らない状態で足元が見えない環境では大怪我もするだろうし万が一、小児が落下でもしたら命を失いかねない深さがあるのだ。空洞内部は大人がしゃがんで通れる大きさで天井まで150cmはある。身の丈を越える古材を差し込み表示代わりにしても地上部は形ばかりだ。結局、陥没孔には3m程度の古材を曳き、穴に落とし込んで置いた。窪みの進んだ部分は古材を並べて予防する。

 古材を立てる      

 大きな陥没部には刈り草や廃材を投入してみたもののネザサが繁茂すれば再び隠れてしまう。杭を数本打ってロープを掛ければ作業は早いのだが杭もロープも現場の作業には邪魔者で好きではない。しかし危険個所である事は否定のしようが無いので周囲に杭を打って範囲を明らかにすることにした。市販の杭を使うのはもったいないので廃材の先端を尖らして杭に転用して一応は判るようになった。この日は野草の採種をしたかったのだが優先事項を考えればそうもいかなかった。とは言えこの範囲は隣地グループの活動範囲なので「余分な事を・・・」と思わぬでもないけれどどちらも高齢化と作業者の減少で保全活動は停滞気味だし「まあ、しょうがないわい」の余計なお世話だった。俯瞰しつつ一帯として手入れをすべき環境を「孤塁を守る」様な視点境界感では目的達成はまず無理ですもん…。